3-1 想像できるものは形になる
翌日もふたたび、朝から聡子と島本の運転する自動車に乗せてもらい現場へと向かった。相変わらず島本は二人を降ろすとそそくさと現場から去ってしまう。
そして日が落ちる頃、また迎えに来て、二人を乗せて帰る。
二日目も聡子とは淡々としたものだった。
特に互いに話す話題もないから、会話の内容は仕事の段取りばかりだ。聡子は怪異現象があるといっていたが、今のところ邸内の庭に立っている黒焦げの男と軒下の女子高生以外何も見えない。
「なんか、あの人、いつも逃げるみたいにして行っちゃうね」朱莉はもうすっかり慣れた上下ツナギの作業着の袖に腕を通しながら言う。
「おばけが嫌いなんだってさ、だったらなんでこんな商売してるんだよって感じだよね」
「ところで、聡子はさ、面接の時に真っ暗な部屋に入れられたりした?」
「ああ、確かそんなのあったよね」
聡子には何も視えなかったのだという。ただの暗闇に五分間じっと座っていただけで、なんら起きなかったのだという。
やはり彼女には霊感応力のかけらもないのだ。あの部屋に居て全く何も感じないし、視えもしなければ気配も感じなかったという聡子のような人間は、たしかにこの仕事には向いているのかもしれない。
朱莉は霊感応力者であるがゆえ、嫌でも霊は目にするし、ぼぉっとしていると、その憑依体質から霊の思考や念動力の影響を受けやすい。だから一定の場所に居憑くような霊に対しては気をつけなければならなかった。
「島本さんは視える人なのかな?」
「ばーか。単にビビりなだけだよ。廃墟とか、殺人現場とか、ってのはさ、少なからず傷跡が残るじゃん?」
「う、ん?」
「人はさ、その“なれの果て”が“まともだった時”を想像できるからを、その間を埋める物語を作ろうとするんだよ」
大雑把だが聡子の説明はストンと腑に落ちる。
中古品に傷があれば、ただそれだけで無機物は有機物へと変化する。前の持ち主が誤って落としたのか、あるいは傷つけられたのか、長年の使用で知らぬ間に付いてしまったものなのか、いずれにしても、自ら動き回ることのないモノの変化というのは、風化という時間経過や、消耗という使用履歴の証拠が付与されるためだ。
「そんな人間の想像力が霊なんてモノを作り出したんだよ。人間が死んでなにもなくなっちまうって事に納得するには、そういう非現実的なものを作るしかなかったって事」
根拠なくただの好き嫌いで霊をこき下ろしているのではなく、彼女の中で理屈があるのだ。朱莉からすれば、彼女の言っていることは間違いではあるのだが、現世の外を覗かない人間であれば、その考え方も通用するし説得力もあるといえた。
ただ聡子は付け加える。
「そうやって人が想像したもので、今の私たちの生活は成り立ってるんだから、本当に霊を信じているなら一つや二つ誰にでも見える形にして現れたとしても不思議じゃないけどね」と。
「想像できるものは形になる、ってこと?」
「話早いねー、朱莉は」
その聡明さに感心し、改めて聡子の人物像を見直す朱莉ではあった。
ただ、人が生み出す以前に霊は存在しているから作られることはないのだ、ということを、やはり言えなかった。
そうして連休二日目も何事も起こらず、家に帰ってシャワーを浴びて、夕食を摂るとバタンキュウと、ベッドに直行した。
現場三日目、いよいよ今日は二階の二部屋を片付けることになった。
おととい不用意に足を踏み入れてしまった二階奥の寝室は後で手をつけることにし、まずは手前側の部屋から片付ける。子供部屋のようだ。ここも過去に使われていたままの状態で放置されていた。
ざっと、視界にノイズが走り、子供のはしゃぐ声が聞こえた。そしてすぐに元の散らかったほこりっぽい子供部屋に戻った。小学生くらいの部屋だろうか。勉強机に二段ベッド、その青を基調とした柄などからして、男の子ふたりの兄弟だったか。
朱莉はぶんぶんと頭を振り、思考を止める。そんなことは仕事に関係がない。
「さっ、ちゃっちゃと片付けちゃおう!」ゴミ袋を用意して床に散らばっている紙屑から拾い集めてゆく。ドアが閉じられていただけあり、それほど無意味には散らかっていないが何かと残置物に目が引き寄せられる。
小学生くらいの頃は何もかもが印象的だった。たいていの子供はこの部屋に収まる以外の他に何も持っていない。だから自分の持ち物というのは自分の一部のように大事にしていて、いつでも目の届く範囲にあった。そういうモノには人の念が乗りやすい。さっき一瞬見えたのは部屋に閉じ込められていたモノが残していた“残象”だろう。
朱莉も覚えている。
大好きだったカエルのぬいぐるみはいつも朱莉の傍にあった。無くしたのか捨てたのか、いつの間にかそれはどこかへいってしまって、今は手元にはない。あれほど大事にしていたのに何故だろうか。
男の子たちの部屋の床にも、かなり前の戦隊ヒーローのフィギアが転がっていて、壁には初期の垣ケ原アニメのポスターが剥がれかけてぶら下がっている。
“この子たち”も犠牲になったのだ、という事を考えまいとした。感傷に耽るほど思い入れがある場所でもないし、第一当事者たちを知らない。自分の感情ベースで胸を痛めるのは勝手だが、その行為が何の意味も持たないことは朱莉自身がよく知っている。
ただ、霊感応力もなく、霊能業界の知識もないまま、人死にをこれほどまでにドライに捉えられる聡子は、どこかぶっ壊れているんじゃないかと思う。
「うわ、なっつかし! 『疾風の渓谷のアルケスティス』じゃん」聡子が壁に駆け寄ってポスターを眺める。“疾風の渓谷のアルケスティス”は今となっては名は知られているが、垣ケ原スタジオがアニメ界で隆盛を極める以前の、朱莉たちが生まれる前の作品である。したがって、聡子が懐かしいといっているのは、あくまでテレビ放映された時の記憶でしかない。以来何度も放映はされているから、人それぞれ幼少の頃に目にした記憶から、懐かしい、という言葉を引き出すのだろう。
「聡子、アルケスティス好きなの?」
「ん……まあ、アニメ作品で初めて泣いたっちゅうか……結構好き」聡子は若干照れながら応える。
「わぁ、あたしもだよ! この作品は垣ケ原監督の原点だよね!」
「――――っそ、そうそう! 監督がずっと後作で訴えてるテーマがここに凝縮されてるよね!」朱莉の興奮に呼応するように、聡子は突然目を輝かせて話だした。
そんな聡子の口ぶりから、何度も繰り返し観ていることがうかがえる。
朱莉は彼女に自分と同じ匂いを感じた。同じ人種ではないかと。
その後作業を進めながら、垣ケ原作品談議に盛り上がり、さらに最近のサブカル事情に飛び火し、今話題の一押しアニメの話題へと発展する。
こんな会話をしたのは中学の漫研以来だったので楽しかった。
そして殺人現場で揚々と、アニメの話で盛り上がれる自分たちは相当ぶっ壊れているなと、朱莉は思い直した。
「ふう。この分なら夕方には終わるよね。あと残るは寝室だけだし、そろそろお昼にしようか――。よぉおし、じゃあいきますか!」
聡子が腰をやや落とし気味に構えるので、朱莉もそれに応じて構えた。
昼ご飯を買いに行く役をじゃんけんで決めるのだ。
コンビニまでは約一キロらしいがどこにあるのかは知らない、昨日は聡子が負けて買いに行ったのである。
「またか! ちきしょー!」聡子は両手に握りこぶしを作って悔しがり、朱莉は全身でガッツポーズを決める。
あの誰も寄せ付けなかった大塚聡子と、じゃんけんをして笑い合って、身体を一杯使って感情を露わにしているなど、ほんの少し前ですら考えられなかった。
聡子は買い出しに行ってしまい、しばらく朱莉は一人で現場に取り残されることになった。建物の外観は来た時と何も変わっていないが、掃除をしたことで陰鬱な雰囲気は朱莉の中でずいぶん薄らいでいた。
さりとて聡子が戻ってくるまで何もすることがないので、朱莉は玄関脇の古ぼけた鋳鉄製のベンチに腰掛けてぼんやり、庭を見渡していた。
二階を片付けた後は庭の掃除をすることになるだろうと思いながら、気になる例の茂みに、気づかれないよう意識を向ける。
やはり黒焦げのおっさんが立っている。
エントランス脇の軒には女子高生がぶら下がっている。
彼らなら何らか事情を知っているかもしれないが、下手に関わって縁を作るのも嫌だ。
聡子の理屈なら、信じていないものは認めない限り見えない、ということになる。確かに霊のことをまるで信じない人間は霊障に遭う確率はごく低い。それは霊の側からも干渉がしづらいためだ。だから方や霊感応力者が霊を視ても、その隣の懐疑派の人間は何も見ないから、霊感応力者の言葉は妄言としてとられる。
そういう理屈なら、聡子のような人間と一緒にあの部屋に入れば霊障は起こりえないのではないか、という気すらする。
聡子が言っていたように、考え方次第で廃墟はいとも簡単にお化け屋敷になる。
黒焦げのおっさんと女子校生も含めれば五人もの人間がここで死んだことになる。それを知るが故に。
(ねえ鞠さん。人の思いが忌場を作る、ってことなのかな)
問いかけてみるも、鞠は応えない。またどこかに離れているのだろうか。
おととい寝室で鞠に助けられた際、彼女は掃いただけだと言ったが、何をどう掃いたのだろうか? 昔から箒の類は神事に用いられる。掃除をするというのはたまった陰念を除くことにも繋がるから、日本人は物事のはじめに“場を清める”という儀式を行う。つまり鞠の言っていたのはそういう、霊を掃くようにして祓ったということなのか?
ビビりすぎだな、と肩の力を抜く。
霊感応力があるからといって、そこまで現世に生きる自分にどうこう干渉できるほど霊も図々しくはない、所詮はあの通学路の霊障三人組のような嫌がらせをするのがせいぜいだろう。奴らは死人で、この世の存在じゃない。
朱莉は朱莉で霊との関わりを極力避けながら生きてきたのだ。ずっと無視していればいないのと同じだと思い込んできてやってきた。これからもそうするつもりだった。