2-5 あんた……なにしてんの?
仕事現場は笠鷺市の南部に位置する、志賀崎町という海にほど近い高台の古い住宅街だった。島本の運転する軽自動車の助手席に座り窓の外を見ていた。
件のハードゲイは朱莉のすぐとなりに顔を寄せて、(あたしの名前聞きたい? んふ、いいわ、教えてあげる。あたしの名前はキャサリン。あんた朱莉っていうのね、なかなかの力を持ってるみたいじゃない)と興味津々だ。だが朱莉は無視する。だいたいキャサリンとか絶対嘘だ。
「古い家が多いんですね」
「ええ、この辺りは江戸時代から街道が通っていて栄えてましたからね。戦時中は空襲もありましたが、幸いこちら側はあまり被害を受けていなくて、戦前からの結構な邸宅も残っているんですよ。そういった古い家屋の躯体をそのまま使用して、内装をリノベーションするというのが最近のトレンドでしてね」
「ああ、なんか見たことあります! 京都の町屋とかお洒落ですよね」
「ええ――もっとも今日はそれほど古くない家ですけど、二十年くらいは放置されてますから、覚悟してください」と島本は運転席で冗談めかして言う。
その合間合間に隣のハードゲイが(あの部屋ではね、あんたのような霊感応力がある人間が入ると大抵は驚いて、叫び出しちゃうのよね。あたしの姿が化物にでも視えるらしいわ。失礼な話よね、まあ未熟な霊感応力なら仕方ないケド)などと口添えしてくる。
はっきり言ってそんなことはどうでもよかったので、(心眼を研ぎ澄ませれば真実の姿が視えるものですよ)と落ち着いた念話を投げてやる。それにどうやら満足したらしく、キャサリンは妖艶な笑みを浮かべる。
あの部屋には何ら特殊な仕掛けがあるわけではないのだろう。霊が実体的に見えるほどの霊感応力者がそう多くいるはずはないし、高度な霊感応力者なら多少妙な存在が視えたとて、いつものことだと驚いたりしない。
(この仕事はね、全くの鈍感、不感症の人間が向いてるのよ。だから本来あんたのような霊感応力を持つ人間はトラブルのもとになるから、あたしがこうして試してやってるの)
島本はただの肝試しと考えているようだが、この守護霊が気を利かせて検査のハードルを上げているということらしい。
だがなぜ、霊感応力があると都合がわるいのか? それを問い質そうと男に目を向けたのだが、(んふふ、せいぜい頑張るが良いわよ。あんたなら上手くやれるんじゃないかしら)と言い残し、ふっと消えてしまった。
ハードゲイ・キャサリンとのやり取りに釈然としないまま、それとは裏腹に終始穏やかな島本の話を聴いていると、軽自動車は高台の敷地に立つ一軒の家の前で停車した。
南向きの正門の前から道路を隔てて、志賀崎海岸が眼下に広がっており、絶景というべきビュースポットだ。
普通の家よりもかなり大きな門柱に、錆びた鋳鉄製の立派な鉄扉があり、その先に庭がある。敷地はそれほど広くないが、十坪ほどの庭の奥に、白い壁と尖った赤褐色の屋根を持つ、いわゆる西洋風の家屋が立っている。あくまで西洋風であり、今から三十年ほど前のバブル期に、そこそこの金持ちが注文建築で建てたものだと島本に説明される。
「当時なら、この規模でも一億はくだらなかったでしょうかねぇ」言葉は感慨深げではあったが、島本にとってはどうでもいいようで、軽自動車のリアハッチを開いて荷物を降ろしだしている。
朱莉も住んでいた人のことに興味はなかったのだが、こういうタイプの家を建てたがる人はプライドが高そうで、とっつきにくそうだな、という印象を持つ。
「はい、これ。埃を吸ったりすると喉を痛めますから、マスクはしておいた方がいいですよ。あとは作業着ね、服の上からでも着れるサイズですから、あ、さすがにちょっと大きいですかねぇ」島本は赤いツナギ服とマスクと帽子を朱莉に手渡した。
庭の雑草はナチュラルに任せて伸び放題、家の正面の壁にはアーチ窓がはめ込まれており、窓の周囲は盛大に育った植物の蔦が茂っている。門扉をはじめあちこちに立ち入り禁止の札が掲げられてはいたが、きっと近所の学生か不良なんかのたまり場にもなっていたのだろう、古い雑誌や空き缶やたばこの吸い殻なんかがあちこちに捨ててある。
(ありゃあ。これは結構穢れてるわねぇ)
(二十年も放置されてたらこんなもんでしょ)
(うふ、なんだかお化け屋敷みたいね)
(鞠さんの口からそういう感想が漏れるのって、すげー変なんですが)
念話をしていることなど気づきようもなく、島本は元の住人がどういった経緯でここを手放したかを話しているが、本当に興味がなかったので朱莉の耳には一割も届いていなかった。
(お化けってのはね、雑霊や浮遊霊が長いこと現世でこじらせた上に、念力場に集合した結果や、モノが変化する疑似霊魂や、腐った山神や地霊が変質してなる物の怪なのよ。そもそも私は霊の中でも天霊といって、ハイソサエティな存在なの」
(の、割にはあたしなんかに憑いてさ、泥臭い仕事してるよねぇ……ああ、眉間痛くなってきた)
鞠とどうでもいい念話をしていると、ふと窓の向こう側に人影が見えたような気がして、思わず「あっ」と声に出してしまう。
「どうかしました?」と島本。
「あの窓に人影が見えたような……たぶん」いや、霊視で見えたものだっただろうか。そういえば給金に目がくらんで、ここに霊がいるかもしれない事をすっかり棚上げしていた。でも、鞠からは何も言ってこない。
「ああ、朝から来ているアルバイトの子でしょう。周防さんと同じ高校生の子ですよ。周防さんのことは伝えていますので、仕事の段取りは彼女に教えてもらってください、うちで一年も務めてもらってるベテランさんですから」
「一年、も? ええと、その子と二人だけで作業するんですか?」
「主には荷物の運び出しです。大型の家具なんかもありますが、重すぎるようなら解体してくれて結構です。リノベ前提ですから内装に気を使ってもらわなくても結構ですし」
また夕方に迎えに来ます、と言い残すと島本は軽自動車に乗り込んで走り去ってしまった。
「普通雇い主なら顔合わせに立ち会ってくれるんじゃないの?」
(忙しいんでしょ。さっ、仕事仕事)
「なんかさ、鞠さん張り切ってない?」
(あ、え? そんなことないわよぉ、ホラホラ!)
背中を押すような鞠の声に、朱莉はやや振り返りながら玄関へと歩みを進める。あまり建物からいい感じはしないなと思いつつ、今日は稼ぎに来たんだと両拳を一度握り、ドアノブに手をかけたその瞬間、
「ぶはっ」
当たりはしなかったものの、内側から開いたドアに跳ね返され、そのままたたらを踏んで後退し、手入れのなされてない芝生の上に無様に尻餅をついた。
「あっ! ごめん、だいじょう……ぶ? って……」ドアの内側から現れた主は目を丸くして朱莉を見下ろしていた。「あんた……なにしてんの?」
見上げたそこには、「お! 大塚? なんで?」