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燕友歌  作者: 深淵ノ鯱
3/6

残された温もり

  3


 翌日は、夕食の準備のため、彼女に会うことはできませんでした。彼女はいつも決まった時間に私の家の扉の前で佇んでいるのですが、しばらく待って私が出てこないと分かると、帰ってくれます。私をせかすことも、無理を言って連れまわすこともないので、私は比較的気楽に彼女と付き合えるのだと思います。(もしかしたらこれは、私の無言のワガママなのかもしれません)。

 次に彼女と出会えたのは、土曜日でした。その日は特にすることもなく、暇だったので玄関先でぼーっと高い空を見上げていると、彼女がやってきました。本当は私と出会うつもりはなかったのでしょうが、目ざとく私を見つけると、彼女は嬉しそうに私の元へ駆け寄ってきました。

「どうしたの? そんなふうにたそがれて」

「……タソガレル?」

 聞いたことのない単語が彼女の口から零れ、私は首を傾げます。いつも私に言いくるめられるようになってしまっている彼女は、少し誇らしそうに胸を張りました。何だか微笑ましいです。

「それ、どういう意味なの?」

「えっと……ぼーっとする、って意味だったかな」

 視線を彷徨わせ、彼女は答えます。後で気になって調べてみたところ、どうも彼女は間違ってその言葉を使っていたようです。また教えてあげよ、と私はいずれ、くすくすと笑うのです。

「そんなことよりもさ、サユキは暇なの? よかったら一緒に何かしよーよ!」

 彼女は元気な姿で誘います。もちろん、私に断る理由はありません。お母さんに断りを入れ、彼女と太陽の下を行進します。

 自然と、足は数日前に訪れた公園へと向きます。私が導く形となりましたが、彼女は文句を言いません。経過はどうであれ、きっと訪れる未来は同じだったのでしょう。

 きーこきーこ。風に吹かれる中、誰かの悲鳴が聞こえました。私たちは、それを止めるのか、それともさらに苦しめるのかわかりませんが、とんっ、と乗っかります。

 しばらくは適当な雑談で盛り上がりました。でも、ちょっと太陽が雲に隠れた時。それは、みんなの心が影に覆われる時なのだと思います。

「サユキ、この前の事、考えてくれた?」

「この前の事?」

 分かってて私は聞きかえします。私がその話題を、密かに恐れていたからでしょう。ちょっとでも先延ばしにしたいという幼い心がそうさせたのです。

「全部ワタシに言わさないでよ。サユキはかしこいからさ、ちゃんと覚えてるでしょ? 友達づくりの件だよ」

 くすりと彼女は口の端を動かします。真面目……いえ、生真面目な彼女はもしかしたら怒るかも、と内心では少し考えたりもしましたが、その心配はないようです。彼女も、私のそれが冗談だと分かったうえで言葉を返してくれている。

「……うん、覚えてるよ。誤魔化してごめん」

 私の少し低い声に顔を上げる彼女。小さな驚きが見て取れました。

「ちゃんと考えたよ、私なりに。でも、考えはやっぱり変わらない。私に新しいトモダチってものは必要ないと思う」

 目に見えて彼女は落胆します。彼女は素直すぎると思います。そんなだと心が持たないよ。

「じゃあ……」

 暫しの沈黙の後に彼女が絞り出した言葉は、そんな短いものでした。言葉と言いますか……何かと重なった悲痛な声でした。

「待って。最後まで聞いてほしいな」

 何かを続けて言いたそうにしていた彼女を遮って、私は本音を伝えます。あなたには笑顔でいてほしいということ。あなたに満足してもらうために、私がトモダチを作るのであれば、出来る限りの努力はする、と。矛盾していると指摘されればもうそれまでですが、私はそんな存在なのです。たくさんの矛盾を抱えて生きていく。それこそが、私なのでしょう。

 想いを告白し、私は右手を差し出します。よろしくお願いします。そんな無言の気持ちを込めて。

「……ありがとう、サユキ」

 俯いて顔は見えませんでしたが、彼女は確かに私の右手を強く掴みました。

 少し冷たい風が公園内を吹き惑いました。悲鳴は、もう上がりません。



「でも、具体的には何をするの? 私はどう行動すればいいの?」

 積極的なトモダチづくりをしたのなんて、何年前のことでしょうか。いえ、あのころは、努力などしなくても、みんながトモダチ、みたいな空気でした。本当に、人の成長と言うのは残酷なものです。誰も成長しなかったら、私がこんな風に悩む必要なんてなくなるのに。

「サユキはさ、クラスの中に気になる人っている? この子なら仲良くなれそう! みたいな……」

「いないよ?」

 即答でした。事実ですから。

「……」

 あっけらかんとしている私とは反対に、彼女は苦々しくどこかへ視線をやりました。そんな表情されても……。私は心の中でため息を吐きます。

「じゃあ、逆は? サユキのことを気にかけているような人は?」

「いないね」

「だよね、想像通り」

 ひどく平坦な声が彼女から漏れました。呆れられているのでしょうか。まぁ、これがあなたのトモダチですよ。こんなつまらない人間とよくあなたはトモダチになれましたよね。そして私はよくあなたを受け入れましたね。自分の事なのに、自分が一番驚いちゃってます。

「……むしろ私は気味悪がられてるよ。図工とか理科とかの実験で同じ机になるとみんな私から遠ざかっていくしさ。席替えで席が隣になると、男女構わずみんなが嫌そうな顔をする。私はクラスの中で、そんな立ち位置にいるんだよ」

 こんな嫌われ者の私にトモダチを作ることはできるのでしょうか。努力はすると言っておきながら、私は自分で何かを考えて行動しようとは微塵も思っていません。彼女の言うことに、終始従うつもりです。目を瞑り、口を堅く結んで考え込んでいる彼女の言葉をじっと待ちます。

「難しい……? 難しいでしょ?」

 何だか、少し笑えてきました。滑稽(こっけい)に思えてきました。私は馬鹿なのでしょう。自分が特別な存在なのだと思っている、ただの変人なのです。

 そうして、十五分ほどが経過しました。あまりに長かったので、私はブランコから降り、公園の中をぶらぶら散歩していました。奥の方に行くと、草は刈られておらず、マンガの中にあるような、ジャングルを進む探検家の気分が味わえました。

 スカートについた砂や小さなゴミを払いながら元の場所へ戻ってくると、なおも彼女は同じ姿勢で固まっていました。そろそろ不安に思って私が手を伸ばそうとすると、「ぐぁー!!」と、いきなり彼女は奇声を上げました。いよいよ壊れちゃったか!? 私は慌てて彼女の顔を掴み、「大丈夫!?」と連呼します。

 数分ほどして彼女はようやく落ち着きました。深呼吸すると、いつもの優しい、それでいて少し寂しそうな瞳が私を映し出します。

「ごめん、何がいいかなって色々考えてたら訳わかんなくなっちゃって……。思わず変な声出しちゃった」

 頭を掻きながら、照れくさそうに彼女は笑いました。軽く背中を擦ると、「もういいよ」と(いたい)()を孕んだ笑みを見せてくれます。

「でもまぁ、とりあえず結論は出たよ。聞く準備はいい?」

 こくん、と私は頷きます。木々の隙間から覗く光芒が、小さな共有スペースを幻想的に照らしだしていました。

「近所にいる同じクラスの人から、手当たり次第に話しかけよう! その中からサユキが良いと思った人を選ぶんだ!!」

 高らかに彼女は宣言しました。私の反応を短く窺った後、さらに続けます。

「もしくは、サユキを良いと思った人を見つけ出すんだ! そうすれば、サユキに友達はきっと出来るはずだよ!」

 彼女は太陽のようです。彼女が放つ言葉は、世界に光と熱という恵みを与えます。その……前向きな姿勢とでも言いましょうか。とにかく、それは、彼女を初めて羨ましいと思った瞬間かもしれませんでした。

 でも、光が私の場所まで届かないように……そんな恵みも、誰かのためにならなければそれは本当の恵みとは言えません。

「……無理、だよ」

 目を逸らし、弱々しく私は言いました。彼女の綺麗な想いが私を捉えます。私を吸収しようと凝視する大きな瞳がありました。

「どうして何もしてないのに決めつけちゃうの?」

「どうしても何も……急に私がそんなことしたって、みんな不快に思うだけだよ」

「そう思う?」

「思う」

 気づけば彼女の表情は再び曇りかけていました。私に、気の利いた言葉を掛ける資格はありません。申し訳ないと思いつつ両手をぐにぐにさせるだけです。

「……本当に?」

「うん。本当に」

 しばらく彼女は黙りました。何かを考えるように虚空を見つめています。「ウソ」。そんな小さな言葉が聞こえた気がしました。

「え……?」

 風が聞かせた空事だったでしょうか。葉擦れの音のようにも聞こえました。でも彼女は、私の知らない強い決意を滲ませて、地面を鋭くにらんでいました。

「それはウソだよ。サユキが全員に嫌われてるかなんてわからない。きっとこれもサユキは否定するんだろうけどさ。全員に確かめたの? 『私の事嫌い?』って全員に訊いたの?」

 彼女が見せたその言葉は……ある種の怒り、でしょうか。顔色に変化は殆どありません。私と違って純粋であるが故、その想いはひどく脆く、ひょんなことで崩れ去ってしまいます。自らを肯定したいがための、必死の自己防衛であったかもしれません。

「そんなの……そんなこと、しなくても分かるよ。みんなの態度見てれば、嫌でも想像はつくよ」

 そりゃあ、中には、実はそんなに私の事を嫌ってなくて、何なら仲良くしてみたい、って思う変な人もいるかもしれない。臆病で自分の考えを表に出せず、強い者の言いなりになっているかわいそうな人もいるかもしれない。でも、そんな風に縮こまっている時点で、私にとっては敵と同じです。そんな人をも、私は敵とみなします。だって素直じゃないから。彼女みたいに、女の子らしい心を持ち合わせていないから。

「……サユキはさ、友達、いらないんだよね」

 唐突に、彼女は声のトーンを落としました。僅かに戸惑いつつ、私は頷きます。

「あなた以外のトモダチはいらない」

「ははっ、嬉しいなぁ」

 それはきっと本音でした。木漏れ日に所々を照らされた彼女には、森に住む妖精のような可憐さがありました。もしくは蝶々のような。すぐにどこかへふらふらと飛んでいきそうな幼弱(ようじゃく)さがありました。

「でもさ、サユキはそんなことを思いながらでも……言ってくれたじゃない。そんなトモダチのために、って……」

 ヤクソク。単語で表すなら、そんな言葉となるのかな。生きている私の記憶の中では、発せられることのなかった言葉。あの瞬間、私はそれが紡ぐ時間の流れに乗っかってしまっていたのでしょうか。彼女はとっても利口です……それとも、私がただ無知なだけでしょうか。

 そっか、私は成長していないんだった。みんなはきっと、普通に気づけるのだと思います。「じんせいけいけん」をたくさん積んでいるから。

「やっぱり……辛い?」

「ツラ、い……?」

 間抜けな声が漏れました。私はてっきり、ヤクソクだとかワタシのためだとか、そんな説教のような話が続くのだと思っていました。でも、彼女は私を気遣ってくれた……ううん、同情、しているようでした。少なくとも、私にはそう見えてしまいました。

「何度も言うけど、これはワタシのワガママだから……。サユキに迷惑をかけてしまっているのは充分に承知してる。いくら友達の頼みでも、サユキはサユキだから……全て受け入れられるわけじゃないよね。……もし、ワタシのワガママに耐えられなくなったら、すぐに言って! こんなくだらないこと、すぐに止めるから!」

 くだらないこと。彼女は確かにそう言いました。自分を卑下しているのでしょうか? 彼女はきっと、素晴らしい考えを持って、素晴らしいことを言っているのだと思います。だったら、それを打ち消してしまうようなこと、言うべきじゃない。では、何が彼女をそうさせているのか? 言わずもがな。彼女の目の前で情けない表情をしている、私自身だ。

 冬の近づきを感じさせる風は酷く乾き、そして痛かった。私の中へそのまま入りこみ、槍でちくちくと何度も突き刺します。良いものも悪いものも、あふれ出したそれらは体中を巡りました。

「はぁ……」

 何の溜息なんだろう? 喜び? 呆れ? 諦念? 私ですらもわかりません。消え去ってしまった私自身の気持ちなのかもしれません。でも、心の中には、微かな痛みの残滓がありました。私の意識はそれによって急速に醒めていきます。

「約束」

 少しぶっきらぼうに言ってしまいました。こんなときぐらい素直に言えたらいいのに。後でお説教です。

「ヤクソク、したでしょ。私はアナタのためにトモダチをつくる。アナタに安心してもらいたいから。それでいいんでしょ!」

 顔が熱くなるのを感じました。あぁ、恥ずかしい。穴があったら入りたい気分とは、きっとこんな時のことを言うのでしょう。

 きーこきーこきーこ。上機嫌に鳴く誰かの声がありました。

「……うん、そうだね。約束、したもんね」

「そ。……ヤクソク」

 片言な私の声。喋ることに慣れていないんだ。そんな状態では、誰かに自分が嫌われているかどうかの調査なんて行えるはずがない。まずは人と話す特訓からかな。

「時間、かかりそう?」彼女が問いかけます。

「かかりそう、じゃない。めっちゃかかるよ」

 くすくすと笑って私は言います。だってホントだもん。喜ばせてからがっかりさせるような嘘は吐きたくない。そう。嘘、だけは。

「気長に……待っててくれると嬉しいな」

 彼女は、すぐには答えませんでした。ブランコから降り、なおも座ったままの私の前で一度伸びをします。気持ちよさそうに空を見上げた後、背後から差す光の筋に呑みこまれるような姿で、私の前に立ちました。

「……二週間……」

 表情は見えません。低い声だけが聞こえます。

「一緒に、頑張ろう」

 手をのばしました。その手は小刻みに震えており……それが寒さのせいだけではないと直感的に思いました。

 私はそっと、その手に自分の手を重ねました。握られると、ほんのりと温かいです。残された僅かな時間が持つ私たちのぬくもりは、もしかしたら全て私に委ねられているのかもしれない。そんなことを、彼女の寂しそうな笑顔を見ながら、思いました。

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