三章
ぱちぱちと焚き木が爆ぜる音がする。
季節は秋。
山の夜は既に肌寒く、煌々と燃える炎が、心からありがたいと思える。
吟遊詩人のシャイトーが取り出したのは小さな弦楽器。
色は黒く、洋梨を割ったような形をしてる。
指ではなく木のヘラのようなもので弦を弾くと、しっかりと張りのある低音が響く。
どういう構造をしているのか、小脇に抱える程の小さな弦楽器に似つかわしくない音だ。
ベン、ベンと腹に響くような低音が流れ、錆付いた声がポツポツと物語を語る。
吟遊詩人といえば、哀切なメロディーを軽やかに奏でるリュート。高く澄んだ美しい歌声。恋歌や英雄譚などという印象だろう。
シャイトーは、どれにも当てはまらない。
この場にいる誰もが見た事もない楽器だから、比べるものとてなかったが、それでもシャイトーの演奏が、何処かぎこちないのは判る。
お世辞にも良い声とは言えない上に、曲は歌ですらない。
しかし不思議とこんな夜には、心に染みるものがあった。
酒に酔った老騎士が、体を揺らしながら耳を傾け、うんうんと頷いている。
「不思議な音色じゃの」
「東方の楽器ですよ。ヴィワと言います。昔、流れてきた東方の旅人に教えてもらったんです」子供のころの話ですよ、とシャイトーが笑った。
音楽が好きだった。自分が思い抱く音色を、そのまま奏でているような吟遊詩人を見て、ひどく驚き憧れた。
何とか楽器を手に入れ、親に隠れてこっそり練習したが上手くならない。
「すぐに見つかって楽器は取り上げられ、剣ばかり振らされていましたよ」
それでも懲りずに今度は東方から来た旅人に、このヴィワを習ってみたものの、結局大して上達しなかったと言う。
なるほどこやつ、元は武人の端くれじゃったのか。それなら賊の襲撃にも逃げ出さない肝の太さと、身のこなしにも納得出来る。
戦場で時を過ごせば、雄叫びやら何やらで大声を上げる機会は幾らでもあるから、喉など簡単につぶれてしまう。
小鳥のような歌声が望めるべくもない。
それでも吟遊詩人であろうとする心意気や良し。
ロウジは上機嫌の様子で杯を重ね、そのまま酔って眠ってしまった。
「目をかけていた者達でしたから」
横になったロウジを見やり、ぽつりとソリアが呟く。
今日死んでいった護衛は、どれもロウジが選んだ古くからの部下だった。
その死が堪え、酒が過ぎるのも仕方がない。
「私、結婚するんですって」
投げやりな、他人事のようなソリアの台詞。
部下達の死に彼女の心も動いたのかもしれない。
炎を見つめながら語り始める。
この旅の目的は隣国への輿入れだ。
到着後、即婚礼という訳ではない。
何年かは向こうの仕来たりや、家法などを教え込まれるという。
だから本来付くはずの女中の一人も、この旅には同行していない。
「なんて言うのはね、建前です」
自分は人質に過ぎない。敵地の中で洗脳されていくのだろう。
姫の味方であり、心の拠り所になりかねない同郷の女中など、彼らにとって邪魔なだけだ。
異国に自分独りきりと言うのが、怖くない、と言ったら噓になる。
しかし、本当に怖いのは自分が自分で無くなる事だ。
愛していたはずの故郷すら、何も感じなくなる日が来るのだろうか。
「たとえ物の見方が変わっても、感じた温かさは忘れない」
ソリアの一人語りが終わると、ぼそりとアヌが言った。小枝をへし折り焚火にくべる。
「結婚が嫌なのか。逃げるなら手を貸すが」
アヌが真っすぐ姫を見つめた。
シャイトーは何も言わない。老騎士は眠っているように見えた。
「逃げて、逃げてどうするのです?」
無表情に近かったソリアの顔に、微かに笑顔が浮かんだ。悲し気であった。
「好きにすれば良い。女なら、恋の一つでもしてみればいい」
そう言った野人の顔も、何処か悲し気に見えた。
「恋ですか、確かに知りませんでした。知る必要もないと」
幼いころから政略結婚の定めは聞かされていた。恋に希望など持てるはずもなかった。
「でも、恋の歌というのは聴いてみたいですね」
これで話は終わりだと言うように、最後の言葉はシャイトーに向ける。
「あー、ごめんなさい。歌も下手なんです」
こんなダミ声ですし、恋の歌って柄じゃないです。
シャイトーが申し訳なさそうに言う。
でも、と片目をつぶる。
「とっておきですよ」何処からか笛を取り出した。
そっと唇を笛に寄せて、ヒョウと吹きだす。
流れる音色は声にも似ていた。意味のない声。叫び。
音色は声になり、声はいつしか、いくつもの言葉に聞こえて結び付き、浮かび上がってくる。
自分の心の中から歌が聞こえてくるようだった。
ソリアはじっと俯いていた。
横になったロウジの目尻から涙がこぼれた。
「歌か、歌というのは良く分からない」
アヌは苛立ちにも似たしぐさで、グリグリと焚火をかき回す。
「けれども歌を歌いたくなる時があるとするなら、きっと恋をした時だろう?」
それは問い掛けるようにも、自分に言い聞かせるようにも聞こえた。