一章
深い森の中だった。
見上げるほど高い木々が、陽の光を遮っている。
もうすぐ昼になろうかと言うのに、辺りは靄がかかったように薄暗い。
何処からか、得体の知れない鳥の鳴き声が聞こえてくる。
ガタガタと山道を馬車が行く。
一頭立ての小型馬車だ。
小型なのは険しい山を通るのに適しているためで、車体の作りは堅牢かつ煌びやかなものだ。
貴人が乗っているものと思えた。
周囲には10人程の護衛が付き従っている。
簡素な革鎧を装備していた。動きやすく過ごしやすい。旅の護衛なら一般的なものだ。
どれも同じ作りの革鎧を着ている所からみて、彼らは雇われではなく、この馬車の主の家来なのだろう。
一人例外がいた。
少し遅れて付いてきている男。若くもなく年寄りでもない。
誰かに青年かと尋ねられれば、もっと上だと答えるし、中年かと尋ねられれば、もっと下だと答えるだろう。
実際の所は良く判らない。
背は割と高いが肉付きは薄い。
ひょろりとした体には、鎧も兜も着けていない。
長い間着込まれ、体にピッタリと張り付いたボロボロの衣服に、風雨と寒さを凌げる分厚いマント。
日差しを遮るつば広の帽子は、陽に焼け汚れて元が何色だったのかも分からない。
道の端にに蹲れば、そのまま山に溶け込んでしまいそうだ。
馬車の一行とは明らかに種類の違う人物だ。
パンパンに膨らんだ肩下げのカバンを馬車に預けていない事からも、この男だけは一行との関係の薄さが窺える。
吟遊詩人のシャイトー。彼はそう名乗っていた。
旅慣れた者であっても、独り旅では危険が多い。
人を襲う獣に山賊。
山賊などではなくとも、相手が独りと見れば、襲い掛かって身包み剥がそうとする輩はいくらでもいる。
街のなかや、もっと狭くお互いの監視干渉の目が厳しい村の中でさえ、犯罪は絶えないのだ。
こんな山道で危険に出会わない方がおかしい。
だから普通は、こういった大所帯に付いて行けるのは心強い。
大抵の危険は避けられるはずだった。
この馬車自体が襲撃の目標となる、そんな危険以外は。
何やら前方が騒がしい。
剣の打ち合う音、叫び声。馬の嘶き。いくつもの足音。
何者かに馬車が襲撃を受けていた。
「あー」シャイトーは残念そうな声を上げた。
彼は一行と無関係ではなかった。雇われてたのだ。
報酬も貰っていたが、それ以上に必要なのは通行手形だ。
古の王国は倒れ、今はいくつもの無数の小国が乱立している。
全ての道はこの地の中心、かつての王都へと繋がっている。
道は繋がっていても、小国の数だけ関所が設けられ、通るためにはその国の通行手形を用意しなければならない。
関所を迂回するという手もあるが、街に入れば余所者が通行手形の呈示を求められるのは、挨拶の次に当たり前と思っていい。
一応、楽師ギルドの通行手形は所持している。しかし、国の発行した物と比べれば一段も二段も劣る。
木っ端役人風情にすら、足元を見られて面倒だ。
今持っている通行手形の名義主は自分だけではなく一行全体のもの。
襲われている馬車を見捨てて、逃げる訳にはいかないだろう。
シャイトーが馬車に近づくと、護衛は殆ど残っていなかった。
見た所、弓矢での奇襲を受けた訳でもないのに瞬殺である。
まだ生きている者も血だらけで、もう立っているのがやっとと言う有様。
「怯むな、守れぇ」と声を枯らし、老騎士が味方を叱咤している。
山賊らの数自体は味方とそう変わらないはずなのに、瞬く間にここまで追い込まれるとは。
素人の集まりじゃないよね、これ。
山賊というより傭兵集団と言った所か。
しかも、ほぼこちらの数に合わせる形の少数精鋭。選り抜きを集めたと見た。
ただの山賊と侮り油断したな。完全に出遅れた。一方的になるのも仕方ない。
さて、どうするか。
敵があらかた護衛を片付けると、後回しにされていたらしいシャイトーにも順番が回ってくる。
武器を持たない彼を嘲るように、賊の剣が振り下ろされた。
ひょいと何でもないようにシャイトーが躱す。
賊の眼つきに怒りが宿り、次は本気と剣を振り上げた瞬間。
「ウォォォオ」甲高い獣の叫びにも似た声。
驚き賊が振り返ると、一人の野人が彼の仲間に襲い掛かっていた。