進撃の彩音
「110、112、113……」
一月下旬のとある木曜日、午前九時三十分。私は志望校である水澤学園中等部の学生課窓口脇にいた。目の前には、一昨日実施された入学試験の合否結果が掲示されている。
「115、117……」
思わず口に出して縦に並んだ合格者番号を小声で読み上げてしまう。一気に自分の番号を探しちゃえば早いけど、とてもそんな勇気はない。自分の番号の少し前から心の準備をしつつ順番に追っていくのって、合格発表確認のお約束だよね。
まして今日の結果には、四月から大好きな陽ニィと同じ学校に通えるかどうかという、私にとってこれ以上ないほど大事な未来要素が懸かっている。
私の従兄の棚橋陽輔が通う水澤高校は、この中等部と同じ敷地内にある。ていうか、二つの校舎は渡り廊下で繋がってさえいる。
もしこの水澤学園中等部の合格を勝ち取れたなら、二年間は陽ニィと同じ場所で学校生活を送れるわけだ。
「ひゃ、118……、あっ!」
しかも、しかも合格のご褒美はそれだけじゃない。更なる豪華特典まで付いてくる!!!
「……あ、あ、あ、あったあああああぁーーーーー!!!!!」
自分の受験番号「119」を掲示板の中に見つけた瞬間、私は思いっきり絶叫していた。周囲の視線がいっせいに私に突き刺さるが、はっきり言って今はそんなことどうでもいいって感じ。
やった、やった、やった!!! これで念願かなって、ついに私も水澤学園中等部の生徒になれる!
「え、えーっと、えっと……」
私は無意識のうちに、何のアテもなく周囲をキョロキョロと見回していた。あまりに嬉しすぎて、次に取るべき行動が何なのか思いつかない。
「そ、そうだ!」
とりあえず報告。合格の報告!
頭に浮かんだミッションを果たそうと、私は手にしたバッグを探って携帯を取り出そうとした。手が震えて、危うく取り落としかけたけど、何とかジャグラーみたいな動きでカワイイ携帯ちゃんをキャッチして事なきを得る。
「はい。もしもし、彩音ちゃん?」
呼び出し音に応じて電話に出たのは、陽ニィのお母さんの文香叔母さん。
「ふ、文香叔母さん! う、うか、うか、うかったよおぉぉぉぉー!」
「あら、本当!? おめでとう彩音ちゃん!!!」
名乗るのも忘れて用件を叫んだにも関わらず、文香叔母さんは心から嬉しそうにお祝いの言葉を返してくれた。
そうか。電話に出る前から私だって分かってるってコトは、文香叔母さん、家の電話に私の番号を登録してくれてるんだ。
「ありがと叔母さん! そ、それで私、私春から……!」
息急き切ってまくし立てる私の言葉の後を、叔母さんが優しく引き取ってくれる。
「ええ。お部屋を空けて待ってるわよ、彩音ちゃん。春からよろしくね」
「やったあーーーーー!!!」
嬉しさのあまり、本日二度目の絶叫。
これこそが合格のもう一つのご褒美。これからの三年間、この水澤学園に近い陽ニィの家にお世話になれるのだ。それはつまり、大好きな陽ニィと一つ屋根の下で生活できるということ。ムフフ……♪
楽しい春からの生活を想像して、ひとしきりニヤけてからふと我に返る。変な空気に周りを見回すと、さっきの二度目の絶叫のせいでまた周囲の視線を集めていることに気がついた。
だけど、今度はさっきみたいにそれを無視するわけにはいかなかった。だって窓口の奥から、メガネをかけた事務員らしきオバサンがちょっとコワイ目でこちらを睨んでいる。
私はコソコソと掲示板の前から離れて、文香叔母さんにお礼を言うと携帯の通話終了キーを押した。
「はしゃぎ過ぎはダメだよ、彩音ちゃん。残念な結果だった子もいるんだから」
突然、背後から聞きなれた声がする。ハッと振り向くと、そこには困ったような苦笑いを浮かべた私の大好きな人が立っていた。
「陽ニィ!?」
突然目の前に現れた意外な人物に、私の両目がパチパチ、パチリンコとせわしなく勝手に瞬きする。
「合格おめでとう、彩音ちゃん」
「陽ニィ、来てくれたんだ!」
自分の合否を気にかけてもらえたことが嬉しくて、私は小走りに陽ニィに駆け寄った。
「うん。ちょうど休み時間だったからね。見に来てみた」
そう言いながら、ニッコリ笑って頭をなでてくれる陽ニィ。
はにゃ~。今日って、私の今までの人生で最高の一日かも。
次の瞬間、そんな私のアゲアゲな気分を粉砕する出来事が起こった。陽ニィの背後から、長い黒髪の女子生徒が突然ピョコンと顔を出したのだ。
「お、大井川さん~!!!?」
お・お・い・が・わ・さ・と・み……!
私の目を盗んで、陽ニィの彼女の座にシレッと滑り込んだにっっっくき恋敵。
「お、彩音。何だうかったのか? おめでとさん」
ムダに長い睫毛に縁取られたムダにキラキラした瞳を私に向けて、ムダにそっけない祝いの言葉をかけてくる。
「ありがとうごさいます。まあ、大井川さんですら入れた学校ですから、もともと私が落ちるワケはないんですけど……」
急激にテンションを下げられた私は、ソッポを向いて小声で憎まれ口を叩いた。
「なんだとぅ! どういう意味だ、彩音!」
ちっ、ムダに耳もよかった。
陽ニィはといえば、そんな私と大井川さんを見て困ったように頭をかいている。
「冗談はともかく先輩、少しは真面目に勉強しないと、そのうち本当に彩音ちゃんと同学年になりますよ」
「陽輔まで何だ。どういう意味だ!?」
「真偽は定かじゃないんですが……。最近、職員会議で留年候補者に先輩の名前が挙がっているとかいないとか……」
陽ニィが、バツが悪そうに大井川さんから目を逸らした。
「……う、嘘だろう、陽輔?」
戸惑ったように陽ニィの顔を覗き込む大井川さん。一方の陽ニィは嗚咽をこらえるように口元を手で押さえて返事をしない。
何、この深刻な雰囲気。まるで大井川さんが入試に落ちたみたいになってる。
だいたい大井川さん、今の陽ニィの話を笑い飛ばせない時点できっとダメだ。
「あ、いたいた! おーい、彩音ちゃ~ん」
その時、重苦しい雰囲気を吹き飛ばすような、ホンワリポワポワした声が辺りに響いた。
この声、聞き覚えがある。
「内野さんまで……」
ムダに元気な足取りでムダに大きなムネを揺らし、ムダに明るい笑顔を振り撒きながら走ってくる女子生徒を見た私は、ちょっと意外な気持ちでそう呟いた。
「やっほー、彩音ちゃん。結果はどうだった?」
駆け寄ってくるなりそう訊ねてくる、このセミロングヘアの人は内野美佳子さん。陽ニィの彼女の座に暫定的におさまっている大井川さんほどではないけれど、私の恋路の大きな障害であることに違いはない。
特に、これ見よがしにたゆんたゆん揺れるこの大きなムネが目障り! 陽ニィの隠してるエッチ本、巨乳系が多いから油断ならない。
「お陰さまで無事受かりました。だけど何で内野さんまで来てくれたんですか?」
陽ニィが来てくれるのは分かる。
大井川さんがついてきちゃうのも、まあ分かる。
だけど、何で内野さんまでが?
「だって彩音ちゃん、夏にうちの中等部受けるって言ってたじゃない。彩音ちゃんが来るの、ずっと楽しみにしてたんだよ~♪」
「……楽しみに?」
内野さんは私の呟きに大きく頷くと、ニコパッと満面の笑みを浮かべた。
「うん! 無事合格したんなら彩音ちゃん、春からはヨーちゃんの家に住むんでしょ? それなら、今度は四人みんなで遊びに行けるね!」
「ああ! そうだったあああぁ~!」
内野さんのコメントに、予想外のところからリアクションが。
「陽輔。やっぱりそれ、本当なのか? 彩音がお前の家に住むって話」
「ええまあ。母さんなんか、彩音ちゃんが合格するもんだって決めつけて、先週から使ってなかった客間の掃除を始めてましたよ」
勢い込んでがなりたてる大井川さんに対し、陽ニィはあくまで冷静な反応を返す。
「不謹慎だー!!! 若い男女が一つ屋根の下なんて、余りにも不謹慎だー!!!」
これよ、これ。
この大井川さんの悔しそうな反応。これが見たかったのよねー。
「……陽輔、今すぐ家に電話しろ」
「は?」
「今すぐ家に電話して、お母さんに私の部屋も用意してくれるように頼め!」
それを聞いた陽ニィが、あからさまにゲンナリした顔をした。
「先輩。いい加減にしないと、そのうち黄色い救急車が迎えに来ますよ?」
「黄色い救急車なんてあるか! 日本の救急車は赤と徳川家定が奈良時代に決めたんだ!」
「赤いのは消防車ですよ、先輩。小学生に混じって、もう一度消防署に社会科見学に行ってきて下さい。運がよければシールとかもらえますよ」
「大丈夫だよ、さっちゃん。消防署見に行くなら、私が一緒に行ってあげるよ。シールももらえるように頼んであげるよ!」
「大丈夫なのって、そこぉ!?」
まるで高校生の会話とは思えない内容でワイワイやっている三人を、私はちょっと不安になりながら見つめていた。けれど互いにまったく遠慮のないみんなの様子を見ていると、なぜか不思議に胸の辺りがポカポカしてくる。
「あ、そう言えば彩音ちゃん。晋也叔父さん達には、もう連絡したの?」
大井川さんをあしらっていた陽ニィが、突然思い出したように私の方を振り向いた。
「あ……」
いっけなーい。
春から陽ニィと一緒に住めるのが嬉し過ぎて、肝心の自分の家に電話するのをすっかり忘れてた。