第八話「嵐の前」
読んでくださる方に、合う作品であることを祈りつつ。
熊の毛皮があったものの、雪の残った山は寒かった。
一日目は、鎌鼬のせいで仕方なかったが、疲れていたからといって、もう一泊してしまったが間違いだった。風邪の初期症状に悩まされながらも、ゆっくりと下山することになった。
今日は、帰ったらすぐ旅籠屋に行きたいところだが、所持金が心許ない。また絵でも売ろうか、それとも素人が剥いだ熊の毛皮でも、質屋は買ってくれるだろうかと、色々考えながら歩いていたら、この村に寺があったことを思い出した。寺なら無料で泊めてくれるだろうと、寺の方へ向かおうとしたが、殺生を嫌う寺に熊の毛皮を持っているのは不味いと感じ、先に質屋へ。
「あぁ~あ、無茶苦茶に剥いでるねぇ。背中もやぶけてるし……」
「そこをなんとか!」
「ん~、町の服屋に持っていけば、帽子や襟巻きの生地として買ってくれるだろうから、まぁいいかな?」
「ありがとうございます」
質屋は、少し色を付けてくれたようで、小次郎が思っていた以上のお金になった。これなら旅籠屋に一泊ぐらいとも思ったが、ここは節約のために寺へと足を運ばせた。
前に村長から聞いた話では、一二五〇年に建立されたその寺には、三重塔と、樹齢が寺の歳と同じだといわれる立派な大イチョウがあるらしい。
その国分寺と呼ばれる寺の前に、見覚えのある僧侶が立っていた。
「あ!和尚!」
「どうした、その姿?もしや、九尾と戦ったのか?」
「まさか、鎌鼬ですよ。そういう、和尚も酷い格好じゃないですか」
和尚の袈裟にもあちらこちら破れていて、顔や腕にも痣があった。
「ワシも来る途中に、妖怪に会ってな」
「そうだったんですか、では、このお寺でゆっくり休ませてもらいましょう」
「いやいや、もう旅籠屋はとってあるから、そっちへ参ろう」
「へ?和尚の用事は済んだのですか?」
「あぁ、九尾の話を聞きにな。この村を通過して飛騨の向こうへ飛んで行ったらしいぞ」
「え!また登るの~!」
すぐに追いたい気持ちもあったが、今は休みたい気持ちの方が勝り、和尚に案内されるまま旅籠屋へと向かった。
「いらっしゃいませ」
と言われ、不思議に思った小次郎は和尚に尋ねる。
「泊まってたんじゃなかったのですか?」
「ははは、バレたか。寺の精進料理では、お前のそのヤツれた体を回復させることは出来そうにないと思うてな。心配するな金はワシが出しといてやるから」
「和尚の方が旅籠屋に泊まりたかったんじゃないんですか?ホント、和尚って坊主らしくないですよね」
「そうだな」
そう言って笑ったが、小次郎にとって嬉しい誤算だった。
斬られた服や鞄の紐を繕うため、針と糸を借りようとしたら、女将が繕ってくれるというので、預けることにして、その間、風呂に入ることにした。
右腕はいつも切るので、風呂に入いるのも慣れていたのだが、他の、特に背中の傷は、熱い湯に入ることを拒絶した。それでも我慢して湯に浸かるまでに、30分ほど費やした。
長い風呂を終え、食事となる頃に鞄は出来上がっていたが、服は洗濯され干されているとのこと。明日の昼まで、旅籠屋の浴衣となり、必然的に出発も昼過ぎとなる。
疲れのせいか、日が沈むより早く、瞼が落ちはじめ、そのまま倒れるように床に就いた。
翌日。
服も渇き、飛騨を越えるべく旅籠屋を出た。
飛騨の向こうは、薬売りで有名な富山があり、村長が山を越えられないのを嘆くのも納得ができた。
嘘つき呼ばわりされるのを覚悟で、鎌鼬を退治したので山は大丈夫なことを伝えに、村長の家に寄った。やはり信じてはもらえなかったのだが、小次郎たちが富山に行くの聞くと、なにやら手紙を書き始め、半信半疑な顔をしながら、山の入口まで付いて来ると、小次郎に一通の手紙を渡した。
「富山に入ってすぐに村があるから、そこの村長に渡してくれ」
「わかりました、お預かりします」
川沿いの道に比べて、山道はまだ歩き易かった。しかし、日が沈む前に越えられるほど、この山は低くはなく、間違いなく野宿することになるだろう。そう考えたら、小次郎は急に不安になった。
それは、山で小次郎にいい思い出がないからである。野犬に追われ、そして先日の熊。動物に筆は効かない。西洋の短銃を買えるものなら欲しいところだが、もちろんそんな余裕などある筈もない。青年に残された手段は「まだ冬眠してますように」と祈るしかなかった。だが、そんな希望も空しく、遠くから聞こえてくる狼の遠吠えは「久しぶりの餌が来たぞ!」と仲間に知らせているようにしか聞こえなかった。
まったく……鹿刻むんなら、狼刻んどけよ。
小次郎は、今は亡き鎌鼬にボヤいた。
久しぶりの登山客に山は厳しく、日が暮れてもなお、山頂まで到達させないでいた。日が沈むとさらに冷え込みを増し、小次郎の風邪がさらに悪化したことにより、山頂を待たずして野宿することにした。
僧侶は、周りにある雪を掻き集め、背丈ほどに積み上げると、今度はその雪の上に乗り、まんべんなく踏み始めた。それを不思議に思った小次郎は、師に問いかけた。
「和尚、何をしてるんです?」
「まぁ、見ていなさい」
そういうと、固めた小さな雪の山に人が入れるほどの穴を開け始めた。
「え?雪の中で、野宿するんですか?」
「これは秋田に伝わる“かまくら”というものでな。この中で火を焚くことによって、雪の中だが暖かくなる……」
「へぇ~、和尚ってなんでも知ってるんですね」
「全国行脚は、伊達ではないのでな」
友純は、出来上がると早速中へと入り袈裟を敷くと、小次郎にその上に寝るよう指示した。小次郎はまだ鎌鼬戦での疲れが残っていたようで、横になるとそのまま崩れるように眠りについた。
友純は外へ出て、温めるための枯れ木を数本拾うと、かまくらの中で火を焚いた。だが、“火”という物の存在が人の……否、餌の存在を狼たちに知らせる結果となってしまった。
狼たちは火を恐れて近づいてはこないものの、それは餌を確実に手に入れるための数が集まるのを待っているだけで、徐々に小次郎たちの周りを固めていった。数分後、まるで天に輝く星が地上に降りたのかと感じるほどに瞳の数が集まり、仕掛けてくるのも間近に思えた。
普段の友純なら、いくら集まろうと、たとえそれが狼でなく虎であったとしても、簡単に蹴散らすことができた。だが、今は小次郎が居る。まして、今の小次郎の体調では、逃げることもままならないだろう。友純は、ゆっくりと立ち上がって外へと出た。そして、深い眠りにつく小次郎に目をやると、再び、狼たちの方へ振り返り、大きく目を開いてこう呟いた。
「お前らに、この体をくれてやる訳には如何のだ」
突如として現れた大きな妖気を感じ、小次郎は飛び起きた。だが、身を起こすよりも早く妖気は感じられなくなり、そして、まるで何事もなかったかのように、師は枯れ木を抱えて中へと入ってきた。
「ん?起きたのか?」
「今、とてつもなく大きな妖気が……」
「妖気?なにもないぞ。悪い夢でも見たのではないのか?」
そう答えて、汗だくになっている弟子を見て笑った。
「ゆ、夢だったのか?」
「お陰で良い汗がかけたようだな、冷えない内に汗を拭いなさい」
夢であんなにハッキリ感じられるものなのだろうか?
小次郎が九尾の夢を見たことは何度もあった。
目覚めさせられる悪夢は、その残虐性で起こされているのであって、妖気の大きさではない。今まで、こんなにハッキリと妖気を感じるということはなかった。しかも、今回はその悪夢すら覚えていないのだから、現実と感じても当然だった。しかし、信頼している師が「ない」というのでは、なかったのだろうと思うしかなかった。
しかし、覚めた瞳を再び閉じることは出来なくなっていた。結局、星が眠るまで横にはなっていたが、小次郎が眠ることはなかった。
星に代わって太陽がその身を起こした頃、再び、山を越えるため歩き出した。頂上さえ過ぎれば、あとは下りだから楽だろうと思っていたが、頂上を過ぎても登ったり下ったりを繰り返し、ようやく微かに村らしきものが見えたときには、空は赤く染まろうとしていた。
しかし、目的地が見えれば気持ちが楽になり、早く休みたいという思いが歩幅を大きくしていた。だが、歩むに連れ、休みたいとう思いを忘れさせるような景色が広がった。
その光景は、村という名の形を保っておらず、震災の跡という名が相応しかった。
「遅かったか……」
小次郎は無駄と分かりつつも、一部の望みを込めて、一人でも多くの生存者を助けるために走った。
ところが、徐々に駆け足が歩みへと代わり、村の入り口に着いた時には立ち止まってしまう。それは疲れのためではなく、村の光景に驚いたからであった。
もちろん、村は荒らされていたのだが、今まで何度か九尾の被害にあった村を見たが、今回の村は明らかに違っていた。
それは“生き残り”が居たこと……不謹慎ではあるが、正直多過ぎるとさえ感じるほどだった。
残された村人たちは、早くも村の復興に向け動き出していた。
ようやく動くことを思い出した足は、ゆっくりと歩み始め村へと入った。違和感を拭いきれない小次郎は、村人に詳しく聞いてみることにした。
「すみません、村はどうなされたんですか?」
「おや旅の方かい?それがね……大きな狐の化物にやられたのよ」
被害者が少ないが、やはり九尾なのかと小首を傾げたのだが、村人は疑われたと誤解したようで、
「ホントだよ。信じられないかもしれないけど、九つの尾っぽ生やした大きな狐の化物だったんだよ」
「おうよ!ありゃ~確か、九尾って名の化物だ!」
近くを通りかかった別の村人が、自慢げにその化物の名を代わりに答えた。
「九尾は、いつごろ現れたんですか?」
「四日前だよ」
「飛騨に居たときか……」
「飛騨?アンタ飛騨から来たのかい?」
「えぇ、実は九尾を追って飛騨から……」
「ちょ、ちょっと待て、四日前に飛騨ってことは山を越えてきたのかい?」
「はい」
「鎌鼬と会わなかったのかい?」
「鎌鼬は、退治しました」
「えぇ!」
「あ、そうだ!飛騨の村長から手紙預かってたんだ……」
「そいつは、ワシが渡してこよう」
「あ、和尚!」
「お前は、そのまま九尾の情報を集めておきなさい」
ようやく遅れて入ってきた友純は、小次郎から手紙を受け取ると、村人に案内され村長の家へと向かって行った。
改めて詳しく九尾の情報を聞こうかと思ったら、逆に質問攻めにあった。
「だったら、早いとこ来て欲しかったよ」
「いや、もし、間に合っていたとしても、勝てたかどうかは……」
「だって、絵に描けばいいだけなんだろ?」
「まぁ、そうですけど……」
簡単に、しかも“だけ”とまで言われて、ちょっと嫌な気分だったが、質問を続けることにした。
「犠牲になった人……喰われた人とか居ましたか?」
「いいや、怪我した人は居るけど、喰われた人は居ないと思うよ。突然やってきてさぁ、バーっと、そこらじゅう壊したら、飛んで行ったらしいよ。アタシャ家で隠れてたから詳しいとこまでは知らないんだけどさ……」
そう言うと周りをぐるりと見回し、一人の青年を呼び止めた。
「ねぇ!狐の化物が、どこへ行ったか知らないかい?」
「えぇっと……確か山に向かったから、飛騨だな」
「えぇ!越えてきたばかりなのに……」
ん?待てよ……じゃぁ、もしかすると昨日のは、夢じゃなかったのか?
でも、和尚は知らないって言ってたしなぁ……。
どちらにせよ、また登らなければならない事実は変わらなく、今はただ、高く険しい山を呆然と眺めるだけだった。
ん?なんだ?
遠くの方に微かに見えた其れが何なのか判った時、小次郎は傍に居た村人だけでなく、全ての村人に聞こえるように叫んだ。
「逃げろーっ!」
その叫びの語尾が消えるよりも速く、まるで流れ星が堕ちてきたかの如く、一瞬にして山の向こう側から、小次郎の目前へと――それは降り立った。
「九尾!」
読んでくれて、ありがとう。
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もし、人に怒りという感情がなければ、小次郎は瞬くことさえも許されないほどに恐れていたであろう。
もし、人に憎しみという感情がなければ、小次郎は呼吸すら出来ないほどに脅えただろう。
もし、妹の仇でなければ、小次郎はその妖気に圧倒され、気を失っていたかもしれない。
九尾よ! 私を覚えているか!
次回「白面金毛九尾の妖狐」