第五話「陰陽の筆」
読んでくださる方に、合う作品であることを祈りつつ。
2017/08/22 誤字修正。
再び目を覚ました時、目の前には絶望しかなかった。
布団に寝かされていると知った時、此処が黄泉の国ではないと悟った。
全て夢であって欲しいと願ったが、全身の痛みが、それを否定していた。
「喰われなかったのか……私は……」
それは嬉しくも、悲しくもない、どうでもいい現実だった。
「気が付かれたか?」
声の方を振り返ると、黒い袈裟を着た僧侶が立っていた。
「貴方は?」
「儂は、修行僧で、名を友純と申す」
そして、小次郎の口から出た次の言葉は、妹の名だった。
「た、たま……き……は……」
しかし、言っている内に、あれで生きていることなどあろう筈がないと言葉を飲み込んだ。
「あの時、私が珠希を呼ばなければ……珠希は……珠希は……」
もし、自分が妹を呼んでさえいなければ、家に隠れていた妹は喰われなかったかもしれないと、落胆する青年に、僧侶はさらに厳しい事実を告げる。
「それはないだろう――お前以外に生きている者など居らんかった」
なんだか、泣くことさえも許されないような気がした。
「そうですか……」
そう一言だけ口にすると、小次郎は魂が抜けた屍のようになっていた。
小次郎は、再び眠ることで残酷な現実世界から逃げた。
安楽を求め、虚構の夢の世界へと足を踏み入れた小次郎であったが、その世界もまた楽園とは成りえず、昨日の惨劇が繰り返す、地獄のような世界だった。
小次郎は、眠ることへの恐怖を感じながら、ただただ震えるしかなかった。
「……おい!」
僧侶は何度も呼んだのだが、心には届いておらず、その体を揺することによって、ようやく呼んでいることに気付かせた。
僧侶は、ゆっくりと自分の方へ首を向けた青年に、もう一度、声をかける。
「飯にするか?」
小次郎は、食事を用意してくれた僧侶に礼は言うものの、その料理を口にすることはなかった。とても食べる気にはなれなかった。僧侶も、食事を取らない青年に対して何を言うでもなかったが、朝昼晩と必ず青年の分まで用意し続けた。
目を覚ましてから四日が過ぎても、未だに何も口にしようとしない青年を見て、僧侶はようやく口を開いた。
「このまま朽ち果てるのか?」
「それもいいですね……」
小次郎は、必死で何も考えないようにしていた。何か一つでも頭に浮かべば、妹や村人との楽しかった生活を思い出し、そこから、その先にある地獄を思い出してしまうからであった。だが、僧侶の言葉で"死"という名の逃げ道を見つけた時、それが今の自分にとって最良の"楽園"であるように思えた。
そうだ、珠希のもとへ行こう。
あいつ、淋しがりやだしな。
天国でもう一度、珠希と暮らそう。
「そうか、拾った命を捨てるか」
「すみません、せっかく助けて頂いたのに……」
「ワシなら、妹の分まで生きるか――仇を討つことを考えるがな」
仇を討つという言葉を簡単に使った僧侶に、小次郎は激怒した。
「あんな化物に、どうやったら勝てるというのですか! 無駄死にするのが関の山ですよ!」
それに対して僧侶は、その職にあるまじき言葉で返す。
「お前、可笑しなことを言うな……どうせ、死ぬのだろ?」
そう言われて、小次郎はハッとする。
何を考えていたんだ!
そうだ、その通りじゃないか!
どうせ捨てる命なら……一矢でも報いたい!
小次郎は立ち上がって、フラフラと歩きながらも膳の前に座り、用意されていた飯を食べ始めた。ずっと食べていなかったということもあったが、"食べる"という行為が、九尾の"喰らっている姿"を連想させ、心も体も受け付けることができず、何度も何度も吐き出した。だが、生きると決意した小次郎は、それでも尚、泣きながら食べ続けた。
泣くことを思い出した心は、流れ出る涙を止めることは出来なかった。
翌日、生きる目的を見つけた小次郎に、僧侶はさらに希望を与える。
「儂に付いて、修行をしてみんか?」
「修行ですか?」
「あの妖狐、九尾を倒す方法――なくはない」
「あの化物を倒せる方法があるのですか!」
僧侶は、懐から手拭いに包まれた一本の筆を取り出した。
「これをお前にやろう」
「この筆が?」
「その筆は、かの陰陽師"安倍晴明"の髪と骨とで作られた代物で、それ自体に力がある。その筆に自らの血を浸して絵を描けば、描いたものを封印することができ、さらにその絵を燃やすことで、描いたものを黄泉へと送ることができると言われている」
「言われている? 和尚は使ったことないのですか?」
「儂は、不器用でな、上手く描けねば封印できんらしいのだ。だから、儂は九尾を追い払うことは出来ても、退治することは出来なかったのだよ」
「あの化物を追い払ったのですか!」
「何を今更驚いておる。でなければ、お前が此処に居る筈なかろう?」
「和尚って、凄かったんですね」
筆を渡された青年は、一旦部屋から出ると、紙と皿と包丁を手に再び部屋へと戻ってきた。この家は、以前にも暮らしていたこともある村長の家だったこともあり、割りと早く見つかった。
早速、青年は左手に筆を持ち、右腕を少しだけ切ると、血を皿へと注ぎ、筆を血で塗らして絵を描き始めた。
そう、九尾の絵を。
あの顔、あの姿、決して忘れることのない化物を小次郎は、三十分ほどで描き切った。
「これで封じれたのでしょうか?」
「いや、確か言い伝えによれば……描き切れば色が着くらしい。巧く描けていないのか? それとも、その筆には鉄砲のように、攻撃の届かない距離があるのか? どちらにせよ、一度、別の物の怪を描いてみた方がよさそうだな」
「あの~、九尾以外で、物の怪を見たことがないのですが……」
「それは見えないだけで、幾らでも居る」
「それに……描く練習はしたいのですが……九尾に怨みはあっても、その他にはありません。なのに黄泉へと送るというのは……」
「気が引けるか?」
「はい」
「よいか小次郎。もともと霊や物の怪などは、人や動物が怨念の塊となって変化したものだ。その魂を救うには、その者たちを黄泉へ送ってやるしかない。つまり、お前のやろうとしていることは、命を奪っているのではなく、魂の救済なのだ。そして、魂が救われれば、再びこの世へと転生することができる」
「た、珠希や村の人たちの魂は、救われているのでしょうか?」
「物の怪に喰われた魂は、救われてはいない。だが、その喰った物の怪を黄泉へと送れば、喰われていった者たちの魂も一緒に救われると聞いている」
喰われた上に、魂まで救われない。
小次郎は、妹、そして村人たちに、九尾を退治することを誓うのだった。
読んでくださって、ありがとう。
/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
泣くのは、これで最後にしよう。
そう心に誓いながら、一つ一つの遺体に別れを告げ、全て集まった所で火を着けた。
火葬にしたのは、妖怪に喰われ、さらに死体となってからも、地中で虫に喰われるのは可哀想だと思ったからであった。
次回「旅のはじまり」