第四話「空を黄金色に染めたもの」
読んでくださる方に、合う作品であることを祈りつつ。
2017/08/22 誤字修正。
空は青く澄み渡り、山は燃えるように紅く染まって、地には収穫を待つ稲穂が黄金色に輝いている。今年も無事に豊作で迎えられたことを喜びながら、人々は収穫祭の準備に忙しくしていた。
「小次郎、今日はこの辺にしとくか?」
隣の田で、違う作物を作っている仕事仲間が声を掛けてきた。
「そうですね、祭りの準備もありますから、この辺りにしておきますか」
維新という名の時代の流れは、文明を多く運んできた代わりに多くの戦を生み、それから逃れるため田舎へ移り住む者も少なくはなかった。その革命の波で両親を失った小次郎と呼ばれたこの青年も、その中の一人だった。
そんな小次郎が幼い妹を連れ、この村に流れ着いたのは、この時より数えて三年前。
「すみません」
声を掛けられた農夫の良治は、稲刈りを止め、声がする方に振り返った。そこには、十代半ばくらいの少年と、その少年の足にしがみつき、不安そうに見ている五歳くらいの少女が立っていた。
「な、なんだ?」
「住み込みで働かさせてもらえないでしょうか? 一所懸命働きます! お願いします!」
小次郎は、そう言って深々と頭を下げた。
「な、なんだ突然、出稼ぎ……って訳でも、なさそうだな」
この時代、少年が出稼ぎに来ることは珍しいことではなかったが、幼い妹を連れて出稼ぎに来るとは考えられない。家出か、もしくは、戦で親を失ったと言ったところだろうと考えた。
頭を下げたままで上げようとしない兄や、不安そうに此方を見ている妹を見れば、雇ってやりたくなるのだが、如何せん、声を掛けられた農夫、良治に雇う余裕がない。
良治が困って頭を掻いていると、隣に立ってた女房の多恵が呆れた口調で、旦那に助言した。
「ホント馬鹿だねぇアンタは、ウチじゃなくてもいいだろう」
「おぅ! そりゃそうだ! 出来た女房を持って、オリャ幸せだねぇ」
「そんなのいいから、サッサとこの子たちを村長の所に連れてお行き」
他所者であった小次郎たちを村の人々は暖かく迎え入れてくれた。
特に青年団長の弥平は、小次郎たちを自分の家に住まわせ、さらに妹を学校にまで通わせてくれた。小次郎にとって弥平は、恩人というより、兄のような存在となった。
小次郎は真面目に働くことで、この村へ恩を返していった。
今では地道な努力が実を結び、今年から田を一つ任されるようにまでなった。そんな働き者の青年の顔は、まだ少年のようにあどけなく、とても十八を迎えたようには見えなかった。
「兄ちゃ~ん!」
そう小次郎を呼んだのは、学校から帰って来たばかりの妹で、歳は今年で八つになる。田の中に居る兄に向かって大きく手を振り、小次郎も妹に向かって大きく手を振り返した。
「珠希! 兄ちゃんもうすぐ終わるから、ちょっと待ってろ。一緒に帰ろう」
仲良く手を繋ぎ、畦道を通って歩いて行く姿は微笑ましく、こんなゆっくりと流れる時間が永遠に続くと思われた。
「珠も学校卒業したら、兄ちゃんと一緒に働くね」
「いいんだよ珠希は。もっともっと上の学校に行ってくれた方が、兄ちゃんは嬉しいんだからさ。それとも、勉強が嫌いなのか?」
「エヘ、ヘヘヘ」
歳が十も離れているせいか、小次郎にとって、妹は娘のようなものだった。いつか嫁ぐその日まで、自分が見守っていこうと、口には出さないがそのつもりではいた。
そう、妹の手を引いて故郷を出たあの日から。
田から一里と離れていない所に、この兄妹が住む集落が在る。この両親の居ない兄妹にも家が在り、それは家というよりも小屋に近かったのだが、小さくとも風呂も厠も在り、兄妹二人にとっては十分過ぎるほどの我家だった。
この村に来た当初は、弥平の家に世話になっていたのだが、妹も直に成長するだろうと、村人たちの協力で、一年前に自分たちの家を持つことが出来たのである。
「おかえり」
そう声を掛けたのは、隣の家に住む弥平の妻で、名を咲子という。
「ただいま、お母ちゃん」
まだ幼い珠希にとって、咲子は母親、弥平は父親のようなもので、子供の居ないこの夫婦もそう呼ばれることが嬉しかった。
「来週は祭りだから、明日学校から帰ったら町に出て、おばちゃんと一緒に着物を買いに行かないかい?」
咲子も弥平も、父や母と呼ばれることは嬉しかったが、決して自分の口から、言い出すことは無かった。それは、咲子が十年前に流産したことで、子を産むことが出来ない体になっており、親になりたかったという願望が強い分だけ、この子に産んでくれた母親を忘れないで欲しいという思いの方が強かったからだ。
「兄ちゃん、行ってもいい?」
珠希は、下から覗き込むように兄の返事を待ち、小次郎はそんな妹にニッコリと微笑んで、
「いいよ、行っておいで」
翌日。
村の青年団たちは、朝から収穫祭の準備に忙しくしていた。小次郎もその中の一人で、堤燈が積まれた荷車を引きながら、一つまた一つと、隣の村へと続く道の並木に付けて歩いた。
それが漸く終わったのは、日が傾き始めた頃。
やっと終わったと思ったその時、急に空が明るくなったような気がして、空を見上げた。すると、そこはまるで地にある稲穂が空に映ったかのように、黄金色に染まっていた。
しかし、それが空でないと悟った時、黄金色の毛に覆われた、九つの尾を有する狐と目が合う。
小次郎は、あまりの恐怖で動けなくなり、その妖狐が口を大きく開けると、腰が抜けその場に崩れた。小次郎は目を瞑り、自分の知りうる限りの経を唱え続けた。
すると、それが効いたのだろうか?
妖狐はクルリと回って飛び去って行った。
再び、小次郎が目を開いた時、目の前から居なくなって、ホッとしたのも束の間。
それが行く先には、自分の村が!
小次郎は荷車を置いて、息が切れるのを忘れるほどに走った。
畦道を、林を抜け、段々と近づく村は、凄まじい勢いで炎に包まれてゆく。
お願いだ、神様!
妹を、珠希を助けてくれ!
家も、田畑も、要らん!
だから、珠希だけは!
珠希だけは!
炎に包まれた世界の中で、逃げ惑う村人を次から次へと、まるで猫が鼠を追うように喰らって行くさまは、地獄ともいえる光景だった。細く蔑んだような眼差しと、大きく裂かれた口から出た細く長い舌が、楽しんでいるようにも見え、さらに不気味さを増し、村人を震え上がらせた。
遠くから見える景色の中に、まだ自分の家が形を成していることに一部の期待を込めながら、小次郎は村へと入ると、それに気付いた村長が、小次郎に声を掛ける。
「小次郎! お前も妹を連れて、サッサと逃げるんだ!」
村長や村の男たちは、本来、田畑を耕すための鍬や、猪を捕るための火縄銃で、勇敢に妖狐と戦っていた。だが、それは自ら餌になりに行っているようなもので、女子供を逃がす時間さえ、稼ぐことは出来なかった。
小次郎は、妹の無事を祈りながら、その名前を叫び続けた。
「珠希ー! 珠希ー!」
ようやくその声が届いたのか、我家の扉が開き、泣き叫びながら自分のもとへと駆け寄ろうとする妹の姿が見えた。
小次郎は、神に感謝した。
一歩でも速く、珠希のもとへ。
一刻も早く、珠希の手を取って逃げよう。
あと少し、あと少しだ!
妹の手を掴めたと思ったその瞬間、小次郎は後ろから大きな何かに、突き飛ばされてしまう。
「兄ちゃ~ん!」
妖狐は、その泣き叫ぶ少女を大きく裂かれた口で銜えようとした――が、それを一人の男が少女を突き飛ばして、身代わりとなる。
「父ちゃん!」
身代わりになった弥平は、妖狐に胴を噛みちぎられ、その上半身が地面へと落ちる。だが、そんな身となってもなお、弥平は助けた少女の身だけを案じた。
「珠ちゃん逃げ……」
だが、最後の言葉が告げられる前に、弥平の頭を妖狐は踏み潰し、その肉や血が飛び散って、珠希の頬を掠めた。
妖狐は次の餌である球希を見下ろすと、細く長い舌で口の周りに付いた血をぐるりと舐め回す。
再び、妖狐が呆然とする珠希へと襲い掛かろうとしたが、今度は駆け寄ってきた女に先を越される。女、咲子は珠希を抱えながら走り、立ち上がろうとしている小次郎を呼んだ。
「小次郎! こっちだ!」
小次郎は、呼ばれた家へ必死で走り、転がりながらその中へ飛び込んだ。
小次郎が入ったと同時に、咲子は戸を閉め鍵をかけた。それでも足りないと感じていた咲子は、小次郎を呼び、力を合わせて箪笥で入り口を塞いだ。だが、それでもなお不安に感じていたようで、次に床板を剥がすと、そこに小さな収納空間が姿を現し、中に入れてあった物を投げ捨てると、小次郎たちをその中に押し込んで、再び、床板で閉じようとした。
「咲子さんは?」
「三人も入れやしないよ」
「だったら、私が……」
「馬鹿言うんじゃないよ小次郎! 珠ちゃんにはアンタが必要なんだ! それにそんなことしたら、先に逝ったウチの人にアタシが叱られる……大丈夫だよ小次郎、アタシは運がいいんだ。いいね! 三日は何があっても、こっから出てくんじゃないよ! 折角、ウチの人が助けた命なんだ、無駄にすんじゃないよ!」
そう言うと、優しく微笑んで咲子は床板を閉じた。
本来、妖狐にとって、鍵や戸を封じた箪笥でさえも意味はなかった。だが、人が恐怖に怯えるのを楽しむ狐の化物は、じわりじわりと壁や屋根を崩してゆく。家の屋根が完全に剥がされたところで、咲子は裏口から外へ飛び出した。
「来い化物!」
咲子は、そう言って石を妖狐に投げつけると、必死で村の外へと走った。
「咲子さん、上手く逃げてくれ!」
小次郎は、必死に堪えても泣き声が漏れる妹の口を小次郎は硬く塞ぎながら、咲子の無事を神に祈った。
どのくらい経っただろうか?
もう物音はしない、いっそ此処から飛び出し、隣の村に逃げようかとも思ったが、矢張りここは慎重に言われた通り、三日は出ないでおこうと決めた。
そんな時、咲子が呼ぶ声がした。
「小次郎、もう大丈夫だよ!」
その声に小次郎は安心して床板を開けたが、目の前には誰も居ない。
「小次郎、もう大丈夫だよ!」
再び、呼ばれた声の先は、小次郎にとって考えられない方向で、恐る恐るその声がする方を見上げた。するとそこには、厭らしい笑みを浮かべ、屋根のない空から覗き込む、妖狐の姿が!
「小次郎、もう大丈夫だよ!」
そう言って、妖狐は厭らしく笑う。
小次郎は、泣きやまない妹に囁いた。
「いいか珠希、兄ちゃんがアイツと戦ってる隙に、隣の村に逃げるんだ!」
「兄ちゃんも、一緒じゃなきゃヤダ!」
小次郎は、妹の頬を叩いて怒鳴る。
「兄ちゃんの言うことを聞け!」
珠希は泣きながら、その言葉に従い、兄を背にして走り出した。
小次郎は、傍に落ちていた鍬を拾い、妹への道を塞ぐように妖狐の前に立つ。
すると妖狐は大きく口を開き、身構える小次郎へと突進してきた。その牙が小次郎を捕らえるかというところで、妖狐は急上昇し、逃げる珠希の方へと向かう。
しまった!
急いで追ったが既に遅く、妹は妖狐の口に在った。
「兄ちゃぁ~ん!」
泣き叫ぶ妹を助けるべく、小次郎は無我夢中で鍬を振った。
「珠希を離せ! 化物!」
だが、叩けど突き刺せど、その妖狐に傷さえつけることができず、逆に、妖狐が軽く振った左の前足に叩き飛ばされてしまう。余りの衝撃に立ち上がるのさえ困難であったが、気力だけが小次郎を支えていた。
だが、立ち上がった先に見た物は、泣き叫びながら兄に手を伸ばした妹を噛み砕く妖狐の姿だった。
小次郎は、獣のような雄叫びをあげながら、最後の力を振り絞って妖狐へと突進した。
だが、それも空しく、妖狐の尾に弾かれ、その衝撃で気を失ってしまった。
読んでくださって、ありがとう。
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その筆は、かの陰陽師"安倍晴明"の髪と骨とで作られた代物で、それ自体に力があった。
その筆に自らの血を浸して絵を描けば、描いたものを封印することができ、さらにその絵を燃やすことで、描いたものを黄泉へと送ることができる。
次回「陰陽の筆」