第三話「虎の威」
読んでくださる方に、合う作品であることを祈りつつ。
2017/08/21 誤字修正と、ルビを振りました。
その妖怪は、日本書紀や古事記などで記されている伝説の魔龍"八岐大蛇"の息子で、身の丈が二十尺、角が五本、眼が十五個もあり、数多くの鬼を配下に持つ、三大妖怪の一人と呼ばれていた。
「命が惜しくば、食い物を出せ!」
この村に、その"妖怪の遣い"が現れたのは、三ヶ月ほど前。
それからというもの、毎晩のように現れては、大量の食糧を奪っていった。
血の気の多い村民からは、"退治"という言葉も出たのだが、なんせ天下に轟く大妖怪"酒呑童子の遣い"というのでは、逆らったら後が怖い。その手下は数千人といわれており、こんな小さな村なら一瞬で消えてなくなるだろう。
最早、黙って従うしか道はなかった。
だが、理不尽な鬼の割りには、まるで奪う食糧を計算しているかのようで、それは村民がちょっと苦しくなる程度だった。
「徳川さまん頃よりマシじゃ」
江戸時代を生きてきた老人たちは、口を揃えてそう言ったが、そんな時代を知らない若者たちには納得できるものではなかった。生かさず殺さずとまでは行かないものの、やはり三ヶ月も続けば、村を離れる者も現れ始めていた。
そんな時だった、この村の村民たちよりも飢えた青年がやって来たのは。
「村だ! 助かった!」
山で遭難すること、三日。
近道しようと山へ入ったのが、拙かった。途中、野犬に追われてしまい、必死で逃げていたら、右も左も判らなくなってしまったのである。
昼は山道を求め彷徨い、夜は野犬が怖いので木の上で眠り、ようやく村へと繋がる道を見つけたのは、それから二日経ってのことだった。
もし、今が冬だったら……そう考えるだけで、ゾッとする小次郎だった。
前の村で絵の好きな金持ちに会ったので、お金には余裕があった。
そう、村にさえ入ってしまえば、腹いっぱい食える――筈だった。
最初、その値段を見た時、あまりの腹の減りように幻覚を見たのかと思ったが、いくら目を擦っても数字は変わらない。
「た、高い!」
この店の握り飯三つが、他の店なら丼物と蕎麦が食える。慌てて、注文を受ける前に店を飛び出して、他の店へと入った。
「良かった……値段見ないで注文しなくって」
そんな店にはとても見えなかったが、きっと凄く高い食材を使った一流の店なのだと結論付けた。
しかし、他の店に入って、それが間違いだったことに気付く。さっき店だけが高いのではなく、この村全体が高いのだと。
「此処もだ!」
四軒目に入った時、今年は不作だったのだろうかと、別の理由を見つけていた。
幾ら値段が高くとも、何か食わなければ今にも倒れそうな小次郎は、お品書きと睨めっこをしていた。
「何にします?」
と、店のオヤジが普通に注文を聞いてきたもんだから、空腹だったこともあって、思わず愚痴が出た。
「何にしますも何も、めちゃくちゃ高いじゃないですか!」
それに対して、オヤジも愚痴で返した。
「仕方ねぇんだよ! 妖怪が持ってちまうんだからよ!」
「え?」
「信じらんねぇかもしんねぇけどさぁ」
妖怪という言葉に、小次郎の眼は輝く。
「妖怪で、困ってるんですか?」
「なんだよ、嬉しそうに!」
「だったら、私が退治しますから、元の値段にしてくださいよ!」
「はぁ? とてもじゃねぇが信じらんねぇな。アンタみたいな優男が……」
と言ったところで、小次郎は効果的な名前を出した。
「私の師匠は、安倍晴明さまの弟子なんですよ」
「ほ、本当か!」
「えぇ! もし、退治できなかった私を煮るなり焼くなり、何とでもしてください!」
「おぉ! それならよ、お代は要らねぇから、ジャンジャン食ってくれ!」
小次郎は、卓が見えなくなるくらいに料理を並べ、三日振りの食事を堪能した。それは村に入る前、せめて食べれる野草くらいは知っておこうと思っていた自分を忘れてしまう程に。
ありがとう 晴明さま
食事も終わり満腹になった頃、店主が声を掛けてきた。
「先生、そろそろ奴らが来る頃なんで、案内させてもらいます」
小次郎は、"先生"と呼ばれることを恥ずかしく思ったが、なんせ安倍晴明の孫弟子なのだから仕方ない。あながち嘘をついてる訳でもないのだからと、ここはそれなりに振る舞うことにした。
「うむ。案内してくれたまへ」
店主に案内された場所は、村の中心に在った広場で、小次郎たちは近くの茂みに身を潜め、妖怪が来るのを暫く待った。
夕日がその身を地平線に隠した頃、その者たちは現れる。
食糧を積む為であろう荷車を引いて現れた鬼たちは、全部で十二匹。どれも八尺ほどの巨体で、筋肉で覆われた人のような体に、牛の顔。
「ぎゅ、牛鬼じゃないですか!」
「あぁ、あれは手下ですよ」
「え! あんな化物が手下って言うことは……その頭目は……」
「酒呑童子です」
その時、小次郎は師の言葉を思い出していた。
よいか、何があっても、酒呑童子とは事を構えるな!
逃げたくても、飯を食ってしまった負い目がある。煮ても焼いてもくれていいなどと口走ってしまったことが、さらに小次郎の首を絞めた。
今更、ごめんなさいなど――絶対に許される筈がない!
だが、とりあえず、この場に隠れて一匹ずつ消していこうと思った矢先、
「んじゃ、先生頑張って!」
と言われ、化物が待つところへ、押し出された。
「そりゃないよ!」
口には出していないが、心の中でそう叫んだ。
突然、現れた人間に、一匹の牛鬼が地響きを立てながら、徐々《じょじょ》に近づいて来る。
「なんだ、お前は?」
「……えぇい、ままよ!」
そういって包帯を解くと、右の腕を掻っ切って、目の前の牛鬼を描いた。
「え! なんで?」
絵を描き終えたのに、目の前の牛鬼は何事も無いかのように、さらに歩みを進めて寄って来る。
このままではやられると思ったその時、店のオヤジが叫んだ!
「おめぇらも、もう終わりだ! 晴明の孫弟子さま、がんばれぇー!」
その名を聞いた時、牛鬼たちの動きが止まった。
晴明という名、そして、紙……一匹の牛鬼が叫んだ。
「みんな逃げろ! 式神が来るぞ!」
その言葉で、牛鬼たちはドカドカと大地を鳴らし、一目散に逃げ出した。
「へ? あっ、そっか」
安倍晴明といえば式神、式神といえば安倍晴明、牛鬼たちが恐れるのも無理はなかった。さらに言えば、小次郎の持つ紙が大きいことも手伝って、どんな得体の知れない物が飛び出してくるか分かったもんじゃなかったのだ。
ホッとしたものの、小次郎も安心ばかりはしていられない。一匹でも逃せば、大軍で押し寄せて来るかもしれない。封じることができない不安もあったが、交渉することはできるかもしれないと、牛鬼たちを追いかけた。
「待てぇ!」
歩幅は大きいものの体が重いようで、牛鬼たちの足は遅く、あっという間に追いつこうとしたその時、一匹の牛鬼がつまずき倒れた。
すると、八尺あった筈の巨体が二尺ほどに。
「なるほど、封じれない訳だ。虎の威を借る狐……否、狸だったか」
小次郎は、その倒れた狸の首から下を描いて、動けなくした。
「もうすぐ、兄ちゃんたちが酒呑童子さまを連れて来て、お前なんかコテンパンなんだからな!」
「嘘だろ? 本当のこと言わないと地獄へ送るぞ」
そう言うと、その狸は泣き出した。
すると暫くして、一匹の妖怪が現れる。
「その狸を放せ!」
しかし、その言葉が小次郎に届くことはなかった。
何故なら、その妖怪は小次郎を呆然とさせる姿をしていたからである。
九つの尾を持った、狐の妖怪。
小次郎は、血が沸騰するような怒りで、我を忘れそうになったが、ふと或ることに気が付いた。
「ちょっと待て、幾らなんでも見なければ、化けられないよな?」
「な、何を言っている! 化けてなんぞ……」
「こいつの兄貴なんだろ?」
「……」
姿形は大妖怪なのだが、能力までは変化できない狸の兄は、言い返すことができなかった。
「どこで、そいつを見た!」
「教えたら、弟を逃がしてくれんのか?」
「あぁ、安倍晴明の名に誓って約束する。それと、もう村へ悪さはすんなよ」
「なんで、そっちは二つもあるんだよ!」
「どうせ、私が村人に教えるから結果は同じだ。次ぎ行ったら狸鍋にされるぞ!」
「でも、あいつを見たのは半年も前なんだ。会えるまで弟を動けなくする気か?」
「正直に話せば、弟は今直ぐに離してやるが……嘘ならば、弟共々地獄に送ってやる!」
勿論、狸の出す答えが本当なのか嘘なのか判る訳がないのだが、安倍晴明という名が、そのハッタリを有効にさせた。
「飛騨だ」
それを聞くと描いた紙を破って、弟の狸を解放した。
「ありがとう、他の村でも悪さすんなよ」
そういうと、小次郎は急いで村へと走り去った。
「礼を言うなんて、変な人間だね兄ちゃん」
読んでくださって、ありがとう。
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全ては、ここから物語が始まる。
次回「空を黄金色に染めたもの」