表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
封霊の絵師  作者:
17/21

第十七話「天雲に近く光りて鳴る神の」

読んでくださる方に、合う作品であることを祈りつつ。

 三度笠と黒い外套がいとうを身にまとった小次郎と彦左衛門、そしてみのを着けた犬は、雨の中、さった峠を歩いていた。


 それというのも、ここ数日、駿河湾周辺は生憎あいにくの空模様で、ずっと晴れるのを待っていたのだが、四日経っても五日経っても一向に止みそうになく「このまま長居すれば、商談の日に間に合わない」と、彦左衛門の事情を受け、由比ゆい宿を後にしたのである。


 本来であれば、東海道の本線である海岸沿いを歩く予定だったのだが、由比から興津は『東海道の親不知』と言われるほどの難所で、連日の雨で海岸沿いは土砂崩れの危険性があり、迂回うかいするしかなかった。


「すまんね、この雨の中」


「気にしないでくださいよ、私の方こそ助かってるんですから」


 そう、彦左衛門と一緒なら宿泊費・食費が浮く、雨だろうが嵐だろうが付いて行くつもりでいた。


「それに、私には宛てが無いのですから……」


 無論、本当に宛てが無い訳ではない。

 何処に居るかは判らないが、九尾と言う名の宛てが有る。

 しかし、身の上話をすることには、躊躇ためらいがあった。

 その理由は、二つ。

 一つは、相手が妖怪だけに信用されないこと。

 もう一つは、思い出してしまうからだ、村の皆や、妹が喰われた瞬間を。


 宛てが無いから大丈夫と言っても、まだ負い目を感じている様子だったので、小次郎は話題を変えることにした。


「しかし、このインバですか、良い物ですね」


「あぁ、英国は雨が多いから、こういう良い物が生まれたんじゃろうな」


 小次郎がインバと呼んだ物、それは身に着けている黒い外套のことで、正式な名をインバネスコートと言い、他にも『二重廻し』や『とんび』と呼ばれることもあった。


「彦左衛門さんは、英国に行ったことがあるのですか?」


「否、わしは行っておらんよ、遣いの者の話じゃ」


 そう言って、彦左衛門は呵呵かかと笑う。


「そのインバ、気に入ったのなら、小次郎君に差し上げよう」


「え! いいんですか? 売り物なんでしょ?」


「構わんよ。君の旅に、今後も雨は降るだろうからね」


 気を遣って話を変えた筈が、逆に気を遣われたようで、苦笑いをしながらも、在り難く頂戴することにした。


「異国かぁ、いつか行ってみたいですね」


「そうだ、君の旅が一段落ついたら、一緒にどうかね?」


「良いですねぇ、ぜひ、お願いします」



 小次郎たちが、峠の下りに差し掛かったところで、長く降り続いた雨が止んだ。

 雨が止んだとはいえ、まだ雲は厚く、ゴロゴロと雷が鳴っている。


「またいつ降るとも判らんから、今の内に少し急ごうか」


 小次郎が「はい」と返事をしたその時、視界を奪うような眩しい光と、耳が割れるかと思うほどの轟音を伴って、目の前に雷が落ちた。


 不味まずい!

 強い妖気を感じる!


「な、なんじゃ、あの化物は!」


「彦左衛門さん、逃げて!」


 視力の回復した小次郎が其処そこに見たものは、樋熊ひぐまほどの身体に、獅子のような面構つらがまえ……、


ぬえか!」


 そう呼ばれた妖怪は、毛を逆立てて激しい光を放ち、怒りをあらわにする。


「鵺だと? 雷獣であるこのわしを鵺と呼んだか! 小僧ーッ!」


 その怒声は、地響きするほどに大きく低い。

 また、その怒りに比例してか、雷獣の周囲をバチバチと音を立て、幾つもの火花が飛び散った。


 妖気が高い……封じれるか?

 だが、迷っている暇は無い!


「私が相手をしている間に、彦左衛門さんは逃げてください!」


 彦左衛門の方を振り向かずに、再び逃げるよううながした。

 小次郎は鞄から小刀を取り出すと、すぐさま左の手首を切り、流れ出た血を筆に取って、雷獣を描く。

 しかし、顔を描いたところで、紙は四散しさんする。


「小僧! 貴様、陰陽師か!」


 矢張やはり駄目か……ならば!


 何を思ったのか、小次郎は雷獣の脚だけを描くと、火も点けずに紙を空へと投げ、心の中で数を数える。


 1つ、2つ、3つ……


 4つを数える前に、再び、紙は四散する。


「無駄だ!」


 雷獣にとって小次郎の術は、人間の大人に脚を掴まれた程度のもので、少し強く振るだけで、その呪縛は簡単に解かれた。

 しかし、小次郎は諦めることなく、黙々と脚だけを描いては投げるを繰り返した。


「無駄、無駄、無駄、無……」


 一枚で止められる時間はわずかだが、重ねることによって余裕が生まれ、十二枚目にして全身を描ける時間を作り、小次郎は見事に雷獣を描き切った。


 目の前から雷獣は消え、その姿が紙へと写ると、流れるように紙に火を着け、空へと放った。


比良坂ひらさかを越えて、冥府めいふへ堕ちろ!」


 空に舞った紙は、青白い炎に包まれ、燃え尽きる。


 ――筈だった。


 それは、不運としか言いようがなかった。

 まるで火を消す為かのように、止んでいた筈の雨が、再び降り出したのだ。


 紙から炎が奪われるとすぐに紙は四散し、激しい息遣いと共に、再び、目の前に雷獣が現れた。


 自分ほどの妖怪が封じられようとしたことに、自尊心を傷つけられた雷獣は、雷鳴のような咆哮ほうこうしながら、小次郎へと突進する。


 此処から逃げ出したいが、小次郎は逃げることが出来ない。

 それは、雷獣が四本脚の大きな妖怪だったことで、九尾を連想させてしまったからだ。


 逃げれば、逃げた先で暴れ、あの災厄さいやくが、起こってしまうかもしれない。

 この雨の中では、描くことも出来ない。


 最早、何も出来ないと覚悟を決めた時、背後から捉まれ、一緒に前へと転がり、辛うじて雷獣の突進を避けた。


「彦左衛門さん! どうして?」


「若いもんだけ残して、逃げれる訳なかろう!」


「でも、このままでは二人とも……」


 過ぎ去った雷獣は、すぐさま方向を変え、小次郎をにらみつけると、再び突進すべく、前脚を踏み出そうとしたその瞬間、突然、動きが止まる。

 それはまるで、小次郎に描かれたような、雷獣の時間だけが止まっている感じだった。

 そして、再びその時間が動き出した時、


「なんで!?」


 先程までの低い声と打って変わって、少年のような高い声をらした。


 雷獣は、どうやら攻めあぐねているようで、その場を左へ行ったり、右へ行ったりするのだが、前には一歩も進まない。

 しばらくすると、雷獣は複雑な表情を見せ、空の彼方へと消えて行った。


「た、助かった……のか?」


 緊張が解けた所為せいで、一気に疲れが押し寄せ、小次郎はその場に崩れるように座り込んだ。

 すると、それを避けるように、犬が横に跳ねた。


「なんだ、お前も居たのか。鰻の時は逃げた癖に」


 ホッとした所為もあって、地面が濡れているのも気にせず、小次郎は座り込んだまま笑う。

 普段なら、釣られて笑う彦左衛門であったが、それよりも、気になることが口から出た。


「小次郎君……君は一体、何者なのかね?」


 そう言って、座っている小次郎に手を差し出す。

 小次郎は、その手を取り、ゆっくりと立ち上がり、言えなかった真実を話し始めた。


「すみません、実は私、退魔師なんです」


「退魔師?」


「訳あって、妖怪を退治しながら、旅をしています。その訳というのが……」


 少し言葉を詰まらせながらも、話を続けようとする小次郎を彦左衛門は気遣い「言い難いことなら、無理せんでもいいよ」と返事した。

 しかし、宿など色々世話になっていて、話さないのも心苦しく感じていた小次郎は、全てを話すことにした。


「いえ、話させてください。宛てが無いと言っていましたが、実は有るんです」


「もしや、公儀の隠密か、何かかね?」


「いえ、そんな大それたもんじゃないですよ。私の宛ては場所ではなく、九尾と言う名の妖怪なんです」


 彦左衛門は、その名を聞いて、目を丸くするほど驚いた。


「九尾?」


「はい、私の住んでいた村が九尾に襲われ……私以外……九尾に喰われました」


「喰われた? 九尾に?」


 余りの衝撃的な発言に、聞き返した。


「信じてもらえないかもしれませんが……私の妹も、私の目の前で……」


 涙を浮かべる小次郎を見て、彦左衛門は慌てて否定する。


「いやいや、君の話を信じてない訳じゃないんじゃよ。現に今、妖怪を見たばかりで信じないのは、逆に可笑しい。九尾なんていう余りに大妖怪の名が出たもんで、つい疑うような言葉が出てしまった。申し訳ない」


 声を出せば、涙が溢れ止まらなくなると感じた小次郎は、右手で口を押さえ、左手で謝らなくてもいいですよとばかりに、手を出し首を振った。


「そうか、仇を討つための旅という訳だったんじゃね」


 小次郎は、黙って頷く。

 彦左衛門は、天候のように曇った心を変えるべく、話を変える。


「小次郎君が腹を割って話してくれたんじゃから、わしも腹を割って話そうかの」


 そう言うと、彦左衛門は微笑んで話を続ける。


「実はな……鬼の依頼を受けたことが有るんじゃよ」


 え!?


「もう随分と前じゃがな。父親の形見を探してくれと頼まれた」


 少し、落ち着きを取り戻した小次郎は、手を口から外し質問をする。


「見つかったんですか?」


「あぁ、見つけるのは簡単だったんじゃが……手に入れるのに、苦労したよ」


 彦左衛門は、その時の事を思い出したようで、苦笑くしょうした。


「でな、その苦労して手に入れた物をその鬼に渡して、お代を戴いたんじゃよ」


「そんな事が……」


「まぁ、長く生きてりゃ、色々な体験をするもんじゃよ。お、晴れてきたな」


 話している内に雨は止み、雲の隙間から陽が顔を覗かせた。


「あの妖怪が、雨を降らせておったんかな?」


「かもしれませんね」


 立ち止まって話したことで、良い休憩にもなった。


興津おきつまで、あともう少し、そろそろ行こうか?」


「はい」



 次の宿場、興津おきつを目指し、再び、歩き出した。

 残りの道程みちのりは下りだけなので、歩くのは楽だったのだが、色々有り過ぎて疲れ切ったその歩幅は狭かった。


 あぁ、早く宿に入って寝たい。

 否、その前に風呂だな。

 あ、風呂の後は、飯か……飯だな。

 腹いっぱいにしてから、ゆっくり眠ろう。


 そんな着いた時の事を考えながら歩いていると、小動物がひょっこりと山道に現れた。


「なんだあれ? 猫? いや、狸ですかね?」


「ん? おぉ、珍しい! あれは白鼻芯はくびしんじゃな」


「はくびしん?」


「ほら、鼻の筋が白いじゃろ? それでそう呼ばれとる。この辺りで……多いのかの?」


 現れた白鼻芯は、近づくでもなく、逃げるでもなく、ジッとその場に居て、まるで自分達が来るのを待っているようだった。

 そして、ちょうど横を通り過ぎた際、白鼻芯はトコトコと犬に近づいてきた。


「お? なんだ? お前に用があるみたいだぞ」


 しかし、犬はそんな白鼻芯を気にも留めず、其処に何も居ないように歩き続ける。

 それを見て彦左衛門は、呵呵かかと笑った。


「どうやら、振られたようじゃの」


「まさか、違う生き物なのに」


 と、小次郎も笑ったのだが、まるで彦左衛門の言葉が当たっているかのように、その後、白鼻芯は項垂うなだれながら、トボトボと山道を外れて行く、森の中へと消えて行くその姿は、夕陽と相俟あいまって、哀愁が漂っていた。


「もう夕方かぁ」と陽を目で追って行けば、その先に宿場が見えた。


「あ、興津ですよ! 興津!」


 宿場が見えたことで、元気を取り戻した小次郎が、目的地を指差す。


「まずは、宿に行って風呂じゃの」


「ですね!」


読んでくださって、ありがとう。


/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


それに使う血は、小次郎君の血じゃないと駄目なんかね?

他の人の血とか、動物の血とか……


次回「亀の甲より年の劫」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ