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封霊の絵師  作者:
14/21

第十四話「蛇足」

読んでくださる方に、合う作品であることを祈りつつ。


2017/05/27 誤字修正


 深い深い森の奥、滝のそばで、釣りをする美しい女が居た。


 その女のする釣りは一風変わっていて、釣りには到底そぐわない雪のように白い着物姿であることもる事ながら、その手には釣竿つりざおが無く、更に糸の先に、浮きはおろか、針さえも付いては居なかった。


 その姿は、釣るというよりも引っ掛ける感じで、まるで天女が釣りを楽しむような優雅さが、そこには在った。


 鮎が魚篭びくに五匹入ったところで、女は釣るのを止め、使っていた糸を惜し気もなく川へと流し、横に置いていた桶で滝の水を汲むと、側に建つ寺へと入って行った。


 女は休憩することなく、そのまま炊事場へと向かい、包丁で釣ってきた鮎のうろこを取り、汲んできた水で綺麗に洗うと、口から串を通して、軽く塩を振って焼き始めた。

 数分後、鮎に少し焦げ目が付いたところで、釣りに行く前に仕度をしていた米が炊き上がる。

 麦飯、味噌汁、鮎の塩焼き、漬物を添え、一人分を膳に乗せると、奥の部屋へと運ぶ。


 その部屋では、一人の男が寝ており、女が入ってくるのを知ると、ゆっくりと身を起こした。


「いつも、ありがとう。小夜子さよこさん」


 小夜子は、少し照れくさそうに手を振って、


「れ、礼なんて良いんだよ。そ、そのままだと、あ、アンタが不味まずそうだからさ……」


 小夜子は、そんな風にしか言葉に出来ない自分を少し後悔するように、男から少し視線を外した。

 だが、そう言われた男、清史郎せいしろうは、それを気にするでもなく、


「そうでしたね……でも、ありがとう」


 清史郎が一口、また一口と、口へ運ぶのをじっと見つめながら、元気になって欲しいと願った。

 食事を半分ほど過ぎた辺りで、清史郎が尋ねる。


「小夜子さんは、今日も食べないのですか?」


 その言葉に対して、小夜子は少し怒った口調で、


「何度も言ったでしょ! 飽きたのよ!」


「でも、ずっと口にしてないじゃないですか、大丈夫なのですか?」


「心配しなくても、約束は守ってるわ」


「いえ、そういうつもりで言った訳では……小夜子さん、最近、疲れているように見えるから……」



 約束――それは、今から二年前。


 その女の美しさに、清哲せいてつは目を、否、心を奪われた。

 小夜子は、ゆっくりと歩みを進め、清哲へと近寄っ行く。

 その歩みと合わせるように、僧侶である清哲の内なる警鐘けいしょうは激しい音をたて、その女が人にあらざる者だと教えてくれた。

 しかし、その容姿が人心を惑わし、喰らうための第一歩であると理解していても、その女から目を離すことができなかった。


「私を喰らう前に、お願いがあります」


 自分の容姿に心奪われ、ほうけてしまう人間を数多く見てきたが、この人間は喰われることを理解していながら、それを受けれようとしている……小夜子は、そんな人間に興味を持った。


「なんだい?」


「私で、最後にしてくれまいか?」


 期待以下の答えに、女は反吐へどが出るような気分だった。

 その僧侶という職の熱に浮かされて、正義感から殉じようとしている。


 全く……馬鹿な男だ。


 しかし、その嫌悪が別の考えを小夜子――絡新婦じょろうぐもに与えた。


 今は職のさがの方が勝っているが、徐々に死期が近づけば、命が惜しくなり、助けを乞うに違いない。

 絡新婦は、僧侶のそんな姿が見てみたくなった。

 例え、それに堪えられたとしても、死ぬ間際に、目の前で人を喰らってやれば、己れが如何いかに愚かだったかを知ることになるだろう。


 この愚かな人間は、どうなるだろう?

 愕然がくぜんとするだろうか?

 泣きわめくだろうか?

 それとも、激怒するだろうか?

 いずれにせよ、最期は死におびえる姿をさかなに、最後の一滴まで精気を吸い取ってやろう。


 じっくりと弱らせるつもりだったが、霊力という調味料の旨さに、最初の一口を多く吸ってしまう。

 吸われた清史郎は、まるで山をひとつ越えた後のような疲れが押し寄せ、膝から崩れ落ちた。


「どうした人間? もう黄泉へと逝くか?」


 怖がらせるつもりで、そう言ったのだが、


「や、約束は守ってください。わ、私で最後にしてください」


 小夜子は、そう強がった僧侶を侮蔑ぶべつする。


「いつまで、そう言ってられるかな?」


 初めは、ただぐに結果を見るのが惜しい、という有り触れた考えだった。

 だが、月日が経つに連れ、楽しみを先延ばしにしていたつもりが、いつの間にか清史郎を大切に扱っているような錯覚におちいった。


「あ、アンタの名は?」


 突然、名を尋ねられことに驚きながら、清史郎は答えた。


「清哲です」


「そうじゃないよ! 本当の名だよ」


「あぁ……清史郎です。貴女の名前は?」


 名を教えることに恥ずかしさを覚えた小夜子は、


「餌に教える義理はないね」と言ってしまう。


 清史郎は悲しそうにうつむき、


「そうですね……」


 名を教えてもらえないことを受けれた。


 『そうですね』じゃないだろ!

 この坊主は! もう!


 小夜子は、イライラしながら、頭を廻らせ、答えを導き出す。


「し、死んだ時、え、閻魔えんまの野郎に、殺された相手の名を聞かれるだろうから……お、教えといてやるよ……さ、小夜子だよ」


「さよこさんですか、良い名前ですね」


 褒められ慣れない小夜子は思わず、


「な、名前に悪い名前なんてあるかよ! 親が付けてくれんだ、みんな良い名前なんだよ!」


 僧侶である自分が、そう言うならまだしも、妖怪である彼女がそう言ったことに可笑しさを感じて、清史郎は笑う。

 小夜子は、まるで釈迦に説法したようだと気づいて、頬を赤らめた。


「そうですね、小夜子さんの言う通りだ」


 あと一度吸えば、清史郎は終わるのではないか?


 そう思うと、小夜子は手が出せないでいた。


 小夜子は、精気を吸っても、食べ物を与えれば、また回復すると思っていた。

 だが、いくら与えても回復するどころか、逆に弱っていくようにさえ見えた。

 それもその筈で、そもそも精気を吸うという行為は、魂を削ってる行為であり、つまり、寿命を削っているに等しかった。


 小夜子は、僧侶に精をつけてもらおうと、その職が肉を食べれないと知りつつも、兎の肉を差し出した。

 やはり僧侶である清史郎は、その職に従って、兎の肉を口にせず、小夜子に兎を弔うように願いでた。

 小夜子にしてみれば「魚が良くて、兎がいけないだなんて」と愚痴ぐちりたかったのだが、それが言えなかった。


 それは、小夜子が清史郎との約束を守っていたからだった。


 妖怪である絡新婦も、食わなければ息絶えるのは必然で、約束をしたその日から人を喰わない代わりに、動物を喰らってしのいでいた。

 しかし、兎を口にしなかったことで、清史郎が言った『私で最後』が、全ての動物を指しているのであれば、今後、動物は喰えない。

 それを愚痴ってしまえば、今の今まで、清史郎との約束を守っていなかったと思われてしまう。


 絡新婦――小夜子は、それが怖かった。


 人間以外の動物を食べても良いかと尋ねることさえ出来なくなり、そして、その日から動物を口にすることは無くなった。

 魚から得られるほんのわずかな精気を吸うことしか出来ないようになってしまったのである。


 清史郎が言った「小夜子さんは、今日も食べないのですか?」とは、魚のことではなく、自分の精気を吸わないのかと小夜子に尋ねたのである。


 この愛は、破綻していた。



 そして、二年の月日が流れた。


 いつものように、小夜子が滝で釣りをしていると、犬を連れた人間が現れた。

 小夜子は、迷い込んだ人間を追い払う為の台詞を使う。


「旨そうな人間だな」


 だが、言われた人間は、それに動じることなく、


「清哲という僧侶を探している、お前が喰らったのか?」


 その言葉で改めて気づかされた、その人間の霊力の高さに。

 二年前の絡新婦なら、小次郎が森に入って来た時点で気づいて居ただろう。

 それほどまでに、絡新婦――小夜子の力は落ちていた。


「あの人間は、渡さない!」


 思わず、口にしてしまうほどに、小夜子は焦った。

 それほどに、目の前に居る人間の霊力が高かったからだ。

 糸を次々に放ったが、それに力は無く、小次郎に軽くかわされる。


 僧侶が無事を知った小次郎は、糸の届かない距離を保ちつつ、絡新婦の首だけを残し描いた。


「清哲さんは、何処に居る?」



 な、なんだ? この霊気は?


 異様な高さの霊気に気づいた清史郎は、這いながらも、外を目指した。


 嫌な予感がする、急がないと。



 顔以外動けなくされてしまった、小夜子は覚悟するしかなかった。

 最早、自分はこの人間に殺されてしまう。

 そう感じた小夜子は、愛する者の名を叫ぶ。


「清史郎ーーっ!」


 その声を聞いて、入口まで這い出てこれた清史郎は、今、出せる最大の声で、愛する者の名を呼んだ。


「小夜子さん!」


 小夜子は、その声する方向に、寺の入口で這う清史郎の姿を見る。


 妖怪のアタシにも、最期に清史郎の姿が見たい願いが、仏に届いたか。


 その時、小夜子の頭に『自分が死ねば、清史郎が助かる』という想いがよぎった。


 小次郎は、清哲の無事を確認すると、絡新婦の顔を描き切った。


「清史郎、お前が喰えなくて残念だよ!」


 小夜子は大粒の涙を流し、消えて逝く。


「や、やめてくれーーっ!!」


 その叫び声もむなしく、空に舞った紙が青白く燃え上がった。


 小次郎は、寺の入口で倒れる清哲に駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


「私は……私は喰らわれても良かったんだ」


「何を言ってるんですか、助かったんですよ」


「妖怪を愛するなんて、退魔師の君には解らないだろうな」


 清史郎は泣いた、そして、それが枯れ果てた頃、清史郎の息も途絶えた。

 霊になった清史郎を描けば、黄泉であの絡新婦に逢えるだろうと思ったが、既に妖怪の手に掛かっていた清史郎の霊は現れなかった。


 小次郎は、清史郎の墓を作ると、依頼された住職へ報告の手紙を送った。

 三島への帰り道、小次郎は犬に問いかけた。


「なぁ……私のしたことは、余計なことだったのだろうか?」


読んでくださって、ありがとうございます。



「土用の丑の日うなぎの日、食すれば夏負けすることなし」


次回「鰻と小町」


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