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封霊の絵師  作者:
13/21

第十三話「天下の険」

読んでくださる方に、合う作品であることを祈りつつ。

 それが世に現れたのは、大化二年。

 改新のみことのりに記されていたことから、それが“関所”の始まりであったとされています。


 時は過ぎて、織田信長が天下統一を果たそうとした頃。

 信長は、関所の撤廃を行いました。

 それは、通行料の掛かる関所が在ったことで、商人たちが自由に国をまたいだ商売をやり難くさせてしまっていたからです。


 尾張には、関所(通行料や税)がない。


 まるで合言葉のように、信長の下には、物資や人材が集まるようになるのです。

 しかし、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉にも、引き継がれた政策であったものの、江戸に入る鉄砲と江戸から出る女性(大名の家族)を取り締まる為、再び、江戸幕府によって、関所は設けられてしまいます。

 特に、箱根の関所では女性の検査が厳しく、人見女ひとみおんなという専門職まで置いて、徹底させるほどでした。

 また、江戸時代での関所破りの罪は重く、破った者は皆、はりつけに処せられてしまいました。


 そんな関所が、完全に廃止されたのは、明治二年。

 小次郎が生まれた頃には、既に過去の産物ではあったのだが、その名残りと呼べる霊が多く、芦ノ湖周辺では、幾つもの女のすすり泣く声が響き渡っていた。


「悲しい別れにも慣れていた筈なんだが、こうも多いと流石に滅入めいるな」


 その日の内に、三島まで行くつもりだったのだが、この霊たちを放ってはおけず、泊る旅籠を探すことも忘れ、目に入る者から一人また一人と、霊たちを黄泉へと送っていった。


 紙が赤く染まり、今が夕暮れであることに気づいた。


「昼に着いたのに、もう夕方か……あ、富士」


 あまりにも描くのに集中していたため、景色など、目には入って居なかった。


 本物の画家であれば……否、この霊たちが居なければ、私も湖を前にする富士山を描いていただろうな、そう思いながら、描いた紙を鞄へと仕舞しまった。すぐに紙を燃やさなかったのは、今までの経験上、描いて燃やしてを繰り返せば、怪しく思われてしまうと考え、纏めて燃やすことに決めていたからだ。


 長時間描き続けたものの、それでも残った霊の数は多く、中には小さな女の子も居て、妹が重ねて見えた。

 小次郎は、全ての霊を成仏させるまで、箱根に滞在することを決意するのだった。


 翌朝。

 起きて早々、朝食を取る前に芦ノ湖へ向かった、山から下りてくる風が、湖を撫で少し冷たい。

 少し手を擦って暖めてから、近くに居た霊たちから順番に描き始める。


「そうだ、これは速く描く修行も兼ねてるんだ」


 既に二年が過ぎた鎌倉の依頼は、おそらく手遅れだろう。しかし、目の前の問題を優先させることへの罪悪感が、言い訳となって口に出た。


 霊たちは、成仏したい気持ちもそうだが、伝えたい想いもあるようで、


 故郷に帰りたい


「今、帰してやるからな」


 おとうや、おかあに会いたい


「向こう(黄泉)で、仲良く暮らしな」


 一人一人に声を掛け、速いが普段より丁寧に描いた。

 朝食を取りに戻り、再び昼食まで芦ノ湖、更に晩飯までと――繰り返すこと十日。


 ようやく最後の一人を描き切って、何十枚にも束になった紙に火を点け、空へと投げた。


「きっと、黄泉よもつ比良坂ひらさかは、この峠(関所)ほど越えられないものじゃないよ」


 投げられた紙は散り散りに舞い、一瞬で青白く燃え上がると、灰さえも残らぬまま、空に溶けるように消えて逝く。

 描いた苦労もあったが、今回は見送る気持ちで、しばらく芦ノ湖を眺めた。


「さて、今からでも向かえば、陽が落ちる前には、三島に着くかな?」


 小次郎は大きく背伸びして、箱根峠を目指し歩き始めた。

 峠の入口に差し掛かったところで、後ろから六十は越えたであろう老爺ろうやに呼び止められた。


「箱根峠を越えるのかね?」


「はい、陽がある内に三島まで行けるかと思ったのですが……」


「止めた方がええ」


「そんなに厳しい峠なのですか?」


「それもそうなんじゃが……最近、蛇の妖怪が出るようになったらしいんじゃ」


「蛇の妖怪?」


「あぁ、だからもし峠を越えるなら一人で行かず、明日の朝、他の者と集団で行くか、遠回りにはなるが峠は避けて港に行き、船で伊豆半島を回るかしたほうがええよ」


 いつもなら、実は私の師匠の師匠は……と、安倍晴明の名を出して「退治をしてきます」と言うところなのだが、何故かこの老爺に反対されて時間を食ってしまうような予感がした小次郎は、あえて逆らわず、明日の朝に発つことを伝えると、老爺が見えなくなったところで、再び、三島を目指して歩き出した。


 箱根の山は 天下のけん

 函谷関かんこくかんも 物ならず


 後の世にそう歌われるほど、箱根の峠は厳しかったのだが、まるでそれを感じないかのように、十日の遅れを取り戻そうとする小次郎の歩幅は大きかった。


 しばらく歩いていると、不穏な空気がただよい始める。


「蛇か?」


 その怪しい気配は、一定の距離を保ち、逃げるでも襲ってくるでもなく、小次郎の跡を付いて来る。

 誘い出そうと、少しだけ歩み寄ってはみたが、その怪しい気配は、同じ間隔を保ったまま離れた。

 退治はしておきたいが、不用意に視覚の遮られる森に入るのは危険で、どうしようかと迷いながら進んでいたら、思わぬ異常事態が起こってしまう。


 不味い、これでは描けない!



 蛇は、戸惑っていた。


 ――霊力の高い人間が旅をしている。


 そんな噂を聞き、態々《わざわざ》この箱根峠まで出向いてきたのだが、目の前を歩く人間が発する霊力は、人とは思えぬほどの大きさで、それは自分さえも遥かに凌いでいた。

 今すぐにでも襲って喰いたいのだが、この人間が退魔師であれば、自分の方が危ない。

 だからと言って、遠い昔に喰った霊力の備わった人間の旨さを忘れられない蛇は、諦めることも出来ずにいた。


「もしも、あの人間が休憩をしたら、襲って喰ってやろう」


 蛇は、人間が疲れるのを待っていた。


 そんな時だった。

 雷を伴って、激しい雨が降ってきた。

 今、襲われたら危ないと、小次郎は紙が濡れないように、鞄を胸で隠すように抱え、石畳で舗装された道から、一番近くに在った大きな木の下へと走った。

 しかし、石畳から数十歩出た所で、泥濘ぬかるみに足を取られてしまう。


「しまった!」


 その昔、箱根の街道は雨や雪が降ると、すねの辺りまで泥に浸かり、まともに歩くことの出来ない難所だった。

 それを重く見た幕府は、延宝八年に1400両を掛け、箱根峠から三島宿までの西坂の内、およそ10kmを石畳の道にしたのである。


 蛇は、動けなくなった人間に笑いながら近づくと、背後からまとわりついて、骨まで砕かんばかりに締め上げていく。


「は、離せ!」


 その巻きついてきた蛇は、身体は蛇であるのだが、頭は髪の長い人間の顔をした女の妖怪だった。

 胴は人間ほどに太く、その長さは容易に計測できそうにない。


「なんて旨そうな人間なんだ!」


 そう言って、チョロチョロと動く先が割れた2枚の舌で、小次郎の首筋を舐め始めた。


「私なんて喰ったら、腹を壊すぞ! 私の師匠の師匠は、安倍晴明さまなんだからな!」


 だがそれは、おのれが上質なえさであることを蛇に教えるだけだった。


「道理で、人間の癖に霊力が高い訳だ」


 息を吐く度に、締め付けが強くなり、呼吸しづらい。空気を欲するように手を伸ばしたが、何の効果も得られなかった。

 せめて鞄の中にある小刀が出せればと思ったが、きつく締め付けられ、手の入る隙間が無い。


 あの時、素直にお爺さんの忠告を聞いておくべきだったと、今更ながらに、心の中で老爺へ詫びた。


 こんな所で、私は死ぬのか!

 珠希たまきの仇も、まだ討てていないというのに!


 だが、藻掻もがけば藻掻くほど、締め付けは増し、視界がぼやけるほどに息苦しくなる。

 何も出来ないまま、小次郎のまぶたは、重く閉ざされてしまった。



 ――ん?


 木の葉から落ちるしずくが、頬に当たり、小次郎は目を覚ました。

 どれくらい経ったのかは判らないが、目を開けてみれば、木の下で大の字になって寝ていて、目を閉じる前と風景が変わらないことから、此処が黄泉の国ではないと気づいた。

 小次郎は、まず、自分の体を確認した。


「まだ何処どこも喰われてないようだな。今の内に逃げないと……」


 慌てて身を起こそうとしたが、全身がきしんで、うまく動けない。


「は、早く逃げないと……」


 骨が折れても構わないという思いで、身を起こそうとしたら、襟首えりくびを引っ張られ、再び、倒される。

 今度こそ、喰われてしまうのかと、振り向いてみれば、見覚えのある犬がそこに居た。


「お、お前、また付いて来たのか! 否、そんなことはどうでもいい、お前だけでも逃げろ!」


 そう言って、何度も手を振ったが、犬は離れようとしない。

 こうなったら、やはり自分が立って、犬を連れ逃げるしかない、そう思って身を起こしたら、再び、襟首を引っ張られて倒された。

 今がどんな危険な状況か知らず、まるで自分の体を気遣って、治るまで寝ていろ言わんばかりだ。


「全く、お前という奴は……」


 小次郎は、そんな犬に呆れ果て、つい笑ってしまう。

 だが、笑ったことで、冷静が取り戻せた小次郎は、在る事に気づいた。


 ――蛇の妖気が感じられない。

 

「なんでだ?」


 首筋を舐められ、すぐに喰われても可笑しくはない状況だった。

 頭の中を整理して導き出された答えの先には、犬が居た。


「まさかな……あの蛇、犬が苦手だったとか? しかし、戻って来ないとも限らないんだ、少しでも離れた方が……」


 だが、三度みたび、犬に倒されてしまう。


「蛇が戻って来たら、お前も喰われるぞ!」


 そう脅してみたものの、犬はそっぽを向くだけで、動こうとしない。


「解ったよ、寝てりゃいいんだろ! 全く……なついてんだか、懐いてないんだか、ハッキリして欲しいもんだね」


 そう言って、ふて寝してみたものの、いつ蛇が戻って来るか判らないので、安心して眠るなんてことは出来ない。だが、逃げるにしても、逃げるだけの体力も必要で、犬に従うのもしゃくさわるが、それだけの回復を待つしかなかった。

 あれだけ執拗しつように付いて来た蛇が、そう簡単に諦めるとも思えない、とりあえず、気は張っておきながら、せめて小走りくらい出来るようになるまで、横になることにした。


 また、何も出来なかった……。

 少しばかり霊力が上がって、強くなった気になってた。

 陰陽の筆が無ければ、他に何も無い、ひ弱な人間だというのに。

 やはり、師匠の教えに反するが、体術や剣術を身に付けた方が……。


 そんな自問自答を繰り返してる内に雨は上がり、雲は風に流され、星空が広がり、やがて月が顔を出した。


「え!? いつの間にか寝てしまったのか? 否、そんなことよりも」


 小次郎は驚きの余り、身を起こした。

 今度は、犬の邪魔は入らず、かたわらで静かに眠っている。


「月があの高さと言うことは……」


 蛇に襲われた時が、夕暮れにも成っていなかったことから、あれから数時間が経過していることになる。


「お前が、蛇を追い払ったのか?」


 そう聞いてみたが、犬からの返事は寝息だけだった。


読んでくださって、ありがとう。



「私を喰らう前に、お願いがあります」

「なんだい?」

「私で、最後にしてくれまいか?」


次回「蛇足」

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