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封霊の絵師  作者:
12/21

第十二話「秤」

読んでくださる方に、合う作品であることを祈りつつ。

 犬の嗅覚きゅうかくは、人間の百万倍から一億倍の能力をもっている。

 また、人間も足の裏に汗を掻き、それは微かではあるが、地面にその跡を残している。

 そんな犬が、遠く離れた小次郎の跡を追えるのも、無理はない話で……。


 小次郎は、住職から頂いた野菜の切れ端を犬に与えながら、犬にボヤいた。


「追う相手が違うでしょうに。私が追えるのなら、君のご主人を追いなさいよ」


 流石にもう引き返して――という気にはなれないし、それに此処まで追ってくるなら、預けてもまた同じように逃げてくるだろう。


 もしかすると、コイツを残して、主人は海の向こうに帰ったのではないか?


 そうなると、生きるために餌をくれる人間に付いて来るのも納得ができる。だが、それなら預けた呉服屋でも生きていけるだろうに……と悩んだ挙句、旅をしながら、誰かに引き取ってもらうことが、この犬にとって幸せだろうという結論に到った。


「仕方ない、連れて行くか。私は物の怪と戦わないといけないから、もし、危なくなったら逃げるんだぞ」


 もちろん犬からの返事はなく、夢中で食べている姿を見ながら、ただただ呆れる小次郎であった。


 寺の朝は、早い。

 だから、その前に修行を済ませておこうと、小次郎は久しぶりに深夜の修行に励んでいた。

 妖怪や霊に慣れたとはいえ、やはり夜は気味が悪い、サッサと済ませてもう一度眠ろうと、描いては燃やしを繰り返していたら、後ろの方に気配がしたので振り向くと、犬が居た。


「なんだ?置いていかれたと思ったのか?」


 そう言うと、小次郎は残りの霊たちを描いて焼き尽くした。


「さて、もう一眠りするくわぁ~」


 欠伸あくび混じりに、背伸びをしながら、再び寝床へと戻り、横になるのだった。


 やっぱり、寺の朝は早かった。

 実際、小次郎は修行から二時間ほど眠っていたのだが、横になったのが一瞬であったのかと疑いたくなるほど早く感じられた。小次郎は、寺へ泊めてもらう際、必ずその代わりに、掃除を手伝う約束をしている。

 まだ陽は昇っておらず薄暗い。そんな中で庭を掃き、集めた枯葉を燃やした頃には、薄っすらと青い空が見え始めた。その後、廊下の雑巾がけが終わって、ようやく待ちに待った朝食を迎える。


「遠慮せずに、いっぱいお上がりなさい」


「はい」


 その切れの良い返事よりも、“遠慮せずに”という言葉を小次郎も、その連れの犬までも態度で表した。

 そのあまりの食べっぷりに、住職は呆気あっけに取られ、暫く眺めてしまう。そんな住職の箸が動いたのは、客人が食べ終わりそうな頃だった。そして、住職が「おかわり」と言う頃には時既ときすでに遅く、弟子からの「もうございません」という返事に、再び、呆気に取られるのだった。


 食事が終わり、暫くして住職が声を掛けてきた。


「貴方は、何処に向かわれるのかね?」


「京まで行ってみようかと思っています」


「いやいや、私の言ったことは、そうではありませんよ。貴方が墓場でやっていたことを見ていたと言ったら解ってもらえるかな?」


「勝手なことをして、申し訳ありませんでした」


 そういって、小次郎は深々と頭を下げ、事情を説明した。


「なるほど、貴方から霊気を感じる訳だ」


「判られるのですか!」


「仮にも、御仏に遣える身ですからね」


 住職は、さも当たり前のように言ったが、小次郎は驚かずには居られなかった。

 何故なら、小次郎が今まで回ってきた寺や神社で、自分の霊気を分かった人間など、友純の他には誰一人居なかったからだ。


「墓場でしたことは気にしなくてよろしいですよ。貴方のしたことで、彷徨さまよっていた霊たちが極楽浄土へ行けたのなら、逆に礼を言わなければならない。ありがとう」


「いいえ、先にお断りもせず申し訳ありませんでした。あの……私の霊気はどれくらいの大きさなんでしょうか?」


「ご自分では、解らないのですか?」


「はい」


「かなりの大きさですよ。貴方くらい大きな霊気を感じたことは未だかつて……いや、あれは人間ではありませんでしたね……」


「それは、物の怪で居たということですか?」


「えぇ、私が四国八十八ヶ所めぐりをした時に、出逢った天狗です。今、思い出しただけでも恐ろしい」


 そう言えば、酒呑童子の他に、和尚から争いを避けるように言われていた大妖怪が、確か四国に――そうだ、讃岐院だ!


 讃岐院とは、皇位継承で破れた崇徳天皇が讃岐に流されたことで付けられた名で、保元の乱の後、改心して五部の大乗経を写本し、戦没者の供養にと朝廷に差し出したのだが、後白河法皇は、崇徳の呪いが込められているのではないかと疑って、崇徳に送り返した。これに激怒した崇徳は、舌を噛み切って、その血で五部の写本に呪いを書き込み、魔道に堕ちたと云われている。


「私は、その天狗と比べてどうでしょうか?」


「遠い昔のことなので、定かではありませんが……半分も満たってはいないと思います」


「そうですか……」


 讃岐院は、三大妖怪の一人として数えられ、酒呑童子、九尾と肩を並べるほどの大妖怪だった。

 はかりとしては、ちょうど良いと思っていたが、あんなに墓場を回っても、まだ半分にもなっていないと言われ、一体いつになったら九尾と戦えるのか途方に暮れるのだった。


「旅に出られる前に、貴方にお願いがあるのですが、よろしいかな?」


「なんでしょうか?」


「私の弟子を助けて頂きたいのです」


 住職の話は、こうだった。


 修行の為に、全国を回っていた弟子が居た。

 その修行もようやく終わりを迎え、あと数日で帰るという手紙を送ってきたのだが、その手紙を最後に弟子は消息を絶つ。

 一週間が経ち心配になった住職は、最後に訪れたという伊豆の浄蓮じょうれん寺へと向かった。

 浄蓮寺が天城あまぎ山中にあるとのことだったので、どう行けばいいか、伊豆の人々に聞いたところ、浄蓮寺という寺はないと言うではないか。

 否、正確には、過去に存在していたらしいのだが、現在は姿形もないと……不安に思った住職は、浄蓮寺があったという浄蓮の滝を目指した。

 やがて、浄蓮の滝に着いたが、やはり周辺に寺などなく、在ったという跡さえも見当たらなかった。

 だが、在ったといわれる場所に、妙な気配を感じた住職は、さらに心を研ぎ澄ませた。

 するとその時、突然、背後に気配を感じ取った住職は振り返ると、そこに美しい女性が立っていた。


 住職は、それが人でないことを既に悟っていたが、身の危険を感じながらも動けずにいた。

 女は、そんな住職に不気味な微笑みを見せると、舌舐めずりをしてこう言った。


「霊気の高い、旨そうな坊主だこと」


 その言葉に、恐怖を覚えた住職は、川へ飛び込み必死で泳いで逃げた。

 その後、伊豆の人々や寺院、神社などに助けを求めたが、話を信じてはもらえず、中には気がふれた坊主だと罵る者まで居た。


「行ったところで既に手遅れかもしれん。だが、他に犠牲を出さないためにも、退治て貰えぬだろうか?」


「わかりました。必ず寄らせていただきます」


 住職の話は、もう二年も前のことなので、いまさら急ぐ必要もなかったが、つい早歩きをしてしまう小次郎だった。

 しかし、流石に一日で伊豆までとは行けない。距離の問題もあるが、その前に箱根峠があるからだ。

 箱根峠を越えるのは、一苦労だと聞いたので、まずは小田原を目指し、そこで一泊と考えた。


 4時間後、早歩きがたたって、脹脛ふくらはぎをつってしまう。

 焦る気持ちを抑え、大磯の茶屋で休憩することにした。


「珍しい生き物だね、それ、犬なのかい?」


 店の主が、声を掛けてきた。


「異国の犬らしいのですが、なんて種類の犬なのかは知らないんです」


 自分の飼い犬ではないと言う説明をしだすと、話が長くなりそうなので、もう自分の犬ってことで話を進めようとしたのだが、店主の“それ(犬)”は切っ掛けに過ぎず、別に話したいことがあったようで――過去に自分が旅をしてきた、冒険譚のようなものを長々と語られてしまう。


「もう、その辺にしときな!お兄さん、ごめんなさいね。この人、若い旅人を見ると、つい自分が若い頃にした旅の自慢話をしちゃうんだよ」


 すると、この店の女将おかみは、不出来な旦那の耳を摘み、奥へと引っ張って行った。

 だが、店主は最後の悪あがきに、こう言った。


「そうだ!小田原に行くなら、死ぬまでに“ういろう”を一度は食うべきだぞー!」


 その菓子は、浅井了意によって記された『東海道名所記』に、東海道第一の名物と賞賛されるほどに旨いのだという。

 やはり、旅の楽しみとして、名物は食っておきたい。

 小次郎の目指す先は、いつの間にやら小田原から、ういろうになっていた。


 ようやく小田原に入ったのは、鎌倉を出て半日経ってのことだった。

 先に戦う準備として、腕に塗る傷薬が切れていたので、それを買いに薬屋へ寄ることに。

 薬剤師に傷薬を探してもらっている最中、店内を見回していたら『ういろう薬』と書かれた文字をみつける。


 名物って、薬なのか?

 薬が、旨いのか?


 どうせ買うのだからと、傷薬と一緒に買い、外へ出るとすぐに一粒食べてみた。

 噛み砕いた瞬間、声にならないほどの苦味が口の中を駆けずり回った。

 小次郎は、すぐさま鞄から水筒を取り出して、うがいすると一気に吐き出した。


「さては、あのオヤジ騙しやがったな!」


 まだ、口の中が苦いので、小次郎は甘いものを求め、急いで甘味処へと向かった。

 すると、あちらこちらで『外郎餅』と書かれた旗が出されているのを見かける。


「げろうもちって、何だ?」


 餅と書かれてあるのだから、食い物には違いないと、その定番らしき『外郎餅』を口直しに買ってみることにした。


「おばちゃん、その“げろう餅”っての三本ちょうだい」


 店の女性は、久しぶりに読み間違えた客に本当の名前を教えてやった。


外郎げろうって書いて、ういろうって読むんだよ」


「これも、ういろう?」


 何故『外』を『うい』と読むのか、それは中国の発音(唐音)からきていているそうで。

 元(中国)の人間であった陳宗敬が、日本に帰化した際に『外郎』という名にしたのが始まりだった。

 陳宗敬が伝えた薬の名前も『外郎薬』と呼ばれ、そして「その色が外郎薬に似ている」や「外郎薬が苦すぎて口直しに食べたお菓子だった」という二つの説から、菓子の名もまた『外郎』と名づけられたのだった。


「この餅も、もしかして苦いんですか?」


「アンタ、もしかして薬の外郎食べたのかい?」


「はい……」


 すると、店の女性は腹を抱えて笑い出し、こういった。


「アンタ、喜多さんみたいだね」


 希代の滑稽話『東海道中膝栗毛』の劇中でも、主人公の一人である喜多八が小次郎のように、薬の外郎を菓子の外郎と間違って食べているのである。

 旅の恥は掻き捨てなどと言うが、そう平気でもいられない小次郎だった。


「外郎、うめぇー。お前も食うか?」


 あまりの美味しさに、犬にも食わせてやろうかと食いかけを差し出したのだが、犬は既にクチャクチャと食べていた。


「お、お前……店からクスネタのか!」


 戻ってお金を払おうか、それとも買った一本を返そうかと鞄の中を覗いたら、一本足りない。


「い、いつの間に……それなら、まぁいいか……ってよくない!お前ねぇ、そんなに手癖てくせが悪かったら、誰も飼ってくれないぞ。あ!そうだ」


 小次郎は何かを思い出したように、紙と筆を取り出すと、目の前の犬を描き始めた。

 それは、ただ犬の絵を描きたかった訳ではなく、犬の飼い主を募集する貼り紙のための絵だった。

 これから伊豆で、物の怪と戦わなければならない小次郎は、それまでに犬を飼ってくれる人を探しておきたかったのである。


「コラ、ジッとしてなさい」


 絵を描いていることに気づいた犬は、ピョンピョンと跳ね回り、まるで描かれるのが嫌なようだった。


「もしかして、お前……霊と同じように消されると思ってんだな?」


 そう言うと小次郎は、周囲に居た人間を一人描いて焼いてみせた。紙は赤い炎に包まれ、ゆっくり燃えて灰になった。


「ほら、あの人、消えてないだろ?第一、筆が違うし、物の怪じゃないと消せないんだよ」


 再び、描こうとした時、何か引っ掛かるような感じがしたのだが、それが何か分からないでいた。


 小次郎は、旅籠屋はたごやの了承を得て、飼い主募集の紙を入り口付近の壁に貼り、新しい飼い主が来るのを待つことにした。


「良い飼い主が見つかるといいな」


 そう犬に言ったが、犬はキョトンとした表情で、小次郎の顔を見ているだけだった。早々に新しい飼い主は現れないだろうと、数日の滞在を覚悟していたのだが、日が変わる前に新しい飼い主が旅籠屋はたごやへとやってきた。

 現れたのは、五十歳くらいの中肉中背の男だった。


「ほぉー、確かに、こいつぁ~珍しい犬だ」


 小次郎は、犬との経緯を男に説明し終わったあと、稲荷寿司を餌にして犬の胴に輪を付けると、その手綱たづなを男に手渡した。


「こいつ逃げる癖があるので、しっかり見てやってくださいね。そうそう、稲荷寿司が好きみたいなので、いっぱい食べさせてやれば、貴方に早く懐くかもしれませんよ」


「この風呂敷は?」


「あぁ、これは前の主人の物で、こいつの大切な宝物みたいですから、取らないでやってください」


 小次郎は、しゃがみ込んで犬に目線を合わせると、犬の頭を撫でて別れを告げた。


「じゃぁな」


「それじゃぁ、もらっていくよ」


 犬は思いのほか大人しく、新しい飼い主に連れられ出て行った。


「居ないなら居ないで、寂しいもんだな」


 男は家に犬を連れてかえると、早速、自分に馴れさせようと稲荷寿司を与えた。

 犬は満足気に伏せて、それを食べ始める。


「こんな珍しい犬がタダなんてな。見栄っ張りの財閥のご婦人たちに高く売れそうだ。そういやー、あの兄ちゃん、この犬に逃げ癖があるって言ってたな……そうだ、こいつを飼い慣らせば、何度でも売れるんじゃないか?」


 男は、違う犬だと言い張るために、邪魔な風呂敷を取り上げようと考えた。

 もちろん、その中身も興味があった。

 はなから小次郎との約束を守るつもりなどなかった男は、犬が稲荷寿司に夢中なのを良いことに、背後からそっと近づいて、風呂敷の結び目を解くため、両手を犬の喉に近づけた。

 しかし、犬が急に立ち上がって、風呂敷が男の顔に強く当たる。


「いってぇー、何入れてやがんだ!」


 風呂敷の中身は、硬い物が入っているようで、男の鼻は赤く腫上がり、血が流れ出した。

 男は鼻血を素手で拭うと、その目つきをさらに悪くさせる。


 一方その頃、犬の苦労を知らない小次郎は、ある事に気づき布団から身を起こした。


「ハッ!あいつ霊が見えるのか!」


 描かれるのを嫌がるというのは、霊が消される姿を見たからで……つまり、犬は霊が見れる。

 だが、そんな驚くような結論も、きっと人間よりも野生の勘が働くからなのだろうとあっさりと認め、胸のつかえが下りた小次郎は、心地よく再び横になるのだった。


 犬は、風呂敷を取られまいと奮闘していた。


「コッチには手綱があんだよ!逃げられる訳ねぇだろ!犬畜生の分際で、人間様にかなうと思うなよ!さぁ、その風呂敷をサッサとよこしやがれ!」


 だが、柴犬ほどしかない大きさの割りに、犬の力は強く、優位な筈の手綱も、男が思うようには行かなかった。

 怒りが頂点に達した男は、“大事な商品だから手荒なまねは出来ない”ということを忘れ、渾身の力を振り絞って、手綱を引っ張った。

 すると犬は、その勢いに任せて男が引く方向に跳ぶ。

 手応えがなかったこともあって、男もつられるように犬に導かれ、その向かった先の柱へ、激しく頭をぶつけた。

 更に留まる事を知らない犬は、そのまま柱の周りをクルクルと走って、男を柱へ縛り上げた。

 周りきったところで、犬は腹を少しへこませると、するりと手綱の輪を抜け、さらに犬は、男の足を噛む。

 男が痛さで悲鳴をあげ、足をバタつかせると、手綱の輪をくわえて、器用に男の足に通した。


「コラ!なにすんだ!」


 そして、犬はまだ手を付けていない稲荷寿司のつつみを銜え、トコトコと男の家から去って行った。


「待て!コラ!チクショー!」


 妙な胸騒ぎがしていた小次郎は、陽が昇る少し前に出発することにした。

 小次郎は、まず入り口から顔を出し、キョロキョロと辺りを見渡す。


「うん、大丈夫だな」


 犬が居ないことを確認したのだが、少し寂しさも感じていた。

 小次郎は居ない犬に手を振って、小田原を後にした。


読んでくださって、ありがとう。


箱根の山は、天下のけん

函谷関かんこくかんも、物ならず。


次回「天下の険」

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