第一村人に会う
大まかな現状把握が出来た今、次にやるべきことは更なる現在地の情報収集だろう。
私は一旦は引っ込めた顔を再び大通りに向けた。耳を澄まして聞こえてくる喧騒は程良く賑やかで、ここが繁華街かそれに準じる通りなんだと感じさせる。しかし距離がある分、何を話しているかまでは分からない為に、言語を把握するには不十分。
願いとしては王道の自動翻訳有りが良いけど、最悪は言語が通じない事も視野に入れないと。
それだけじゃない。多分この国の人は王道展開的に平均身長が高い。さっきから道行く人々の視線が、遠近感を抜きにしても高いもの。顔立ちも北欧系? ヨーロッパ系? なんていうか、鼻筋が通った目鼻立ちがしっかりした堀の深い、それこそ洋画とかに出てきそうな人たちばかり。
瞳の色までは流石に分からないけど、髪の毛の色はそこまで違和感のある色の人は居ない。多くの人は綺麗なブロンドやプラチナブロンド、明るい茶色や赤っぽい茶色。次に多いのがブルネット。アジア系の真っ黒! では無くて、ダークブルーっぽい印象の黒髪かな。あとはちらほらと微妙にピンクっぽい赤とかカーキ色っぽい深緑の人も居るけど、あまり見掛けないし染髪って可能性も有る。それか人数こそ少ないけどそんなに珍しいって程の色じゃないか。どっちにしろ、服装さえ気を付ければ私の髪色も目立つことはなさそうで良かった。
身長は日本人の平均を行く私とは女性ですら十五センチくらい差があるから、問題はそこか……。
メイクだってしているし童顔だとは思わない。居酒屋とかで年齢確認される事も滅多に無い。ただ、それがこの世界で通用するかどうかだよね。下手したら老け顔の子供って思われかねない。なんとしてもそれだけは避けたい。本当に。そんなレッテル貼られても、SNSで呟く事も出来ないんじゃネタにも出来ない。普通に傷付くだけだよ。
道の舗装のされ方や建築、服装を見る限りは生活水準はとても高いと思える。
近くに飲食店があるのか、お肉が焼ける良い匂いこそしても、排泄物や生ごみとかが放置された不快な匂いはしない。下水の匂いもしない。つまりは上下水道の設備が有って、ごみも何かしらの方法できちんと回収・処理されている証拠。そしてそれはイコールでこの街がそんなに悪くないってこと。
治安が有る程度維持されているし、路地裏に浮浪者が居る風でも無いってことは生活支援が行われていて、それが出来るくらいには国か街が豊かってこと。そう考えると、私はラッキーかもしれない。これならそんなに悲惨な目には合わないで済みそうだもん。
幸いと言うべきか、旅行に持って行く筈だった荷物は全部持っている。
途中で洗濯するつもりだったけど、二週間分の着替えと履き替え用の靴にスキンケアやヘアメイク道具、筆記用具、家族や友人の写真が入っているスマホ、映画や音楽に色んな実用書を取り込んだタブレット、インスタントの日本食。これだけあれば生きていける。
家族や仕事の事は気になるけど、ここがどこで、なんで私がやって来てしまったのか、帰れるのかが分からない今は気にしたら駄目。心が負けたくなるから。
今居る場所から把握出来る情報はこれが限界か……。
そろそろ第一村人遭遇的なイベントを起こさないとまずい。それこそ王道展開だったら格好良い警備隊やら騎士やらのキンキラした人種に保護されて、あれよあれよという間に王宮で生活! とか、世話好きなおばちゃんに迷子として保護されるか、絶対に嫌だけど無いとは言い切れない人攫いに誘拐パターン。どれが良いかっておばちゃんルート一択でしょ。
確かに私は腐女子だ。そしてその前に少女漫画やラノベなんかも愛する立派なオタクだ。オタクとしてはとてもキンキラや誘拐パターンも惹かれる。でも考えてほしい。それは二次元だから良いんです。
平凡受けもクール受けもガチムチ受けも大好きだし一次二次三次どれでもどんとこい! な私でも、自分が実際に体験するとなったらそりゃあもう、親切で豪快なおばちゃんルート以外は死んだ魚の目になってしまう。逆ハーもチー(トハー)レムも見ているだけで十分だし、それは受けちゃんに起こるから美味しいの。自分に起こっても全然嬉しくない。
それに創作の世界ならまだしも、現実としてそんな生活耐えられない。耐えろって言われても数日で限界を迎える。政治的アレコレもバイオレンスに満ちた日々も要りません。
来た時には青空だった空も、今では日が落ちてきたのか橙色に変わっている。あ、新たな発見。ここにも太陽の様な星があって朝昼夜あるってことだ。という事は、もう暫くしたら夜になる。
こんな場所で誰にも見つからずに一晩過ごせるわけが無いし、それこそここがどんな世界か分からないのに野宿なんて絶対に出来ない。私のこれからを左右する大事な第一村人発見イベント。間違いなく村じゃなくて街だろうけど、RPGゲーム好きとしては第一村人発見っていう表現が好きなので、こちらの表現を採用させていただきます。
「あんた、そんなところで何をしているんだい?」
突然掛けられた声に慌てて振り返った。私が寄りかかっていた建物の壁、五メートル程先にある扉から恰幅の良い中年女性が半身を覗かせ、驚いた表情で私を見ていた。
分かる。今の私ってすごく不審者だ。明らかにこの国の住人とは違う姿で、人から隠れるように蹲っている女性。通報されても可笑しくない。って、あれ? 今、私、彼女の言葉分かったよね?
「あ、の……私、あの……」
言葉が分かる。自動翻訳ありがとうございます。言葉が分かるって大事だからね、本当。その分、言葉選びには慎重になってしまう。どこまで話して良いのか、どこまで相手の言葉を信じて良いのか。一人も知り合いが居ない、私の常識が通用するかどうかも分からない世界での今後が、今この瞬間にかかっている。大袈裟かもしれないけど。
「その様子じゃ、只の家出娘って訳じゃなさそうだね。まぁ良いさ。もう暗くなるから、そこは危ないよ。中にお入りな」
彼女は返事に困り戸惑っている私の傍に歩いてくると、おいでおいでと手招きしてくれる。にっこりと笑う彼女は悪い人には見えない。見えないけど、人は見た目じゃ分からない。でも今現在、私には頼るべき人も居ないし頼るべき機関も分からない。そうなれば、私が今選べる選択肢は二つだけ。
一つ目はこのまま彼女に従って建物に入る。二つ目は荷物一切合切を持って走って逃げる。二つ目は……無理だろうね。ずっしりと重いショルダーバッグにスーツケースを持ってどこまで逃げられると言うんだ。なによりも、どこに逃げるのよ。それだったら、今ここで彼女に従った方が賢明な判断だと思う。
「ありがとうございます。じゃあ、お邪魔します」
よっこいせと立ち上がり、鞄を肩に掛けてスーツケースをゴロゴロと引いて彼女に近付く。隣に立った彼女は私よりも頭一つ分は高く、恰幅の良い身体からはお腹が空く良い匂いが漂う。
彼女が出てきた扉の先は、八畳程の小部屋だった。白い壁と天井に、飴色に光る板張りの床。部屋の真ん中に四人掛けのテーブルセット、壁際に大きなクローゼットと服が何着か入っている棚。今使ったのと向かい合うようにもう一つ扉が有り、その先からはがやがやと賑やかな声や、美味しそうな食べ物の匂いにアルコールの匂いが漏れている。
きっとここは食堂か何かなのだろう。だとすれば、彼女の恰好も納得。彼女は深紅色の詰襟ブラウスに焦げ茶色のロングスカートを穿き、その上に生成の長い腰巻エプロンをしている。
「ちょっと人を呼んでくるからね、座って待っていてくれるかい?」
室内を見回していた私に対して彼女はそれだけ言うと、ばたばたと慌ただしく部屋を出て行ってしまった。置いて行かれた私はとりあえず、言われたまま椅子に座って待っていることにする。
それでも何かあれば最悪すぐに逃げられるように、座った椅子は外に繋がる扉に一番近い所だし、スーツケースも椅子の隣、鞄は腕を通したままで膝の上だ。緊張で強張る身体を解す様に大きく息を吐き、天井を見上げる。天井には大きな丸い謎の光源。
一見、天井にぶら下がっている様だけど、実際には天井ギリギリに浮いていてコードなんかは一切見当たらない。あれって、照明だよね? え? なんで浮いているの?
ひょっとして、ここって異世界は異世界でも剣と魔法のファンタジー世界……なの?
もしそうだとしたら、ちょっとテンションが上がるけど、それ以上にテンション下がっちゃう。だってね、私はオタクなの。腐女子なの。そして化学の発達した現代日本に甘えて育った現代人なの。そりゃあ魔法は大好物だし異世界ファンタジーとか王道で萌え滾るよ。騎士×魔法使いとか、魔法使い×弟子とか美味しい。美味しすぎて倒れる。
けど萌え倒れる前に、エアコンも冷蔵庫もこたつもテレビもパソコンもスマホもミシンもレンジも同人誌もコミケもコスプレも無い世界なんて……絶望を抱いてしまう。そんなことかもしれないけど、私にとっては大事な事よ。お風呂だって、シャワーだけじゃ嫌だし、トイレも水洗式のじゃないと嫌。これって我侭?
文化が違うのに同じレベルを求めるなって言われるかもだけど、私と同じ立場になったら皆同じ事思うでしょ?
とは言っても、さっきの女性の服を見る限り、縫製技術も高そうだからミシンはあると思う。路地に居た時も今も食べ物の匂いはしても不快な匂いはしてないから、きっと水洗式トイレは有る筈。
個人宅に浴槽があるかは分からないけど、古代ローマ時代にだって公衆浴場は有ったんだから、少なくてもお風呂屋さんは有ると思える。
よし、落ち着こう。一瞬取り乱してしまったけれど、そう考えるとこの世界の生活レベルはそんなに低くないから、私が絶望を抱く環境じゃない筈。
大丈夫。同人誌やコスプレの文化は無くてもオタクは出来る。寧ろ、広げていく。腐女子だって居る筈。本人が気付いてないだけで、その素質がある人も絶対に居る。
OK。大丈夫だ、問題無い。
そうやって自分を奮い立たせていると軽いノック音が響き、先程の女性が片手にお盆を持って入って来る。
「待たせてごめんね。今、もう一人来るから。良かったらお茶でも飲まないかい?」
「いいえ、待ってなんかないですよ。お茶、ありがとうございます。お言葉に甘えて頂きますね」
「口に合うかは分からないけど、こっちじゃ一般的なお茶だよ。砂糖とミルクも使うと良い」
目の前に置かれたお茶に、警戒心を抱かなかったわけじゃないけれど、私が返事をする前に女性が先に飲んでいた。そうなるとなんだか警戒しているのも馬鹿らしい気がしてきちゃうし、どう考えてもこの女性が悪い人には思えない。あと、喉乾きました。
白磁に青色でラインが描かれたティーカップを持ち上げれば、ふんわりと香った匂いは日本で飲んでいた紅茶そのもの。おぉ、まじですか。恐る恐る口に含めば味もアールグレイかな、うん。よくある紅茶の味。
「おいしい……これ、私が普段飲んでいる紅茶と同じ味です」
「そうかい、だったら良かった。これはこっちだとアルグティーって呼ぶんだよ」
「アルグティーですか?」
「ああ。この国だけじゃなくて、この世界でも普通に飲まれているよ」
女性の意味深な言い方に思わず眉間に皺が寄る。まるで、私がこの世界の人間じゃないと知っているような口ぶり。
途端にギリギリまで下がっていた警戒心が最大レベルにまで上がった。確かに私はこの国の人とは明らかに異なる顔や体つきだろうし、服装だって違うだろう。それでも、だからと言って直結で『違う世界の人』とは普通は結び付かない。
それが結びついたかのような発言をするこの女性は、一体何を知っているのだろうか?
「それって……」
私が言葉を発したと同時に、軽やかなノック音が鳴り扉が開かれる。そこから入って来たのは。
「まさかの王道イケメン……」