不穏な姫たち
――2日後、夕方。
宿場町ハコネ。
クリカラ首長国連邦を構成する国のひとつ、ウトパラカ首長国にある名峰ハコネ、その山裾に作られた坂の多い町である。
ハコネの街中には常に硫黄の香とその原因である煙が漂っている。
その煙は建物の煙突のみならず、足元の用水路や側溝、なぜか壁から突き出ている小さな管からも噴き出していて、風にのって次から次へと発生しては空気に溶けていく。
煙の合間には湯治客がのんびりと行き交い、出店や土産物屋のオレンジ色の明かりが地面を照らす。湯治場特有のゆったりとした空気が町全体を覆い、少し視線を町の外へ向ければハコネ連山と呼ばれる山々が雲海の向こうに見え隠れしている。
その山を覆う木々は夕日に照らされて赤く白く色づいている。ハコネの町中を漂う煙もまた夕日に照らされて、ハコネの山全体がまるで燃えているようだ。
イブティハージュよりも先に辿り着いたオレ達は町の入り口が見える場所……乗合馬車の集まる広場から今登ってきた坂の下の方を見下ろしていた。
「き、来ませんね。タイガさん」
「そうだな……」
オレの隣に居るのは責任感が強い……というか苦労性のルイーザ王女のみ。慣れない旅で疲れたのか、ヒナはおろか、いつも纏わりついてくるクーニャまでもがレーゲンハルト達にくっついて近くの軽食屋へ行ってしまった。
「行先は知っているはずですから、必ずこちらに向かっていると思いますよ?」
苦笑いのルイーザ王女が冷や汗を垂らしながら弁明する。
「……いや別に怒っちゃいないんだが」
レーゲンハルトによれば、必要なときは必ず戻ってくるとの事。それはつまり彼女が必要だと感じなければ戻ってこないという事でもある。
「別の人助けを始めてんじゃねえだろうな……」
「あはは……」
否定できないルイーザ王女は苦笑いを続けるのみ。
このまま放置するのはいろいろ不安だ。客人を迷子にするわけにはいかないし、親父に見つかる可能性もある。そもそも真祖に国内を好き勝手に歩かれるという状況を続けさせたくはない。
(とはいっても、「戻る」という選択肢はないしな)
下手に戻ればそれこそ親父に見つかる。
「……何だルイズ、まだこんなとこに居たのか?」
「ハルト君……」
振り返れば、立っているのは人間のレーゲンハルト。いつも一緒のエルフリーデ王女は近くに居ない。
どこだろう、と視線を彼の後方へ向けるとすぐに見つけられた。
軽食屋の店先に並べられた木製のテーブル……その一角に王女の姿と他の年少組の姿がある。
2日間旅をしてきたとはいえ、まだまだ仲間意識が乏しいのかエルフリーデ王女とエスメラルダ王女が並んで座り、その反対側にヒナとクーニャが並んでいる。喧嘩もせずに大人しく食べているものの、「たまたま相席した」ぐらいの距離感がある。
居心地が悪そうだ。
オレの視線に気がついたヒナが「早く来て」というような顔を向けてきた。
(オレが行ったって何も変わらんだろうに)
「そんなとこで待ってたってイブティは来ないぞ、たぶん」
「それはそうですけど……」
2人の話し声で意識が隣に戻る。
「そうなのか?」
レーゲンハルトの発言に疑問を投げかける。オレはハコネで合流するつもりだったのだが。
「言っただろ?イブティは『自分の助けが必要』って思わないと動かないって。ちゃらんぽらんな言動だけど、あれでちゃんと聞いてるから……。俺たちがちゃんと目的地に向かっていればそのうち追いつきますよ」
途中でオレに話していることを思い出したのか敬語になった。
「別に無理して敬語使わんでいい。年も近いようだしな」
「……そっか?助かるよ」
だいぶ砕けてきた印象はあったが、こういう事ははっきり言っておかないとしこりになる。
「……それはともかく待つ必要はないってことだよな?」
「はい。わたくしもそう思いますの。イブティさんはきっとここではなく、最終目的地の『始まりの谷』に向かっているはずですから」
「……わかった。じゃあオレたちも飯食いに行こう。実は結構腹減ってる」
「はい、わたくしもですの」
ここに来ないというのなら待っている意味はない。さっきから美味そうな匂いが背後から漂ってきていたせいでお腹が鳴りそうだったのだ。ルイーザ王女とレーゲンハルトを伴って年少組の元へと向かう。
「あー、タイガちゃんやっと来たー」
「『やっと来た』じゃねえよ。この薄情者どもが~」
オレの接近に気がついたクーニャが声を上げる。
能天気な笑顔を浮かべているクーニャの頭を抱え込んでぐりぐりと握りこぶしを押し付けた。
「痛い、痛い~」
涙目になりつつもなぜか笑顔のクーニャが腕の中で身をよじる。
「お疲れ様です、タイガ様~。あ、コレいかがですか~?」
クーニャの向こうから差し出されたヒナの手には饅頭が載っていた。いわゆる温泉饅頭だ。受け取った饅頭にかぶりつくと餡の甘い味と皮のやや苦味のある味が口に広がり、温泉の香が鼻に抜ける。
「お、うめえ」
「ですよね~?」
「ああ。なんかこういうの食べると温泉街に来たって感じだよな~。ほら、ルイーザ王女も」
「あ、ありがとうございます」
クーニャとヒナの間にある皿から饅頭を手に取って、一緒に来たルイーザ王女に差し出した。素直に受け取ったルイーザ王女は「こんな感じで食べるんですか?」という視線をオレに向ける。オレが頷くとそのまま齧る。
「ん、美味しいです」
「だろ?」
「「「……」」」
3人分……クーニャ、ヒナ、エスメラルダ王女の何か言いたげな視線がオレたちに向けられている。ちなみにエルフリーデ王女はいつも通りにレーゲンハルトの方に視線を向けていて、オレたちの会話には興味がない様子。
「なんだよ」
「何かあったの?」
「は?」
「なんかスゴく仲良さそうな感じですが~?」
阿呆のクーニャはともかく、ヒナまで何かを疑うようなことを言い出した。
「お前らのギスギスした空気の方がどうしたんだよ?2日も旅してんだから少しは仲良くなるだろ、普通」
ヒナは申し訳なさそうに眉をゆがめ、クーニャは不満そうに頬を膨らませる。対岸のエスメラルダ王女はルイーザ王女の腕に縋り付いたまま、妙に潤んだ瞳をオレに向けている。
「アタシ別に意地悪してないもん。この子がツンケンするから……」
「そうやって突き放すんじゃねえよ。慣れない土地で、まだ緊張してるだけだろ?」
「むーっ!!何でそうやってこの子の味方するのっ!?」
ガタリと椅子から立ち上がったクーニャは、エスメラルダ王女を指差した。
「子ども……」
「何をーっ!!」
掴みかかりそうになったクーニャの首根っこを押さえて強引に座らせる。
「エスメラルダ王女も煽んなよ……」
「メラルダ……」
「ん?」
「メラルダでいいって言っとるじゃろ……」
(あれ?その呼び方は魅了魔法にかかってた時に許可もらったやつだから、てっきり無効だと思ってたけど……違うのか?)
「そっか、すまんメラルダ」
「うん……」
「城で手を上げっちゃったから、気まずいのは分かるけどさ。もう少しウチのクーニャに優しくしてやってくれ」
「……わかってる」
「そっか」
やはり気まずそうに下を向くメラルダの頭に手をのせる。嫌がられるかと思ったが、そういうそぶりも見せないので軽く撫でた後、手を離す。
「むー……」
クーニャが隣で唸り声を上げた。
「と、とにかく、日も落ちてきましたし、そろそろ行きましょうか」
気ぃ使いのルイーザ王女が声を上げる。
確かに既に日も落ちて涼しい風が吹いてきた。
ハコネの山を赤く染めていた夕陽は、既に山の向こうへ沈み、残っているのは道の途中に一定の間隔で並んでいる行燈の優しい光と、土産物屋から零れた光のみ。その土産物屋もいくつかは閉店準備をしている。
周りに居た湯治客たちもそのほとんどが宿へと吸い込まれ、残っているのは2、3組だけとなっている。
「……そうだな。行くか」
オレの隣にルイーザ王女が並んで歩き出す。向こう隣にはメラルダが手を繋いで歩き、少し遅れてレーゲンハルトとエルフリーデ王女が付いてくる。
俺の手にはクーニャがまとわりつき、その後ろにヒナが続く。
見事に真っ二つだ。
特に両サイドのメラルダとクーニャがお互いを意識しつつも、声を懸けにくいという微妙な雰囲気を出している。別に喧嘩しているわけではないのだが、仲が良いというわけでもない。
(ま、オレ達みたいに理屈で仲良くできなくても、旅してれば感情で仲良くできるのかもしれないけど)
今夜は温泉宿だ。裸の付き合いもできるだろうし、今よりは打ち解けるだろう。
それは理屈なんかよりも強固な絆になる。
(……と、ここは右だったな)
考え事をしている間に大きな橋まで到達した。
ハコネの町は中心に谷があり、その両側に温泉宿が並ぶ構造になっている。今渡っているのはその両側を繋ぐ橋の一つ、「総檜造り」とかいう木製の古い橋である。首都イスズは基本的に石造りの建物ばかりなので、こういう物を見ると外国に居るんだと実感する。
足に伝わる感触も石畳を歩いているのとは違って、柔らかい。地面に比べれば硬いのだが、軽く押し返してくる感触がある。それでいて、歩を進める度にコンコンという高い音が響く、ちょっと不思議な場所だった。
クーニャとメラルダも必要以上に足踏みしてはその音を楽しんでいる。
そしてお互いの行動に気が付いて、微妙な表情で明後日の方へ視線を向ける。
(そのまま仲良くなればいいのに)
結局、終始そんな感じで橋を渡り切る。
「お宿は決まっているんですか?」
沈黙を気にしたのかルイーザ王女が声をかけてくる。
「ああ、ちゃんと予約してある」
「それって国にバレないのか?」
俺たちの会話を聞きつけたレーゲンハルトが続く。
「大丈夫だ。昔馴染みでな。事情も話してあるから、密告されることはまずない」
「『昔馴染み』ですか?」
「ああ、数年前まで城に居たやつでな。趣味が高じて……というか、もともと客商売の才能があったんだろうけど、とにかくこの場所が気に入ったらしくて、永住しちまったんだよ」