旅立ちの朝
翌朝、日が昇る前に城を出た俺達は城下町の東端、馬車乗り場へとやってきた。
クリカラ首長国連邦の首都であるイスズから、北と東方面へ出る便が集まっている。大半は貨物……人ではなく荷物の運搬を主にする商隊が占めていて、移動手段としての馬車は少ない。特にこの時間は。
「ほんとに来たな」
「あら?私タイガ様に噓吐きませんよ~」
足が完全に隠れる程の丈の長いローブを纏って、当然のようにオレの横に立っているのはヒナ。女王アメノヒナドリである。
「玉座を空席にすることをよく親父が許したな」
「大丈夫、です~。ちゃんと影武者を置いてきましたから~」
「普通『影武者』の方が危険な場所に赴くもんじゃないのか?」
「……」
ヒナが意味深な視線を向けたが、声は出さない。
(……そっか。ヒナからすれば親父の隣も十二分に危険だな。まあ親父の事だから十中八九バレるだろうけど……。後で俺が無理矢理連れて行ったことにしとかないとマズそうだな)
ヒナ自身も危ないが、影武者になっている娘も危ない。
「タイガちゃん、タイガちゃん。何アレ?何アレ?」
「クーニャ、離れるな」
一方反対側でせわしなく左右に視線を振りまいているのはもう一人の婚約者、クーニャだ。こちらもローブ姿だがフードはつけていない。上半身だけなら竜魔族と見た目が変わらないからだ。
下半身、とくに尻尾だけは見られるわけには行かないので、「絶対にローブからはみ出させるな」と言い聞かせてはいるが、今にも尻尾を振り回しそうな興奮振りである。
お城から出る事自体初めてのなのでしょうがないのかもしれない。
しかし、魔族であることが周囲にバレるのだけは避けたい。迫害の対象であるということもあるが、親父達にこちらの居場所を特定される危険性があるからだ。
「でも、でもさあ……。あ、ねえねえ、あれいい匂いだよ?食べようよ」
手を捕まえておかなければ本当に走り出してしまいそうだ。
「お前、金持ってないだろう?」
「何、『カネ』って?果物?」
「……」
手を握っていて本当に良かった。
折角城を抜け出してきたのに、城下町から出る前に見つかるところだった。
しかも原因が無銭飲食とか平時でも恥ずかしい。
「はあ~」
「苦労してそうだな宰相殿」
旅慣れた感じで佇んでいるのは人間、レーゲンハルト。
この男もまた手つなぎ状態。もちろん相手はエルフリーデ王女だ。クーニャ同様、素性がバレるのを避けるため足元まで隠れるローブを纏っているが、クーニャとは違って大人しい。今日もレーゲンハルトの隣にぬぼーっと立っている。
「全くだ。というかここでその呼び方は止めてくれ。こっち素性がバレる」
「じゃあタイガでいいかな?」
「ああ」
名前もどうかとは思うが、このあたりに居るような低い階級の国民に「タイガ」という名はあまり浸透していない。
(名前で呼ばれても素性が知られる事はないだろう。「宰相」よりましだ。それにしても……)
たかが人間風情が呼び捨てにするな、とも思わないでもないが、こいつらに対してそういう「常識」を持ち出すべきじゃないのは昨日の会議で散々思い知った。
「……どうした?」
レーゲンハルトが珍しそうに広場を見回している。
「いや、本当にこの国は区別とか無いんだな、と」
「ん?ああ、人間と竜人か?」
「そう。イブティのところはともかく、俺達3国は大なり小なり区別して、住み分けているからな」
シルバードラゴンのジルバン・シュニスタッド、レッドドラゴンのマグナ・サレンティーナも、そしてブルードラゴンのシャイレーンドラも、同じ町の中に住んでいながらくっきりと住む場所が分かれている。場所によっては入り口すら竜人専用と人間専用に分かれているくらいだ。
「でも、この国は竜の血が入っているかどうかはあまり関係ないように見えるよ」
「そうだな……。ま、うちは直系が居ないし、ずーっと内乱続きで血が混じっちまったってものあるんだろうよ」
竜魔族……祖父が玉座を勝ち取った事によって、この国は徹底した実力主義になった。そうでなければ「竜魔族」を認めさせる事ができなかったというのもあるのだろう。
しかしそれは他の国が実現できなかった自由のかたち。
実力さえあれば、能力さえあればある程度望む場所に行ける。
もちろん国家としての機密や、特権階級のようなものは存在する。しかしそれは血筋によるものではなく、その本人の功績によって与えられるものだ。
俺が日々勉強し、魔法の研鑽を積んでいるのは、そうしないとこの国で認められず、親父の跡を継げないからだ。触れる事のできる書物は親父が与えてくれるものだが、それを取り込み自分の力として誇示しなければこの国では認められない。
「まあ、そんな中でも理不尽な扱い受けている奴はやっぱり居るんだ。オレはそれをどうにかしたい」
功績とはつまり長い時間をかけて積み上げてきた努力の結果だ。
しかし寿命の短い人間と竜人では人生という時間が違う。努力できる時間の違いはそのまま階級に直結する。国家の主立った部署は竜人が占めていて、人間はいつまで経っても庶民から抜け出せないし、ヒナの一族も傀儡であり続ける。
それが国家として、あるいは竜魔族にとって最も安定した形なのは理解できる。
だが、目の前で泣いている女の子を放っておけるほど、オレはクズじゃないつもりだ。
「平和そうに見えても、お宅の国も色々あるって事か……。何か俺達に手伝える事があったら言ってくれ。これも何かの縁だろう?」
レーゲンハルトが空いている方の手を差し出す。
「ありがとう」
オレも右手を出して応じた。
――「おいおい、婆さんそりゃ無茶だぜ」
広場の右側……荷物を扱う馬車が集まっている場所から声が上がる。
「でもねえ。孫に届けなきゃいけないんだよ」
筋肉がのった逞しい腕を持つブラックドラゴン系竜人の青年と腰の曲がった……人間のお婆さんだ。その傍らにはどうやって持ってきたのか彼女の身長の2倍くらいの高さの箪笥が鎮座している。
「いや、さすがに俺1人じゃ積めねえって。行った先でも下ろさなきゃならねえだろ?」
どうやらその箪笥を運んでほしくてここまで持ってきたらしいが、あまりの重さのため引き受けてくれる馬車が見つからないらしい。
「お困りかい?」
「あいつ……」
その様子を遠巻きに眺めていた群集から1歩進み出たのはイブティハージュ僧女だ。一応ローブを纏っているものの、女性でありながら恵まれている、体格の良さまで隠しきれていない。
「どうだろう?積み込みと積み下ろしはわたしがするから、運ぶのだけはお兄さんにやってもらうというのは」
「いや、しかし……」
「わたしの事は気にしなくて言い。賃金も要らないよ。ただこの荷物の目的地まで一緒に連れて行ってくれさえすれば」
「おい、行き先も聞いてないのにそんな勝手に……」
さすがにこれ以上の単独行動は容認できない。これからできるだけ急いで目的地に着かなければならないのに寄り道などしていられない。
「おお、ちょうど良いところに宰しょぷっ!?」
周囲に聞こえる前に手で口を押えて言葉を遮る。
『宰相って呼ぶな。タイガでいい。とにかく行き先も聞いていないのに勝手に決めないでくれ。全く逆方向だったらどうするんだ?』
『……大丈夫だよ。あの箪笥……オーネ族のものだろう?ここから東の山間に多く住んでいる民族じゃないか?』
「え……?確かに」
「そこなら道の途中だ。少し別行動にはなるが後で合流できるだろう?」
オーネ族の住むオーネ山なら本来のルートから2時間足らずで往復できる。場合によってはいい目くらましになるかもしれない。
「……あんた、この国に来た事があるのか?」
「いや何、飲み友達に聴いて知っているだけの耳年間さ」
薄く笑ったイブティハージュ僧女は件の2人の元へ舞い戻る。
「さあ、主人の許可は取ったよ」
「……あんたそれなりに力持ちなんだろうな?俺の負担が多いなんてゴメンだぜ」
「ふふふ、大丈夫さ。このくらいなら……よっ、と」
「「「おお……」」」
群集がざわめく。
イブティハージュ僧女は自分の身長の1.5倍ほどの高さの箪笥を1人で持ち上げた。特にフラつくこともなく仁王立ちで平然と立っている。
「す、すげえな、あんた」
力持ちが自慢の運送屋も驚いた顔で賞賛する。
(確かにスゴいとは思う。少なくともオレには無理だ)
だがあまり注目を集めないでほしい。
「なあ、あんたひょっとして真祖か?」
(ほら見ろ。疑われた)
「いやいや、真祖ではないよ。この国の人間でもないけどね」
箪笥を荷台に乗せたイブティハージュ僧女はローブの裾を拡げた。運送屋の青年だけに見えるくらいに。
「わたし達の種族は力持ちが多くてね」
イエロードラゴン、種族名メイズは肉体強化に特化している。シルバードラゴンと似たような身体強化系の種族ではあるが、その魔力の使われ方が違う。
エルフリーデ王女が体の表面の強度を高めて防御力を増しているのに対し、イブティハージュ僧女は身体の内側を強化することで筋力や治癒能力を高めている。
「なるほど……」
青年がイブティハージュ僧女の尻尾の色を見て若干の警戒と共に頷く。
竜人は基本的に同じ色の竜が治める国からあまり出ない。ブラックドラゴンならクリカラ首長国連邦から出ることは無いし、イエロードラゴンも革新教誨国マディーナ・アン=ナビーから出る事はない。
当然、中には国を出るような変わり者も存在する。ただそういう輩は大抵がアウトロー。ならず者が多い。
マディーナ・アン=ナビ―が他国と比べて特殊な政治体制であることも警戒する要因の一つだろう。
「そう警戒しないでくれ。わたしは旅好きでな」
だからイブティハージュ僧女は安心させるように優しく笑う。
「あ、ああ、悪かった。じゃあ荷物は頼んだぜ」
「ありがとう……。では行ってくるよ、タイガ」
ロープを使って荷台に箪笥を固定したイブティハージュ僧女は、老女の礼を軽く受けつつ、青年と共に馭者台へと向かう。
「……良いのか?」
その様子を普通に見送ったレーゲンハルトに問いかける。
「え?……ああ、イブティのことだよな。ファディア教の戒律……『富める者は貧しき者に施しを』っていうのもあるんだろうけど、アレはイブティの本来の性格みたいなもんだ」
「性格?」
「そ。困ってる人見るとつい助けたくなるんだよ。普段はちゃらんぽらんだけど、『自分の助けが必要』って判断してからの動きは一番早い。……だからメラルダのお守を任せてるんだけど……」
そのエスメラルダ王女はルイーザ王女に手を引かれて、俺の方をじーっと見つめている。
(いつからここは託児所になったんだ?)
そしてオレと視線が会うと、ひょいっとルイーザ王女の陰に隠れてしまった。
「……嫌われたか」
おそらく魅了魔法の効果が切れたんだろう。クーニャは効くわけがないと言っていたが、効果が切れたとすればあの反応も頷ける。
「いや、逆じゃないかな」
「は?」
「……いや。ま、とにかく、俺達に任せて大丈夫だと思ったから分かれたんだと思う。大丈夫だよ。イブティの力が必要なときはちゃんと戻ってくるからさ」
レーゲンハルトは何の不安もなくそう言って締めくくった。手を繋がれたエルフリーデ王女も小さく頷く。
「イブティお姉さんは~、頼りになるよ~」
「そっか……」
これはこれで彼らなりの信頼というやつなのだろう。
カンカンカンカンカン……
「トツカ経由、ハコネ行まもなく出発です。座席にはまだ空きがございます。ご乗車の方はいらっしゃいませんかーっ!?」
イブティハージュ僧女の件で時間を取り過ぎたようだ。
「タイガちゃん?」
「ああ、急ごう。僧女はもう出発している。こっちが遅れては意味がない」
イブティハージュを除く俺達7名は馬車に乗り込みハコネへと向かった。