タイガの日常
「ふんふふ~ん♪ふっ、はっ、ほっ♪」
タン……タタン。
「……」
「ふんっ、ふふん♪ふんっ、ふふん♪ふっ、はっ、ほっ♪」
タン……タタン、タン……タタン。
古い木の匂いとかび臭さが満ちた勉強部屋に、クーニャの機嫌良さそうな声と軽快な足踏みの音が響いている。
「……」
今日も今日とてオレは勉強中。お遊戯会を開くなんて話はしていない。
しかし当たり前のようにやってきたクーニャは、当たり前のように騒ぎだし、当たり前のようにダンスを踊り出した。
一応クーニャの魔法の一つ、誘惑とか回避とかに類する魔法ではあるらしい。オレの魔法を極める参考になるかと、勉強の一環として仕方なく見せてもらうことにはしたのだが。
(なんか妹のお遊戯を見せられている気分だ)
円運動を描きながら時に足を振り上げ、時にしなをつくる。見様によっては淫靡だが、踊っているのは所詮クーニャである。
本人には悪いが子供のお遊戯会と大差ない。
可愛いとは思うが、綺麗と評するにはちょっと足りない。
さっきから魔力の流れを追って参考に出来ないかも観察しているが、特殊すぎて利用できるものでもなかった。
(つーか、いちいち乳首とか股間とか経由させんなよ。絶対女体じゃなきゃ使えないだろコレ)
そもそもしなを作って画になる男など限られている。
自分はブサイクだなんて卑下するつもりはないが、どちらかというと男性的な、男らしい容姿をしているはずだ。
少なくともオレはそれを目指している。
「ふっ、ふっ、はっ、ほっ、ふっはっほっ♪」
タン、タン、タン、タン、タンタンタン。
もうそろそろ終幕なのかリズムが早くなった。
タン、タン、タン、タン、タンタンタン。
パン、パン、パン、パン、パンパンパン。
「あはっ♪」
調子のいいリズムに思わず手拍子をする。それに気付いたクーニャが楽しそうに笑った。
色の黒い肌を汗が滑り、空中へ飛び出してきらりと光る。
踊りはますます激しくなる。
足を振り上げ、振り回す。
着ているドレスがふわりと広がり、足先から太ももまでを晒した後、すぐに引き戻される。
手は蛇のように怪しくくねり、淫靡な色気をもってクーニャの身体を誘導する。
クーニャの身体はぐんぐん火照り、頬の赤みが増していく。
タンタン、タンタタタンタン、タンタン、タンタタタンタン……
リズムが速くなっていく。
俺はいつのまにか手拍子を止めて、クーニャの踊りを見つめていた。
彼女の一挙手一投足に釣られて頭が揺れる。
見つめているうちに視界はどんどん狭まり、その姿が大きくなっていく。
まるでクーニャの身体に吸い込まれるように……。
「ぐげっ!?」
「っ!?」
およそ女の子が発したとは思えないダミ声で我に返った。
「お?あれ?クーニャ?」
さっきまで目の前で踊っていたクーニャの姿が見つからない。机の先にはいつものかび臭い勉強部屋が広がっているばかりである。
「は、はぁーい……」
一拍置いて弱々しい声が下から聞こえた。そして小さな手が机の向こう側に伸びてくる。
立ち上がって確認すると足首を抑えたクーニャが床に転がっていた。
「何やってんだ……」
「足、打ったの……。痛い……」
涙目で弱々しく見上げるクーニャ。
オレが使っている執務机は脚の下が少し空いている。おそらく俺に近づきすぎてそこに足を突っ込んだんだろう。
「はあ、全く……。大丈夫か?」
しばらく待ってみたが起き上がる様子がないので、抱え上げた。
「あ……うん。ありがと、タイガちゃん」
そのまま机の端に座らせる。
「まったく……」
「えっと……どうだった?」
「うん?」
「ダンス。……あたしの」
「そうだな……」
普段だったら「もっと大人に~」とか言ってやるところだが、なんとなく今のクーニャにはそういう事を言う気になれない。
「可愛かったよ」
綺麗とは言えないけれど、可愛いと思ったのは事実だ。だから素直に言ってやる。
「ほんと?あたし、可愛かった?」
「ああ」
もう一度頷いた。
ほんと、今回だけだぞ。
「やっったー!!!あ、いたたた……」
振り上げた足が椅子に当たって、再び足を抱えるクーニャ。しかしその顔は痛みよりも喜びで歪んでいる。
「なにやってんだ馬鹿。後でちゃんと医務室行けよ」
「うん、うん……えへへへ」
少し照れくさくなって椅子を横にして座ると、オレの肩にクーニャがしなだれかかる。
成長著しい胸が肩に押し当てられ、その奥の心臓がどくどくと動いてるのが確認できた。
「おい……」
「にゅふふふ~♪」
本人は胸を押し付けているつもりなどないのだろう。心底嬉しそうな顔で体重を預けている。
「ったく……」
オレは机の上に放り投げられていた紙の束を取って、目の前に広げた。
「ん~?何ソレ?」
「諜報」
「チョーホー?」
「外国の情報だよ。この大陸はともかく、海の向こうの国の情報とかは積極的に集めないと入ってこないからな」
「ふーん。……なんて書いてあるの?」
「お前、字読めなかったけ?」
「読めるよっ!でもこの字……」
「ああ、そっか」
諜報とはつまりスパイ活動だ。基本的に各国の流行りとか最近の事件なんかを送っているだけなので、他人に見られたところで紀行文とか手紙くらいにしか思われない。
それでも独自の見解や機密情報が含まれているものを読まれるわけにはいかないので、ときどき特殊な文字で送られてくる文書もあるのだ。
「そんなに難しくないぞ。単語の最初と最後を入れ替えて……」
「む~。そんなの教えてくれなくても、タイガちゃんが内容教えてくれればいいじゃない」
「は~。いずれお前も1人で読めなきゃいけないんだぞ?」
クーニャはいつの間にか机から降りてオレの肩に顎をのせ、背中に張り付いていた。
「その時は、その時だもん。ねえ、早く~」
「はいはい。えっと……日付的には1年ちょっと前か……。マグナ・サレンティーナ共和国でクーデター。魔族が扇動した可能性が高い。終息後にルイーザ第一王女出奔……。ほう、家督争いか?」
「タイガちゃん……わざと分かりにくく言ってない?」
「うん?どこが分かりにくいって?」
かなり分かり易くまとめたつもりだが。
「ぜ・ん・ぶ!!『まぐななんとか』って何?『くーでた』って何?『せんどー』って何?『しゅっぽん』って何ーっ?」
「ううるせええぇっ!耳元で騒ぐな」
そのまま振り落とそうかと思ったが、足を怪我していたのを思い出して机に座らせる。
「むー」
分からない事が悔しいのか、あるいはわかる言葉で言ってくれなかったことが不満なのか。
よく分からないが、クーニャは不機嫌顔で唸っている。
さっきまで笑顔だったのに。
「はあ。いいか。……マグナ・サレンティーナってのは海の向こうの国の名前だ。レッドドラゴン、種族名バーカンディの長、ヴィットーリアが治める共和国だ。んで、クーデターっていうのはだな……」
クーニャはまだまだ世界を知らない。
勉強中のオレが言えた義理ではないが、しかしいずれ伴侶になる身としてはもっと知識を着けてほしい。
せめて13しかない国の名前くらい覚えてほしいものである。
「でな……。おい、クーニャ」
地図を交えて話していたらいつの間にかクーニャの姿が消えている。
「ねえねえ、あっちから良い匂いするよ~」
と思ったら窓辺に身を乗り出して城下町の方を眺めていた。
機嫌良さそうに尻尾をくゆらせている。
「ふんっ!!」
「あぎゃっ!!」
「蹴りたい背中」というのはこういうのを言うのだろうか。しかし蹴っ飛ばすのは可哀そうなので、拳骨をくれてやった。
「てんめぇ、分かんねえっていうから説明してやってんのに……」
「おおぉぉぉぉおおぉ……」
クーニャは脳天を抑えたまま苦悶の声を上げる。
「まったく……」
「ふ、ふーんだっ!!あたし、お腹空いたから帰るっ!」
窓から逃げるように飛び出したクーニャは翼を広げて滞空した。不満そうな顔でこちらを睨む。
「どんな捨てゼリフだ……。いいから戻って説明を……って、おい!!」
「べーっ、だ!!」
オレの発言が気に入らなかったのか、その場で反転、中庭を抜けて城の東側……食堂がある方へと滑空していく。
「あんまりウロチョロすんなって言ってるのに……」
クーニャは一応「姫」なので、部屋で待っていれば勝手に食事が運ばれてくる。自ら出向く必要は全くない。
「まあ、いい。今のうちに諜報の続きを読むか」
オレは椅子を元の位置に戻して座り、再び紙の束を拡げた。
『竜暦514年4月10日
マグナ・サレンティーナ共和国・首都ヴァルシオンにおいてクーデターが発生。
女王ヴィットーリアが西方の不穏分子の討伐のために遠征に出ており、対応はルイーザ第一王女及びその親衛隊が行った。
クーデター戦力の半数が死人との目撃情報があり、また女王サイドからも「魔族が扇動したもの」との公式見解が発表されている。
さらにクーデター後、半年にわたってルイーザ第一王女が公式の場に姿を現していない。クーデターの折に戦死したとも、クーデター後に出奔したとも噂されているが真偽は不明。
ただし、シャイレーンドラ海王国で王女を目撃したという情報も存在する。
尚、未確認ではあるが、クーデター鎮圧を行った親衛隊の中に白い竜人……シルバードラゴン系の者が居り、ジルバン・シュニスタッドとの同盟が結ばれているのではとの懸念がある』
「ジルバン・シュニスタッド……か」
シルバードラゴン系の北方の雪国だ。そして現在の13支族の筆頭にして最高齢のエルヴィーネが治める強国である。西側諸国としては盟主のような存在の国だ。
一方のマグナ・サレンティーナも、先代女王であるヴァルチェスカは歴代最強。エルヴィーネと同じ世代の古参の竜であり、同盟を結んでいたとしてもおかしくはない。
さらに困ったことに両人とも存命だ。
戦力としては世界1位と2位が手を組んだに等しい。
戦力協定がある以上、簡単に軍事行動を起こすことはないだろうが、その戦力は外交に置いて強力なカードになる。
各国、特に暗黒大陸側は喉元に刃を突き付けられているようなもの。
純潔の竜が居ない我がクリカラ首長国連邦は尚更だ。
おまけにヴァルチェスカは魔族排斥の急先鋒。魔族の血を引くオレ達にとって世界が住みにくくなるのは言うまでもない。
女王の座をヴィットーリアに譲った後、行方が分からないというのも不安を誘う。
「椅子に縛り付けてでもクーニャの教育を急いだ方がいいか……?」
あのまま好き放題やっていては、いずれヴァルチェスカを始めとする西側諸国の網にかからないとも限らない。
「でもまあ、ある意味で鎖が付いたと捉えるべきか……」
かつて魔族と直接戦った古い竜とはいえ、エルヴィーネは13支族筆頭という立場に居る。いたずらに世界を混乱させようとはしないだろう。
ヴァルチェスカの動きを制限するブレーキ役になってくれていれば良いのだが。
「……いや、あまり他国に期待するのは危険だな。必要以上に心配するのは無駄。……が、現実から目を逸らし何もしないのは愚か者のすることだ」
オレは報告書をもう一度読み直した後、引き出しにしまい、新たな本を取り出すべく書棚に向かった。
(今できる事はオレ自身と、そしてクーニャ達自国の戦力を育てること。外交に関する知識も深めておかねばな……)
カンカンカン……
練兵所の昼休みを告げる鐘の音を聞きながら、オレは再び本の世界に意識を向けた。
「むー」
「あはは~……」
顔を見ただけでむくれた表情になるクーニャに、さすがのヒナも困り顔。
「えっと~」
その表情のままで椅子に座るオレに視線を向ける。
「遠慮するな。来客だろう?」
「はい~、西の国からの来訪者です~」
「西……?」
オレ達が居るのは暗黒大陸。
そこから西方、大海を隔ててまた一つ大きな大陸がある。海があるせいであまり国交が盛んとは言えない国家群だ。我々のように同盟を組んでいるわけではないが、世界の王族階級が集まる全竜会議では連携がとれており、仲間意識が強い。
「わざわざそんなところから来たって事は国賓だろ?オレなんかじゃなくて、親父が出ればいいんじゃないか?」
「それが~、姫様方ということで~」
「姫?」
「はい~。ジルバン・シュニスタッドのエルフリーデ・カルラゥ・ヴォルテンスドラッセ様~、マグナ・サレンティーナのルイーザ・ディ・サヴォイア様~、シャイレーンドラのエスメラルダ・バーケンティン様~、それから……」
「何だその錚々たる面子は。しかも報告にあった連中か……。タイミングが良すぎるな」
オレは引き出しを開けて諜報を取り出した。
見事に同一の国家名が並んでいる。
「しかし……。真祖とはいえよく女だけで海を越えようなどと思ったものだ」
その気になれば……、元の竜の姿に戻ればほぼ敵はなく、唯一抗えるのは同じ真祖の竜のみ。
とはいっても事故や病気などもあるだろうし……。
(あるよな?……真祖にも)
「いえ~。ちゃんと男性の方もいらっしゃいますよ~」
「真祖か?竜人か?」
「いえ、どちらも違います~。『人間』ですよ~」
「はあっ!?おいおいおいおい、マジか?」
「マジです~。えっと……レーゲンハルト……さんですね~。ジルバン・シュニスタッドの所属らしいですよ~?」
「エルヴィーネのところか……」
(13支族筆頭が認めた人間という事か?……どうなっている?)
大抵の竜にとって人間は蔑視の対象だ。食料くらいにしかみていない竜の一派も存在する。
人間は魔族のように明確な意思を持って侵攻したわけではないにしろ、竜たちからすれば生活圏を荒らされたという事に違いはない。
魔族以上にあっさり蹴散らされたこともあって、下等種族という見方もされている。
同じような蔑視を竜人もしていて、同じ都市の中でも住み分けがされていたり、そもそも出入口を別に設けていたりと、明確に区別されている。
むしろその区別がされていないこの国の方が例外だ。
「ジルバン・シュニスタッドも、マグナ・サレンティーナも人間を軽視している国家だと思っていたが……」
「ですよね~」
ヒナも頷く。
彼女も一応国際会議に出席する身だ。ほとんど人間である彼女もまたそういう扱いを受けてきた。
真祖たちだけならヒナを出席させるのは止めた方がいいだろう。しかし人間を連れているという事は、今回の姫たちは普通の真祖のように人間を蔑視しているわけではない、という可能性が高い。
連れている男を奴隷扱いしていない事を願うばかりである。
「仕方ない行くか」
ここでいくら議論していても始まらない。どうせ会談することは決まっているのだ。
あれこれ悩むより合ってしまった方が手っ取り早い。
「むー」
オレが椅子から立ち上がるとクーニャが不満げに膨れる。
またか、と思いつつ腰を曲げる。
「クーニャ、今回はお前に頼みたいことがある」
「え?何ー?」
連れて行ってもらえるのかと期待の顔向けられたが、あいにくまだオレは世界の認識を変える程の働きをした覚えはない。
依然として魔族は世界の敵だ。
「悪いが連れて行くわけじゃない」
「えー」
途端に不満顔に戻るクーニャ。その眼前に諜報を突き付けた。
「これから諜報部に行ってこの情報の出所を探って来い」
「え?」
「だから、これをまとめたのは誰か、誰から聞いた情報なのかを聞いて来いって事。一応オレの名前出せよ」
「『ちょーほーぶ』って、どこだっけ?」
「おーまーえーはー!!!」
この報告が来たその日の午後に、再びクーニャを捕まえて諜報部まで連れて行ったのだが、完全に忘れているらしい。
結構楽しそうに聞いてたのだが。
「痛いイタイ痛いイタイ……」
「だからな……」
オレは再び行き方を説明する。
あまり公言していいことではないのだが、いずれ裏の女王になる身としては当然知っていて欲しい知識だ。
「頼むぞ、クーニャ」
「う、うん。わかった」
クーニャが行き方を思い出しながら指を折っている。
(本当に大丈夫だろうな)
珍しく3人揃って勉強部屋を出る。オレとヒナは左――城の正面へ、クーニャは右――城の奥へと向かった。