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プロローグ

 魔族は世界の敵である。

 ……本当に?


 かつて、世界はその半分を魔界に飲み込まれた。

 だがその屈辱も永遠には続かない。調子に乗った魔族の征服域が我らの祖、竜たちの生活圏にまで及んだからだ。竜の怒りに触れた魔族はあっさり敗走、世界に再び平和が訪れる。

 しかしそれから500年後、竜たちは再び怒り狂った。

 取るに足らないと軽視していた人間どもが(またた)く間に増殖し、同族同士で争いを始めたからだ。生活圏を荒らされた竜は再び逆上。そして今度は追い返すだけに留まらず、そのまま世界を支配、13の国と地域に分割・強制統治する。

(神だとか、最も賢い生物とか呼ばれておきながら、ほんとにキレやすいよな、我らの祖は)

 その中でも我らの直系に当たるブラックドラゴン……クリカラは非常に好色だった。いや変態といっても良いだろう。同族である竜とは生涯交わらず、人や動物とばかりまぐわい、多くの亜種を産み出している。

 故に始祖クリカラが崩御(ほうぎょ)すると、跡取りをめぐって内戦が勃発(ぼっぱつ)する。全ての種族が混血でありながら、それぞれが直系を主張して争った。

 元々人間の争いを止めるための竜による強制統治ではあったが、皮肉にもこの国では竜の血が火種となったのだ。

 各国の竜もその状況は知っていたが手が出せなかった。

 前述のとおり、強制統治は無闇やたらに戦争を起こさないようにするためのもの。その手段として戦力の必要以上の不所持や、真祖と呼ばれる純血の竜の常時擬人化などが定められている。

 その中に他国への軍事的な圧力を制限する協定も存在する。これを、不戦協定と言う。

 簡単に言えば、「世界の危機でもない限り、他国へ戦力を向ける事は認めない」というもの。最悪の場合、破ると他の12の勢力から総攻撃を受ける事になる。

 各国共に国を立ち上げたばかりで、政治に慣れていないというのもあっただろう。

 ともかく世界から放置されたわが国は、200年近くに渡り「ブラックドラゴンの直系」という栄誉を求め争いに争った。

 そして終にその中でひとつの種族が勝ち残る。

 竜魔族(りゅうまぞく)

 竜の血と、魔族の血の両方を引く者たち。

 圧倒的な魔力量と狡猾(こうかつ)な頭脳を持って多種族を翻弄(ほんろう)し、筆頭種族の座を勝ち取った。

「ま、ぶっちゃけオレの祖父なんだけどな」

 ここはそんな歴史を持つクリカラ首長国連邦。暗黒大陸と呼ばれる、南北に渡って続く広大な大陸のほぼ中央に位置し、北と南、それぞれの国と結ばれた竜王同盟の盟主である。

 そしてオレ、タイガが現在の竜魔族(りゅうまぞく)の頭首……の息子だ。現在、次期頭首としての修業中の身である。

 竜魔族(りゅうまぞく)は魔力に秀でている。行使する魔法一発で都市を焼き、歴史をひっくり返す。

 極めしその力は真祖を凌駕(りょうが)するとまで(うた)われている。

 しかし強大な力を有しているが故に、制御するには生涯をかけて行使する術を編み出さなければいけない。

 良く言えば大器晩成だが、悪く言えば脆弱(ぜいじゃく)。若いうちに狙われると為す術のない弱い種族でもあるのだ。

 内乱初期に全く表舞台に立たなかった竜魔族(りゅうまぞく)は最後期に何処からともなく現れ、(またた)く間に筆頭種族の座を(かす)め取った。その手法は正々堂々とは程遠く、筆頭種族でありながらあまり敬われてはいない。

 

「ふう……」

 オレは読んでいた書物から顔を上げた。

 正面には木製の扉。その上に国旗が織り込まれた大きなタペストリーが掛けられている。

 左右の壁には書棚が並び、その中にはかび臭い、古い書物が詰め込まれている。

 ここは昔の執務室であり、親父の元・研究所でもある。そして今はオレの勉強部屋だ。

 長い間放置されていたこともあり、古い木の香りと(ほこり)っぽさが同居した空気が漂っている。最初にここに連れて来られた時に掃除はしたが、新しい書物を取り出す度に(ほこり)が舞うので途中で諦めた。

「んっ……」

 俺は背筋を伸ばして、部屋の南側へと向かう。そこには2重になった窓が設置されている。

 キィ……

 内側の窓を手前、左右に開き、外側の窓を上方へ跳ね上げる。

 新鮮な空気と共に、城内を抜ける風が中庭の草の香を部屋の中へと運んできた。

 銀色の長髪が風に(ひるがえ)る。

「……」

 色の黒い肌に日差しを浴びながら、(しば)しぼうっとする。

 既に朝というには日が昇り過ぎてはいるが、まだ暑くはない時間帯。

 城内に目を向けると木陰で会議をする者、法具を運ぶ者、廊下を掃除をする者たちの姿が確認できる。遠くから聞こえるのは兵たちが訓練する音だろう。金属がぶつかり合う音や、威勢のいい声が響いている。

 城の外壁の上を弓矢を持った兵士が巡回し、さらにその向こうには城下町が広がっている。

 工房か、あるいは軽食屋が出す煙が幾本も上がり、今日も盛況なようだ。行き交う人々も減る様子はない。肌の色が違う者が同居しているのはこの国独特の風景だろう。 

 俺の視線はさらにその先、城下町の外に広がる森を抜け、遥か先の山の稜線へと……。

 ガラン、ガラン、ガラン……

 パリーンッ

 オレが立っている窓の真下から、何かが転がって割れる音がした。

 意識が再び城内へと戻される。

「(お止め下さいっ!!)」

「(あひゃひゃひゃっ!ごめんね、『じい』)」

「またか……」

 城の中庭を見下ろすと予想通りの光景が広がっている。

 頭が若干禿だした初老の男性と小柄で色黒の少女がそこに居た。

「(『じい』って……、わたしはそんな年齢では)」

「(え~、アタシからしたらもうお爺ちゃんだよ?)」

 距離はあるが何とか聞き取れる。

 男性は足元の何かの残骸を見て途方に暮れていたが、少女の方は全く反省する様子がない。

 両手を頭の後ろに組んで片足を上げている。後ろ向きだからよく分からないが、いつものように口を突き出して下手な口笛でも吹いているのだろう。

「コラァ、クーニャッ!!」

「あ、タイガちゃんだっ!おっはよー!!」

 オレの声に気が付いた色黒の少女……クーニャが振り返って手を振る。満面の笑みで。

「『おはよう』じゃねえっ!!いったい何度宝物(ほうもつ)壊したら気が済むんだーーーーっ!!」

「(怒られちった……)」

「(姫様、少しは反省なさってください)」

「もう、そんなに怒んなくてもいいじゃん」

 不満そうにしていたクーニャが翼を広げた。そのまま4メートル近く上にある俺の部屋目掛けて飛んでくる。

「どわっ!?」

「(姫様っ、はしたないですよっ!!)」

 制止の声などどこ吹く風。クーニャはもう一度翼を打って加速する。

 あっという間に窓まで到達し、宙返りをして勢いを殺すと、部屋の中へと入ってきた。

「えへへ、ターイーガちゃーん……」

 片膝を立てて窓枠に器用に腰掛けたクーニャは、しなを作り、俺に熱っぽい流し目をする。

 身長は130cmくらい。黒くしっとりとした髪をツインテールにして先端に金色のアクセサリーをつけている。

 はっきりいって子供だ。

 しかしドレスを着崩し、その浅黒い肌を、胸元を、(へそ)を、太ももを晒し、頬を染めている姿は、体格に似合わず妖艶(ようえん)

 そしてその胸も身長の割りにかなり大きい。

 だがそれだけではない。目を引くのは黒い翼。そして先が(やじり)状になった(うろこ)も毛も生えていない黒い尻尾。

「あのなあ。何度も言ってるだろう?無闇に出歩くな。そして物を壊すな。お前の存在はこの世界にとって悪なんだぞ?」

「ぶーっ!!アタシは退屈しているんだよっ!!魔族だからって、邪険にしないでよぉっ!!」

 そう。彼女は魔族だ。

 かつてこの世界へ侵攻し、竜を怒らせた者達の末裔。

 その存在は世界の敵であり、排除すべき存在。人間はその名を聞けば震え上がり、竜は世界からはじき出そうとする。

「少しはオレの立場も考えてくれ」

「何よソレ?婚約者だったら、アタシを楽しまてよぉ!!」

 そうなのだ。

 さらに言えばこのクソガキはオレの婚約者だったりする。

 俺たちは竜魔族(りゅうまぞく)。竜と魔族の血が混じった存在。故にオレが知る限り、この国は世界で唯一魔界と、魔族たちと交流を持っている。

 この世界の大多数は、また魔王が攻め込んで来るんじゃないかと恐々としているようだが、オレたちはその可能性は皆無であると知っている。

 なんせ魔界は今、内乱中なのだ。

 理由は単純、魔王が死んだ。

 オレたちのような血筋や血統など関係なく、強い者が次の魔王になる。

 そんな理由で1000年以上争い続けているらしい。

 クーニャはその大勢力の一角……大公つまりは巨大領主の娘である。

 名をクーネル・アスタロティアという。

「だから、相手はしてやる。だがな、時と場合を考えろ。それと無闇に壊すな。お前の存在を怖がっている奴は城内にも居る」

「ふんだ。別に怖がられたって良いもん」

 クーニャは下ろしていた足も持ち上げて両腕で抱える。窓枠という狭い場所での三角座り。普通の人間であればすぐにバランスを崩しそうなところだが、翼を持つ彼女にとっては造作もない。

「あのな。クーニャはオレの婚約者だろ?いずれはそんな連中に指示を出して言う事を聞かせなければ為らないんだぞ?」

「だから何?怖がられてるんだったら好都合じゃない」

 さっきまでの妖艶さはどこかへ行ってしまった。そこに居るのはパンツ丸出しで膨れっ面をする子供である。

「この世界にはお前でも勝てない存在ってのが居るんだよ。例えば真祖とかな。そういう連中が出張ってきたらどうするんだ。古い魔族とお前の違いなんて他の連中にはわからないだろ?」

 真祖。

 人との混血種である竜人と区別して、純血種である竜を呼ぶときに使われる言葉だ。

 我々ブラックドラゴンの祖は、非常に好色だったために純血種が残っていない。しかし他国の長は全てこの真祖にあたる。

 その力は混血種である竜人とは一線を画し、常時擬人化が求められるほどに強力だ。

 本気で力を振るえば冗談抜きで山が吹き飛ぶ。

 そして真祖たちは「魔族」という存在を許さない。

「その時はタイガちゃんが守ってくれるんでしょ?」

「オレは弱い。オレを守るのはクーニャの役目だ」

 竜魔族(りゅうまぞく)は魔法に特化している。いや、魔法にしか能がないというのが正しい。いわゆる魔法使いとか魔術師とか呼ばれる完全な後衛職だ。行使する魔法は強力だが、放つまでに攻撃されてしまえば元も子もないだろう。

 そしてクーニャは魔法短剣士ストライクフォーサー。短剣に魔法を付与して戦う事ができる一応の前衛職だ。しかし魔族である彼女が誇るのは魔力量であり、短剣での純粋な格闘技術は(つたな)い。

 つまり(そろ)って後衛職。

「アタシそんなに強くないもん。避けるのだったら得意だけどね」

「お前が攻撃避けたら、後衛のオレ達が被害受けるだろうが」

 盾役としては不十分。それはわかっているのだが、完全なる後衛職である俺達はクーニャに(すが)るしかない。

「知らないよ……もうっ!」

 クーニャが目に見えて不機嫌になった。

「(なんだよっ、『オレ達』って……まるで向こうの方が本妻(ほんさい)みたいじゃん……。アタシのほうが正式な婚約者なんだよ)」

 ぶつぶつと恨み言を言いつつ、涙が浮かんだ瞳で見上げてくる。

「これでもクーニャの事を頼りにしてるんだぞ?」

「タイガちゃん……」

 クーニャが嬉しそうにオレの二の腕にすり寄ってくる。

「もう少し落ち着いてほしいとか、成長してほしいとか、女性らしくなってほしいとか、ひっくるめてもっと大人になってほしいとか思ってはいるんだけど」

「タイガちゃんっ!?」

 ショックを受けました、という表情でクーニャが固まる。

 胸は年齢以上に発達しているがその言動……ショックの受け方も含めてまだまだ子供としか思えない。

「とにかく、オレは今忙しい。お前も少しは勉強しろ」

 固まったクーニャを放っておいて、オレは机へと向かう。歴史を紐解(ひもと)くとともに、そこに記された魔法の行使記録を探り、己の魔法を極める参考にするのだ。

「む~っ!カマッてくれるって言ったじゃんっ!!」

「かなり構ったつもりだが?」

 後を追ってきたクーニャが机の向こう側、オレの視線に割り込むような低い姿勢で抗議の声を上げる。

「もっと構え~!足りないよ~っ!!」

「うるせええぇっ!!」

 思わず振り上げた拳はあっさりと(かわ)された。

「むーっ!むーっ!!」

 クーニャはオレのガラ空きの脇の下を抜けて後ろに回ると、背中に顔をくっつけて(うな)っている。

「何がしたいんだお前はっ!!」

「タイガちゃんの匂いだ~。えへへ」

「ったく……」

 少なくとも目の前でチョロチョロされるよりは邪魔にならないので、無視することにした。

 どうせ飽きれば部屋から出ていくだろう。

 

「あらあら~、仲がよろしいですわね~」


 と思ったら、クーニャの天敵が現れた。

「おおうっ……」

 天敵というか天使と言った方が彼女のイメージには近いかもしれない。

 全身から「聖」のオーラを(ほとばし)らせている。

 見る人が見たら後光まで見えるかもしれない

 頭の上には小さな王冠。ピンク色の髪を首の後ろで括って腰まで垂らしている。その髪の間からは小さな白い角が生え、天頂に向かっている。

 俺たちとは違う、白い肌。瞳は紫で、唇はほんのり桜色。慎ましい胸元は十字にスリットが入った服に包まれ、お尻はもこっとした短いズボンが覆っている。

 わずかに(さら)された太ももの先は、高級そうな白いシルクのソックスが膝上から足の先までを多い、足にはヒールのついた靴。

 ピンク色のマントを羽織り、錫杖(しゃくじょう)を携えた小柄な少女。

「ヒナ」

 カグヅチノミヤ・アメノヒナドリ。

 オレのもう一人の婚約者。

 いや正確には表の婚約者、と言ったところか。

「はい~、おはようございます~。タイガ様~」

 ヒナはオレの声を噛みしめるようにゆっくりとほほ笑んだ。仕草同様、その小さな口から発せられる言葉も間延びしている。

 一度目をつぶり、一呼吸おいてからゆっくりオレたちの方へ近づいてくる。

「む~」

 背中の後ろからクーニャの(うめ)きが聞こえる。

「何で会っただけで不満そうなんだお前は?」

「だって……」

「クーちゃんも~、おはようございます~」

 オレの身体越しに見えるクーニャの翼に向かってヒナがゆっくり会釈する。

「おはよ……」

 一方のクーニャは背中から出てこようとしない。

「せめて顔を出せ」

「うぎゅっ」

 腕を掴まれたクーニャは大人しく横に並んだ。しかしその眉は不満そうに(ゆが)んでいる。

 ヒナも笑みは残しつつも少し困った顔でクーニャを覗き込んだ。

「ごめんね~、クーちゃん。また~、タイガ様借りていい~?」

「う、う~」

 クーニャは(うな)るばかりで(うなず)かない。

「来客か?」

「はい~。謁見を希望、との事です~。よろしくお願いしますね~、宰相様~」

「わかった……」

 ヒナは言ってしまえばお飾りの王様だ。

 魔族の血を引く我々竜魔族(りゅうまぞく)が表に出れば角が立つ。

 故に同じブラックドラゴンの血を引く種族のうち、最も弱い竜人族を傀儡(くぐつ)として残した。そして本来の盟主である竜魔族(りゅうまぞく)が宰相として(かたわ)らに座しその政治を支配している。

 親父ではなくオレが呼ばれるということは、それほど重要な案件でもないだろう。

「タイガちゃん……」

 クーニャが服の裾を(つま)む。

 しかし引き留めるほどの力はない。振りほどこうと思えば振りほどける程度の弱々しい制止。

 クーニャにも分かってはいるのだ。

 魔族である自分が、世界の敵である自分が付いて行けないということくらい。

「……」

 ヒナがオレの顔色を(うかが)う。

 雲で日光が(さえぎ)られ、(ほこり)っぽい部屋に影が差す。

 俯いたままのクーニャの表情は、肌の色が濃いこともあってよく見えない。

 だがその身体の震えは彼女の寂しさをオレに伝える。

「クーニャ、すまねえ。いつかお前やオレ達が堂々と歩ける世界にしてみせる」

「タイガちゃん……」

 オレの胸ぐらいしかないクーニャの身体を抱きしめて、角に気を付けながら頭を撫でた。

「ごめん。今はまだ待っててくれ」

「……うん。早く、帰ってきてね」

「ああ」

 自分から手を離すまで待ってから、オレは歩き出した。

「……」

 ヒナが何か言いたそうな顔で横に並んだが、オレは振り返らずに扉を閉めた。


「いつもすまねえな、ヒナ」

 階段を下りながら、後ろを歩くヒナに謝罪する。

「はい~?」

「お前は仕事で俺を誘いに来ているのに、クーニャにその事を言い含めていないのはオレの落ち度だ」

 ヒナに悪者役を任せてしまっている。

「いえ~。気にしないで下さい~」

 こうしてヒナの顔も見ないで謝罪するのもオレの悪い癖……、いや単なる逃げだ。

 多分ヒナはしょうがないな、くらいの顔をしているのだと思う。でも、本当に悲しそうな顔をしていたら?あるいは迷惑そうな顔をしていたら?

「それに、オレ達が堂々と歩ける未来が来るのは……」

「それは~、言わない約束ですよ~。タイガ様~」

「ちょっ、おい……」

 ふいにヒナが背中から抱き着いてきた。オレの尻尾を器用に(また)いで、段差を利用して肩の上に手をかけている。

「ヒナ、こんなところ……」

 王族の、限られた者しか通らない場所とはいえ、その世話をするような位の高い使用人が通る事はある。

 ヒナは婚約者とはいえ王族だ。

 昼間から乳繰り合っているなどと噂が立つのは政治的な意味でも、個人的にも避けたい。

「タイガ様~。たしかに~、わたくしはクーちゃんたちよりも~、早く寿命を迎えるでしょう~」

 ヒナもブラックドラゴンの血を引いてはいる。しかしその子孫たちは竜と交わって超然的な力を復活させるよりも、人と交わって繁殖力を高める方を選んだ。

 結果としてヒナの一族は全竜人族中最弱、最も竜の血が薄まった、最も人間に近い種族となっている。

 その寿命もまた人間と同じくらいまで短くなり、長生きしても60年ほどだ。

 対してオレ達は800年を超える。祖父が1000歳程で亡くなり、父は今650歳くらいだったと思う。

 魔族に至っては「魔力があれば永遠に死なないんじゃないの?」とクーニャが言っていた。

 生きる時間が、一生の意味が絶対的に違い過ぎる。

「それでも~、今こうして生きて~、触れて、言葉を交わしているのは~、とても素晴らしいことでしょう~?」

「……」

「命が限りあるのは変わりません~。その限りある命の中で~、幸せを感じる事が出来るのなら~、それはその人にとってとても素晴らしい人生だと、思いませんか~?」

 ヒナが縋り付くように身を寄せる。彼女の吐息が首筋をくすぐり、体温が、匂いが、ヒナの命の重さがオレを包み込む。

「今こうして触れ合うことができるのに~、いつか来る別れを恐れて~、遠慮するのは寂しいですよ~?」

 触れているオレの背中と、ヒナの胸が熱を持つ。

「また一緒に駆け回りたいとか~、お風呂入ろうとか~、()(まま)をいうつもりはありません~」

 オレの腰にヒナの腹が密着する。

「でも~、遠慮して、距離を取られるのは~、寂しいです~」

 首にかかっていた手に力がこもる。首を絞められているのかと一瞬思ったが、違う。背の低いヒナは精一杯背伸びしているのだ。一応翼は持っているものの、もはや飛行能力は残っておらず彼女のそれは単なる飾りに過ぎない。

 オレの尻尾を足場にすればいいのに、腕の力だけで体を持ち上げようと呻いている。

「んっ、んん~っ」

「……」

 必死そうな、しかし他人が聞けばちょっと気の抜けたようなヒナの声が背中から聞こえてくる。

 何をしようとしているかがわからず、とりあえず待ってみたが変化がない。

 仕方ないので振り返る事にする。

「おい、今度は何を……んっ」

「へっ?タイガ様っ!?んんっ」

 ふいに唇に感じる柔らかく温かい感触。

 驚いた表情のヒナの顔が目の前に。そしてその瞳には同じく驚いた顔のオレが映っている。

 沈黙すること暫し、先に動き出したのはヒナのほうだった。

 驚きに見開かれた瞳がゆっくり閉じられ、さらに体重を預けてくる。

「んんっ、んんんっ……」

 身体が熱を持って、足に力が入らない。

 半ば押し倒されるように座り込んだオレは、ヒナの小さな体を胸に抱えた。

「「……んっ、んっ、んちゅぅっ、んはっ……」」

 (ついば)むように、時に(むさぼ)るように、お互いの唇を押し付け合う。

 胸が苦しく、ヒナを愛しく思う気持ちが止まらない。

「「んんっ、んんぅっ、んんっ、んんんっ、ん……ぷはっ……んぅ」

 特に合図があったわけではないが、何となくお互いの気持ちを察して唇を離す。

 唾液の架け橋が一瞬空中にとどまって、ぷつんと途切れる。

「はふ~……」

 気怠(けだる)げな、けれど満足した表情のヒナが腕の中で脱力する。片手をオレの胸に添えて、半身を預けている。

 ふわふわと空中を彷徨(さまよ)っていた視線がゆっくりと上がり、オレの瞳を捉えるとにこりと破顔する。

「キス、しちゃいました~」

「……そうだな。……お前って、見かけによらずエロいよな?」

 王様というより聖職者というほうがピンとくる容姿だが、その実、昔からかなり積極的だ。

「性的な事は~、割と肯定的な一族なので~」

 対してクーニャは見た目はエロいくせに結構奥手。自分から触ったり自分の身体を見られたりするのはよくても、触られたりオレの裸を見たりするのは苦手だったりする。

「流されたオレが言うのもなんだけどさ……」

「タイガ様以外にこんなことしませんよ~?」

 ヒナは顔を赤らめたまま、上目遣いで、くいっと小首を傾げた。

「っ……」

 まずい。

 また我慢できなくなりそうだ。

「まったく……」

 俺は頭に浮かんだもやもやを顔に出さないように、ヒナの頭を軽く撫でてごまかすと、彼女を促して立ち……。


「何をしている?」


「「っ!?」」

 太い、力ある声に2人して硬直する。

 聞き間違えるはずのない重い声。

 間違えるはずのない圧倒的な魔力。

 室内であるはずなのに黒い雨が降っているような錯覚が、全身を叩く。

「父上……」

「ああ」

 切れ長の目がオレ達を見下ろしている。

 オールバックにされた黒がかった銀髪は腰まで及び、同色の髭が胸まで垂れている。

 その身を覆うのは黒を基調に、金の刺繍が入った高級そうなローブ。

 そして背後から伸びる漆黒の翼と尻尾はブラックドラゴンの血を引く証。

「どうした?お前たちにはバアウ連合の使者との謁見を任せていたはずだが?」

「今、向かっているところですよ」

「そうか……。私には遊んでいるようにしか見えなかったがな」

 ブラックドラゴン族、最高位。クリカラ首長国連邦、代表首長。多くの者は畏敬の念を持って「大首長」と呼ぶ。

 オレの親父だ。

「し、失礼いたしました~、大首長……」

 ヒナが慌てて謝罪すると、オレに向けていた視線をジロリと彼女へ向ける。

 その視線に含まれているのは、隠す気が全くない(さげす)み。

「女王よ。仲が良いのは結構な事だが、身の程はわきまえてもらおう」

 ヒナたちの種族が存在していられるのは竜魔族(りゅうまぞく)に生かされているから。

「は、はい~。申し訳ありませんでした~」

 ヒナはあくまで我ら竜魔族(りゅうまぞく)が暗躍するための傀儡(くぐつ)であり人形。オレとの結婚も他のブラックドラゴン系の種族に対するポーズであって、子を成させるつもりもないのだろう。

「ふんっ……」 

 頭を下げるヒナを一瞥すると振り返らずに去っていく。

 一見隙だらけの背中だが、多くの魔力と魔法によって支えられた大きな壁だ。

 オレが越えなければいけない最強の壁。

「ヒナ……」

 頭を下げたまま親父を見送るヒナの小さな背中に声を懸ける。

「いいんですよ~」

 良いわけないだろう。

 身体、震えてんじゃねえか。

 指が真っ白になるくらい拳握りしめて、何も感じてないわけがない。

 生まれたときから散々同じ扱いを受けてきて、怒りを感じなかったわけがない。

 悔しいと何度も何度も思ったはずだ。

 泣きそうになるのを、叫びそうになるのをその度に我慢してきた。それが当たり前だと、受け入れなければいけないと自分に言い聞かせて。

「あっ……」

 親父が通路を曲がったのを確認して、ヒナの身体を後ろから抱きしめた。

「だ、ダメ、ですよ~。こんなとこ見られたら~」

 さっきのオレみたいなことを言う。

 でもオレはそんな強がりを聞きたいわけじゃない。

「いいんだ。泣きたいときは泣けばいい。悔しい時は悔しいと言えばいい」

「っ……、ダメ、ですよ~。声っ、上げたらっ、聞こえちゃっ……」

 王冠が不安に揺れる。

 それでもヒナの手は、甘えるように縋り付くように強弱をつけながらオレの手を掴む。

「ならこっち向いて、オレの胸に顔うずめろ。まだ頼りないかもしれねえけど、お前の涙を受け止めるくらいできるから」

 肩に手を回すと、抵抗なく回るヒナの身体。

 オレを見上げる目は涙で(うる)み、(こら)えきれなくなった涙が一筋、頬を伝う。

「ひっく、うっく……う、う~~~~~っ!!」

 一度流れ出した涙は簡単には止まらない。倒れ込むように縋り付いたヒナは声を殺して泣き出した。

 オレを好きだと言ってくれる2人には大きな格差があって、その元凶たる世界と親父を超えるためには、今のオレでは力不足。

 それがオレたちの日常で、現実だ。

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