第十三話『彼女と歌』
カーテンからこぼれ日が差し込む。隣で猫のように布団に包まっている彼女を愛おしく思った。
起き上がると彼女に手を繋がれていることに気がつく。
今までで、一番幸せな朝だと思う。
旅館を後にした僕たちは、収穫祭と称した季節外れのお祭りがあると聞いて、自然豊かな道を歩いていた。横を幼い男の子らが、眩しいくらいの笑顔で駆けていく姿を見てほんわかする。
手は彼女によってしっかりと絡められていた。スキップしているところからすると、小さい子並に上機嫌なことがわかる。
お祭りが催されていたのは地元の小学校の校庭だった。田舎なのでやけに校庭が広く、それを利用されたのだろう。
坂道を登ると、遠くからでも聞こえていた音楽が近く感じられた。
彼女は興味深々に屋台の一つ一つを漏らすことなく見て、瞳を輝かせている。
「これやりたい!」
……わたあめを自分で作りたいとは、なかなかの挑戦者だなあ。推定年齢的に。
「お、譲ちゃん作りたいのかい? 彼氏さん奢ってやんな」
「そうですね」
彼氏、という言葉にドキリとする。
まあ僕らはもう恋人同士なのだろう。昨晩、あんなことしたからには――。
熱くなる顔を夏の所為にしながら財布を取り出し、屋台のおじさんの手のひらに硬貨を乗せた。
「まいどありー!」
ニカッと笑ったおじさんは彼女に棒を渡し、丁寧にわたあめ作りを教えてくれる。
しばらくすると、彼女は機械の中でぐるぐると棒を回し始めた。どんどん、砂糖が白い綿に変わっていく。
かなりの大きさになると、彼女は機械から腕を取り出した。花火のような満面の笑みをされると、こっちもお金を払って良かったと思えるなあ。
「デート、楽しみやー!」
屋台のおじさんに軽く会釈して、喧騒の中に紛れた。
奥へと進むと、何と歌自慢大会のようなものをしているようだった。テンポの良い曲が大音量で流れ、結構上手い歌声がそれに被せられる。
カラオケに置いてあるような機械があり、きっとそこに音程グラフのようなものも表示されているのではないだろうか。現在、歌唱中の彼の目はそこから離れない。
歌が好きなのだろう彼女はとても嬉しそうな、楽しそうな目でそれを見つめ、チラッと僕に視線を送った。まあ、何かの拍子に買ったサングラスで、綺麗な水色の目がちゃんと確認できないけれど。
空いている席を探して、腰をかける。懐かしいなと思ったら、これ、小学校の椅子だ。
隣から焼きそばが差し出され、僕は口を大きく開けた。麺と野菜、肉に加えソースと青海苔、かつお節のコラボが最高!
しばらく歌を聞いていると、十はいかないだろう小さな女の子が舞台袖から出てきた。ピンクに大きな黄色の花が咲いている浴衣を纏っているその子はかなり緊張した様子で、自分の名前と有名曲を発した。
聞いたことのあるイントロが流れ、歌が始まる――と思いきや、女の子の声は届かなかった。状況からすると、緊張し過ぎて声が出ないようだ。
回りがざわざわする。お母さんらしき人が「ガンバレー」と叫ぶ。
けれど、女の子は顔を歪めて立っているだけだった。
「これ、持ってて」
彼女にいきなり焼きそばのパックを渡される。サングラスの隙間から真剣な眼差しが垣間見えた。
「え……え?」
突然の行動に声をかけるタイミングすら失い、椅子を華麗に避けていく彼女を見届けることしかできない。
オレンジ色の髪が大きく揺れる。
歌はもうすぐサビへ向かう。
女の子の声は届かない。
そのとき、
「~~♪」
美しい鈴のような声が会場内に響き渡った。喧騒は自然に治まり、その声をに耳とめる。
女の子がぽかんとしている。それもそのはず、自分の代わりに歌っているのはリンゴあめをマイクにした、珍しい髪色をしている全く知らない人だ。驚いた顔で、ステージに近づくのを見つめることくらいしかできないのも無理ない。
脇の階段からステージに上がる間も、サビを彼女は歌い続けた。
ここがホールだったら、体をも震わせるような声量なのだろうと思ってしまうほどの、迫力のある声量。人前でいきなり歌える度胸。綺麗なビブラート――。
僕はこの声を知っている。
冬休み、彼女に会えなくて寂しかったときにはまって聞き続けた声。
――えっと、聴いてた?
――ばっちしね
――忘れて?
久しぶりの雨の日に聴いた、あの透明な声。
そして女の子のために歌うどこまでも届けられそうな声。
……どうやら、僕は凄い人に恋をしてしまったらしい。
思わずにやけてしまう。ファンが、恋仲でもいいのだろうか。
サビが終わり、心ここにあらずといった女の子に彼女は身長を合わせてからサングラスを一瞬外し、何か囁いた。
女の子がぎゅっとマイクを握る。
間奏が終わり、再度曲が始まると、彼女の素晴らしい歌声と女の子の可愛らしい声が会場に満たされた。彼女が女の子のレベルまでギリギリ下げていて聞きやすい。
最後まで彼女らは無事に歌い上げ、会場からは、今行われているのが歌自慢大会とは思えないくらい歓声が上がった。
「てか、あの子――じゃない?」
「え、マジで?」
後ろの席からは彼女の『正体』に気付いた女性二人の声が聞こえた。何人かは気付いているみたいだ。
「今、失踪中ってニュースでやってたんだけど。電話した方がいいかな?」
ニュースになってる!? えええ。
「――さん、僕今日の公演行きます!」
喧騒の中で一人の男性が大声で叫んだ。女の子と話していた彼女が振り向き、その男性に妖艶な笑みを向ける。
「ええ、私も楽しみにしているわ」
彼女はそれだけ伝えてから、僕のもとに帰ってきた。軽やかにスキップをする度に白いワンピースが揺れる。
「ねえ、一つだけお願いしてもいい?」
申し訳なさそうに眉を下げる彼女を今すぐ抱きしめたくなったのは、僕の独占欲が強過ぎるのかなあ。
「いいよ」
自分の気持ちをぎゅうぎゅうに抑え込んで、笑いかける。
「私、やっぱり公演に出るよ」
すっきりしたような彼女の笑顔を見ながら、この三日間を頭の中で再生した。
きっと彼女は、何かあって公演に出ないことにしたのだろう。それが今、解決を果たした。
ファンとしては嬉しくて、僕としては彼女が遠くに行ってしまうのが怖い。
「どこでやるの?」
「この国の首都。八時から」
「え」
携帯を取り出し、現在の時刻を確認。
うん。……うん?
「よし、走ろうか」
間に合わないって! 新幹線とか流石に今から取れないよ!?
「はーい」
のんきに返事をする彼女の手を握り、走り出す。暗くなってくるに連れて増えた人を、ゲームのように素早く避ける。
普通電車――いや、快速電車を乗り次いでも間に合うかどうかわからない。
でも、彼女を後押ししてあげることが今、僕にできることだと思う。
「~~♪」
それに、歌う彼女の顔があんなに生き生きしてるだなんて考えもしなかった。
DVDで見る彼女はいつも仮面をしていて、あの冬の日は後姿しか見えなかった。
彼女が何故、公演をすっぽかそうとしたのかはわからない。
けれど彼女がまた、歌を好きだという気持ちを思い出して元気になってくれたなら。
笑顔を、浮かべてくれたなら。
僕はそれに応えてあげたいと思う。
だって、僕は彼女が好きだから。
好きな人には笑顔でいてほしいってやっぱり思う。
だから、僕は走ることによって温度が上がった彼女の手を握り、幸せだと感じた。
……間に合うかな。




