第十二話『彼女と温もり』
「次はー△△駅ー。△△駅ー。お降りの方は――」
まどろむ意識の中で、車掌さんの声が耳に入った。読んでいた本は手にはなく、視線を泳がせると窓側の簡易テーブルに置かれているのが確認できた。
隣の彼女の目は文字を追っている。本屋で彼女が指し出してきたのは、最近話題の恋愛小説だ。
それをレジに置いたときの恥ずかしさを少し思い出してから、網棚からキャリーバッグを下ろす。
ついに、彼女が希望した富士山を拝見できる。
予約した旅館に着く頃には辺りは暗くなっていた。チェックインを終えて重いキャリーバッグを一生懸命持ち上げて階段を登る。
一段一段、噛み締めたくもないのに噛み締めるように上がる僕を、数段先で彼女が待ってくれる。いくらなんでも途中で変わってもらうというのは、男としてだめな気がするし。
結局、鍵だけは持ってもらって何とか部屋に辿り着く。かなりおしゃべりなおかみさんに鍵をもらい、そのときに
「どこの部屋が良いかしら? この旅館、老舗で広いんだけどなかなかお客さんこないのよー」
といっていたので、一応誰もいない階にさせてもらった。
万が一、彼女が「只者」でなかった場合を想定すると、やはりあまり人と合わないのが良いのではないかと思ったからだ。
鍵のがちゃりという音が廊下に響き渡る。重量感のあるドアを押すと、障子が目に入った。靴を脱ぎ、障子を開ける。部屋は畳が敷かれたところしかなく、奥の窓からは富士山が見えた。
写真のような納まり方に少しだけ身が引けるような思いがする。いや、格安なのに景色凄く良かったたら、あの料金で良かったのかと思ってしまう。しかも夕食と朝食付き。
いつの間にか隣にいた彼女のお腹からは可愛らしい音が。
「お腹すいた」
彼女はこちらを恥ずかしそうに見て、笑ってくれた。
「ご飯食べに行こうか」
微笑みを浮かべながらも、僕は今登った階段を今度は下るのかと少しだけ憂鬱な気持ちになった。
ご飯を済ませ、風呂に入るとあとは何をすればいいのか。
そんなことを考えながら、僕は彼女と一緒に布団を敷いた。
彼女はこの二日間の様子が嘘のように、以前の笑顔を浮かべている。
「あー疲れた!」
敷いたばかりの布団にどさっと倒れ込む彼女を追って、僕も布団に埋もれた。近過ぎる顔に驚いて、二人が同じタイミングで笑い出す。
「もう、眠たいね」
彼女は起き上がって部屋の電気を消した。明るい月だけが僕達を照らす。
近くで見る彼女の肌は暗い中でも白く見え、風呂上りで頬が赤い。
細くて、扇情的な手が僕の頬に触れる。思わず目を見開いた瞬間、彼女の腕が背中に回った。
無意識に僕も彼女を抱きしめる。濡れた髪からの香りにクラクラする。
「ねえ」
彼女が僕の耳元で囁き、息づかいまでもが伝わってきた。
「……何?」
展開が速過ぎて、返事をするだけで精一杯だ。
「好き」
その二つの音だけで僕の胸が震えた。
溢れようとする涙を堪えて、僕も同じ言葉を口にした。彼女が更に力を強める。
まるで僕が彼女に再会したときに、彼女という存在を確かめたように。
息がとまるほど、ぎゅっと抱きしめられる。けれど僕は彼女が壊れてしまうのではないかと恐れて、それ以上強くはできない。割れやすい風船のようにふんわりと包みこむ。
「――っ」
自分が一瞬思ったことに恐怖を感じた。
それを「絶対だめだ」と必死にとめる。けれど、それは彼女には伝わらなかった。
マシュマロみたいに柔らかい唇が自分の唇に合わせられる。
落ちかける意識の中で、僕は彼女を求めた。




