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たんぽぽガール  作者: ゆとなみ うい
彼女と逃亡
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第七話『彼女と不安』

 あの丘には彼女が座っていた。彼女と出会ったときの僕のように、傘も差さずにぽつんと。

 丘の麓に自転車を置き捨て、彼女に駆け寄る。

「はあ、はあ……っ大丈夫?」

 息が整わない。体を丸めていた彼女はゆっくり顔を上げた。

 僕と同じくらい酷い顔だった。前髪は額に引っ付いていて、いつもの楽しげな表情は浮かべられていない。驚くくらい、くしゃくしゃに小さな顔を歪め、鼻水をズズッとすする。

「助けて……」

 青白い顔の中で薄紅色の唇だけが小さく動いた。注意していないと聞こえないくらいの囁くような声に僕が泣きそうになる。

「うん」

 頷いて彼女をゆっくり抱きしめる。冷たい体を、少しでも温める為に。

「逃げた、い。……誰もっ、私を知らないところに行きたいの」

 縋るような声を上げるの彼女を、彼女という存在を腕の中で確かめる。

 抱き上げるとそれなりの質量があった。でも、これくらいは余裕……なはず。

 彼女を自転車の傍に立たせる。自転車を起こして、彼女に乗るように促した。

 不意に彼女が振り向いた。

 僕もその方向を見ると黒い人影があった。それも一つじゃない。

「逃げてっ」

 喉から無理やり出したような掠れた声でそういわれ、僕は自転車を漕ぎ出した。ぎゅっと、彼女が腹に腕を回してくる。

 それは弱い力だったけれど、確実に彼女はそこにいるという安心感が僕を満たした。

 一心に追っ手から逃げる。既に足の感覚は麻痺していて、けれど不思議と動いてはくれた。



ソファに座ると変な感じがした。さっきまでのことを現実味がないように感じる。

「さむっ」

 やっぱり、雨の中を自転車で全力疾走は駄目だったかもしれない。


 丘陵公園は一度森に入ってしまうと見通しが悪い。それに加えて地図がところどころにしかなく、慣れていない人にとっては迷路に思えてくる。

 やはり追っ手は迷ったらしく、丘陵公園を抜けて図書館の横の坂を下りる頃にはいなかった。なるべく車の通らない道を選んだけれど、ここに入られる時間は三十分と見ていい。

 さっき、彼女を自転車から降りるときに腰に手を回すと、小さい機械に当たった。もしかして追跡機かなあと思って踏みつぶしたけれど、そうだとしたらあれで居場所がばれたに違いない。ここは入り組んでいるし、同じような景色が続くから少しくらいは時間稼ぎにはなるだろうけれど。

 しかしながら彼女はどんな人なのだろうか。ちょっとしたお金持ちだとは聞いていたけれど、追っ手に追跡機ときたら只者ただものではない気がする。

 

 彼女には今、シャワーを浴びてもらっている。姉の服と下着は置いておいたから心配はないけれど、僕の体調が心配だ。風邪、引かないかなあ。

 濡れた靴下とシャツを脱衣所の乾燥機に投げ入れ、ついでに彼女の服も入れる。乾燥ってかいてるボタンでいいのだろうか。

 乾燥機が仕事を始めたことを確認してから、階段を上がる。自分の部屋に入り、電気をつけるとなんとも雑な部屋が目に入った。

 ぐちゃぐちゃな布団の周りには埃被った本が積まれている。脱ぎ捨てられた服に何本も乱雑に置いてあるペットボトル。ここ最近の僕の心情を具現化したような光景がそこにはあった。


――逃げた、い。……誰もっ、私を知らないところに行きたいの。


 すすり泣きながらそういった彼女と、これから共に過ごすには覚悟が必要だろう。今さっき立て続けに起こったことがそれを僕に訴えつけている。

 僕にはそれができているのだろうか。

 引き出しからリュックサックを出し、そこに財布や携帯、着替えなどを入れる。姉の部屋にも行って、彼女の着替えを用意する。今の彼女に荷物を持たせたくはないので、無理やりにでもギュウギュウに詰め込んでチャックを閉めた。

 リビングに戻ると、彼女がソファにもたれていた。こっちを向かないからきっと疲れて寝ているのだろう。

 急いで脱衣所に行き、服を脱ぎ捨てる。風呂場の戸を閉め、蛇口を捻った。温かくなるのを確認してから頭にかけると、疲れと緊張感がお湯と一緒に流れていくように感じた。


 彼女は何者なのか。


 そんなことが気持ち悪いぐらい頭をグルグルと徘徊する。

 もしかしたら、僕は悪いことしているかもしれない。そんな不安が襲ってくる。

 彼女という存在が問いかけてくる。


――けれど、彼女が頼ってくれたのは僕だった。


 それだけは紛れもない事実であり、今はそれだけを信じるしかなかった。

「十分じゃないか……」

 自分を励ます為に出した声は情けないくらいに震えていた。こんなに不甲斐なかっただろうかと思わずにはいられなかった。


 服を着て、ソファに腰をかけると彼女が目を覚ました。水色の瞳はどうしようもなく不安を物語っている。「髪、乾かそうか」と問うと、ゆっくりと頷いてくれた。

 持ってきたドライヤーのフラグをコンセントに差し込み、オレンジ色の髪に手を通す。量は多くないものの、背中の中ほどまである髪はなかなか乾かなかった。

 やっとのことで彼女の髪を乾かし終え、自分の髪に手を当てると既に乾いていた。時刻を確認すると午後八時を回っている。そろそろ追っ手が来てしまうかもしれない。

「もう行こうか」

 彼女に手を差し出す。

 その手は、シャワーを浴びたはずなのに驚くほどひんやりしていて――震えていた。


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