「風船偏愛」
とある郊外都市の市営住宅に私は一人で住んでいる。5月の連休も終わり穏やかな春の昼下がりに、のんびり一人でワイドショウを見ながら過ごしていた。
「シュ、シュ、シュ、シュ・・・」
突然何やら空気を入れるような音が聞こえてきた。
「何の音だろう?」
不思議に思ったが、誰かが自転車のタイヤに空気でも入れているんだろうと思い、もう一度テレビに向き直り、気にせず有名アイドルの熱愛報道に見入っていた。
その時だった。
「パーーーーーーーーーン!!!!」
「キャッ!」
何かが破裂したような、すさまじい爆発音そして、共に若い女性の悲鳴。爆発音は隣の部屋から聞こえてきた気がした。すぐさま私は着ていた部屋着にパーカーを羽織り、隣室へ向かった。
「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」
私がドアをノックすると、20歳ぐらいの地味目で、少し小太りの女の子が恥ずかしそうにドアから顔を出した。
「突然大きな音がしたから、何かあったのかなと思って・・・」
「ごめんなさい・・・、びっくりさせてしまって。風船割れちゃって・・・」
「え?風船?」
意味が分からず私が覗き込むと、ドアに続く廊下には、なぜか色とりどりの様々な大きさのゴム風船が転がっていた。その数は優に100個以上はあるだろうか。
「風船!すごい、たくさんありますね!何かパーティでもやるの?」
「いえ・・・違うんです。恥ずかしいのですが・・・私風船が大好きで・・・」
「ああ、今流行っていますものね、バルーンアート」
「いやいや、そういうんじゃなくて・・・風船のこと、大好きなんです。単純に、風船に恋してるんです・・・。このこと、秘密にしてもらえませんか?」
「へっ?」
私は混乱した。と同時に、どういう意味か深く知りたくなって、他の人に秘密にする代わりに詳しい話を聞かせてもらうことにした。
「・・・私、小さい頃から両親が厳しくて。欲しい物を買ってもらえなかったんです。おもちゃとか、お菓子とか。」
「そうなんだ。でも、それとなぜ風船に恋することと繋がるの?」
「・・・・小さい頃って、風船とか好きですよね。みんな友達はふわふわ浮かぶ風船を買って貰えるのに、私は買ってもらえなかった・・・。でも、スーパーとか郵便局とか行くと風船くれるから嬉しくて。」
「そうだよね、風船はタダでくれるところ結構あるからね。」
「でも、うちの両親は厳格で。そういう家庭に不要なものを貰って来る事自体が嫌いで。でも、私にとって風船は宝物だったから、自分の部屋の押し入れに仕舞って、大切にしていたんです。夜、両親が寝静まると風船をそっと抱きしめたりしてたんです。」
「でもある日、風船抱きしめているうちに、そのまま布団で寝ちゃったんです・・・。朝、私を起こしに来た両親に、その姿が見つかってしまって、風船なんかと添い寝してるなんて子供みたいで恥ずかしい!って言われて、本当に大切にしていた、可愛いリスの絵の真っ赤な風船を布団から取り上げられて、目の前で父の足で踏みつぶされてしまったんです。」
「それはヒドイなあ。」
「大切な物を目の前で破裂させられた悲しさと、大切な風船を守れなかった自分の無力さ、娘の大切な物を平気で壊せる父への憎しみ・・・いろいろな感情が混ざりあって大泣きしました。それと同時に誓ったんです。将来大人になったら、一人暮らしして、自分の大好きな風船で部屋いっぱいにして暮らしたいって・・・。」
「そうだったんですか。」
そう説明しながら、女の子はひときわ大きな、ウサギの絵が描いてあるオレンジ色の風船を抱きしめる。
「キュッ」
風船が鳴いた。抱かれた風船は吹き口が伸びて、洋梨のような形になった。私は破裂を恐れて、少し後ずさりする。
「大丈夫ですよ、割れたりしませんから」
女の子の顔に笑顔が戻っていた。
「本当に風船お好きなんですね。まさかお隣の方がこれほど風船好きとは思いませんでしたよ。」
「だって、誰にも言えない秘密ですもん。親友にも恥ずかしくて風船が好きなんて言えません・・・。」
女の子は風船を抱きながら、別の赤い風船を掴むとそっとキスをした。その風船には白い顔料でハートマークが全面に印刷されていた。
「その風船、オシャレで可愛いですね。」
「とっても可愛いんです、ハート柄で。・・・良かったら差し上げましょうか?」
そう言って、赤い風船を私に渡そうとした刹那、
「パーーーーーーーーーン!!!!」
「キャッ!」
無理に力がかかったのか、女の子が抱いていた風船が破裂した。飛んできたオレンジのゴム片に印刷されているウサギが私を恨めしそうに見ていた。
「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」
誰かがドアをノックしているのが聞こえた。