とあるVRMMOにおけるチートとPKの風景
1
うっそうと生い茂る森の中を、風のような滑らかさで駆ける集団がいた。
その六人組は頭部装備として同一、同色のストールを用いていた。彼らの顔全体を覆い隠しているそれは、外見から各人の個人情報を推定させることを困難にしている。
全員のスキルスロットは<念話>、<隠密>、<探知>で統一されている。彼らは巧妙な連携を取りながら『獲物』を求めていた。ある者は落ち葉の上を音もなく走りぬけ、またある者は宙空を枝から枝へ軽業師のように飛び回り、彼らの熟達した動きはあたかも洗練された舞踏のようでもあった。
不意に一人がチーム全員に<念話>スキルを用いたメッセージを送る。
(十一時の方向。ソロ狩りっぽい)
残りの五人は即座に了解の応答を返す。彼らは普段通りの手順でその不幸な『獲物』の周囲に蜘蛛の巣を張るように展開し、退路を塞ぐ作業を始めた。
(こっちに気付いてないかな?)
(うちらの<隠密>は平均八十レベル超えてるし。<探知>多重装填するような慎重な奴がソロでこんなとこ来ねーだろ)
(んだな。始めっか)
(うい)
その先はいつも通りの行動パターンであり、別段の入念な打ち合わせは必要なかった。そして彼らが包囲網を徐々に狭めていく間も、『獲物』の動きに大した変化は見られなかった。
『獲物』の姿が彼らの視界に入る。そのタイミングで六人全員が手慣れた動作で軽く手を振った。手元に現れた『スキルエディタ』のウィンドウに指を触れ、各々のスキル換装を手早く実行する。ここからは<念話>、<探知>スキルを外し、意思疎通はハンドシグナルで行うのが彼らのやり方だった。
奇襲役は<武器投擲>、<腕力上昇>スキル。仕留め役は<身体能力上昇>の多重装填。この準備をする時間がたまらなく楽しいと彼らの一人は感じていた。
フルダイブ型VRMMOの魅力は普段できないような非倫理的、暴力的な行為を、大した良心の呵責なく実行できることにある。
人の形をした物を、自らの手で切り刻み蹂躙する快楽。それがお決まりの思考ルーチンによって制御された仮想のキャラクターではなく、自分と同じ生きた人間が操っている物ならば、尚更それを破壊する行為は想像するだけで胸が踊りだすような遊戯であった。
今日の不幸な『獲物』は粗末なコートを身につけ、フードを頭から被っている。コートの裾から覗く鞘のシルエットから察するに、『サムライ』だろう。このゲームにおいて唯一、『二刀流』の熟練度によるステータスボーナスの恩恵を受けられる職業であり、単独プレイヤーが実現しうる火力としては現バージョンで最高峰と認知されている。
しかし、戦闘中の頻繁なスキル換装を要求され片手が忙しくなりがちなこのゲームでは、両手が塞がる『二刀流』は仲間による支援が必須なスタイルでもあった。
要するに、と六人組の中の一人が心の中でほくそ笑む。
(こいつは『カモ』だ)
『獲物』は特に周囲の気配に用心することもなく、軽装でぶらぶらと森の中を歩きまわっている。ひょっとしたら腕に自信のある熟練プレイヤーという可能性もあるが、六人組には勝利する絶対の確信があった。
全員が配置についた。樹上から密かに地上を見下ろす者、落葉の中に埋もれギラギラと輝く目だけを外に覗かせる者、樹木の幹の陰に潜みゆっくりと剣を抜き出す者。
そして、その『獲物』が輪形陣を組んだ六人の中央に到達した。
六人組のリーダーが短剣を『獲物』の背後から投げる。高レベルの<探知>スキルと言えども気配を感じ取れるのは他プレイヤーやモンスター、未解錠のトレジャーボックス程度である。
フルダイブ型のこのゲームにおいて、背後からの攻撃を察知する手段はプレイヤー自身の五感以外に『存在しない』。
そのゲームシステム由来の『死角』こそが、緊密なチームワークによる全方位からの奇襲を得意戦法とする彼ら六人組の絶対の自信の源であった。
リーダーが投擲した短剣は、確率で麻痺と毒を付与するエンチャントが施された自慢の一品だった。大抵のプレイヤーはこの奇襲によって動揺を与えられ、彼らの『狩り』をより一層容易いものに成し得ている。
空気を切り裂いて飛ぶその短剣の切っ先が、『獲物』の背中に突き立ったと思った瞬間、森の中に甲高い金属音が鳴り響いた。
その男が右手一本で抜き出した日本刀で、振り向きざま宙空の短剣を弾き飛ばした事に一瞬遅れてリーダーは気付いた。
その動きで男のコートがはためき、フードで隠されていた顔が露わになる。十代半ばといったところの幼い少年の表情に、リーダーは驚嘆した。
このゲームにおいてプレイヤーの外見は、アカウントに含まれる個人情報に一定のランダム要素を加えたものをベースとしている。容姿を変更することは可能ではあるが、相当な現金と運営会社による簡単な審査が必要なため、あまり盛んに行われているものでは無かった。
恐らくこの少年の姿はプレイヤー本人に限りなく近いのだろうと、リーダーは瞬時に見て取る。
弾き飛ばされて宙を回っている短剣を、少年が無造作に受け止める。
その瞬間、少年の背後に二人の剣士が音もなく出現する。一人は上段から少年の脳天を割るように円月刀を振り下ろし、もう一人は少年の胴の中心を貫くように細身の剣を突き込んだ。
少年は頭を狙う円月刀を右手に持った日本刀で受け止める。刃の打ち合わされた部分から火花が飛び散った。日本刀を頭上に構えたまま、少年は素早いステップで体を開き、細身の剣の胴突きを紙一重でかわす。少年はその体の回転の勢いを削ぐこと無く、先ほど受け止めたリーダーの短剣を、突きを放ってきた男の首に容赦なく突き立てた。
エフェクトサウンドと共に、麻痺状態に陥ったことを通知するアイコンが刺された男の肩口に表示され、その男は足をふらつかせながらその場に膝をついた。
円月刀を再び振りかぶった男のがらあきになった胴に、少年が左拳を叩き込む。円月刀の男の体が地面からわずかに浮き上がり、そのまま後方の大樹の幹に叩きつけられた。脱力した体の背を幹に預けながら、男はその根元に崩れ落ちて動きを止める。
被ダメージ量によって決定される行動硬直時間の長さから、その衝撃がダンジョンボスの通常攻撃に匹敵するクラスであることを、彼らの攻防を離れた位置で見ているリーダーは理解した。
しかし、それでもリーダーはまだ自分たちに勝機があると考えた。
遥か上空の樹上に潜んでいた三人が一斉に、少年を目掛けて飛び降りていた。それぞれの手には抜身の剣が握られ、その切っ先は少年の体を正確に狙っている。この三人はチームの中でも高いプレイヤースキルを持つメンバーであり、その連携はいかなるモンスターやPK対象のプレイヤーをも容易く翻弄するものであった。
少年の戦い振りを見るに、恐らくスキル構成は武器熟練度の一時上昇と腕力上昇系あたりを多重装填した物だろうと、リーダーは推測する。
スロットに装填可能なスキルは初心者だろうがベテランだろうが、その数は『三』である。その制約こそがこのゲームのスキルシステムの特徴であり、そこから生まれる不自由さがパーティープレイを推奨する圧力となっている。
スキルを換装するには片手を振って『スキルエディタ』を指で操作するか、音声による操作の二種類である。戦闘中に敵の攻撃に対応しつつ、刻々と変化する戦況に応じたスキルを適宜再装填していく。その戦略がこのゲームの戦闘において勝敗を決する大きな要素であった。
少年は頭上の三人を敏感に察した様子で、左手でもう一本短めの刀を抜き出した。リーダーは少年の勘の鋭さに瞠目しながらも、自分たちの勝利を確信した。
例え高レベルスキルの多重装填によって得られた腕力と刀さばきだろうが、三方から叩き込まれる熟練プレイヤーの連続攻撃を二本の刀で防ぎきることは不可能である。
一対多数の戦局に合わせてスキルを換装する時間を与える気など彼らには無い。しかも少年は愚かにも両手に刀を持っている以上、音声操作でスキルを換装する他ない。だが、息つく暇もない攻撃を受ける中でそれが可能なほど人間の集中力は都合よくできていない。
頭上から襲いかかる三人の剣先が体に突き立てられようかという瞬間、その少年は唇に小さく笑みを浮かべた。
旋風が舞う。三人の剣が地面に突き刺さった。
直前まで少年が立っていた場所には既に誰もおらず、三人は何が起きたのか理解できずにいた。
稲妻のような身のこなしで凶刃をかわした少年は、動揺し硬直する三人組の背後で二刀を振りかぶる。
その瞬間、リーダーは少年の正体に気付き、叫んだ。
「逃げろ! そいつは『マルチ』だ!」
2
「はい、正解でぇーす」
液晶モニタの前で少年はくっくっ、と笑い声を漏らす。彼は椅子の上であぐらをかき、両手はFPS用のゲーミングデバイスをこのMMO用に改造した物の上に載せられている。
少年の首まわりをマフラーのように覆っているのは、フルダイブ専用インタフェースをやはり改造した物であった。
モニタの中では、右往左往する三人が為す術無く少年のアバターに次々と切り伏せられていく様子が映っている。
少年のアバターが両手に持った刀を自在に振り回しながら、現実世界における彼自身の両手はゲーミングデバイスの上を忙しく動きまわっている。
一人の敵の喉と心臓を両手の刀で同時に貫き通す瞬間、ゲーミングデバイスの素早い操作を行い、攻撃力重視から運動力重視のスキル構成へと換装する。
種々のスキル換装に要する時間は十分の一秒未満。
それは熟練したフルダイブプレイヤーが指やら音声やらで実行する物に比べても数十倍の速度であり、それと知らぬプレイヤーから見れば、少年は無限のスキルスロットを持つようにさえ見えるだろう。
またスキルの一部にはスロットから外した後もごく短時間効果が残留する物もある。少年のように瞬時のスキル換装が可能なプレイヤーならば、残留効果を計算に入れた各種ボーナスの相乗作用を利用することで、通常ならばありえないほどのステータス上昇効果を狙うことも可能だった。一度どこまで行けるか少年が試してみた時など、腕力が素の状態から1600%増しまで到達したことがある。
他のプレイヤーが三つしかないスキルスロットを青息吐息でやりくりしているのを横目に見ながら、神のごとく変幻自在なスキル行使をしていくのは実に楽しい作業であった。
三人組を片付け、あと一人残っていたな、と少年は<探知>スキルを三重装填すると同時にゲーム画面の視点を上方へ移動させる。
主観視点を強制されるフルダイブプレイでは決して得ることの出来ない光景だった。自分のアバターを中心にして三百六十度の視界が手に入る、というのは神速のスキル換装スピードよりも貴重かもしれないと少年は考える。
森の奥へと必死に駆けていくリーダー格のプレイヤーが見える。
足元に転がっているエンチャント付きの短剣を拾い上げ、少年はにやりとリーダー格の男の背中を見る。
<身体能力上昇>の三重装填、<腕力上昇>の三重装填、<武器投擲>の三重装填。
0.5秒以下でこれらのスキル換装、再装填を連続実行する。それらのスキルは全て一秒未満の残留効果があり、それぞれのスキル構成からもたらされるステータス上昇ボーナスは指数関数的に跳ね上がり、スキル無しの状態に比較するとプラス800%程度の武器投擲能力を少年に与えた。
「バカを狩るのはホント楽しいわ」
少年が渾身の力で投擲した短剣は、その衝撃波で地面の落ち葉を舞い上がらせながらリーダー格の男へと飛翔していく。
背後に生まれた轟音に振り返る暇もなく、リーダー格の男は自分自身の短剣に頭を貫かれ、最大HPの数倍のダメージを受けてその場で死体となった。
3
モニタの中では、少年のアバターが六人組の死体から金目の物を手当たり次第に抜き取っている光景が続いている。
アバターが滑らかに行動しているのを見ながら、少年はスナック菓子の袋を開けて中に手を入れる。そして少年は頬杖をついて、コーヒーカップの中身を飲みながら『同時に』、アバターの両手両足を操っていた。
「ホント器用だよな。どうやってんだよそれ」
横で見ていた少年の友人が呆れた口調で尋ねる。
「腕が四本、足が四本ある感じだよ。そんな難しくねーぞ?」
少年はタコ踊りのようにおどけて手をぶらぶらさせる。しかし、画面の中のアバターはその動作に影響されることなく黙々と死体漁りを続けている。
『マルチダイブ』と呼ばれる行為は極めて特殊なチートであった。
それは自身の体を直接操るフルダイブとは一線を画している。自分の体とは別の『仮想肉体』をイメージし、それを操ってプレイする行為。
フルダイブVRMMOの死角を巧みに利用したその行為は強力な効果を持つが、それを可能にするプレイヤーは滅多にいなかった。
ハードウェア改造に関する高度な知識、ゲームシステムの裏をつく狡猾さ、そして何よりも『二つの肉体を同時』に完璧に操ることのできる『身体イメージ能力』が必要である。
『マルチダイブ』に挑戦するプレイヤーは常に一定数存在するが、ほぼ全ての人間が挫折を味わう。
友人も多少の知識を持っているため、少年が成し遂げた成果の価値は理解できていた。それでも、友人は小首を傾げざるを得なかった。
「でもさー、飽きっぽいお前がよくここまで極める気になったよな」
少年は、友人の問いにきょとんとした顔を向けた。
「だってさ、ゲームしてる時ってお菓子とかジュース飲みながらやりたいじゃん?」
スナック菓子を頬張りながら言う少年の背後、モニタの中ではアバターが黙々と死体漁りに精を出していた。
ああ、そういえばこいつは飽きっぽいという以前に、とんでもない物ぐさ野郎だったな、と友人はため息とともに思い出した。