眼前の戦火
目の前に広がる大海原。
あれからおよそ一週間を経て、俺達はユーフォスフィリア大陸北端の沿岸まで来ていた。
俺達の後ろに続く兵の正確な数は、15000人。
すごい数だ。
これだけの数で移動して魔族に気づかれないのは俺の努力とラインの宝具の力である。
ずっと道のない森の中を進んだものだから、途中でリタイアした奴も、寝込みを魔物に襲われて死んだ奴もいる。
だが、俺達は辿り着いた。
「で、船はどこにあんの?」
俺はラインに聞く。
俺一人ならともかく、ここからこの人数で魔界に乗り込むのにはもちろん船が必要なのだ。
それも大型客船レベルの船が最低10隻はいるだろう。
「ああ、それなんだけどね。やっぱり船は使わないことにしたんだ」
「はい?」
「船が無いってわけじゃないんだ。
船で行くのが一番楽なんだけど、念には念を入れて、海中を進むことにした」
「どうやって……って、人魚の涙か」
「そう。もちろん全員が4日潜れるくらいの量を持ってきてあるよ」
「なるほど。でもそれだと色々キツくね?」
食料とか、進行距離とか、地形とか。
「だろうね。臨機応変に対応していこう」
「強行突破かよ」
【まあバカ正直に船で進むよりはいいと思うぜ】
ということで、海底を進むことになった。
ここから魔界はそう遠くない。
流されるままここまで来てしまったけど、魔王と戦って勝てるんだろうか。
前に一度見た魔王は明らかに格が違っていた。
ティルフィングとかブルーダインとか、そういう領域にいる。
シャーラがあそこにいるという確信があるから俺は行くが、無謀ということもわかっている。
最悪チェンジでティルフィングに何とかしてもらうこともできるが、なんせリスクがキツイ。
まあごちゃごちゃ言っても仕方ないし、ここまで来たんだからやるしかないんだが。
「いつ出発すんの?」
俺は先頭で海を眺めるラインに聞く。
「明朝。それまではみんなに体を休めてもらう。
魔界に着いたら宝具の誤魔化しなんて効かなくなると思うから、ラグなしでそのまま魔界を探索する。
ここで地形を確認しとけば次からは直接魔界に来られるし、いつでも撤退できるからね。
兵たちの体力が気になるけどそこまで急ペースで進まないから大丈夫かな」
「ふーん、結構考えてるんだな」
「いや、ほとんど何も考えてないよ。いきあたりばったり」
そうなのか。
まあそれでもこんな軍を用意してここまで来ることができてるんだからすごい。
「ま、レイヤも明朝まではゆっくりしててよ」
ラインがそう言ったので、俺は新たに作られた森の中のキャンプへと戻っていった。
ーーー
朝日が丁度顔を出した頃、俺達は海へと進んだ。
身体強化を使って進めばそれなりに早く進行できるが、海になれてない兵たちの歩はそれでも遅いと感じた。
海底に慣れている俺は楽々と海の中を進める。
ラインの海中を進む判断は正しかったのかもしれない。
兵達も慣れたらサクサク進めるだろうし。
海の中はやはり静かだった。
そして暗い。光の魔法が無ければ1センチ先も見えない。
海流の音が低く弾む。だけどそれが心地良い。
気をつけるのは水生の魔物くらいだ。
海の中を半日ほど休まず進むと、魔界まであと半分のところまで来た。
ここで半日ほど休憩するのだが、休憩はローテーションで回す。
近くに島がない、というかユーフォスフィリアと魔界間には一つも島がないらしい。
だから海中での休憩になるのだが、体はちゃんと休まるのだろうか。
「レイヤは魔王を見たことがあるのか?」
光を囲って、アマンダさんが俺に聞いた。
視線が俺に集まる。
「あー、一応あるよ」
「そうか。どんな奴だったんだ?
私達を苦しめる奴がどんな奴か知りたい」
セフ〇ロスっぽい感じだったな。
しかしそんな俺の感想をそのまま言う訳にもいかないので、俺は見たまんまを説明する。
「銀髪で、見た目は普通の人だった。黒い翼が生えてて、オーラがそこらの魔族とは別モンだったわ」
「噂ではおぞましい姿をしていると聞いたが、そんなことはないのか」
やめろやそんな噂……。
フラグ立てんなや……。
【この戦いに勝つつもりなら嫌でもみることになるだろうよ】
「無論だ」
アマンダさんは凛とした顔つきでそう言った。
他の面々も頷く。
どうやら士気は十分らしい。
「それにしてもレイヤはなんでその齢でそんなに強いんだ?」
【主にオレのおかげだなァ】
「うんまあこいつのおかげだな。こいつが凄いんだわ」
ティルフィングがいなかったら俺は今頃死んでるだろうし。
【……】
「よく分からないがそうなのか。その剣は宝具なんだろう?」
「そうだぜ。ぶっちゃけ俺もこいつのことあんまりよく知らないんだよな」
ああ、なんだか眠たくなってきた。
明日はとうとう魔界進行だというのに緊張感がないものだな。
俺だけだろうか。
「俺、ちょっと一眠りするわ」
そう言って俺は海低の岩場の下に寝転がる。海藻が俺の頬をくすぐった。
寝心地は最悪で、眼前には海やら藤壺のような物が張り付いているが、そんなのは気にしていられない。
「あいつよく眠れるな。俺は緊張してとても」
そんな俺に向けられた声を最後に、いつしか俺は眠りについていた。
ーーー
翌朝の早朝。
さらに半日ほど進み、俺達はとうとう魔界付近まで来た。
魔界は広いが、ユーフォスフィリア大陸の4分の1ほどだ。
海から少し顔を出すとその禍々しい土地はすでに眼前で、いつでも進行を開始できる。
戦士達の顔つきも真剣なものになっており、雰囲気もピリピリしていた。
あとはラインの進軍合図を待つのみだ。
魔界の探索はおそらく交戦しながらになる。
そのために士気を上げなければならない。
整列したおよそ15000の兵士達は岩場に立ったラインに注目する。
俺も顔を上げた。
ラインが天に向けて手を掲げると、そこには魔法陣が展開された。
見た感じ防音魔法だ。
そしてその魔法陣から波紋が渡り、あたりを包む。
ラインが大きく息を吸い込むのが分かった。
「俺達はとうとうここまで来た!!」
ラインのその声が海底に轟き、反響した。
それに答えるように海が深く唸る。
ラインは腰の剣を抜いて、その切っ先を魔界の方向に向けた。そして続ける。
「仲間の無念を晴らす為に、悪を打つために!
俺達は戦い、そして勝利しなければならない!!
剣を取り! 身を捧げ! 魔を駆逐せん!」
「「「オオオオオォォォォ!!!」」」
「行こう!!」
士気が最高潮に達した所でラインの声が折り込まれた。
その声は戦士達の声によって掻き消されたが、何を言ったかは分かったのだろう。戦士達は前進する。
それとほぼ同じだった。
海が割れたのは。
「なっ……!」
思わず声を漏らす。
ラインも目を見開き、頭上から差し込む太陽の光を瞳に映した。
「うるさいぞ、人間」
透き通るような声に反して、圧殺するような威圧感。
声で俺達を押し殺そうとし、尚かつ割れた海の上から俺達を見下ろしていたのは、漆黒の翼を持つ魔王。
その後ろには魔族の大群も見えた。
突然の出来事。
その上一瞬の沈黙と静止が、戦士達の士気をごっそり削る。
状況に追いついている奴は少ないだろう。
奇襲は失敗した。
逆に奇襲を受けることになったんだ。
「う、うわぁぁぁ!!」
一人の男がかろうじて状況を理解したらしいが、そのまま地を蹴り魔王の元に突っ込んでいった。
「よ、よせ!」
放たれたラインの言葉はすでに遅く、すぐにその男は肉塊となって地に帰ってきた。
「……」
俺は脳をフル回転させて考える。
どうする。
どうすればいい。
【逃げるか、戦うか。
どんな時でも選択肢はその2つしかない。
どっちを選んでも俺は付き合うぜ。
どちらにせよ状況は最悪だがなァ】
逃げるか、戦うか。
いつも最悪の選択肢じゃないか。
「……」
【時間がねェ。もうすぐ虐殺が始まっちまうな。
こいつら囮にすりゃあ逃げられるぜ】
魔王から視線を外さない。
魔王もまた俺を見ていた。
後ろの魔族の数は多いが、せいぜい200体くらいだ。
こっちは15000。この数ならなんとかやれるかもしれない。
だが問題は魔王だ。
ラインは、どうする。
少しだけ視線を逸らしてラインを見てみると、あいつは憎悪の眼差しで魔王を睨んでいた。
魔王に視線を戻す。
決めろ。
早く決めないと。
その時、魔王は俺を見て口角を吊り上げてみせた。
なんの笑みかはわからない。
ただ、そのいやらしい表情に、俺は奮起させられた。
やってやろうじゃないか、と。
ヤバくなったら全力で逃げだしてやる。
だけど、その前に全力で戦ってみるか。
俺はティルフィングを鞘から抜き放つ。
先頭のラインを抜き、空中歩行で少しずつ魔王の元へ進んでいった。
しかし、魔王がそう簡単に俺の進行を許すはずが無かった。
魔王が右手を軽く上げたのと同時に、後ろの魔族達の魔法が放たれたのだ。
「チッ!」
始まった戦闘。
士気が下がったと言えど、戦士達は剣を抜き、雨のごとく降り注ぐ魔法にそれぞれ対処していった。
しかしこの海底、逃げ場もあるはずもなく、やまない魔法の豪雨に兵士達はどんどん倒れていく。
俺も回避に手一杯で前に進めなかった。
「ククク、ハーッハッハッハ!!」
魔王の高笑いが響く。
成す術がないのだ。
上から見下ろせば俺達は地を這う虫けらのようだろう。
が、次の瞬間だった。
目に入ったのだ。
透き通るような銀髪が。
魔王の陰に隠れて気付かなかった。
そこには確かにシャーラが立っていたのだ。
立っている、というより浮いている。
「……!」
【あいつなにしてんだ】
ティルフィングの声には少しの苛立ちが込もっているような気がした。
「シャーラ!!」
俺が名を呼ぶと、その時シャーラと目が合った。
シャーラは目を見開き、そして俺から目をそらす。
聞き取れないがシャーラの口元が動いた。
それを聞いたであろう魔王は身を翻し、大群の後ろへとシャーラを連れて歩いていく。
「待て!!」
俺は思わず飛び出していた。
しかし、肩に火球の魔法が被弾し、地へ落とされる。
服は破け、焼けただれた肩が露出した。
「ク……ソ!」
立て直して魔王を見た時には、すでにそこに魔王はいなかった。
圧倒的な存在感も感じない。
逃げた。
いや、魔族だけで十分だと判断したのか。
立ち上がった俺は再び膝に力を入れたが、それと同時にラインの声が響いた。
「一旦海に退け!!」
その声で回避一方だった兵たちは割れた海面へと飛び込んでいく。
シャーラを追うべく飛び上がろうとしていた俺も、既のところで留まり、割れた海の断面へと飛んだ。
海に入ると魔族達の攻撃も止んだ。とは言え一時的なものだろう。
ここにこもっていてもどうしようもないし、俺達の体力はどんどん削られていく。
「みんな、一度落ち着くんだ! あいてはざっと見て200! やれない数じゃない!
体勢を立て直して海面に出ればなんとかなる!」
「無理だろ! あんなの勝てっこねぇ!
終わりだ! 俺達全員死ぬんだ!」
「君達は魔族退治のプロだろう! それにこのまま黙って殺されるのか!」
ラインが必死に立て直そうとしているが、それも叶わない。
兵達の士気や統率もドン底と来た。
【ダメだなこりゃ】
ティルフィングが言う。
「……」
兵はどれくらい減っただろうか。
半分くらいは削られたかもしれない。
「ああ、こりゃあダメっぽいな」
逃げるか戦うか。
……どうやら
「俺がやらないとダメらしい」
海底をズンと蹴り、一気に海面まで浮かび上がる。
そして飛び出した。
俺が海面に上がると同時に魔法が雨のごとく降り注ぐ。
それを避けつつ、海面に着地すると俺は叫んだ。
「俺に続け!!」
飛来してくる魔法をティルフィングで打ち返していく。
俺の声が聞こえたのか、俺に続いて兵達は続々と海面に上がってきた。
俺は魔法をそこに打たせないように、この距離で魔族を牽制する。
「助かったよレイヤ。なんとかなりそうだ」




