限りなく濃いブルー
海底神殿での生活も、そろそろ二ヶ月を過ぎようとしていた。
そんな頃、俺はブルーダインから地上で戦争が始まったことを告げられた。
アーバンベルズ王国が潰れたことが引き金になったらしい。
他人事じゃない。俺が起こした戦争だ。
俺とシャーラの存在が原因で、大勢の人が死ぬことになるだろう。
だけど。
それでも俺は死にたくないし、シャーラがひどい目に合うなんて論外だ。
ここでの生活も慣れた。ブルーダインがいる限りここは安全である。なので俺達が地上に出ることはまずないだろう。
ブルーダインに頼り切ってしまっているが、それも仕方ない。
俺は誰かを守るには弱すぎる。
「ふんぬ!」
ブルーダインの拳を真っ向から受けて、俺は後方に吹き飛んだ。自分からも飛んだので、衝撃を殺せてはいるが、それでもブルーダインの一撃は重い。
空中で体勢を整えるのと同時に、俺は空気と海の境界線へと沈む。
そしてブルーダインの追撃に備えて、俺は腰のティルフィングに手を添える。
そのまま再び海から出て、海底神殿内を突っ切り、一気にブルーダインの間合いまで到達すると、俺は丸太の二倍はあるその足目掛けてティルフィングを抜刀した。
が、その前に上から振り下ろされたブルーダインの手によって俺は地に抑え込まれる。
詰んだ。
「ガハハ! まだまだじゃのう!」
ブルーダインは自分の目に巻いた白帯を解き、そう言った。
視界なしのハンデでも俺はブルーダインには勝てないのだ。
いつもはもっと良い勝負できるのだが、今日は少し調子が悪い……というか集中できてなかった。
【最初の一撃目は躱せただろォ!】
「わり、雑念入ってたわ」
俺は日々魔王討伐に向けて修行に励んでいるが、修行すればするほどブルーダインやティルフィングとの差を感じ、魔王を倒せる気がしなくなってきていた。
魔王を倒せるくらい強くなれるのもいつになることか。
俺じゃなくてもブルーダインが魔王を倒してくれればいいのだが、魔王の実力は未知。
海上でなければブルーダインでも危ういかもしれない。
人間と魔王の戦い。
はたして人間に勝ち目はあるのだろうか。
宝具とか使って数で攻めれば勝機はあるかもしれないが、個々の戦闘力では魔王サイドに絶対的なものがある。
このままいくと人間は滅びるんじゃないだろうか。
【まあ今日はこんなもんだな、帰っていいぞ】
ーーー
「ただいま」
「おかえりなさい。ご飯できてますよ。ちょっとだけ冷めちゃいましたけど」
家に帰ると、シャーラが夕飯を用意して待っていてくれた。
ティルフィングはいつも通り神殿に置いてきたが、最近はブルーダインも忙しくなってきてるので、2日にいっぺんは持って帰ってきている。
その時は決まってうるさくなるが、まあそれも別に悪くない気がしていた。
シャーラの一日というと、俺が修行してる間は基本的に出掛けるようになった。
毎日って訳じゃない。3日に一度は一緒に修行したりするし、飯の時間にはご飯を作りにわざわざ帰ってくる。
まあそれはさておき、人魚の友達ができたらしいのだ。
シャーラとしても話し相手が俺だけだとつまらないと思うので、それは俺にとっても喜ばしいことだった。
その友達はシャーラの紹介によって、俺にも少しだけ面識がある。
良さげな人だった。
というより明らかに年上のお姉さんで、おっぱいもでかい。
多分その人からしたらシャーラは友達ではなくて、妹的な感じで可愛がってるんじゃないだろうか。
まあなんにせよ、良くしてくれてるし、シャーラもその人のことが気に入ってるみたいなので、俺に不満はない。
雄の人魚だとちょっと面かせや、ってなっていたかもしれないが。
「いただきます」
「どうぞ」
しばらく二人で黙々と食べ続けた。
部屋に響くのは食器のカチャカチャする音だけ。
「地上で戦争が始まったらしいですね……」
「誰から聞いたんだよ」
「リーナさんが言ってました」
リーナさんとは例のお姉さんだ。
しかしシャーラには戦争のことを伏せておくつもりだったのだが、いらないことを言ってくれたものだ。
「大丈夫、ここは安全だから」
俺は食器をカチャつかせながら、シャーラに視線を向ける。
「私のせいで、たくさんの人が死ぬんですね……」
食器を止め、俺は黙り込んだ。
しかしすぐに口を開く。
「そうだな。お前だけのせいじゃないけど」
「私……」
「なぁシャーラ」
シャーラの言葉を遮って、俺は言う。
俯いていたシャーラは顔を上げた。
「……なんですか?」
「世界なんて放っとこうぜ」
俺達は好きに生きていい。
魔王と人間が戦争をおっぱじめようと、俺達には関係ない。
身勝手かもしれないが、俺は俺にとって大切な奴だけ生きてくれればそれでいいんだ。
ただ、邪魔する奴は蹴散らすし、異世界生活を満喫するために魔王を打つという目的も未だ健在だ。
そのために修行してるんだから。
一生ここで生活ってのは流石にキツイしな。
「でも罪のない人達もたくさん死ぬんですよね……」
「それを言うなら罪のない魔物や魔族も死ぬんだし、俺達だって死ぬかもしれない。考えない方がいいぜ」
「……そうでしょうか」
「うん」
俺達は相当切羽詰まっている。今はそれなりに悠々と過ごしているが、それでも他人のことを考えてる余裕なんてない。
前の俺なら、よっしゃ軽く世界救ってやるか、なんて言っていたかもしれないが、自信と共にそんな俺は引っ込んでしまったのだ。
「レイヤ……」
「どうした?」
「ごめんなさい……」
「ああ、気にすんな」
ーーー
翌朝、シャーラがまだ目を覚まさない内に俺は家を出た。
人魚の合唱で起きて、神殿へ向かい、修行をつけてもらう。
これが俺の日課なのだが、今日は人魚の合唱が聴こえてこなかった。
ここに来てから毎日聴いていた人魚の大合唱だけど、なぜ今日は聞こえてこなかったのだろうか。
そんなことを考えながら海底神殿へ向かう。
しかしその途中で町のようすかおかしいことに気がついた。
いつもなら俺が神殿に向かうと、絡んでくる人魚が一人はいるはずなのに、今日は人魚っ子一人も見当たらない。
地を蹴って、上から町を見下ろしてみても人魚の姿が見当たらなかった。
なんか行事でも始まるのだろうか。
いや、それは聞いてないし、やっぱり何かあったんだろう。
とりあえずブルーダインに聞くのが早いので、俺はそのまま神殿に向かった。
神殿に着くと、そこには町の人魚達が集まっていた。
神殿の中をほとんど埋め尽くしている。
奥の広間にブルーダインの巨体を見つけたので、俺は人魚達を押しのけてそこまで辿り着く。
【よォ、来たか】
巨大な椅子に立てかけられている魔剣は俺に声をかけたが、ブルーダインはその椅子に座り込んで唸っていた。
いつもならブルーダインの図太い声がティルフィングの声と合わさって俺を迎えてくれるのだが、やはり何かあったようだ。
まあ神殿に集まっているこの人魚達を見れば分かりきっていることなんだが。
「師匠」
俺が声をかけて、やっとブルーダインは俺に気づいたようだ。
「ああ、レイヤか」
「なんかあったの?」
「うむぅ……」
【オレが説明してやるよ】
「頼む」
【実はよォ、昨日から急激にここらの海の魔力密度が上がって来てるんだわ】
「へぇ、原因は? つかなんか問題あんの?」
俺としてはアトラクトしやすくなって、むしろ良いことなんだけど、ブルーダインと後ろの人魚達を見ると、そうじゃないらしい。
【人魚とか海に住む生き物はなァ、その場の魔力密度が高すぎると住めなくなるわけよ】
「マジかよ」
ブルーダインが唸っているわけだ。
「で、原因は?」
【それが分からねェからブルーダインはこのザマだ。魔力密度はどんどん上昇してるし、このままだとヤベェなァ】
「俺がひたすらアトラクトして、それを魔法に変えて発散するとかできないの?」
【出来ないこともないが、そんなレベルの魔力密度じゃねェーんだよ。
とにかく原因が分からない以上、どうしようもねェ】
「……」
深刻な雰囲気。ざわついていた人魚達もいつしかその雰囲気に侵され、聞こえるのはブルーダインの唸り声だけになった。
「……原因って、なんの見当もつかないの?」
「……あるにはある」
唸っていたブルーダインが唐突に口を開いた。
そして続ける。
「だが、ワシとしては確信がつくまでこれはあまり言いたくない」
「……そうか。俺はどうしたらいい?」
「大丈夫だ。ワシが全部何とかする」
そう言って立ち上がったブルーダインは海と空気の境界線に手を突っ込んで、何やらブツブツ唱えだした。
外の海藻が大きく揺らめき出す。柱の隙間から周りの海を見渡すと、どうやら海をかき混ぜているらしかった。
「これでしばらくは大丈夫そうだが、時間の問題だろう。それまでになんとかしなければならない。
レイヤ、すまんが今日の修行は無しだ」
「あ、ああ……。分かった」
ーーー
ブルーダインの応急処置によって、一時的とは言え薄まった魔力密度。
それのおかげで、人魚達は神殿から解放された。
神殿に残ったのは俺とブルーダインとティルフィング。
もちろん、決して良いとは言えない空気が流れている。
「レイヤ、話がある」
「……?」
「シャーラのことだ」
「……シャーラがどうかした?」
「今回の件なんだが、シャーラが原因である可能性が高い。
というよりほぼ確定的だ。
さっきはみなの手前言えなかったが、実はレイヤ達の家から魔力が溢れ出してるんじゃ」
俺は視線を上げて、ブルーダインを見る。
「シャーラが原因?」
「うむ」
そんなはずはない。
さっきまで俺の隣で寝ていたシャーラはいつもと変わらなかった。
いや、だけど……。
「ちょっと見に行ってくる」
考えるより当人の様子を見に行くのが一番だと思った俺は、ティルフィングを腰に差して海底神殿を飛び出した。
ーーー
【シャーラはまだ寝てんのか】
「いつものことだろ」
俺は内心焦っていた。
この魔力密度の増幅がシャーラによるモノなら、竜の里の時のように、またここにはいられなくなってしまうかもしれない……。
そういった懸念を抱いている。
【おい、そんな顔すんなよ】
「だってさぁ……」
【シャーラが原因だったとしてもブルーダインがなんとかしてくれるだろ】
「なんとかなんのかね……」
いくら仲が良くても、ブルーダインだって海の王なわけだ。故に海の民を優先するのは当たり前で、あえなく俺達をここから追い出さなくてはならなくなるかもしれない。
……いや、ブルーダインに限ってそれはないか。
しかし、ブルーダインを困らせてしまうことになるのは明確。
それなら俺達はもちろん居心地が悪くなるし、心が詰まる。
そして最終的に地上へ自ら戻ることを選ぶしかなくなる……という未来もありうる。
そんなことを考えていると、そのうち家の前まで着き、俺はその扉を開けた。
瞬間。
ズシンと、ティルフィングに重みを感じた。
思わず少し体勢を崩してしまう。
「……あ」
【こりゃあ……】
すぐにベッドで眠るシャーラに視線がいった。
そして俺はおもむろに後ろの戸を閉める。
明らかに……、明らかに室内の魔力密度が桁差だった。
その空気に触れただけでティルフィングが重たくなるほどに。
「シ、シャーラ……」
俺は恐る恐る横たわるシャーラに近づいていった。
布団を被ってスヤスヤと気持ち良さそうに眠るシャーラの寝顔に異常はない。
良かった。様態は悪くなさそうなので、ひとまずは安心だ。
だけど……。
「なんてこった……」
【とりあえず起こしてみろよ】
「……そうだな。あと、シャーラにこのことは伏せておこう」
【なんでだよ。結局バレちまうぞ】
「こいつが気に病むかもしれないだろ」
【無駄な気がするぜェ?】
「それでもいい」
【オレは言った方がいいと思うわ。まあシャーラ自身が魔力漏れに気づく可能性もあるが、隠し事はあんまりよくねェぜ】
「……だけど」
【どうせバレるんだから最初から言っとけ】
「……いや、ダメだ。シャーラが可哀想だろ。
シャーラに嫌な思いはさせたくない。だからギリギリまで言いたくない」
【まあお前がそう言うならそれでいいけどよ】
「悪い」
【何謝ってんだ】
俺はシャーラに向き直ると、その体を揺さぶった。
するとシャーラはすんなりと起きた。
そしてシャーラはすくっと体を起こすと、眠そうな眼を擦ってボサボサになった髪をかきあげる。
「……おはようございます」
「……うっす。
シャーラ、体調悪かったりしないか?」
俺は出来るだけいつも通りを装って言った。
「え? 特にそんなことありませんけど……。どうしてですか?」
「いや、うなされてたみたいだから」
【……】
「うなされてましたか私。大丈夫ですよ。なんともありません。むしろ寝起きなのに調子が良いくらいですよ」
「そうか、それなら良かった」
言って、俺は重くなったティルフィングを、シャーラに気づかれないように左手で支えた。
しかしもうシャーラが原因なのは確定的だ。
すでに相当重くなってるティルフィングが証明してくれている。
「レイヤ、今日は修行しないんですか?」
「ああ、今日は……」
【いや、これからだ。こいつちょっと忘れもんしやがってな。それを取りに帰ってきてた】
「そうなんですか」
シャーラはベッドから降りると、着替えて身だしなみを整え始めた。
「どっか行くのか?」
「いえ、今日は私も修業混ぜてもらってもいいですか?」
鏡の前に座って髪をとくシャーラ。
いつか俺が上げたヘアゴムで後ろ髪をまとめていた。
俺は少し考えてから口を開く。
「……ああ、いいぜ」
今日の修行は無くなったが、理由を聞かれるとボロが出るかもしれないので、ティルフィングがアドリブってくれたんだろう。
それなら俺も合わせないと。
しかしそうなるとブルーダインにも合わせてもらわないといけない。
そして魔力密度についても秘密にしてもらえるようにお願いしないと。
もしかしたら修行でいくらか魔法をぶっ放してもらえばシャーラのこの魔力漏れも止まるんじゃないだろうか。
それで解決するならいいが、シャーラの魔力総量は底無しで、そういう問題じゃないかもしれない。
「用意できましたよ、いきましょう」
シャーラは傍らの小瓶から人魚の涙をいくらか飲むと俺の横に立った。
シャーラの接近に、ティルフィングがさらに重たくなる。
「っ……」
重い。
これ以上近寄られるとティルフィングを持てなくなってしまうかもしれない。
「悪いシャーラ、先に行っててくれ。ちょっとうんこしてくるわ」
「……下品ですね。わかりました、先行きます」
そう言ってシャーラが家を出たのを確認して、俺はティルフィングをゆっくりと地面に置いた。
「ふう……。やばいぞこれは」
とりあえず家の中の魔力を処理するために、俺はアトラク卜を試みた。
が、家の中に充満した魔力の量は並ではないらしく、一瞬で体内の魔力が飽和したため、俺がアトラクトして魔法ぶっぱを繰り返しても無駄なことが分かった。
「やばいなこりゃ」
【ああ、早急になんとかしねーオレの質量もヤバイ。
そのうち振れなくなっちまうぞ】
「ああ……」
俺はティルフィングを再び拾って家を出た。
家から離れると、ティルフィングはだいぶ軽くなったが、シャーラに追いついたことでまた元に戻る。
「快便だった」
「言わなくていいです」
シャーラは眉を寄せて言う。
ちょうどそんな時、俺達の後ろから声がかかった。
振り向くと、そこにいたのは金髪の人魚。
「あら、シャーラと……レイヤくんじゃない!」
「あ、リーナさん」
泳いで近づいて来たリーナさんを止めようとしたが、もう遅い。
リーナさんはこっちまで来ると、そのままシャーラを抱きしめた。
「なにー? レイヤくんとデート?」
「ち、ちがいます。あと、苦しいです」
「あ、ごめんごめん」
そう言ってシャーラから離れたリーナさんは、唐突に胸を抑えた。
「うっ、なんかここらへん魔力密度濃いわね……。
王様の手が行き届いてないところもあるみたい。気をつけて……ってあなた達には関係ないか」
「どういうことですか?」
シャーラは首を傾げてリーナさんの顔を覗き込む。
「ダメだ。ちょっとここ濃すぎて……。
これ以上ここにはいられないわ。
明日うち来るでしょシャーラ? またね」
言いたいことだけ言って、リーナさんは逃げるように泳いでいってしまった。
俺とシャーラはその後ろ姿を見送る。
リーナさんが今のシャーラに近づくのはマズイと思ったが、長時間魔力密度の濃い海にいるのが問題なだけで、あれくらいの接触なら問題ないみたいだ。
そう思ってリーナさんの後ろ姿を眺めていると、リーナさんはしばらく泳いだその先でフラッと沈んだ。




