三の涙
ティルフィングの言葉で脳がいきなりクリアになった。
目を覚ましたとは言え、まだまどろんでいたから今のは聞き間違いかもしれない。
そう思った俺は体を起こして聞き返す。
「悪い、もう一回言ってくれ」
【……。何回目だよ】
ティルフィングは間を置いてからそう言った。
今まで俺が未来から来てループしてる事を説明したことは何度かあった。
だが、それを説明せずに気付かれたことは一度もない。
そもそも未来から来たとかいう発想が逸脱してる訳だ。
俺が未来から来た事を説明してもティルフィングは信じられないといったような反応だったし、一度96%まで共有率を上げた時の反応も微妙だった。
なら今回のティルフィングのこの言動は一体どういうことなのか。
今回のティルフィングだけが勘付いたのだろうか。いや、おそらくそれはないはずだ。だって、もっと派手にルルを助けたことなんていくらでもあったし、俺は今回みたいなループを何回もしてるからだ。
考えるよりティルフィングに聞いた方が早いか。
「……なんで分かったんだ?」
俺が聞くと、また少しの間をおいてティルフィングは言った。
【……へェ。なるほど、やっぱりオレはヘマっちまった訳かァ。やっちまったなァ】
ティルフィングは一人で何やら納得しているが、なんのことか俺にはさっぱりだ。
ティルフィングがまただんまりになったので、俺は言った。
「どういうことだよ」
【だってオレがこんなことを言うのは初めてなんだろ?】
なんの確認なのか。そう思いながら俺は「ああ」と返事する。
一陣の冷たい風が俺の髪を撫でた。
【ハァ……。なんかオレに申し訳ないぜェ。なんとなく何がしたかったのかってのも分かるからなァ……】
「……どういうことだよ」
【そうだなァ。とりあえず何回目かって質問に答えてくれや。それとお前の置かれた状況をオレに説明しろ】
「……分かった」
言われた通り、俺はティルフィングに状況を説明してやった。ルルが死んで、そこから宝具を使って過去に遡ったと思えばループしだしたという事実を。
回数は……、100は軽く超えてるんじゃないだろうか。
説明する際、万が一ルルが起きたら困るので俺はベッドから下りて、少し離れたところでティルフィングと話した。
【なるほどな。まァ分かった。予想通りだったッて訳か】
丘の上、ベッドから少し離れたところにティルフィングを突き刺し、俺もその横に座っている。
「だから何がだよ」
勿体ぶるので、少し苛立ちながらも俺は聞く。
【お前が使った宝具の名前を教えてやる】
「は?」
待て。
ティルフィングはあの宝具のことを知っていたのか?
知らないとは言ってなかった気がするが……。いや、でも、え?
共有した時も俺の知識にはなかったはずだ。マジでどういうことだよ。
【星牢殿って言うんだよ】
「星牢殿……」
動く空中要塞みたいな名前だ。
【中途半端なのはあんまし好きじゃねェからもう言っちまうけどよォ】
「ああ」
【この宝具、過去に遡る宝具じゃあねェ】
「……え?」
突然告げられた事実に、頭が真っ白になった。
「えっ……と」
訳もわからないまま、適当な言葉を紡ごうと言葉を探す。
しかし、ティルフィングが続けた。
【星牢殿はなァ、過去に戻る宝具じゃなくて、後悔した過去をひたすらやり直せる宝具だ。
後悔を受け入れるか、満足するか、そのどちらかでループから抜け出せる】
目を見開く。思わず立ち上がっていた。
「うそ……だろ?」
【マジだ】
かろうじてひねり出した声に、ティルフィングは間髪を容れず答えた。
「そんな……、じゃあ……」
【ああ、お前がどれだけ足掻いてもルルは生き返らないし、むしろ100回以上もやり直してンならそろそろ残してきたお前の体もヤベェぞ】
「なん、だよそれ……」
そんなこと、知ってたら俺はこんなことしてないじゃないか。
……違う、薄々気がついていた。気づいていたんだ。
だけど気付かないふりをしていた。
ここは過去なんかじゃなくて、夢の世界かなんかじゃないのかって。
だってありえないだろう。
よく考えたら過去に戻れるなんてそんな都合の良い宝具があるわけない。
あの遺跡にあった躯がその証拠だ。
みんな過去をやり直し続け、そしてそのまま死んだんだ。
ティルフィングのせいじゃない。今なら分かる。ティルフィングは俺の為に知らせなかったんだろう。
このループの中で、俺に何を気付かせたかったんだろう。
意外と優しいティルフィングのことだ。こんなことをしたのも意味があってのことだ。俺の為。
【ルルが死んで、おかしくなっちまったんだろ、お前】
「……ああ、そうかもしれない」
ティルフィングの言う通り、今のオレはだいぶ落ち着いた。自分でも分かる。
【もういいだろ。死んだ奴は生き返らねェ。絶対にな。
お前はまだ命を軽く見てるぜ】
「……」
【オレもあの宝具を使ったことがある。ある男に負けたんだよ。だから満足するまでやり直してやった。
ループから出たら餓死寸前だったがなァ】
空を見上げる。この世界が虚の物なら、遺跡のシャーラは……。
「……あの遺跡に、シャーラを置いてきた。俺はなんてことをしてしまったんだよ……」
【心配すんな。あっちではそこまで経ってねェよ。オレもいるし、シャーラも大丈夫だ】
「そうか……」
そうだな。
【諦められるか? それだけでここからは出られるぜ】
それだとルルは助けられないんだろ。いや、助ける方法ももう無いのか。
諦めるしかない。分かってる。
こんなことをしててもしょうがないんだろ。
でも。
それでもだ。
俺が今いるこの世界のルルをないがしろにするということとはなんら関係ないだろう。
ルルが死んだのは仕方ないのか?
否。そんなわけない。
だから、やっぱり俺は助け続けよう。何も考えなくていい。ルルを助ける、それだけでいいじゃないか。
諦められるわけがない。
転移魔法を覚えた俺がルルを助けるのはもはや息をするのと同じくらい簡単だ。今じゃループしてから、ものの5分弱くらいでルルを助け出すことができる。
ループはもう、いい。
永久にルルを助けることで過ごすのは俺にとって苦ではない。むしろこれが罰だって言うのなら、甘んじて受けよう。本当は助かっていないとしても。
なにがなんでもここでルルを助け続ける。
だってルルが待っているんだから。俺が助けに行かなかったら、ルルは死ぬ。苦しんで、死ぬ。
そんなの、絶対に嫌だ。ルルが可哀想だ。
俺は言った。
「無理だ……! 諦められない、満足だってできるかよ!」
【そうか、なら後数万回ほどやり直してまたオレに相談しろ…………って言いたいところだが】
「……なんだよ」
【お前はどう思うよ、ルル】
ハッとなって振り向く。
するとそこにはルルが立っていた。全く気付かなかった。
聞かれてたのか。今の話。
「レイヤ……」
俺は恐る恐るルルの顔を見た。そして驚く。
ルルの表情は、優しかった。
月に照らされて、水色の髪がいつもより綺麗だ。
「ルル、俺は……」
「おかしいな、って思ってた」
ルルが俺の元に歩み寄る。もう手を伸ばせば届く距離だ。
だけど、実際は届かない。
俺が欲しいのはこの距離じゃないんだ。
「レイヤ、いつもと全然違うから」
「……今の話、聞いてたのか」
「うん、全部聞いてた」
ルルだけにはこの話をしたくなかった。ループするからリセットされるとはいえ、ルルがこの話を聞いたらきっとショックを受けるだろうから。
「……俺は……、助けられなかったんだ……お前を……」
【……】
「レイヤ、ごめんね」
「……なんでルルが謝るんだよ。やめてくれよ、マジで……」
気付けば、俺はルルを抱き締めていた。
分からない。多分泣いてるのを誤魔化すためだ。
「レイヤはやっぱり優しいね。優しすぎるよ……」
「……」
「レイヤ、もういいよ」
もういい?
何がもういいっていうんだよ。
「もう、死んじゃったのは仕方ないよ。私のせいだよ」
「……っ!」
言わせたくなかった。
同時に、言うと思ってた。
「馬鹿か、仕方ないわけ、ないだろ……。お前、死ぬんだぞ。怖いだろ。俺は嫌だ……」
「怖い。でももうどうしようもないよ。
私の為にレイヤが苦しむのはもっと辛い」
ルルは俺の背に手を回して、きゅっと顔を胸に擦り寄せた。
「……」
「えへへ、レイヤ泣かせてやった」
好きなんて言われたのは初めてだった。真っ向から本気の好意を向けられたのは、ルルが初めてだ。
俺のどこが良かったんだよ。俺なんか好きにならなかったら、死ぬこともなかったのに。
「泣くに決まってるだろ、こんなの……」
瞳からあふれる涙は止まらなかった。
嗚咽も漏らして、俺は今相当かっこ悪い。
「レイヤ、好き。だから諦めて」
「……俺だって、俺だってルルが大好きだ」
「レイヤがホントに好きなのはシャーラでしょ」
「ルルも好きだ」
「ふふ、嬉しい……」
そのまましばらく抱き合っていた。
吹き付ける風は、どこか優しい。ティルフィングもずっと黙ったままで、聞こえるのは虫の鳴き声と、草木の揺れる音だけだった。
平原の遥か向こうが明るくなってきて、もうすぐ朝日が顔を出す。
ルルを手放し、向かい合う。
「レイヤ……、ありがと」
「ああ……」
「大好き……」
「うん……」
「愛してる……」
「……ああ」
「もう行って」
それにはすぐに答えられなかった。
だけど、俺は口を開く。乾いていた頬がまた涙で湿った。
「分かった。ごめん、ごめんな……」
「うん、ばいばい」
俺の視界は優しい光に包まれていく。最後に見えたルルの涙が引っかかって、前は見えないけど俺は手を伸ばした。
「ルル……!」
伸ばした手に手が重なった。冷たい。きっとルルの手だ。
俺はその手を引き寄せて、ルルを抱きしめる。ルルは震えていた。
俺はそのまま膝を地に落とす。
意識が遠のいてきた。だけど最後までルルを抱きしめる力は緩めない。
ルルの名前を何度も呼んだけど、自分の声すらもう聞こえなかった。
だけど、最後にルルの声が聞こえた気がした。
そしてルルの温もりが消える。
ーーー
瞼を持ち上げると、まず最初に目に入ったのがシャーラだった。
「レイヤ……!」
シャーラは瞳に涙を浮かばせて俺を抱きしめた。
体に力は入らない。
「シャーラ……」
【よォ、戻ってきたか】
視線を横にずらすと、そこにはティルフィングが突き刺さっていて、その奥の壁にはラインがもたれ掛かって俺に小さく手を振っている。
「……ティルフィング、悪い。あと、助かった」
【構わねェ】
「シャーラもごめんな。俺はもう、大丈夫だから」
「……はい、……はい」
落ちたシャーラの涙が俺の首筋に伝った。俺は手をなんとか持ち上げてシャーラの頭を撫でる。
「ルルは、死んだんだな」
第八章――終
つまようじさんの神絵にただただ感謝ッッ!!!




