ランウェイ
俺は甲板に立って、目の前に広がる大海原を眺める。海のしょっぱい風が俺の全身に吹きつけた。
見渡す限り、海、海。甲板を一周しても島一つ見えない。
が、海の広大さに感動を覚えつつも、俺はちょっとセンチな溜息を吐いた。
「はぁ……」
【どうしたよォ!?】
ティルフィングの声が響き、甲板にいた他の人々の視線が俺に集まった。
俺はゴホンと咳をしてごまかす。
「声がデカイんだよ……」
【スマンスマン】
俺達は今、旅客船で東の大陸 (ユーフォスフィリアというらしい)を目指して絶賛航海中だ。
出港してからすでに5日が経っており、この船旅はあと10日は続くらしい。
正直言ってかなり暇である。
最初の2日は楽しかった。だが飽きが来るのも早く、あれだけ楽しみにしてた船旅はもうお腹いっぱいになっている。
中々値の張る船に乗ったので待遇はいいのだが、することと言えば食べるか寝るか話すか。
客船の中にはカジノや酒場があるのだが、そこにいくのはシャーラに禁止されている。
この暇があと10日も続くと考えると気が遠くなりそうだ。
さて、それはともかく俺には悩みがあった。
それは、惚れ薬の効果はとっくに切れてるはずなのに、未だにシャーラを見ると少しドキドキしてしまうと言うこと。
もう分かってる。
惚れ薬をきっかけに気付かされた。
俺、シャーラの事が好きっぽい。
もちろん惚れ薬の効果が切れて正気に戻った俺が、そんな事をシャーラに言えるわけがない。
なぜなら、シャーラとは今のままの関係が楽しいし、このままでいたいからだ。照れくさいってのも理由の一つに含んでいい。
そしてなにより、ルルもいる。つまり何かを諦めないといけないのだ。
だから、俺は悩んでる。
「はぁ……」
また溜息を吐く。
シャーラ達は借りた船の一室でまだ寝ている。俺は風に当たりたい気分になったから一人で甲板に出ているのだ。
【だからどうしたんだよ?】
「……分かってるんだろ?」
【まァな!】
うるさいなこいつ。
注意するのも面倒になった俺は、黙り込んだ。
そのまたしばらく海の波音を聞きながら遠くを眺めていると、ティルフィングは言った。
【悩んだ所でかわんねェーよ。まずは現状に慣れろ。見方も変わってくる】
「なるほど。たしかにそうかもしんね」
ティルフィングはいつも的確なアドバイスをくれる。それにいつも助けられてはいるが、俺は堕落の道を進んでいるのでは?と、そう思ってしまう。
まあティルフィングの言うとおり悩んでいても仕方ないのは事実だ。
風も十分浴びたし、そろそろあいつらも起きてるかもしれないから部屋に戻ろう。
そう思った俺は甲板を後にした。
ーーー
部屋に戻ると、シャーラとルルはまだ同じベッドでぐっすり寝ていた。
こいつらは本当になかなか起きない。
二人は同じベッドで、俺だけ区切って一つのベッド。
「俺も二度寝するかな」
【オイ! よせ!】
ティルフィングを壁に立てかけると、俺は自分のベッドに入る。
が、俺のベッドの温もりはすでに冷えてしまっていて、布団は冷たかった。
「……」
俺はあいつらのベッドにお邪魔することにした。
「ぐへへ……」
【本当に悩んでんのかよ!!】
俺はそろっと布団を捲って二人の間にお邪魔する。
シャーラとルルで温められた布団はかなり温かった。
それに布団の中は良い匂いもする。
ゴロンと寝転がると、俺は静かに目を瞑った。
狭い。
俺が入った事で布団からはみ出そうになった二人は、こちらにぎゅうと詰めてきた。
俺はこの世の素晴らしさを味わいながら、両手を広げて二人のおっぱいを堪能するか否かを考えた。
が、やめておくとしよう。
なぜなら、2人に挟まれ気持ちよくなってきてしまい、本当にウトウトしだしたからだ。
そして俺は微睡みの中へと堕ちた。
ーーー
やけに部屋の外が騒がしいので目が覚めた。
俺は体を起こして目をこする。
ベッドから下りると捲れた布団をまた2人に被せて、俺は壁に立てかけたティルフィングを背負った。
「なんかあったのかな」
【っぽいな!】
とりあえず部屋の外に出てみないとわからない。
そう思った俺は部屋の外に出た。
すると、大勢の人々が慌てて部屋に戻って来ており、通路はかなり混雑していた。
乗客の表情は絶望に満ち溢れており、泣いてる人までいる。
「何かあったんですか?」
俺は一人の乗客に聞いてみた。
「キャプテン・ジャックの船が攻めて来たのよ!! ああ、私達もう終わりなんだわ!! 奴隷として遠くの地に売り飛ばされるんだわ!」
【おお! 面倒事かァ!!】
「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
キャプテン・ジャックっていったら名前からして海賊だろうか。
というよりそれ以外ありえない。
しかし、これは俺もじっとしてられない事態だ。
この客船は比較的安全な航路を進んでいるから海賊襲われる心配もなく、多く戦闘員や索敵魔導師も乗っているので大丈夫と聞かされていたのだが、乗客の慌てようからして、キャプテン・ジャックは相当ヤバイ奴らしい。
とりあえず、俺は乗客を押しのけて甲板へと向かった。
ーーー
甲板に出ると、船長と戦闘体勢に入ったクルーがたくさんいた。
だが、その表情は決して穏やかではない。
雰囲気的には誰もが絶望してるが、ほんの少しの可能性のために戦おう的な感じだった。
【面倒事だ!!】
嬉しそうなティルフィングは放っておいて、俺は船長の元まで進んだ。
「キャプテン・ジャックってそんなにヤバイ奴なんですかね?」
「……誰だね君は、部屋に戻っていなさい」
「キャプテン・ジャックってそんなにヤバイ奴なんですかね?」
俺は村人Aよろしく同じセリフを繰り返した。
「ヤバイ……、なんてもんじゃない。海の上で奴の船に出くわしたら終わりだ。
運が悪かった。
船長である私の責任だ。すまない」
なるほど。
船長がただ一点見つめる先には、一つの巨大な船。
あれがキャプテン・ジャックの船だろう。
見るからにヤバそうだ。
俺の目には、その船の上に乗っているヤバげな連中が映っている。
「レイヤ、水上戦なら私に任せて!」
急に話しかけられたので俺は驚いて振り返った。
するとそこにはルルが立っていた。
「起きたのかルル、シャーラは?」
「まだ寝てるよ」
この緊急事態でもあいつはぐっすりらしい。
まあそれは置いといて、ルルは水帝。
ここは海とは言え水の上。
ルルにまさるものがこの場にいるだろうか。否、いない。
だけど、俺はルルに言った。
「ルルは何もしなくていいぜ」
「えー、どうして?」
「女の子に、仕事させる訳にはいかないだろ?」
ウィンク。
ルルは頬を赤らめて小さく頷いた。
そんなつもりはなかった。
【どっちにするんだ!?】
ティルフィングの質問の意味は分かってる。
泳ぐか、飛び移るか。
もちろん。
「分かってるだろ?」
【そりゃ派手な方だわな!】
俺は船の端まで下がった。そしてもう一度往復してその距離を測る。
クルーと船長は、不可解な目で俺を見た。甲板の上がざわつく。
「何をやってるんだね」
船長が俺に聞いてきた。
「距離を測ってます」
俺がそう言うと、俺はキチガイ認定でもされたのか、誰も俺に構わなくなった。
誰もが戦闘態勢に戻り、キャプテン・ジャックの船に視線を戻す。
「もしかしてレイヤ……」
「ああ、飛び移る」
また船の端まで下がり終えた俺は軽く屈伸をした。
そしてアトラクト。身体強化を使う。
助走距離は明らかに足りてない。
が、やってみよう。
「はい! みなさん道を空けてください!」
俺はそう言ってクルーに道を空けるよう促す。
クルー達は言われるがままに道を空けた。俺が何をするかは分かってなさそうだ。
「君、まさか……」
船長が感付いたらしい。
しかし、その頃には俺はもう助走をつけていた。
目にも止まらぬ速さで走り抜け、俺はそのまま飛び上がった。
ドンという音と共に甲板に穴が開く。
甲板の上では驚きの声が上がった。
【いけるかこれ!?】
「わかんねー!!」
宙に舞った俺は叫ぶ。
ギリ……、いや、本当にギリギリ届くかどうか……。
どんどんとキャプテン・ジャックの船が近づいていく。
キャプテン・ジャックの船の海賊達は、俺に気づいて目を丸くしていた。
「届けぇ!!」
手足をバタバタさせる。
それが功を奏したのか、届いた。
ドゴンという音と共に着地。そのまま木造の甲板に穴を開けてしまった。
「なんだこいつ!」「……飛んできたのか?」「あの船から? ありえねーだろ」「でも俺は見たぞ……」「まあいい、殺っちまおう」
穴から這い出ると、すでに俺は囲まれていた。
俺は言い放つ。
「うぃっす……、話し合いに来ました。キャプテン・ジャックって人を出してくれませんかね……?」
沈黙。
すると、海賊の中からキャプテンハットを被った明らかに船長っぽい男が現れた。
「俺がキャプテン・ジャックだが……ん? おめぇもしかしてレイヤか!?」
え?
ーーー
ジャック。
俺はその名をかろうじて思い出した。
そう、あいつだ。
俺が異世界に転生した日、掘って出会ったあの人だ。
「いやー! 久々だなー!」
「奇遇だなホント」
俺は船長室のソファに座らされ、厚いおもてなしを受けていた。
海賊船のクルー達も俺の事を思い出したようで、ジャックを目の前に、俺は大勢の乗組員に囲まれている。
先程の殺気立った雰囲気などとうに消えており、誰もが俺との再会を喜んだ。
勿論、俺は喜べるはずもなく、愛想笑いを顔に浮かべていた。
俺が逃した犯罪者達はガチの大罪人だったようだ。
「それにしてもすまなかったな! 恩人の乗ってる船だったとは! 略奪の限りを尽くすところだったぜ!」
ギャハハと笑いが起こる。
……笑えねーよ。
でもまあとりあえず俺達の船の危険が去ったようで安心だ。
【知り合いだったのかァ!】
「ああ」
正直知り合いって呼べるほどのもんでもないと思うのだが、こいつらはそう思ってないらしい。
まるで古き友に会ったようなリアクションである。
「おお、それ魔剣か! いいもんもってんな!」
「そんなにいいもんじゃねーよ」
【あ?】
ティルフィングの声を聞いてもほとんど驚かないし、相当な場数を踏んでるんじゃないだろうか、この人達は。
「そういやレイヤはどこ向かってんだ? 航路的にユーフォスフィリアか?」
「そう、でも後10日はかかるらしいんだよなぁ……」
「やっぱりか! 俺達と同じだぜ!
それならうちの船に乗ればいい、こっちのが速いぞ! どうだ?」
そんな提案は勿論受けない。
シャーラとルルをこんな野朗共の中に放り込むなんて絶対にできないし、俺がそもそも嫌だ。
そう思って俺は断ろうとしたのだが、ジャックは言葉を続けた。
「……待てよ? レイヤがこっちに乗ればあの船は襲えるし一石二鳥じゃねーか!!」
「おお! ジャックの名案がまた出たぞー!」「さすがお頭!」「マーベラス!」
ジャックの言葉でたちまち船長室の中は盛り上がってしまった。これで断ったら相当こいつらの気分を萎えさせてしまうだろう。
もちろん、それでも断らなければならない。
論外だそんなの。
「悪いんだけどそれはちょっとキツイかな。俺には連れがいるし、別に急いでる訳じゃないんだ」
断る理由としては少しばかり弱いかなと思ったんだが、案外ジャックは食い下がらなかった。
「あー、そうか! なら仕方ねーな!」
そう言って手に持った酒瓶をぐいっと飲み干す。
周りの奴らもそんなリアクションだった。
どうやらみんなジャックに同調してしまうらしい。さすが船長なだけある。
「で、レイヤはなんでユーフォスフィリアに向かってるんだ?」
ジャックは切り替えて、そう聞いてきた。
俺は答える。
「理由なんてないぜ、ただ放浪してるだけ」
【目的のない旅なんだわ】
「へぇ、ユーフォスフィリアって言ったら今一番魔王に侵略されてる土地だけどな。沿岸の方は大丈夫らしいが、俺達以外にまだあそこに向かおうって奴らがいるのか」
そうなのか。初耳だ。
魔王……、か。
そういえば魔王とシャーラにはなんらかの関係があるんだっけ。前回シャーラが攫われたのも魔王絡みらしいし。
よく考えると、俺は魔力源泉としてのシャーラのことを全く知らない。
いや、シャーラが教えてくれないから当然か。
というよりそろそろシャーラは教えてくれてもいいんじゃないだろうか。気になるし、なんていうか不安になる。
シャーラが好きとかそういうのじゃなくて、一緒に旅をする仲間として知っておきたいのだ。
それでもシャーラが嫌がるなら仕方ないが、やっぱり一度聞いてみるべきかもしれない。
向こうから話してくるのを待つ、なんて事はもう言ってられないのだ。
「ま、ユーフォスフィリアはいいとこだし、魔王っつっても最近は動きがヘボいらしいから気にすんな」
俺が黙り込んでいると、ジャックはそう言った。なにやら勘違いをしたらしい。
俺はそれについて何を言う訳でもなく、ただ頷いた。
ーーー
「んじゃあな、会えて良かったぜ! 運が良けりゃまたユーフォスフィリアで会うかもしんねー。そん時は酒でも飲もうや兄弟!」
ジャックの船 (ジャック号というらしい)の甲板で、俺はキャプテン・ジャック一味のみなさんに見送られていた。
客船との距離は大分詰めてくれたので、これなら素で飛び移れる。
「ああ、また会えたらいいな」
「じゃあな!!」「ホント感謝してるぜ」「また会おう!」
「……」
あんまり会いたくないけど。
俺は甲板を強く蹴って客船へと跳び移った。
客船の甲板に着地すると、俺は振り返ってジャック一味のみなさんに手を振る。
すると、ジャック達も手を振り返してきて、そのうち船は遠ざかっていく。
そして気づくと、俺は旅客船の船長含む船員達に囲まれていた。
俺はジャック達を退けて、褒め称えられ、感謝の嵐なのかなーなんて期待していたのだが、どうやら違うらしい。
なんか雰囲気が感謝とかのそれじゃないのだ。
「取り押さえろ」
船長は俺を指さしてそう言い放った。
「あ、マジか」
多少は予想していた事態が起こった。
ジャック達と繋がりがあるせいで、悪党と勘違いされるという事態だ。
しかし名ある海賊と仲良くしてる姿を見てしまったら俺は危険因子の犯罪者と思われても仕方ないかもしれない。
というより実際賞金首だ。
俺は一斉に掛かってきたクルー達を見て思った。
ああ、最悪だと。
俺はクルー達の間を走り抜けて部屋に向かった。
「逃がすな、捕まえろ!!」
【こうなるとは思ってたぜ!】
「ホント最悪だ!!」
ルルは甲板にいなかったけど部屋に戻ってるのだろうか。
そう思って部屋まで辿り着いた俺は、そのドアを勢いよく開けた。
すると、シャーラはまだ寝ており、ルルも俺のベッドで丸くなって寝ていた。
二度寝である。
「あーもう!」
どんだけ寝るんだよ。
そんな文句を内心で叫んで、俺はルルとシャーラを両脇に抱えた。
そして全員の荷物もめちゃくちゃ頑張って持った。
外から俺を追いかけてくる足音が聞こえる。
【どうするよ!?】
「やっぱジャックの船に乗っけてもらうしかねー!」
しかしもうかなり離れてしまってるだろうし、こいつらを抱えて跳び移れるはずもない。
となると、ボートでも創造して脱出するしか……。
「てかなんでこいつらは起きないんだよ!」
抱えられたら普通は目を覚ます。ルルに関しては起きてるけど寝たフリしてるに違いない。
まあ俺が抱えて走った方が速いから文句を言っても仕方ないか。
そう思った俺は走り出す。
部屋を出る際に荷物が引っかかって邪魔になったが、それはなんとかした。
【後ろ来てるぞ!】
「わかってる!」
俺は廊下を走り抜け、さっき居た甲板とは逆の甲板に出る。
しかし囲まれていたようで、そこにはクルー達がすでにいた。
「チッ!」
仕方ないので俺はそのまま突っ込む、と見せかけ、そのまま空高く飛び上がった。
「なっ!」「逃がすなァ!」
目指す先は、海。
海の上にボートを創造してそこに着地だ。
俺は集中する。
びしょ濡れにだけはなりたくない。
そして創造した。それと同時にシャーラも起きた。
目覚めていきなり訳わからない状況で驚いたのか、俺の顔に抱きついてきた。
「きゃ!」
「ちょ……! 前が見えねぇ……!」
俺は首を振ってシャーラの手を退けようとしたが、シャーラはしがみついて離さない。
これじゃこんにゃくなのかボートなのか……。
【こんにゃくだ!!】
「やっぱりか!!」
焦った俺は新たにボートをイメージして創造。それを繰り返した。
これだけ数を打てば一つくらいはボートを創造できてることだろう。
海との距離もあとわずかだろうし、もう創造は間に合わない。
そう思った俺は創造をやめて着地の準備をした。
が、そのまま着水した。大きく水しぶきが上がる。
「ぷはッ!」
シャーラとルルを持ち上げてなんとか海面に上がると、そこにはプカプカと浮かぶこんにゃく数個。
苛立った俺はバジャンと顔を海水に打ち付けた。




