ラインの迷案
部屋から出ようとした瞬間だった。
俺の首元に激痛が走る。そしてぴしゃっと俺が壊した扉に血が飛び散った。
【……あ?】
「………………?」
訳が分からなかった。俺の腕の中のシャーラが、俺の首元にナイフを突き立てている。
流れ出る血。すぐに創造で傷を治そうと思った。
しかし、次にシャーラは俺の顎へ拳を打ち付けた。
「グッ……」
頭がぐわんぐわんと揺れる。俺はそのまま後ろへ倒れた。その衝撃で、首に刺さったナイフは音を立てて床に転がる。
シャーラはその前に床に着地し、俺の頭をぐいと踏みつけた。
「楽勝だぜー」
【こいつ……、シャーラじゃねェ!】
俺もそこで気づいた。
そう、シャーラじゃない。シャーラじゃなかったのだ。
俺は目だけ動かして、俺を踏みつける何者かの顔を見る。
しかし足が邪魔で見えなかった。
「こひゅ……」
首から流れる血が床に広がっていく。思考も安定せず、創造は使えない。
【オイ! 俺を抜けェ!! 早く!!】
頭が締め付けられるような感じ。脳に血が回っていない。心臓は焦って脈打つが、その度に首から血が噴き出た。
でもかろうじて俺はティルフィングに手を伸ばす。
しかし、ティルフィングに少し触れたところでドンと頭に衝撃。
蹴られた。
【よォし!】
しかし足は退けられたので、その顔を見ることができた。
その風貌はもうシャーラじゃなかった。
俺を見下ろすそいつを目だけで見上げると、まず目に入ったのは組んだ手の上に乗せられる巨乳。そして次に金髪だった。
最後に顔を見ると俺は思い出す。
勇者ハーレムの一角、アイリンだった。
「やったー! これでバルトに褒めてもらえるっ♪」
アイリンはスキップして部屋を出ていく。
さっきシャーラの姿をしていたのは幻覚の魔法か何かだろうか。
どうであれ俺の思考は纏まらなくて、創造は使えないし、体の力は抜けていくしでぶっちゃけ死にかけていた。
呼吸もできない。
瞼が重くなっていき、脳が死ぬ。
そう思ったその時だった。
俺の首の傷がみるみる治っていったのだ。
シュウという音を立て、床に広がった血が何故か急速に乾いていく。
【フゥぃー! あっぶねェなァ!! ギリギリだぜ!!】
体に力が戻っていく。ピリピリと体中が痺れるような感じがしたが、ぼやけていた視力がだんだんと元に戻っていった。
呼吸も出来るようになる。
「プハァッ……!ハァッ! ……ハァッ!」
俺はめいいっぱい息をして、呼吸を整える。
しばらくそうした後、ティルフィングに礼を言った。
「助かったぜティルフィング……」
俺の血を吸うことで俺の傷を治すことができるティルフィングの能力。
そう、ティルフィングに手を伸ばして蹴られた時に、ティルフィングの刀身を少しだけ鞘から出すことができたのだ。
そして、ティルフィングまで血が広がっていって、それをティルフィングが吸い、俺の傷を治した。
かなりギリギリだったが。
【ああ! 感謝しろォ!】
俺は冷たい床を押して立ち上がる。立ちくらみがしたが、それもすぐに治った。
「にしてもやられたぜ。ダミーだったとはな」
【油断のし過ぎだァ!】
「あんなの仕方ないだろ……」
ていうか本物のシャーラはどこにいるんだろうか。ここにいないとすれば、他にはルルの言ってた場所しかない。
とりあえず俺は近づいてくる足音の持ち主に奇襲をかけるため、扉の影に隠れる。
そして、部屋に入ってきたその瞬間を狙って壊れた扉を思いっきりぶつけた。
「ぶっ……!」
案の定駆けつけてきたのは騎士長だったようで、扉をモロに食らった騎士長は、そのまま壁にたたきつけられた。
その隙を見て俺は部屋をでて城の廊下を走る。
そこで丁度ラインを見つけた。ラインは兵士達と交戦している。
俺は飛び込むようにラインを囲む兵士達を蹴りで一掃していく。
「シャーラちゃんは!?」
「いなかった! ダミーだ!」
「本当かい!? とりあえず一旦隠れよう!」
ラインは残った兵士を叩き終えると、来た道を走り出した。
俺もそれについていこうとしたのだが、後ろから怒声。
「貴様ァァァァァァ!!」
もちろん騎士長だ。俺は振り返らない。
【オイ! あいつ必滅雷撃神槍を持ってやがる!】
しかしティルフィングのその言葉で振り返った。
騎士長の右手には例の槍。そして投擲のポーズをとっていた。
俺もティルフィングという宝具を持っているわけだし、ラインなんかは言うまでもない。
つまりアレが放たれたりしたら面倒なことになる。
「マズい! 視界から逃れるんだ!」
ラインはそう言って階段の手すりを跨いで飛び降りた。俺もそれに習ってそうする。
一階に着地すると、すぐにラインは走り出した。俺も横に並んで走る。
「あれは視界に対象がいなければ狙いを定められない!」
「そんなことよりシャーラはどこにいるんだよ!」
「わからない!」
俺は舌打ちをする。
「クソ!」
「……レイヤ、俺に良い案がある」
「……なんだ、言ってみろ」
聞くと、ラインは至って真面目な顔で答えた。
「騎士長に惚れ薬を飲ませよう」
「!?」
ーーー
俺達は今、また食品庫に戻ってきていて、そこに身を潜めていた。外からは騎士長の怒声が聞こえる。
「惚れ薬を飲ませる、確かにそう言ったな?」
「ああ、確かに言ったよ」
ラインがおもむろに胸の中に手を入れると、そこから小さな小瓶がでてきた。
ラインは見せつけるように一回宙に放り、そしてそれをキャッチした。
【凄い発想だなァ! 確かに惚れさせることができたら色々意のままだ!】
ティルフィングの声が食品庫に響く。俺はティルフィングに一発殴打を入れた。
少しの沈黙を置いてからラインは話し出した。
「勿論知ってると思うけど、惚れ薬の効果の対象は一番近くにいる人間に定められる。
さて、ここで問題が発生する訳だ。分かるよね?」
「ああ、分かるぜ」
問題なんて分かりきってる。俺は言葉を続ける。
「どっちがその対象の犠牲になるか、だろ?」
少なくとも俺は絶対に嫌だ。赤髪丸坊主のおっさんに惚れられるなんて考えただけでもおぞましい。
俺がそれをラインに伝えると、ラインは肩をすくめて言った。
「俺だって嫌だよ」
「あ? お前が発案者だろ?」
「考えてもみてくれ。これでシャーラちゃんを助けることができるんだよ? 逆に言うと、こうしないとシャーラちゃんの居場所は分からない」
「ぐ……」
言葉に詰まる。その通りだった。
【どっちかがやるしかねェな。レイヤ、もうお前がやっちまえよ】
ティルフィングは楽しげにそう言った。
こいつ、その絶対その状況を見たいだけだ。
「俺は絶対にやりたくない」
「俺もだ」
「…………」「…………」
沈黙。
ただ俺とラインは見つめ合って……いや、睨み合っていた。
ラインは口を開く。
「レイヤ……、じゃんけんって知ってるかい?」
「……お前まさか」
「……もうこれで決めるしかない」
俺は異世界にじゃんけんがあったことに驚く前に、じゃんけんでこの苦行を決めるというラインの安直な考えに驚いていた。
だけど、これ以外に方法があるかと問われれば、それは首を横に振るしかない。
ならば、やはりこれで決めるしかないのだろうか。
このままこの沈黙を続けて時間が過ぎていくのもお互いに避けたいことだ。
こうしてる間にも城に兵士は集まって来てるはずだし、ここも直に見つかってしまうだろう。
そこまで考えた俺は言った。
「……いいぜ、やろう」
――絶対に負けられない戦いが、今始まる。
俺は手を前に交差させて組み、ぐるんと回す。そして作った手の隙間からラインを覗いた。
見える。
【なにやッてんだ?】
「……いや、なんでもない」
「じゃあいくよ? 準備はいい?」
俺は頷いた。そして生唾をごくんと飲み込む。
「じゃん、けんッ!!」
「「ぽんッ!」」
俺は負けた。
ーーー
「サポートは全力でするよ」
「……クソッ」
俺は今、惚れ薬の小瓶を片手に持ち、食品庫の扉から少しだけ身を出して外を覗いていた。
「探せぇぇぇぇ!! 探し出せぇぇぇ!!」
そんな騎士長の叫び声が城の何処かから聞こえてくる。
そして俺はため息を一つついた。
「ハァ」
俺はその後、小瓶をポケットに入れていっきに部屋を飛び出す。
「いたぞぉぉぉぉ!!」
一人の兵士の叫び声で、わらわらと兵士達が集まってきた。
俺は飛び上がって壁を蹴り、その群れを一気に抜ける。
【お前最近それッぽい動きするよなァ!!】
「達人っぽいだろ?」
【いいや、まだまだだァ!!】
騎士長の声がする方向へ、壁を蹴りながら立体的に進んでいく俺。自分でもこんな動きができてびっくりである。
次の角を曲がったところで、俺は騎士長の姿を見つける。
丁度ラインも俺の後ろについてきていた。
「見つけたぞォォォォ!!!」
騎士長は投擲の構えをすでにとっていた。
俺は槍が投擲される前に騎士長を打ち倒すべく、身体強化を使う。
そして一気に駆け出したのだが、後ろからパァンと音がして、俺よりも速い何かが俺のすぐ横を通り過ぎていった。
その何かは、どうやらラインによって放たれたものらしく、騎士長の槍を持つ方の腕に直撃した。騎士長は思わず槍を手放す。
「レイヤ! 今だ!」
「分かってる!」
その隙を見た俺は一気に距離を詰めて、ティルフィングを抜刀。
そして必滅雷撃神槍を斬り付けて、横に飛ばした。
「貴様ァ!」
騎士長はそれを見てすぐに剣を抜き、俺をなぎ払う。
俺はそれを屈んで躱し、そのまま弧を描くように足払いを掛けた。流れるようにティルフィングを鞘にしまい、俺は体勢を崩してよろける騎士長に追い打ちをかけるべく、腹に掌底をお見舞いした。
「ぐぼぉ……!」
そして両手を地に着け、俺はそれをバネにして足から飛び上がる。
騎士長の肩に俺の足を掛け、着地時にマウントを取れるようにした。
その際ポケットから飛び出した小瓶を俺はキャッチする。
ドンと言う音と共に、騎士長は頭から床に叩きつけられる。衝撃の逃げ場は俺が馬乗りになっているので、ない。
【良い動きだァ!!】
俺は手の中の小瓶を開けた。そして、騎士長の顔面を抑える。
しかしそこで俺は躊躇ってしまった。
本当に、やらないといけないのだろうか……?
それを見たのか、ラインは後ろから叫んだ。
「何してるんだ!! 早く!!」
そんな一刻を争う状況でもないのに、ラインの声からは焦りが感じられた。
大方早く俺にやらせておいて、自分の不安材料を消化しておきたいのだろう。
「俺に何をするつもりだァ!」
暴れる騎士長の顔を強く抑える。
【もう腹括れよ】
「……クッ」
騎士長は訳もわからないまま惚れ薬を飲まされるのであった。
ーーー
騎士長は変わってしまった。
「ああ! この身は貴方に捧げるためにある! 新しい王よ! いかなる事でもお申し付けください!」
「ちょ、お前うるさい」
【ギャハハハハハハハハ!!】
「お前もうるせぇ!!」
「みんなうるさいよ……。防音の魔法貼ってるからいいんだけど……」
俺達はまた食品庫に帰ってきていた。
俺にとって幸いだったことは、騎士長がベタベタしてくる系じゃなくて、尽くす系の惚れ方をしたってことだった。
騎士長は俺の前に片膝をついて頭を下げてる。
赤い坊主頭の頂点が俺に向けられていた。
「まあでも扱いやすくなったじゃないか」
【良い経験だと思え!】
おっさんに惚れられるのが良い経験だァ?
「こんな経験ができるとは思ってもなかったぜ」
まあいい、扱いやすくなったのは確かだし、これで色々情報も引き出す事が出来るだろう。
「で、騎士長さん。宝物庫はどこにあるんだい?」
ラインは話が途切れたのを見て、騎士長に尋ねた。
「お前知らなかったのよ」
「知ってたらこんなに苦戦しないさ」
確かに、場所さえ分かっていれば、こいつならちゃちゃっと終わらせてそうなもんだ。
だけどその宝物庫が見つけられないということは流石に国の宝物庫なだけあって、ラインでも一筋縄ではいかないということか。
「地図には……載ってるわけ無いか」
「うん。
騎士長さん、どうなの?」
溜息を吐いてからラインは言う。
すると、騎士長が少しだけ顔を傾けてラインに言った。
「誰が貴様に教えるものか」
なるほど、ラインの言うことは聞かないらしい。
「レイヤ、聞いてくれない?」
「騎士長、宝物庫ってどこにあんの?」
「ハッ! 宝物庫の隠し場所は私にも知らされておりません! それと、私めの事はアステスとお呼びください」
それを聞いて、俺はラインの顔を見る。
「らしいぜ?」
「うーん、困ったね」
【宝具で隠されてンじゃね?】
「その可能性が高いね」
いや、そんなことよりシャーラだ。宝物庫の方がどうでも良い訳ではないけど、優先的にはシャーラに劣る。
「じゃあ騎士長、シャーラはどこにいんの?」
「……シャーラとは、あの宝具のことでしょうか?」
「ああ、そうだけど」
「……あの宝具なら、勇者殿の部屋にあります」
ありますという表現に少し違和感を感じたが、そこは価値観の差。
騎士長がシャーラをどう思おうと、俺には関係ない。
てか勇者の部屋だと?
つまり勇者と一緒にいるということだろうか?
いや、あの金髪巨乳、アイリンがいたのだから居るのは確定的か……。
シャーラが勇者と一緒にいるという事態に少しの苛立ちを感じながら、俺は続けて騎士長に聞く。
「その部屋はどこにあんの?」
「……3階の北西にある部屋です」
「そうか」
俺が答えると、騎士長は我慢ならんと言った様子で勢い良く立ち上がって叫んだ。
「なぜあの宝具に拘るのです!! 私では駄目なのでしょうか!! 私は、あの宝具に劣ると!?」
その剣幕に俺は一歩後ずさる。ラインもいきなり豹変した騎士長に驚いていた。
「え? お前何言ってんの? 何言ってんの?」
「うおおおおお!!」
雄叫びと同時に、騎士長はズボンを勢い良く下におろした。連続でパンツも脱ぐ。
もちろんそれで騎士長の必滅雷撃神槍が露出することになる。
そしてそのアレは、まさに必滅雷撃神槍よろしく、戦闘モードだった。
「ヤバい!」
貞操の危機を感じた俺は瞬時に踏み込んで、騎士長の腹に思いっきり拳を入れる。
「ぐほぉ……!」
騎士長はそのまま前のめりに倒れた。どうやら気を失ったようだ。
「ふぅ、危なかった……」
「……すごいね、惚れ薬って」
「……ああ」
閑話休題。
「レイヤ、騎士長はどうする? 用済みだし殺しとく?」
あっさりそんなことを言ったラインに俺は驚いた。
「……いや、殺さなくてもいいんじゃね?」
【……】
俺の言葉に今度はラインが驚いたような顔をした。
「てっきり同意を得られると思ってたんだけど、なんか色々分かったよ」
「なにが?」
「レイヤ、それが君が弱い訳なんだ。
甘すぎる。レイヤは自分に枷を着けてるんだよ。
その魔剣、ティルフィングだって本気で使ったことないでしょ?
さっきの戦闘も見てたけど、手加減し過ぎ、死なないように気を使いすぎ。
俺は兵士達を何人か殺したけど、レイヤが攻撃した兵士は一人も死んでいなかった。
第一、レイヤは俺も殺さなかった。俺があんなことをしたのにも関わらずね。
……それ、良いことではないよ。
道徳的にじゃなくて、君の未来的に。
現時点でレイヤが圧倒的に世界最強ってならいいんだけど、そうじゃないだろ?」
最初の方でどんな事を言われるのかは大体わかっていた。
俺は思う。いくら凄い力を手に入れたとは言え、ただの高校生だった俺がいきなり人を殺すなんてことできるはずがないじゃないか、と。
精神的にキツイものがあるのだ。
アニメや小説の主人公は力を手に入れた途端、人を殺したりするけど、普通の人間ならあんなことはできない。
精神的に、少なくとも元の世界で生きてた俺にとって、死はそんなに間近にあるものではなかったのだから。
「なかなかキツイこと言うなお前……」
「レイヤ、そんなのだと、いざと言う時本気を出せないし、その枷は重くなる一方だぜ」
【オイオイやめてくれ、レイヤにはまだ早い】
「そうかな? その割には黙って聞いていたじゃないか」
【まだまだ使ってもらわねェといけねェのに壊れちまったらどうすンだ!! こいつはこれでいいんだよ!!】
「……まあただの忠告だよ」
「一応心に留めとけってことだろ? ライン、ティルフィング」
俺は苦笑いでそう言った。