薬屋の老婆
【あそこだ、あの角を曲がった所】
「おっけ」
薬屋まではすぐ着いた。割りと宿から近かったのだ。
が、閉まっている。
【昔とは違うんだな】
「そのようだな。昔のことなんて知らないけど」
薬屋の二階の窓からろうそくの光が漏れているので中の人は起きているには起きているようだ。
迷惑は承知で俺はドアのベルをリンリンと鳴らした。
そしてしばらく待つ。
出てくる気配が全くないので今度は何回もベルを鳴らしまくった。
しかしそれでも出てこない。
「でてこない」
【そうだな、どうするよ?】
「騷げ」
【よし来た。
イッヤィァァァァァァァァ!!!】
「もういっちょ!」
【あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!】
そうこう騒ぎながらベルを鳴らしてるうちに、薬屋のドアがギィと開いた。
「うるさいよ!」
そう言って中から出てきたのはいかにも薬屋って感じの老婆だ。
しわくちゃの顔で、腰はすっかり曲がってしまって俺はその姿を少し見下ろさなければならない。
若干の艶を残した白髪が薬屋の中で光るろうそくに照らされた。
「こんばんは」
「まったく、こんな時間に何のようだい!?」
「連れが間違ってこれを飲んでしまいまして、治して欲しいんですよ」
俺はそう言って惚れ薬の入った瓶を老婆に手渡した。
老婆はそれを受け取るなりびんの蓋を開けて、手で煽って軽く匂いを嗅いだ。
「これは……惚れ薬だね。それもかなりきつい」
「そうなんだよね……」
「……立ち話も何だ、まあ入りな」
そう促され、俺は薬屋の中に入った。こんな時間に家の前で騒がれたら俺なら確実に突き返す。
そう考えたら中々良い人じゃないのだろうか、この人は。
中に入ると老婆は新しいろうそくに火をつけ、ゆり椅子に座った。
「惚れ薬飲んでしまったくらいなら明日来れば良かったじゃないか。なんでこんな夜遅くに来るんだい? 近所の人らも顔出して迷惑そうな顔してたよ」
「それだけ早く治したいんすわ」
ふーん、と言って老婆は葉巻に火をつけてそれをふかした。
「治けるっちゃあ治せるけど、薬の材料が足りないねぇ」
「今からとりに行く。どこにあるんだよ老婆?」
「いや、ここにある。あと、せめて婆さんにしてくれ」
ここにある? 足りてるじゃねぇか。何言ってんだこの婆さん。
「不思議そうな顔してるねぇ、足りない材料ってのはアンタの血だよ」
「ああそれなら、いくらでも」
そう言って俺はティルフィングを抜いて自分の手首を斬った。
しかし、流れた血は全てティルフィングが吸い取った。そしてこいつの能力で俺の傷口も治る。
【うめェェェェェェェェェェェェ!!!!】
「ちょ、話聞いてた? 血吸うなや」
【お前の血うめェなァ!】
その様子を見て老婆は目を丸くして言った。
「それ、魔剣だね。なるほど、二人いると思ってたんだけどそいつが騒いでたのか」
【ウィッス】
「……アンタ只者ではないようだね。聞きはしないけどさ」
婆さんはそう言いつつ近くの引き出しから小瓶を取り出して俺に渡した。
どうやらこれに血を入れるらしい。俺は新しく作った傷からそこに血を垂らした。
「それくらいでいいよ」
瓶の半分くらいまで血が溜まると、婆さんはそう言って俺から瓶を取り上げた。
俺は未だ流れる血をティルフィングに垂らして手首の傷を治す。
「婆さん、薬はいつ頃出来上がんの?」
「調合率ってのがあってね、この惚れ薬も分析して、それにあった薬を作らないといけないんだよ。
それを今からやっても出来上がるのは明日の朝。アタシの言いたいことはわかるな?」
「つまり今はできないから日が昇ってからまた来いと?」
さすがにこの時間からやらされるのは婆さん的にもキツイか。一応店は閉まってた訳だし。というよりよく考えたら俺とんでもなく迷惑な客だな。
「朝、また来な」
「え? マジで?」
今からやってくれんのか。カッコいいな、この婆さん。
言われたとおり、とりあえず一旦宿に帰って、朝にシャーラ連れてまた来ることにしよう。
「んじゃ、オナシャス」
俺は婆さんに軽く挨拶すると、薬屋を後にした。
ーーー
宿に戻ると、というより宿の前に着くと、そこにシャーラが立っていた。
立ちつくして、泣いていた。
少し離れた所からシャーラが見えた時は驚いた。大方俺を探して外まで出てきたんだろう。
俺が近くまで来るとシャーラも俺に気づいて、すぐに俺の所まで駆けてきた。
勿論、受け止めない訳にはいかない。
「ふぐっ……えぐっ……」
起きたら俺がいないことでそうとう悲しくなってしまったのだろう。今のシャーラならそんな姿が安易に想像できてしまう。
シャーラが俺の胸の中に顔を押し付けて泣きじゃくので、服が段々と涙で染みてきた。
その姿を見るとなんだかこちらも申し訳なくなってくる。
しばらくそうしていたのだが、いつまでもここにいても仕方ないので、胸の中で号泣するシャーラを連れて部屋に戻ることにした。
その後も泣いてるシャーラの介抱は大変だった。
ーーー
翌朝、俺は小鳥のなく声で優雅に目覚めた。
横で眠るシャーラは両手で俺の手を握っている。シャーラの手はすべすべしていて暖かかった。
そして俺がその手を振りほどいて伸びをしようとしたら、とんでもないことに気づいた。
シャーラの手は確かに優しく解いたのに、俺とシャーラの手がくっついているのだ。
肌と肌がくっついてる訳じゃないのだが、俺が小さく手を上げると引っ張られるようにシャーラの手もついてくる。
そう、まるで見えない鎖に縛られているかのように。
「ふぅ……なんだこれ」
まだ寝ぼけてるのかもしれない。
そう思って俺は逆の手で目を擦った後、深呼吸して脳に酸素を行き届けさせた。
そしてまた手を持ち上げてみる。勿論ついてくるシャーラの手。
これは……なんや?
【それがどうなッてるか教えてやろうかァ?】
俺が起きたのに気付いたのかティルフィングが話しかけてきた。
「この超常現象について知ってんの?」
俺は謎の結合を見せつけるように手を持ち上げる。
【それは“夜空の鎖”っていう宝具だ。ほら、あの小僧から奪っただろ?】
もしかして、ギガースを拘束したあの鎖か……?
宝具の見分けなんてつかないからそんなの知らなかった。宝具に関してはシャーラの方が詳しいので管理は任せていたのだ。
「つまり……、それが誤作動したと?」
【ちげェ。シャーラが夜中起きてきてその宝具を使ったんだよ】
なるほど、やってくれるね。
そもそも見えない鎖なんてどうやって使うんだよ、とか、ギガースが壊したんじゃねぇのかよ、とかの疑問は全てティルフィングが解説してくれた。
うるさいこの魔剣は話せれば何でもいいので、その辺りを面倒臭がったりはしない。
ティルフィングに聞くところによると宝具“夜空の鎖”に原型はなくて、使ってない時は小石みたいな形に留まるらしい。
後者は、壊れたら持ち主の所に戻ってくるという理由で説明された。
便利な宝具だが、それをすぐにまた使う事はできないようだ。一度壊されたら丸一日待たないと元に戻らないらしい。
「で、どうやったらとれんのこれ?」
【壊せばいいンだよ】
そんなことをしたらシャーラに危害が加わるだろう。多分この発情シャーラはそこまで考えてこの宝具を使ったのだ。
「却下、他の方法は?」
【時間経過なら丸一日ィ!】
「一日だぁ? 他ないの?」
【他は知らネェな】
仕方ないな、それでいいか。ぶっちゃけ嫌ってわけでもないし。
ただ、シャーラが元に戻った時が心配だ。そうとう嫌がりそうで怖い。まあそんな時は発情モードのシャーラの恥ずかしい話を淡々と語ってやるのだが。
そんなことを考えながら俺は喉が乾いたので水の入った樽の所まで行こうとしたのだが、シャーラと手が合体しているので取りにいけなかった。
丸一日はずっとひっついてないといけないのは案外キツイかもしれない。
「あ、レイヤ……おはようございます……」
そうこうしているうちにシャーラも目を覚ましたようで、顔だけ布団から出して俺にそう言った。
目を開いたシャーラだが、昨日泣き疲れたせいでまだ眠いのか、瞼が重たそうだ。
シャーラは瞼をゆっくり開いたり閉じたりしている。
そして思い出したかのようにいきなり俺の手を握り直した。
そのあとシャーラは何を思ったのか俺を布団の中に引きずり込もうとした。しかしその力は弱くてほんとに少しずつしか俺を動かせない。
頑張って俺を布団の中に戻そうとするシャーラをよそに、俺は片方の手でシャーラが被る布団をひっぺがす。
「何やってんだ起きろ。行くところがある」
「……はい」
俺がそう言うとシャーラはしゅんとして体を起こした。勿論手は握ったままだ。
俺はシャーラと一緒にベッドから下りた。
「寒いです……」
シャーラは身を擦り寄せてくる。そしてまたぴとりと俺にくっついた。
何でこいつこんなに可愛いんだよ……。何が痛いっていうとこんなシャーラにはイタズラできないってところなんだよね。
そのとき、俺は思わずシャーラの髪の毛を撫でてしまっていた。
ほんとに無意識に。
【見せつけてんじゃネェぞ!!】
ティルフィングのそんな声で俺はパッと手を離した。
ホントに無意識でやってしまったので、俺もびっくりしている。
何だったんだ今のは……。
ーーー
とりあえず手が繋がってるので着替えすらできない。
だから俺達は早急に宿を出て薬屋へ向かっていた。
【ほんとにいいのかァ? もうちょっと堪能したほうがいいと思うぜ俺は】
「いいんだよ、こんなシャーラは色々な意味で耐えられない」
少し歩くとすぐに薬屋の前に着いた。横のシャーラは俺に持たれてウトウトしている。
俺はリンリンと薬屋のベルを鳴らす。
だけど出てこない。
【なんだ、寝てんのか?】
「ありえるな、勝手に入ろうぜ」
俺がドアノブを回すと、鍵はかかってなくてすんなりドアは開いた。
そして、中に入って真っ先に眼に入ったのは部屋の隅っこで倒れている婆さんの姿だった。
【……オイオイ、大丈夫かよあれ】