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痒いところに手が届く。そう言うと変な感じだけど、仕事のパートナーとしての“黒豹”は正にそんな感じだ。
これほど息の合う人間は今までいなかった。悔しいけど、その実力はやっぱり本物。
今まで一人で仕事をしてきたからと言って、傲慢な仕事ぶりを見せるわけでもない。
二人で暮らすことにもなぜか慣れてしまった。妙なことをしてくるわけでもなく、毎晩額に口付けて、私を抱き締めて眠るだけ。
こっちの気も知らないで。否、この人の場合、わかっていてやっている可能性が高い。本当に性格が悪い確信犯。
料理くらいさせられると思ったのに、凄く尽くされている気がする。何でも自分がやるのだと言った。
今もキッチンに立っている後ろ姿は何か意外だ。きっちり黒いエプロンをしている。
「先輩って凄く大ざっぱですね」
「そうか?」
料理は大体美味しい。最初はここで暮らすのが嫌で意地でも食べないとか思ってたけど。
でも、野菜の切り方とか適当だし、味付けもいい加減。でも、不思議なことに大方食べ物。たまに、ちょっと食べたくない時もあるけど。
「人間臭いっていうか。完璧な仕事ぶりは尊敬してたんですけど」
「仕事とプライベートぐらい分けられるっつーの。仕事もプライベートも完璧にやってたらもたねぇから」
やっぱり意外な言葉。そして、ドンとパスタが目の前に置かれる。
暮らしてわかったこと、かなりの偏食、米嫌いのパスタ好き。それでかなりの酒好き。しかも、食べるより量を飲む。
こだわりが多くて面倒臭い。黙って尽くされる理由はここにある。
京も本部で会うこともほとんどないけど、元気だって話は彼の後輩になった人間から聞いている。
「いただきます」
取り分けてもらって、食べ始める。それをいつもじっと見られてる。
最初は文句を言ったけど、面倒になってきた。我慢することが平和だって気付いた。
「俺って完璧にお前の胃袋掴んでるよな」
「そこまでは美味しくないですよ」
「んだと? 俺様の施しにケチつけるってのか?」
ケチつける余地を残しといてよく言う。面倒臭いからそうさせてるだけで、本当は自分で作った方が美味しいと思ってる。
「パスタ、ちょっと硬いです」
「アルデンテだっての。俺は硬めが好きなんだ」
「昨日は凄く柔らかくて、その方が消化にいいんだとか言ってましたよね」
自称“野生の勘”は料理に発揮するには間違ってる。丁度良かったことなんて稀なのに、学習しない。いつも、言い訳する。
それで笑えてる自分に気付くと、不思議な気分になる。
「お前ってやっぱ可愛いよな」
「んごっ!」
急に言うものだからパスタが喉に詰まった。そんな時でもスマートに水を差し出してくるから恨めしい。
「やっぱの意味がわかりません。私、先輩に散々生意気だとか言われた気がしますけど」
可愛いなんて言われたこと一度もない。これも初めは壮大な嫌がらせだと思ってたくらい。
「俺、天の邪鬼なんだよな。典型的な、好きな子ほどいじめたいタイプ」
それ、自分で言うことじゃないと思う。
「自覚があるからサイテーなんですよ」
「俺、お前にそうやって蔑まれたいのかも」
「ドMですか」
もうどうしたらいいかわからない。
「この前、年上が好きだって言ってた気がしますけど?」
ビール片手に理想の女性について語り続けたことを忘れたとは言わせない。そもそも、普段から酔っぱらいのような絡みっぷりだけど、お酒で酔える人じゃないっていうのもわかってきた。
「エロいお姉さんは好きだぜ? だが、色気のない女の方がいいこともある。普段はない色気を自分の手で引き出すっていう……」
面倒臭い話しになったから私は食べることに専念した。興味はないから。
「なんてな。お前には手出さねぇよ。出してくれってお願いするなら話は別だけど」
誰がそんなお願いするものか。一生手を出さないでくれって言いたいくらい。
でも、それもわかってるんだ。この人は。そういう気なんて全くないのに、私を引き受けた。もしかしたら、私もダメになりそうだったのかもしれない。その点では感謝してる。
「……私、“雪豹”でいいです」
「は?」
「先輩がそう呼びたがるから」
私のコードネームは未だ支部時代の“スノウ”のまま。この人だけが“雪豹”にしたがって、からかってくる人もいたけど、正式じゃない。
「だったら、いい加減に、当てつけがましい先輩ってのもやめろ。ヒョーゴって呼べよ、ユキ」
「ヒョーゴ先輩」
少しぐらいはいいかな、なんて思った。私はまだどちらも救えてない。あれからヒビキは現れないし、一度きりだったんだと思う。
「あいつのことは呼び捨てだったのに」
京のことは私の中で、今でも別格。先輩であり、年は離れてたけど友達みたいなところもあった。多分、距離が近すぎたんだと思う。
あの人は人を引きつける空気があって、私は上手な距離のとり方を知らなかった。
「まあ、いいか。悪くはねぇ。先輩ってなんかエロい感じがする」
「下種ですよ、やっぱり」
それでも、絆されてる。
でも、それは私から京を取り上げてできた隙間に入り込んできただけ。
きっと依存できるなら誰でもいいんだ。私は。
*
レオがようやく返事をして教育係に京がつけられたと教えられるのと同時に大きな仕事を言い渡された。
要人の暗殺、そして、全てがこのための布石に思えた。
でも、“黒豹”と私――“雪豹”ならできるって思えた。
実際、仕事は上手くいった。京の後輩達のサポートは完璧だった。でも、ずっと最初から妙な予感がしていて、案の定、それは的中してしまった。
「俺がお前を選んだ理由、教えてやろうか?」
本部で報告を終え、駐車場に停めた車の中、“黒豹”が急に切り出した。
様子がおかしい気はしてた。でも、平然と報告してたから気のせいだと思ってた。
「聞きたくないです」
聞いたら全てが終わってしまうと思った。でも、教えない気なんてなかったんだ。
「お前との仕事を最後にしようと思ってるからだ」
「……引退するつもりですか?」
違うと言ってほしかった。冗談だと、心にもないって、思ってることと反対だって。
「それもいいなとは思ってたんだよ、ずっと。いつでもやめて、自由になってやるって。早くリタイアして、南の島で美女と遊んで暮らすんだって」
「あなたがあの人をそうさせたように?」
ライバルの死を偽装した。多分、それに至る過程でけしかけたのはこの人なんだと思う。
「燃え尽きちまったんだよ、俺は」
「そんなのヒョーゴ先輩らしくないです」
全然らしくない。レインがいた時のこの人がどれだけギラギラしてたかを知らない。だから、その点では彼女がにくくなることもある。
「あいつがいなくなって何もかもがリアルじゃなくなった」
「私たちはただの凶器です」
「ああ、そうだ。でも、なりきれねぇ。やっぱ人間だからよ」
同意してくれたその瞬間、ほっとしたのに奈落に突き落とされた気がした。
「だから、俺はやめる。解放を望むよ」
「そんなことできるわけないじゃないですか」
「できるさ」
この人がそういうとできる気がしてしまう。
「……私も連れて行って下さい」
「それはできねぇよ」
「どうしてですか?」
「惚れた女だから」
だったら、尚更連れていってほしかった。その言葉が嘘でないなら。
「私、あなたを救うように“ロミオ”から言われたんです」
「ああ、あいつか……」
その言い方は少しわざとらしくて、あの男が噛んでる気がした。
「私、まだあなたも“ライオン”も救えてない」
「十分、救われたよ。楽しかった。あの家は好きにしろよ。お前が住んだっていいし、部屋のものも適当に処分してくれ」
そんなの嘘だと思うのは私の心が救われないから?
掴まなければって思う。私を掴んで置いて離す非情な手を。
伸ばそうとした手が触れたのは近付いてきたから。
唇が重なっている。私は必死に腕を回す。
また反対のことを言ったんだって思った。
「ヒョーゴ」
唇が離れて、呼んでみた。先輩をつけずに彼が望んだ通りに。
嬉しそうに笑ったように見えて、髪を撫でて、額にキスをして――
「ごめんな」
ああ、やっぱりこの人は酷い人だった。
私の意識は闇に墜ちた。それはお休みの合図だったから。
*
目覚めた時、本部の医務室のベッドの上だった。ベッドの脇に座る気配に期待して、見てドキリとしたけど、すぐに全てが幻想だって気付いた。
あの人はもうここに帰らないんだって思った。
「レオ……」
金の髪は黒く染められていて、髪型まであの人に似ている。でも、やっぱり違う。全然違う。私がレインと全然違うのと同じくらいに。
「駐車場の車の中で気を失ってたらしい。あの野郎は行方不明だ」
「そう……」
あれが悪夢ではなく、現実だってわかってる。わかりたくなかったのに、強く認識してる。
「『生きろ。どんなに浅ましくたっていい。生き続けるための選択をしろ』って俺に言ったよな?」
「それは私の言葉じゃない」
とある色男の言葉、私自身が彼にそう言ったわけじゃない。ただの伝言。
「お前に向けられた言葉でもあったかもしれねぇぜ? あいつ、千里眼だって言われてるから」
そんなことあるわけがない。あるとしたら、それは彼がこうなることを予期していたってことになる。
でも、ありえないことじゃないってどこかでは感じてる。彼は関与しているかもしれない。たとえば、“黒豹”がレインを死んだことにするのに協力したように。
「お前は生きてるから。だから、自ら死ぬような真似はすんなよ」
私も一生しないと思ってた恋をした。
「……どうして、寝返ったの?」
それも彼の手回しじゃないかって思った。
「あの野郎、レインにも同じこと言ったんだろうと思って」
ヒビキなら多分、レインにもそう言ったと思う。
「生きてりゃ生まれ変わりに会うかもしれねぇから俺も生まれ変わってみた。俺に命を吹き込んだのはお前だ」
そんな実感はない。レインがどこで何をしてるかなんてわからない。死んだことになってるなら、きっとここを離れてる。
「今日から俺は“黒豹”だ。あの野郎が俺に継げと言ったから」
その言葉が信じられなかった。だけど、同時に納得してる。
だから、彼は黒髪にしたんだ。百獣の王から黒豹に生まれ変わったから。
「いずれ、この世界は変わる。だから、それまで一緒に生きようぜ」
その誘いを素直に受けるのは難しかった。家に帰れば、彼が待っている気がするのに。私を置き去りにしたのは嫌がらせだったって、そう思い込みたいから。
でも、彼はきっといない。帰ってしまえばその事実を思い知らされる。大嘘吐きの酷い男だったから。
「あの野郎が死ぬかよ。いつか、会える。その時までお前が俺に心変わりしなきゃだけどな」
「しないよ、絶対」
「させてやるよ」
ニヤリと笑うこの男にもまたその気がないんだと思う。だって、同じように幻影を追い続けていたから。
彼は本当にどうしようもない大嘘吐きだった。部屋からは彼の私物が消えていた。持ち出したとは思えない。多分、誰かに処分させたんだと思う。
勝手に私の心に入り込んで、彼は消えた。サイテーな男だった。
本当は誰よりも他人のために自分を犠牲にできるくせに裏返しの言葉ばかりを吐いて、たまに表のまま混ぜ込んだりして、翻弄する。
でも、きっといつか忘れた頃にサイテーな言葉を吐き捨てに現れるような気がする。
その頃にはレオもレインに会えるだろうか。レインは初恋の相手に会えるだろうか。
『ユキ』
きっと何年経っても変わらずにそう呼ぶんだろう。
けど、何もかも忘れて美女の腰を抱いているような気もする。
だから、私が見付けだすんだ、あの男を。いつか解放されるその時に。彼が望んだように世界が変わったその時に。
第一声はもう決めている。
「 」
お読みいただき、ありがとうございます!
アンリアル2、これで完結です。




