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なかなか離してくれない京の腕から抜け出して、何とか学校にきたけど、ずっと落ち着かなかった。
必ず帰ってくるからって納得させたけど、あの悲しそうな目の意味がわからない。どうして彼は一日学校を休ませてまで私を拘束しようとしたのだろう。
一晩中私を抱き締めて、髪を撫でて、それ以上のことはしなかった。
帰りのホームルーム前の教室には妙なざわめきがあった。私だって昼間は普通の女子高生してる。
「雪奈、雪奈! ちょーかっこいい人がいるよ!」
友達が私を呼ぶ。みんな、窓の外に夢中。何か嫌な予感……
ちらっと見てから後悔した。見たくなかった。
何でこんなところに“黒豹”が出没するのか。
顔を合わせるわけにはいかない。こんなところで、あんな男と関係があるなんて思われるわけにはいかない。地味で目立たない女子の私が。
何とか校舎裏に回って、塀を乗り越える。これくらい簡単なこと。
でも、甘く見るべきじゃなかった。その男はお見通しって顔で私の前に立っていた。
「俺を出し抜こうなんて百万年早いんだよ」
それは認めるしかないのかもしれない。この人は本部で最強、ううん、ライバル組織のトップが消えた今となってはこの辺りに敵はいないかもしれない。
「何のご用でしょうか?」
「迎えにきてやったんだよ」
そんなもの頼んでもいないし、是非来るなとお願いしたいくらい。
「仕事とは聞いていませんが」
「家に帰るんだ」
「一人で帰れます」
もうこの人を京に近付けたくないのに。本気で逃げないとまずい。でも、私がこの人を出し抜ける? 一度、失敗してこの状態なのに。
「知らねぇだろ、俺の家」
「はい?」
耳を疑った。俺の家、って何?
何で、私が獣の巣に連れていかれなきゃいけないのか。パートナーだから?
その話はこれから本部に行って、ボスに直訴しようと思ってたのに。
「あー、聞いてねぇか。お前、今日から俺と同棲」
聞いてるはずがない。そんなこと知らない。絶対に受け入れたくない。
「先輩の悪趣味な冗談には懲り懲りです。パートナーだからって一緒に住むものじゃないでしょう。って言うか、パートナーの話も撤回してください。私は京と組みます」
「無理」
ニッコリ、悪魔の笑みを見せたと思ったら私の腕を掴んで、無理矢理近くに停めてあった車に押し込む。
「人攫い! この最低男!」
「威勢がいいな」
クスクスと笑って車が発進される。走行中でも外に飛び出したい気分だった。
「ほら、いいマンションだろ?」
私達が暮らしていたところよりずっといいのが見ただけでわかる。でも、そんなところに住みたいとは思わない。
「先輩と同棲なんて絶対に嫌です」
「そう言うなよ。荷物運び込んであるし」
最悪だ。それが嘘とも思えないから最悪だ。
「私の部屋とかないじゃないですか」
確かに仕事上物が増える京に比べて少ない私の荷物が確かにそこにあった。
でも、案内された部屋はこの人の部屋だけ。聞き捨てならないことを言っていた気がしたけど、聞き間違いだと思うことにした。
「いらねぇだろ、別に。俺と一緒に寝ればいいんだし」
本当に最悪だ。昨日こそ一緒に寝たけど、京だってそんなことは言わなかった。
何を考えてるのかわからなくて、ただムカついて……
「先輩なんか大嫌いです!」
罵声を浴びせてマンションを飛び出していた。
とにかく、京のところに戻りたかった。好きとかそういうことじゃない。京が私を必要としているから。
多分、依存しつつあるんだと思う。必要とされることで優越感を感じていたのかもしれない。たとえ、憧れの人が戻るのに障害になるとわかっていても。
戻りたくて、でも、鞄がないことに気付いた。ポケットにケータイは入ってるけど、お財布がない。歩いて帰るにも距離があるのは明らかだし、実はまだこの辺りのことはよくわからない。
それは京も同じこと、彼は車を持っているわけでもないし、仕事前にゆっくりしている時間に呼び出すのは気が引ける。そもそも、電話で拒絶されたら、どうしたらいいかわからない。
そう思うと涙が出てくる。
「ダメだよ、こんな危ないところで可愛い女の子が泣き顔見せちゃあ。悪い男に食べられちゃう」
不意にかけられた声に驚いたのは気配を感じなかったから。いくら気を取られていたとは言っても、全く気付けなかった。
「やあ、こんにちは。俺はヒビキ」
微笑むのは多分三十過ぎの男、優しげでそれなりにかっこいい。
「ナンパならお断り」
「まさか、こんなおっさんと女子高生じゃあ犯罪になっちゃうよ」
おっさんとは言ってるけど、そんなに老けて見えない。背も高く、たるんでいるわけでもなく、女に困るような容姿には見えない。
「君、あれでしょ? “黒豹”君のお気に入りの“雪豹”ちゃん」
顔に出すべきじゃないとわかっていたのに、そうせずにはいられなかった。
否定したいところはあるし、それがわかるのは内側の人間だって思うけど、でも、このヒビキという男には同じ空気がない。
「大丈夫。俺は組織的には敵だけど、君に敵意はない。君にお願いがあって、こうして危険を冒して接触してる。話を聞いてほしい」
それは、こちらの組織に内通者がいると認めたのと同じではないだろうか。そういう話は支部でも、前からあるし、本部でもそういう話がある。私と入れ代わりのあの子にも容疑がかけられていたっけ。
でも、この男から感じられるのは穏やかさと緊張だった。警戒しているのだろう。本当に危ない橋を渡っているのだと思う。
「君に救ってほしい人がいる。“ライオン”君と“黒豹”君」
「救われるも何もあの人は他人の傷に腕突っ込んで掻き回してるくらい元気ですよ」
前者が誰かわからないけど、後者はよく知ってる。でも、救うなんて馬鹿馬鹿しい。あの男が何から救われなければならないと言うのだろう。
「それが、“レイン事件”で彼が心に傷を負った結果だとしたら?」
「“レイン事件”……やっぱり、あなた……」
組織には敵が多い。彼の正体についていくつかの可能性を考えたけど、一番まずいところに行き当たったらしい。彼が冒した危険とおなじだけ私にも火の粉が降り懸かる可能性がある。内通の容疑がかかるのはまずい。
「そうなんだけどさ、まあ、“黒豹”君の共犯でもあるんだよ。コードネームは“色男”。君も事件のこと、少しは知ってるよね?」
知らないわけじゃない。組織内では有名な話だ。とある政治家のヒット依頼にまつわる一連のことは彼らの組織に大きな損害をもたらした。こちらも無傷ではなかったけれど。
両組織がそれぞれ同じ政治家の暗殺依頼を受け、彼らの組織のトップレインは次男に張り付いていた。こちらの組織は特に優秀なものが出るわけでもなく、妙な気配を感じ取ったボスが様子を見させていた。結局、焦って先走った人達はレインにやられたらしいけど。
妙な気配の原因は依頼主の正体だった。こちらの依頼人は標的の長男、彼らの方は標的本人と親子喧嘩に暗殺者が巻き込まれた状態だった。
次男に張り付いていたレインは姿を消し、抜けられるはずのない組織を抜けようとしたが為にパートナーであった男の手で殺された。それは未だ犯人の捕まらない無差別射殺事件として報道された。
そして、両者が手を引き、その政治家は今も健在だってことぐらいは知ってる。支部にいても、そういう話は入ってきたし、調べるのも難しくはない。
「“ライオン”君はさ、彼女が組織抜けるって言って確かにぶちギレてたし、不利益になる前に殺せっていう命令も出てたけど、殺してないんだ。確かにあの時、本社近くのビルの屋上でライフル構えてたけど、撃ったのは“黒豹”君の方。彼がボスの男娼の権限を最大に発揮して、依頼をなかったことにさせて、その上彼女を死んだことにさせた」
「それって、彼女が生きてるってことですか?」
「うん。一芝居打ってるんだよ、あの子」
嘘じゃないと思うけど、よくわからない。どうして、あの人がそこまでするのだろうか。
その機会に乗じて彼女を本当に殺していたら、彼はライバルを越えたことになっていたのではないだろうか。
「あれから標的の方は親子で和解して何か仲良く暮らしてるらしいけど、“ライオン”君はそっちの組織に捕まって今も地下に幽閉されてるんだよね」
「脱獄とか手伝えませんよ」
その話は聞いたことがないけれど、本当ならば、私が入り込めるところじゃない。
「うん、いいよ。今更彼に戻ってこられても彼女もいないし、居場所もないしさ、だから伝えてほしいんだよね」
一度敵に捕まった者が簡単に戻れるような世界じゃないから、内通者の話も捕虜が不都合なことを喋っていないか探るためなのかもしれない。
「生きろ、って。どんなに浅ましくたっていい。生き続けるための選択をしろ、って」
「それだけですか?」
「うん、それだけ。あいつだって馬鹿じゃないからさ、いずれ組織も変わる。それまでは君が彼らを助けてあげて。多分、二人とも君に同じ女の子の幻影を見てる。迷惑な話だと思うけどさ」
確かに迷惑な話だ。雰囲気とかが似てるんだって言われたけど、多分全然違う。私は恋を知らない。だから、恋のために命を捨てようとは思わない。
「私がその“ライオン”に会えるはずがないと思いますが」
そもそも、前提に間違いがある気がする。この人は私がその“ライオン”に伝えられるという前提で話しているけれど、存在すら知らない地下に囚われている人間に面会したいと言っても不審がられるだろうし、監視もつくはず。
「会えるよ、だからお願いしてるの。別に忍び込んで、ってわけじゃないから機会があるまで覚えておいてよ」
その根拠がなんなのかわからないけど、これ以上話を長引かせるのはよくない。
別にこれは取引じゃない。お願いであって、何のリスクもないことだと思う。今、こうして会っている以上の危険はないはず。
「わかりました」
答えれば満足そうに笑んで、じゃあね、と手を振って彼は去る。その後を追ってみる気はなかった。きっと、すぐにまかれてしまう。
これからどうするべきか。ポケットの中でケータイが振動した。
京ならいいのに、そう思っても表示されているのはやっぱりというべきか、あの男で。無視するわけにもいかなくて、渋々出る。
『緊急の仕事だ。今どこにいる?』
仕事だと言われれば仕方がない。自分でもどこにいるのかよくわからないけど、目印を告げる。
迎えは思いの外早くきた。でも、車に乗ってから仕事だっていうのが嘘だってことに気付いた。
「仕事じゃなかったんですか」
「だって、そうでも言わねぇとお前、意地張って戻ってこねぇだろ」
図星と言わざるを得なかった。
「私は京と一緒にいなきゃいけないんです」
「あいつだって引っ越したよ」
「そんな……!」
全然わからない。何で、そんなことになるのか。そこまでして私達を苦しめたいのか。
「さっき、先輩のこと少しは見直したのに」
そりゃあ光栄だ、と笑って、でも理由を聞いてこないのは本当はわかってるから?
「あいつは他の奴らと一緒に住む」
「他の奴ら……?」
複数系?
「ああ、貧乏な野郎どもだ」
「び、貧乏……!?」
京のお金目当てなのだろうか。嫌な想像が頭の中に蔓延する。どうしよう、身ぐるみはがされて、京が東京湾で見付かったら。その時はこの男を八つ裂きにしても足りない。
「心配すんな。あいつだって、後輩の育成に務めてても不思議じゃねぇだろ」
そこでようやく気付く。その言葉の裏にあるものに。
ヒビキという男の話を聞いて、初めてわかった。
「まともなこと考えてるのに、わざとそういうこと口にしないんですね。自分のイメージを守るためですか?」
きっと京のことを思ってしたことだと思うのに、話を聞いていなければ理解することはなかった。敵意だけを向けたと思う。
「どうとでも言えよ。目障りなだけだ。あいつも、お前も」
そうやってまた酷い言葉を吐く。素直じゃないんだ、この人は。
だから、救われないのか。
“ライオン”との面会は思ったよりも早く訪れた。これも手回しした結果なのだろうか。
懐柔しろ、とかいう不可解な命令で私は地下に連れてこらえている。本当に牢屋がある。
案内役がいなくなり、私は一人で鉄格子を目指す。
「似てねぇな」
じっと冷たい格子の向こうを見て、浴びせかけられた言葉はそれだった。
誰かが何かを言ったのだろうか。私が彼の元パートナーに似ていると。
だけど、ヒビキが“ライオン”と言った理由がわかった。彼の名はレオ、根本が黒く、前より伸びただろう金の髪はたてがみを思わせる。
「なぁ、あんたが相手してくれよ」
私は格子の前に座る。そんなに長い話ができるわけじゃないけど。
「話し相手に来たんですよ」
言ったら笑われた。この男、心底私を馬鹿にしてる。
「誰がお喋りなんかするかよ。溜まってんだよ」
その物言いは“黒豹”を思い起こさせる。猛獣同士仲良くできるんじゃないだろうか。
「ボスはそういったことに大変理解がある方ですから、専門の女性を送り込んできたはずですけど」
「玄人の年増じゃその気になんねぇんだよ」
ひどい言いように溜息が出る。
どうせ、からかってる。私なんかロリコンのスケベジジイの相手しかできないらしいから。
「いくらボスが優しくても、あなたは捕虜です。自由になりたいのなら、過去の忠誠を捨ててください」
説得しろと言われても困る。そういうのは私の得意分野じゃない。
でも、ボスは組織の情報を喋らせろとは言わなかった。組織は変わりつつあるのかもしれない。
「別に忠誠なんてねぇよ。何もなくなった」
そう言いながら、私が入ってきた時彼は天井のパイプにぶら下がって体を鍛えていた。彼は若いし、多分すぐに復帰できる。京とは事情が違うから。
だから、ボスは即戦力がほしいんだ。レイン事件後、“黒豹”の鋭さが鈍ったって話もあるくらいだから。
「なら、新しく作ればいい」
「つまらねぇ話は嫌いだ」
この人はどうしたいんだろう。このままここで朽ち果てるつもり?
「じゃあ、変な色男の話でもします?」
コードネーム・ロミオ、ヒビキのことをそのまま口にするのは危険な気がした。
でも、レオの表情に変化が見えた。彼にとっては元仲間だから。
「『生きろ』って言うんです」
少しだけ小声になる。懐柔のためのメッセージ。でも、その裏側にあった接触に感付かれるのはまずい。
組織に対して秘密を持つのは本当に大変。きっと、あの人にはそういうものが多いんだろう。
「『どんなに浅ましくたっていい。生き続けるための選択をしろ』って」
何だそりゃ、と彼は笑う。でも、伝わっているのだと感じる。
「お前の名前は?」
「雪奈、兵間雪奈」
「ふーん、“雪豹”だな」
何の気なしに言ったんだと思うけど、私は吹き出していた。
「何笑ってんだ」
「“黒豹”と同じこと言うんですね」
やっぱり、この二人似てる。だから、ヒビキは二人を救おうとしたのか。
「あいつと一緒にするんじゃねぇよ、大嫌いだ」
「子供っぽいんですね」
そう言うと、ぷいっと顔を背ける彼は私からしたらとても大きいし、年上なのに、やっぱり子供に思えた。
「では、気が変わったら次にきた人にでも伝えてください」
私に救えるのだろうか、と思う。二人の心を解き放てるのかわからない。
でも、彼が出てこない限りはどうにもできない。これ以上、かける言葉も浮かばなくて地下牢を後にした。




