作戦5:ゲインロス効果。
梅雨を通り過ぎ、夏が本格化し出す七月。俺は暇つぶしに手帳を開き、後ろの方のタスクを見て思い出した。
そうだった、俺は上津に恋をしたいのだと。
忘れていたのか? お前の本気はそんなものだったのか? と内なる俺が腕組み仁王立ちしてくるが、待ってほしい。仕事が忙しくて、たまに残業もあったりなかったり、面白かった漫画をLINEで語り合い、たまにのど飴を手渡す生活が日常化し、たまたま見始めたドラマが面白くて毎晩時間が潰れたのである。
思い出したからには、何しようかな〜なんて考えて、週末のスケジュールを眺める。営業との飲み会、と記されたそれを見て、とりあえず上津と喋ろう、と決めてタスクに追記した。
◇
「かんぱーい」
数分にわたる開始のご挨拶をグラス片手に耐え忍び、ようやく飲み物にありつける。上津は少し離れた座席についていて、畳の上の座布団に触れつつ、どのタイミングで声かけにいこうかな、なんて考える。
卓上扇風機が壊れた部長が、新しい相棒について語っているのを聞き流し、刺身を口に運んでいた時だった。
「三奈崎、ここ座って大丈夫?」
「あ、どうぞ。先輩は別の席に移動したので」
「俺もいいっスか?」
「はい」
以前社食で上津が引き連れていた配下A、もとい、荒木と名乗った彼が、上津と反対側、俺を挟んで左隣の席につく。一個下らしい荒木は上津の後輩で、よく一緒に仕事をするらしい。
二人ともそこそこ飲んだようで、若干声が大きくよく笑う。少し子供っぽい姿は、普段見ない一面で、出来る男とのギャップで恋に落ちる……そう、えー、確か……あ、そうそう、ゲインロス効果ね。それを期待できる。思えば、俺は最初こいつを嫌っていたわけで、まさしくこの効果がピッタリだったというわけだ。
「何見てるんですか?」
「ギャップについて調べてました」
「何……ゲインロス効果?」
「いわゆるギャップに落ちるアレじゃね?」
「あぁ!」
俺もあるー! と元気よく語る後輩荒木くんが、俺はギャップの塊っスよ、と言った直後、上津にじゃあお前最近別れた理由なんだったっけ、と聞かれてしょぼくれる。
「どう言う理由だったんですか?」
「話しててつまらないって言われたらしい」
シンプルにかわいそう。空いたグラスにそっとビールを注いでやれば、センパァイ!なんて言って泣くふり……いや若干マジで鼻をすすっているから、フライドポテトを皿に盛ってやることにする。
「そういえば、三奈崎も前……吊り橋効果がどうのとか言ってなかった?」
「ありましたね」
十五分後普通に動き出した電車事件な。非日常は十五分しかもたなかった。
「で、実際どうだった? 俺に惚れた?」
わざとらしいキメ顔で、ニヤニヤしながら尋ねてくる上津を見て、ふむ、と考えてみる。ここでいいえ、と本音で返すのがいつもの俺だが、ギャップを演出するとしたらなんて答えるのがいいだろうか。
いや、俺が上津にギャップを演出しても俺が上津に惚れることはないので、これは単なる好奇心なのだが、ちょっと考えてから唇の端を持ち上げて、上津にだけ聞こえるように小声になる。
「隣に君がいるのが頼もしくて、少し」
「……」
達成感とともに視線を逸らし、そして言ったあとで羞恥に襲われたので手元にあるソフトドリンクをちびりと飲む。酒が飲めないわけではないのだけど、めちゃくちゃに弱いので、最初の一杯以外はソフトドリンクだ。
左隣からの彼女ほしい! という叫びをBGMに、枝豆を口に放り込んでいると、右隣からため息が届く。
「どうしたんですか」
「揶揄うつもりでカウンターくらったため息」
「ギャップありました?」
「ぶっ。あったあった」
けらけらと笑う横顔が、本当に楽しそうで、あ、これ俺が引き出したのかと思うとなんだか誇らしくなる。
「意外と冗談言うんだな」
「まあ」
アレは別に冗談ではなくて、本音ではあるのだけど。止まった電車に戸惑っていた俺が、落ち着いた上津を見てホッとしたのは、今気づいた事実である。
なんだ、吊り橋効果、ちょっと成功していたじゃないか。
およそ一ヶ月越しの成果発見は、わくわくするような、落ち着かないような、不思議な気持ちをもたらしてくれた。