作戦3:好意の返報性。
飲みきれなかった微糖コーヒーを片手に、カバンを小脇に挟み吊り革につかまるという面倒な状況に陥りつつ、初めて電車内でも雑談しながら職場へ赴く。
なんとこのイケメン、哲学を大学でかじったとはいえ、数コマ程度のことで、ツァラトゥストラもそこまで詳しくはないらしい。こいつどつき回してやろうかと思ったが、改めて謝罪を受けたのでよしとする。
じゃあほんとは何が好きですか? と微糖コーヒーを飲み込みながら聞いてみれば、デスゲームものの漫画にハマっているのだと返されて、それを早く言えよとか、むしろなんでニーチェを先に言ったんだよというウケ狙いらしき発言への苛立ちで、脳内サンドバックでイケメンをタコ殴りにしておく。
「三奈崎は? 漫画読む?」
「おすすめで流れてきたやつ読みますよ。デスゲームものもありましたね。結構好きです」
「おー、じゃあ俺のおすすめ読んでみてよ。今度は最後まで」
哲学書じゃなきゃ俺だって最後まで読めるわ。と反発しつつ、リンク送るからLINE交換しよう、とさらりと言い出す手腕に脱帽する。これがカースト上位者のコミュニケーション能力。心の壁をさげ、まあそれならいいかな、と思わせるやり口。
送られてきたリンクと、自撮り写真のアイコンを眺めながら、タップして表示される迫力あるイラストに安堵した。
◇
「あ」
「……どうも」
「職場で会うの初めてじゃん。お昼何にすんの」
「今日はうどんの気分です」
「あー、いいな。最近食べてないしそれにしよう」
社食にてエンカウントした上津は、後ろに配下を三名ほど引き連れて登場した。誰? なんて言う配下Aに対して、他の課の知り合い。今日はこいつと食べるわーなんて勝手に宣言してこちらにやってくる彼も、今日はうどんにするらしい。
テキパキと動く社食の従業員の手捌きを眺めながら、すぐ横で待つ上津を横目で見る。スーツのポケットに片手を突っ込んで、少し腕まくりしたその腕にはめられた時計と腕の逞しさが実に絵になる男である。写真素材に出来そうだ。
「いつもここで食べてんの?」
「気分次第ですね。弁当の時もありますよ」
「へー。俺も今日はたまたま。基本外に行ってるから」
「仕事ですか」
「そう。食事一緒にすること多いよ」
席につき、うどんを啜る姿すら様になっているのは、なるほど人に見られることに慣れているからなのだと察する。手元のうどんを摘み上げ、つるりと滑って汁が跳ねた俺とは格が違う。
テーブルに置いたスマホに跳ねた汁を無言で拭き取っていたら、一部始終を見ていたらしき上津が、笑いながら大丈夫かと問うてくるから、ミートソースだったら即死でしたと返しておいた。
◇
さて、類似性の法則は、初手でつまづいたものの、漫画という実に素晴らしい共通項を見出せたので、効果は上がっている。雲の上の存在が、隙間からチラ見えしたくらいの成果だ。
昼食もこなせたことだし、来週あたりからはまた新たなアプローチを考えたい。帰りの電車で、眠りこける男性の前に立ちながら、ブックマークしておいたサイトを眺め、次なる作戦を考える。
スクロールして行ったり来たりしながら、ふと、微糖コーヒーのことが頭によぎる。嫌いなものだったとはいえ、手渡しされてちょっと嬉しかったのは事実だし、これは使えると判断して手帳……は今は難しいのでスマホのメモに打ち込んでいく。
今回の作戦は、好意の返報性である。
いわゆる、優しくされたらお返ししたくなる理論だ。これは非常に納得がいくし、人間関係を構築するうえで大切な一手だろう。
問題は、相手が褒められ慣れているエリート様だと言う点だ。単に褒めただけでは効果が薄そうだし、プレゼントなんて毎年バレンタインチョコを山ほど貰っていそうな相手には、よほど意外性があるか趣味にハマっているかという条件が必要になってくる。
「まぁ、数うちゃあたる作戦でいくか」
帰りに寄ったコンビニで、残り数品になって選択肢が狭まった棚をみつめつつ、ラインナップの豊富さで攻めるのは有りかもしれないと結論づけた。
◇
「おはようございます」
「おー。おはよ」
いつものように挨拶を交わし、漫画読んだ? 読みました、あのキャラ好きです、なんて雑談をしながら電車を待つ。今日は営業で直ぐに出なければならないらしく、六月の日差しを見ながら、夏は地獄なんだよな、なんて愚痴る姿に労いの言葉をかけて、さも今思いつきましたとばかりにカバンに手を入れる。
「これ、よかったらどうぞ」
「なに?」
差し出したるは、有名どころの小さめののど飴だ。営業ということはのども酷使するだろう、少なくとも事務職よりは、と考えて、昨日コンビニで買い求めた次第。決して考えるのが面倒になって視界に入ったものを買ったわけではない。
無言で受け取った上津が、少ししてからぷるぷると震え出すから、なんだこいつと思って眺めていれば、ぶふっ、なんて噴き出すからイラッとした。
「聞きたいんだけど、なんでのど飴くれたの」
「営業ってたくさん喋りそうだなと思って」
「……ふーん。ありがとう」
笑いを堪えながら、俺の返答にちょっと眉を上げて、何故か上機嫌になってのど飴の封を切る。口の中に消えていく飴玉は、少し転がされて噛み砕かれていた。