作戦1:単純接触効果。
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――いけ好かない同期のエリートに、恋をしたい。
ガタゴト、と揺れる通勤電車の振動を足裏に感じつつ、くぁ、なんて間の抜けた音と、ぬるい体温を喉からてのひらにこぼして、ふと、窓に垂れる雨粒の跡を見ながら、そんな突拍子もないことを考える。
恋に落ちた、ではなく、恋をしたい、だ。見るだけで声をかけたくて、笑顔に一喜一憂して、存在を嬉しく思う状態に、なれたらなぁ、と思った。
つり革を掴む手が居心地が悪くて強く握り直しつつ、なんだそりゃ、なんて自分で自分にツッコんで、視界に入った学ラン姿の学生を見る。
何の変哲もない、ちょっと髪の癖の強いその子は、カバンを座席にでん、と置いて寝こけていて、座れない俺としてはちょっとムっとくる。
しかし、これが俺の好きな相手だったらどうか。きっと、しょうがないなあ、なんて思って、つり革を握る手も優しくなる気がする。そう考えて、うん、やっぱリこれは良い作戦かもしれない、なんて目が覚めてくる。
――俺はずっと、特別な存在になりたかった。
友人から聞いた、異世界転生で勇者になる物語。これが流行ったことからも、俺と同じ願望を持つ人が少なくないことが伺える。
なんとか召喚されないものかと、歴史の授業中に大真面目に魔術について勉強したこともあるほどには、俺は特別な存在になりたかった。
しかし、一ヶ月ほどしたところで気がついた。召喚の類は先方の都合によるところが大きいため、こちらとしては特に出来ることがないということに。
ならば急な召喚に備えて体を鍛えておくか、と思い、当時運動部だった高校生の俺は筋力が増えるという地味な成果を出した。
なお、転生トラックは未だにお見掛けしていないし、歴史の教師には目をつけられ、見かけたトラックは皆安全運転である。
次は各分野で突出した存在になることを目指した。スポーツ、勉強、音楽と取り組んでみたが、どれも結果を出せることはなく、地区予選どまり。
――俺は自分が凡人であり、その他大勢であると言う事実を目の当たりにした。
そうして、普通の大学、会社、事務職について5年。雨に濡れた社会人と湿度がマシマシの車内で、俺は今、新たな希望を見出したのである。
そう、同期のいけ好かないエリート野郎に恋をすることで特別な少数派となり、なおかつ日々に彩を添える、積極的マイノリティムーブだ。
こんなことを言うと、マイノリティであることで本気で苦しんでいる方々に四方八方から怒られそうだが、ここ数年、俺なりに真剣に悩んだ結果がこれなのだ。
特別でありたい、そして誰かの特別になりたい。それはきっと皆が抱いている筈の願望で、俺だけが責められるいわれがあるだろうか? いや無い。無いと言ってくれ。
つり革を握る俺の目の前で、コクリと船をこぐサラリーマンのつむじを眺めながら、誰宛ともわからない言い訳をしておく。
そうそう、相手に好きになってもらう、となるとまたしても先方の都合というものが絡むのもあって、自分が変わればそれでいい。目指すは相思相愛ではなく俺が恋すること。人は変えられないとも聞くし。
アナウンスを聞き流して扉の前に立ち、人の流れに沿って電車を降りる。改札にスマホをかざして、残額をチラ見した後、ふと視界に男女の二人組がよぎった。楽し気に会話する二人をじっと見て、そういえば、好きになるってどうしたらいいんだろうな、と思う。
てくてくと会社への道をなぞりながら、まず思い浮かぶのは単純接触効果なるものだ。俺は毎日アレを見るだけでイラッとしてしまうのでこの理論には懐疑的なのだが、ものは試しだと考える。やらずにダメだとは言わない主義。
件のエリート様は、通勤電車が丸かぶりしているため、実は毎朝顔を合わせる機会がある。今日までは顔を見たくなさすぎて乗る車両をずらしていたが、明日からはあえて同じ車両に並び、挨拶をしていく作戦でいこう。
いわゆる引っ込み思案だとか、挨拶するのにも勇気がいるタイプではないのが俺の長所の一つでよかったと思う。正確には、学生時代に取り組んだ野球部仕込みの後付け運動部メンタルである。
いい考えだ、と思いながら、隣を猛スピードで走り去るトラックから浴びせられた泥水を、寛大な心でスルーした。
◇
翌朝。改札を通り過ぎ、スマホを手に中を見渡す。背も高い彼であるから、探そうとしなくても目につくのだけれど、今日に限って見当たらない。
とりあえず、以前彼とバッティングした車両に並ぶことにして、スーツの裾がほつれかけている男性の後ろに並ぶ。一度目についたら気になってしまって、じっ……とそれを眺めて過ごしていたら、視界の端に、見覚えのあるスーツがチラついた。
パッと顔をあげれば、期待通りの横顔がそこにある。鼻先はスッと通っていて、切れ長の目元、右の頬あたりにほくろまであるイケメンだ。時計をはめた腕は程よく逞しく、テレビで見かける俳優あたりを彷彿とさせるので非常に腹立たしい。
俺と彼の間にはすでに五人ほど並んでいたから、列から離れて彼の方へと歩み寄る。近づいてくる俺に気づいたのか、一度視線が絡んだが、そのままスッとそらされてからまた絡む。
「おはようございます」
「……おはようございます」
一瞬不審なものを見る目をされた気がして好感度が下がるが、さすが営業部のエースだけあって、すぐににこりと笑みを浮かべて完璧な挨拶が返ってきた。
おぉ。イケメンの笑顔と挨拶、なるほど需要があるのも少し理解ができる爽やかさ。少女漫画ならば花を背負う場面だろう。
とりあえず今日のタスクは完了したので、彼の後ろに並び直し、満員までは行かない電車に乗り込んで、そのまま会社でいつも通りに業務をこなす。
営業の出張申請の処理に彼の名前が並んでいたから、これも単純接触効果かな、なんて思って、不備があったので適当に修正して強めにエンターキー。
◇
「おはようございます」
「おはようございま……す」
毎朝挨拶タスク三日目。二日目はさらりと返された挨拶だったが、今日は少し妙な間があった。気にせず後ろに並んでいたら、目の前の背中が不自然に揺れるので目障りである。
「あの」
「……」
「あの、少しよろしいでしょうか」
背中から目を逸らして電車が来るであろう方向を眺めていた俺の視界に、ここ数日毎日見ているホクロが飛び込んできた。もしかしなくとも俺に話しかけていたらしいと気づいて、瞬き二度ほどして首を傾げる。
「俺に話しかけてます?」
「はい」
確認へは肯定。どうしたんだろうと思って、そりゃ急に連続三日見知らぬ男に挨拶されたら気味が悪いよなと思い至る。単純接触効果と言えば挨拶だと思ったが、手段がちょっと怪しすぎたらしい。反省。
「はい、なんでしょうか」
なんでしょうかも何も理由は把握しているのだが、万が一違う場合にかけて尋ねてみれば、当然の如く、お前会ったことあったっけ(要約)と言われてしまった。
一縷の望みは絶たれたので、同じ会社の同期ですと名乗り社員証を見せれば、あぁ! なんて言って力が抜けるから、ちょっと安堵するイケメンを観測した俺の中で彼の好感度が若干上昇した気がした。
「同期ってことはタメでいい?」
「はい。新卒入社同士です」
「タメでいいって聞いた直後に敬語じゃん」
「なんか癖で」
「へー」
三日目にして雑談タスクも達成だ。これは幸先がよい。俺としては一ヶ月くらいは挨拶だけでも構わないという心意気でいたから、お得な感じがしている。
冷静に考えると毎朝同じ車両に乗ってくる見知らぬ他人が自分にだけ一ヶ月毎日挨拶してくるってホラーじみてる気がしてくるが、結果そうならなかったのでセーフとする。
「でも正直、見知らぬ人から急に挨拶されたと思ってびびった」
「それはすみません」
本当にすまないと思いながら、次やる時は己の行動を客観視するべきだと、心の中にメモをした。