第四話 覚醒
車を安全な場所に停め、家族全員が外に降り立った。そこには見渡す限りの緑豊かな森と、普段見たことのない巨大な花々が咲き乱れていた。花の色は鮮やかな青や紫、そして見たこともないほど深い赤色で、風が吹くたびに、甘くも清々しい香りが漂ってくる。玲奈はその香りに夢中になり、タマをしっかりと抱きながら大きく息を吸い込んだ。
「なんだか…空気がすごくきれい…」玲奈が目を閉じて、心地よさそうに呟くと、真理もまた目を細めて頷いた。
「ここ、ほんとにどこかの山奥じゃなくて、全然違う世界なのね。空気がこんなに澄んでるなんて…」真理は、言葉にできない不思議な感覚を味わっているようだった。彼女の金髪が風に揺れ、森の中で一際目立っていた。
「まさに異世界って感じだな。こんなに大きな植物、普通の山にはないよな」と颯斗が興奮気味に言い、すぐそばの樹に近づいてその幹をじっと見つめた。その木は、人間が数人で抱えても足りないほどの太さで、幹の表面には、微かな光を放つ模様が浮かんでいる。彼がそっと触れると、冷たいのか暖かいのか、どこか不思議な感触が手に伝わった。
「なんか…触ると変な感じがする。これ、ただの木じゃない気がする」と颯斗が言うと、蒼一が慎重に観察して、少し困惑した表情を浮かべた。
「魔法…なのか?でも、ただの装飾にしてはエネルギーが強すぎる。この木、何かの役割を持ってるんじゃないか?」蒼一は、自然と自分の推理に夢中になっていく。頭の中でさまざまな可能性を考え巡らせていた。
「気をつけろよ、どんな仕掛けがあるかもわからんし、ここでは何が起きるか予測がつかない」と健一が家族に注意を促しながら、慣れた手つきでサバイバルナイフを腰に装備し、自然環境を調べるための道具を取り出していた。
その時、突然草むらからガサガサと音がして、家族全員が一瞬緊張して身構えた。音がする方向をじっと見つめると、ふと小さな生き物が姿を現した。丸い体と小さな羽がついたその生き物は、まるでフクロウのようだが、頭の部分には鮮やかな黄色い花が咲いている。玲奈は目を輝かせてその生き物を見つめた。
「なんてかわいいの…あれもこの世界の生き物なのかな?」玲奈は思わず近づこうとしたが、健一が手を伸ばして止めた。「まだわからない、玲奈。あいつが安全かどうかも確認するまでは近づくな」
すると、カールがまたひょっこりと前に現れ、「あれ、ちょーっと危ないかもしれんぞ!あいつはな、ミスティっていうんだ。毒の粉をまき散らすから、気をつけるんだぜ!」と玲奈に警告した。彼の忠告に、家族全員がそのミスティという生物をじっくりと観察し直した。
ミスティはピクピクと体を震わせながら、まるで家族たちを試すかのように周りを飛び回り、やがて、ゆっくりと飛び去っていった。その光景に一瞬ホッとしたが、また未知の危険に直面していることを実感した家族は、気を引き締める。
「カール、ありがとう。あなたが教えてくれなかったら危ないところだったわね」真理が感謝の意を込めて言うと、カールはふわりと飛び跳ねて自信満々に笑い、「オイラはこの森の案内役だからな!困ったら何でも聞けよな!」と胸を張った。どこか憎めない彼の姿に、家族の中に少しずつ信頼の芽が育ち始めているようだった。
「さて、まずはキャンプを張れる場所を探さなきゃな」と健一が言うと、家族全員が再び森の奥へと足を踏み入れた。
進む道中、木々の間には数羽の光る鳥たちが飛び交い、その羽が揺れるたびに虹色の輝きを放った。鳥たちは家族を警戒することもなく、むしろ好奇心旺盛に近づいてきては、すぐにまた森の奥へと飛び去っていく。その様子に玲奈は心を奪われ、何度も後ろを振り返りながら嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
「玲奈、自然に惹かれるのはいいが、少し離れたら迷うからな」と健一が微笑みながら忠告する。
「うん、お父さん、気をつけるよ」と玲奈は優しく答え、そっと手を父に差し出した。健一は微笑んで玲奈の手を取り、周囲を警戒しながら先に進む。
やがて少し開けた場所に到着し、そこには川が流れていた。水は透き通っていて、川底の石が鮮やかに見えるほどだ。家族全員がその澄んだ水に目を奪われ、思わず足を止めた。
「すごい…こんなきれいな川、初めて見た!」颯斗が川に近づき、流れる水の冷たさを手で確かめた。「しかも飲めそうだぞ、この水」
「たしかに、異世界でも水が手に入るのは助かるわ」と真理が頷く。
「よし、まずはこの辺りに拠点を作ろう。水源も近いし、適度に開けているから見晴らしもいい」と健一が決断を下すと、家族全員がそれぞれの役割を果たしながらキャンプの準備に取り掛かった。
颯斗は火をおこす準備をし、蒼一は周囲の木を使って簡易のシェルターを作る方法を考え始めた。玲奈はカールに手伝ってもらいながら、食べられる草花や安全な場所を教えてもらっている。
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森の中で拠点を作り終えた家族は、いよいよこの未知の世界で初めての夜を迎えようとしていた。辺りが徐々に暗くなる中、川のせせらぎや森の奥から聞こえる夜行性の動物の鳴き声が、いつもと違う非日常の静寂を生み出している。頑丈な木で囲まれたこの小さな空き地は安全かと思われたが、家族の中にはどこか緊張が漂っていた。
「そろそろ火の番を変わるよ、兄ちゃん」蒼一が火のそばで焚き火を見つめている颯斗に声をかけた。
「おう、任せた!」颯斗は火から少し離れ、周囲を見渡しながら周りを見守る体勢に入った。しかし、静寂を突き破るように、突然森の奥から不気味なうなり声が響き渡った。
「お父さん、今の…?」玲奈が不安そうに父の手をぎゅっと握ると、健一は「大丈夫、俺がいる」と玲奈を安心させるために優しく微笑んだ。しかし、その笑顔の裏で、確かな警戒心が健一の目には浮かんでいた。
その時、森の影から、異様に大きな体をした獣が現れた。毛皮は黒く、鋭い牙をむき出しにして、明らかに家族を狙っている。獣はまるで暗闇そのもののように、あたりの光を吸い込むかのような存在感を放っていた。
「皆、後ろに下がれ!」健一がすぐに指示を出し、真理も玲奈を守るようにしながら一歩下がった。颯斗と蒼一もその場を離れようとしたが、颯斗の体が一瞬、奇妙に震えた。
「えっ…?」颯斗は自分の体が意図せず前方に引っ張られるような感覚を感じた。次の瞬間、彼は目の前の景色が一瞬で歪み、まるで空間を飛び越えたかのように位置が変わっていたのだ。
「な、なんだ!?どうしてここに…!」颯斗は驚きながらも、なぜか自分が瞬時に獣の目前に移動していることに気づいた。視界に映る獣の鋭い牙が、今にも襲いかかろうと迫ってくる。
「颯斗!戻れ!」蒼一が叫ぶが、その瞬間、颯斗は自分の意志とは関係なく再び体が空間を移動し、さらに獣の背後に現れてしまった。息が荒くなり、心臓が激しく鼓動する中、颯斗は再び移動を繰り返し、あちらこちらに現れるたびに体に無理な負担がかかり、やがて足元がふらつき始めた。
「や、やめろ…勝手に動くな…!」颯斗の叫びが虚空に響く中、体は意図に反して瞬間移動を繰り返し、ついには足に大きな傷を負い、倒れ込んでしまった。血が流れ出し、痛みで顔を歪めながらも、自らの暴走する能力に抗う術が見つからなかった。
「颯斗!」真理が颯斗に駆け寄ろうとすると、健一がその場をさっと遮り、獣に向かって身構えた。
「真理、颯斗を任せる!ここは俺が食い止める!」健一が獣を牽制しながら叫ぶと、真理はすぐさま颯斗のそばに駆け寄り、彼を支えるように抱き上げた。
「痛みで気を失わないで、颯斗。母さんがなんとかするからね」真理は心配そうに彼を見つめながら、手を彼の傷口にそっとかざした。
すると、真理の手から柔らかな光が放たれ、颯斗の傷がゆっくりと癒されていった。その光景に、蒼一と玲奈は驚きの声を漏らした。
「母さん…これ、回復魔法?」蒼一は信じられないように目を見開いた。真理が今まで家族に見せたことのない力で颯斗を癒していることに、誰もが驚きを隠せない。
「ママ、どうしてそんなことができるの?」玲奈が驚いた様子で真理に尋ねると、真理は一瞬視線を迷わせたが、穏やかな笑みを浮かべて小さく頷いた。
「実はね、私も異世界から来た人間なの。あなたたちと出会う前は、私もこうした異世界の魔法が使える場所で生きていたのよ」
健一は獣を見据えながらも、真理の話に耳を傾けていた。彼にとっても、真理が異世界の出身であることは衝撃的な話だったのだろう。だが、彼女との過去の記憶が脳裏に浮かんでいた。彼女と出会ったときのこと、そして彼女が一度も過去を語らなかった理由を今初めて理解した。
「健一さんと出会ったとき、私は異世界からの逃亡者だった。現世ではただの人間として生きることを決めたけれど…やっぱり、異世界に関わる力は失われていなかったみたい」
真理の言葉に、健一は小さく笑みを浮かべた。「だからあの時、君はあんなにも無謀に助けようとしたのか。今思えば、普通の人間じゃなかったんだな」
真理は少しだけ顔を赤らめながら頷き、「そうね、私はただの『異世界人』で…それでも、あなたと共に生きる決意をしたの」と静かに語った。
夜の森は、燃え上がるような緊張感に包まれていた。目の前の巨大な獣は、闇夜の中で不気味な光を放つ目をぎらつかせ、家族をじっと睨みつけている。体長は2メートルを超え、全身は黒い硬い鱗に覆われ、筋骨隆々の体つきがただならぬ力を感じさせた。口元には牙が剥き出しになり、鋭利な爪が地面をひっかいて火花を散らしている。低く響く唸り声が地面を震わせ、周囲の小動物や鳥たちはすでに逃げ去り、辺りは不気味な静寂に包まれていた。
「来るぞ…!」健一が身構えると、獣は突然のように前足を踏み鳴らし、その巨体を低く構えた。その瞬間、黒い影が地を蹴って一気に突進してきた。
「真理、玲奈、蒼一、下がれ!」健一は獣の動きに合わせて身を翻し、直感的に家族を庇うように立ちはだかった。だが獣の力は想像以上で、その突進が放つ圧力に全身が震え、健一も手応えを感じる。
「俺が…やらなきゃ!」颯斗は回復したばかりの体で必死に立ち上がり、瞬間移動の能力をもう一度試そうとした。だが、真理が彼の肩を優しく押さえた。
「大丈夫よ、颯斗。ここはお父さんと私で守るから、無理をしないで」彼女の目には不思議な決意が宿り、炎のように強い意志が感じられた。
健一は一瞬、妻の方をちらりと見て頷いた。再び視線を獣に戻すと、ゆっくりと構えを取る。「よし、来い…!」
すると、健一の周りに薄いオーラが漂い始め、彼の筋肉が一気に膨張していく。これは、彼の身体強化魔法によるもので、体全体が力に満ち溢れ、普段の何倍もの力を発揮できる状態になった。
「ぐおおおっ!」健一が気合を込めて突進し、獣の胸元を力強く拳で殴りつけた。その一撃は獣の巨体を揺らし、数歩後退させるほどの威力を持っていた。しかし、獣は怯むどころかさらに怒りを増し、鋭い牙をむき出しにして反撃してきた。
獣の鋭い爪が健一に襲いかかろうとしたその瞬間、真理がすかさず片手をかざし、獣の動きをサイコキネシスで止めた。彼女の力では完全に抑え込むことはできないが、わずかに動きを制限することができた。それでも、彼女の額には汗がにじみ、限界が近いことがわかる。
「今よ、けんいち!」真理の声が響き、健一はその一瞬の隙を見逃さなかった。彼はすかさず獣の顔に向かって鋭い拳を叩き込む。その攻撃はついに獣の鎧のような鱗を砕き、流れ出した黒い血が地面を染めた。
「やったか…?」蒼一が緊張の面持ちでつぶやいた。しかし獣はしぶとく息を吹き返し、今度はさらに狂暴化したかのように目を光らせ、口から毒のようなガスを吐き出し始めた。緑がかった霧が瞬く間に辺りに広がり、家族全員の視界が曇らされる。
「毒霧だ!みんな、息を止めろ!」健一が叫ぶが、その濃い霧の中では身動きが取りにくい。しかし玲奈が、周囲の小さな動物たちと静かに心を通わせ、彼らの導きに従って安全な場所へ家族を誘導していく。
「そっちに向かって!」玲奈が小動物たちの助けを借りて家族を導き出し、健一と真理も霧の範囲を脱出した。
毒霧が晴れ、再び獣が姿を現すと、その目はさらに鋭く、殺意を込めて健一に狙いを定めている。健一は一瞬息を整え、全身の力を込めて最後の突進を決意した。その瞬間、颯斗が再び目を見開き、父に代わって飛び出した。
「父さん、俺が…!」颯斗は再び体の瞬間移動能力を使って獣の背後に回り、手にした小さな石を獣の背中に叩きつけた。それは小さな力ではあったが、狙いは的中し、獣が振り返る隙を作る。
その隙を突き、健一が最後の力を込めた一撃を獣の頭部に叩き込んだ。その衝撃で獣の体は地面に崩れ落ち、ついに動かなくなった。
息を切らしながら、家族全員がようやく安堵の息をついた。倒れた獣は巨大な体を横たえ、地面に広がる黒い血が暗闇の中で鈍く光を放っている。周囲には戦いの痕が残り、土が掘り返された場所や折れた木々が見える。木々の葉がざわめき、森全体がその静けさを取り戻し始めていた。
健一はほっとした表情で真理を見やり、「助かったな…お前のおかげで、戦いやすかった」と低くつぶやいた。真理も笑顔で小さく頷き、「私も、できる限りのことをしただけよ」と答える。ふと真理の手を見ると、彼女はサイコキネシスを使い続けたせいか、手が微かに震えていた。
その時、颯斗がよろめきながら立ち上がり、安堵のあまり地面に倒れ込んでしまった。「はぁ…俺も、戦ったつもりだけど…体が言うこと聞かないな…」顔には冷や汗が浮かび、肩で息をしている颯斗を見て、健一は駆け寄った。
「颯斗、無理しすぎだ!瞬間移動の能力が暴走してるんじゃないか…」と健一は、息子の肩を支えながら言った。しかし、颯斗の顔色はすぐには回復せず、やがて激しい痛みに顔をゆがめた。
「颯斗!大丈夫?」玲奈が不安そうに見つめ、蒼一も動揺を隠せずにいた。颯斗の体がついに耐えきれず、ズキズキと痛みを訴え始めていることに気づいた家族は、不安げな表情を浮かべていた。
すると、真理が静かにその場に近づき、手をかざして優しい光を放ち始めた。「大丈夫、任せて。少しの間、じっとしていてね」その光は暖かく、颯斗の傷口から湧き出す痛みを包み込むようにして癒していった。
玲奈は目を輝かせて母の手元を見つめ、「ママ、すごい…こんな力を持ってたなんて」と感心したように言った。真理は微笑みながら、「秘密にしていたけれど、これでも私、異世界でいろいろな力を身に着けてきたのよ」と、どこか懐かしむように遠くを見つめた。
健一がその言葉を受けて小さく笑みを浮かべ、「昔は、本当に驚かされたもんだよな…まさか、日本にやってきた別の世界の人間と恋に落ちるなんて思いもしなかった」と、少し照れ臭そうに語った。その言葉に、蒼一と玲奈も驚いたように母を見つめる。
「異世界から来た…?それって、どういうこと?」蒼一が戸惑いを隠せない様子で尋ねると、真理は少しの間考え込んだ後、静かに語り始めた。「私の故郷はここじゃなく、別の世界にあったの。そこで生まれ育ったけれど、ある理由があって、こちらの世界に来たの」
真理は日本での生活を懐かしむように話し始め、自分が異世界から来たこと、そして健一との出会いについて語った。彼女は自分の世界では回復魔法やサイコキネシスの力を持っていたが、それを人々の前で使わず、健一と一緒に普通の生活を送ることを選んだのだと説明した。
「けんいちと出会った時は、ただの偶然だったけれど、彼の優しさや、私をあるがままで受け入れてくれる姿に惹かれて…」と語る真理の声には、家族への愛情と共に、どこか儚げな響きがあった。
健一は真理の肩を軽く叩き、「だから、こうして家族で異世界に来たのも何かの縁だと思ってる。大丈夫、俺たちは家族だ。どんな試練だって、乗り越えられるさ」と力強く言った。
その言葉を聞いて、颯斗、蒼一、玲奈も、今まで以上に家族の絆の強さを感じ、安心感を覚えた。