319 消えそうな恋心
弥五郎第1公園はシンプルだが、美しい公園だ。住宅地の中にある小さな公園で、遊具は2連ブランコ・滑り台・平均台・シーソーがある。地面は全て芝が葺かれており、裸足で遊ぶと気持ちが良さそうだ。
小さな藤棚の下にベンチがあったので、藤城皐月と入屋千智はベンチに座った。
「デハ話ソウ」
「何? その変な言い方」
「今から俺の恥ずかしい過去を暴露するから、質問があったらなんでも聞いてくれ」
皐月は訥々と生い立ちを話し始めた。
幼少期のこと、離婚した父親のこと、和泉姐さんの家に預けられていたこと。
母の仕事のこと、今まで住み込みで働いていた芸妓のこと、自分のことをかわいがってくれた芸妓のこと。この頃は寂しい思い出しかなかった。
真理のことも話した。幼馴染で、従妹のような関係だと嘘を織り交ぜた。明日美のことは憧れの芸妓だと、かつての想いを話した。二人のことに関しては千智からの質問が多かったが、皐月は千智の様子を観察しながら、不安にさせないように配慮した。
学校生活のことも話した。
今のクラスでの交友関係だけでなく、5年生の時のことも話した。それ以前のことはあまりよく覚えていないので、適当に端折った。千智は江嶋華鈴や野上実果子と既に会っているので、5年生の時の話はしやすかった。
家での祐希との生活のことも話した。
突然祐希が引っ越して来て、生活が大きく変わったこと。その時から今までの間に自分の中で起こった変化のこと。
祐希との関係は綺麗事で塗り固めたが、特にうがったことは聞かれなかった。千智と祐希の間では自分の知らないことを色々と話しているのだろうと思った。
皐月が気をつけたのは千智が抱いている幻想を壊さないようにすることだった。
嫉妬や嫌悪に繋がりそうなことには特に気を使い、言葉を選んだ。同情を誘ったり、好感度を上げたりするような話に持っていくことを心掛けたが、露骨に誘導すると邪な気持ちを見透かされるので、話の構成には気をつけた。綱渡りのような時間だった。
「いろいろなお話を聞かせてもらえて嬉しかった。ありがとう」
「へへっ、ちょっと恥ずかしいね。俺も千智の話も聞きたいな。差し支えない範囲でいいから、千智の家族のことや東京時代のことを話してよ」
「え〜っ、皐月君みたいに話せるかな……」
「そんな風に考えなくてもいいんだけどね。気楽に、話せることだけ聞かせてもらえると嬉しいかな。さっきスタバであまり聞けなかった、おばあちゃんの病気のことをもうちょっと聞きたいな」
皐月は当たり障りのないレベルの質問から、徐々に質問の深度を上げていった。
千智の感情の揺れに気をつけながら、話しにくそうな印象を受けたら話題を変えるようにした。皐月には根掘り葉掘り聞きたい気持ちもあった。だが、千智との対話を通して、あえて聞かないことも大切なんだと知ることができた。
皐月には東京時代の話が興味深かった。特に中学受験や塾の話は身近に受験勉強をしている子がいるので、皐月から質問することが多くなった。
中学受験の話を聞いているうちに、今からでも受験を頑張った方がいいのではないかと思った。だが、もう時間切れだ。真理に受験を散々勧められたのに、本気で考えなかったことを後悔した。
千智の話を聞いていると、千智は東京に戻った方が幸せなんじゃないかと思うことが多かった。さっき会った兄の入屋速日の通っている高校の話を聞いていると、千智も東京の私立の上位校を目指した方がいいんじゃないかと思えてきた。
千智の両親のことは皐月の方から遠慮して、なるべく多くは聞かないようにした。
今の千智の置かれている状況から判断すると、そう遠くない未来に千智は東京へ戻るだろうと思った。絶対に口にできないことだが、そのタイミングは祖父母の死だと、皐月は確信していた。
「だいぶ日が傾いてきたね。そろそろ病院に戻っても大丈夫じゃないかな?」
スマホを見た千智は時刻が5時を過ぎていることに驚いていた。
「もうこんな時間……。あまり遅くなるとおばあちゃんやお兄ちゃんを心配させちゃうかな。お母さんもそろそろ来る頃だし」
「病院まで送っていくよ。行こう」
皐月が先に立ち上がり、千智に手を差し伸ばした。皐月の手を取った千智は自分で立ち上がり、皐月から手を離して先に歩き出した。
病院までは無難に速日の話題で会話をしながら並んで歩いた。皐月は速日の名前が日本神話の邇芸速日命と関係があるんじゃないかと聞いてみたが、千智は日本神話の神様の名前を知らなかったようだ。邇芸速日命について説明しているうちに病院に着いた。
「今度会えるのは来週の文化祭になりそうだね」
「うん。声が聞きたくなったら電話してもいい?」
「もちろん」
「いよいよ修学旅行だね」
「お土産買ってくるよ」
千智と別れて、皐月は八幡駅へと向かった。駅を見ると、ちょうど豊川稲荷方面へ行く電車が出ていくところだった。15分も待たなければいけないのかと思ったが、ホームに上がると誰もいないので、かえって落ち着くことができた。
皐月は千智に対する恋愛感情が薄くなっていることに気が付いた。
立ち入った話をし過ぎたからなのか、情報過多になったからなのか、恋心が冷めたような気がした。恋人というよりも友だちのような感覚に近いのかもしれない。
人のいない高架駅はどこか物寂しい。吹きつける夕風が寒くなってきた。赤らむ空を眺めながら、皐月は早く家に帰りたくなっていた。