253 堅実な生活
昭和時代に建てられたような小さな一軒家が見えた。全体的に色彩がくすんでいるが、手入れの行き届いた清潔な家。藤城皐月はそこが入屋千智の自宅だと教えてもらった。皐月の家も昭和時代の建物だが、千智の家の方がずっと新しい。
「皐月君を家に招待したいんだけど、家に病気のおばあちゃんがいるから寄ってもらえないの。ごめんね」
「そんな……気にしなくていいよ。こんな髪の毛を紫に染めてるのがいきなりお邪魔したら、家の人もびっくりしちゃうよね」
「そんなことないよっ! おばあちゃんには皐月君のこと話してるし、一度会ってみたいって言ってるんだよ。でも今はちょっと……」
「ははは。わかってるよ。そうか……千智はここで暮らしているんだね。今日は千智の家を教えてもらえて、良かった」
この家を一目見た時、皐月は千智のイメージとは合わないように感じた。千智は東京に住んでいたせいか、まとう雰囲気が豊川の稲荷小学校の子たちと明らかに違っている。立ち振る舞いがどこか洗練されている。
だが、この一分の隙もない、地方都市で堅実な生活を積み重ねてきたような家を見ていると、千智にも通ずるものがあるような気もしてきた。華やかな外見に秘められた、千智の内面を表しているような家だ。
「皐月君は電車で家に帰るんだよね。私、駅まで見送りに行く。ランドセルを置いてくるから、ちょっと待ってて」
千智が家に入って行き、皐月は家から少し離れたところで待っていた。自分なら玄関にランドセルを放り投げて、とっとと外に遊びに出てしまうが、千智はおばあちゃんと少し話をしてから出てくるのだろう。自分と違って千智は丁寧な暮らしをしているように感じた。
「お待たせ」
「じゃあ行こうか」
皐月と千智は線路に向かって歩き出した。線路の見える風景は皐月には鉄道写真の被写体に見える。町の隙間からちらっと見える列車は風景写真のスパイスだ。皐月は少し楽しくなってきた。
「千智の家って、今はおばあちゃんしかいないの?」
「おじいちゃんもいるよ。お母さんはもうすぐパートから帰ってくる」
「そうか。おばあちゃんを一人にしちゃうんだったら悪いなって思ってたけど、おじいちゃんがいるなら大丈夫なのかな」
「心配してくれたんだ。ありがとう」
皐月は祖母を亡くしているので、千智の境遇を他人事とは思えなかった。皐月の祖父は皐月の生まれる前になくなっているので、記憶がない。
「でも、お母さんが帰ってくる前に洗濯物の片付けを終わらせたいから、先輩のこと見送ったら帰るね」
「あっ、また先輩って言ったな〜」
「間違えた。皐月ちゃんだったね」
「もう皐月ちゃんでいいよ」
皐月は自分のわがままで、千智に先輩呼びをやめさせたことは良くなかったんじゃないかと思い始めた。栗林真理との関係を思うと、千智にあえて先輩と呼んでもらい、距離を縮め過ぎない方がいいのではないかとも思った。
「ねえ、千智。今日は俺のこと待っていてくれてありがとうね。学校のある日なのに、こうして千智と一緒にいられるなんて思わなかった」
「皐月君、全然誘ってくれないんだもん」
「ごめんな。塾とか勉強で忙しいんじゃないかと思ってさ。でも家の手伝いをしなきゃいけないんだったら、本当に忙しいんだな」
千智の顔が曇った。こういう言い訳は他に恋人がいる大人が言いそうなことだ。そんなことは小学生の皐月でもわかっている。こんなみっともないことを言う自分自身がダサい奴で嫌になった。
「放課後の時間って思ったよりも短いな。今日は俺に何か話があったから待ってたんだよな? もう話したいことは全部話せた?」
「そんなの話せるわけないよ。もっと一緒にいて、いろいろなことを話したい。話したいことなんて尽きるわけがないじゃない」
「そうだよな……。俺だってずっと千智と話をしていたいよ。千智と話しているのって、他愛もないことでもなんか楽しい」
前々から感じていたことだが、皐月は千智とは相性の良さを感じていた。皐月は誰に対しても自分から相手に合わせにいくが、千智にはそんなことをしなくても自然にしているだけで気持ちよくいられる。この感覚は幼馴染の真理に感じる安らぎとは違うが、絶対に手放したくないと思えるほどのものだ。
「もう一つ話したいことがあったんだけど、駅に着いちゃったね」
皐月と千智は稲荷口駅のすぐ近くまで来ていた。