314 匂い立つ朝
朝の身だしなみを終えた及川祐希は藤城皐月の部屋にいた。二人の母は昨夜遅くまで仕事に出ていたので、まだ眠っている。
「どうしたんだよ?」
「皐月、女の子の臭いがする」
皐月は昨夜、栗林真理の家に行っていた。体についた匂いは風呂で落としたはずだから、部屋の中の何かに匂いが移っていたのかもしれない。
「……相変わらず鼻がいいね。嗅覚、発達し過ぎなんじゃない?」
「その匂い、誰の?」
祐希が真剣な顔で皐月を見ていた。皐月は祐希の表情から言動の意図を読み取ろうとしたが、複雑な顔をしていて、怒っているのか悲しんでいるのかよくわからなかった。
「真理の家の匂いじゃないかな。昨日、真理ん家で一緒に晩飯食ったから」
「家で一緒にご飯を食べるだけで、そんなに臭いがつくの?」
「さあ……そうなんじゃない? 俺にはどれくらい匂うのかわかんないけど」
皐月は祐希に上着のシャツの匂いを嗅いで見せた。念入りに嗅いでも匂いがわからない、というポーズをとった。祐希が疑いの目で見続けているので、皐月はイライラしてきた。
「祐希も昨日、男の臭いがしたよ。制服と髪の毛から」
皐月は自分のことを棚に上げて、祐希にはったりをかましてみた。本当は男の臭いなんかわからなくて、汗と埃の匂いしかしなかった。
「皐月も鼻がいいんだね」
祐希の言葉に皐月は頭がもやっとした。鎌を掛けるつもりではなかったのに、聞きたくないことを知ってしまった。
「蓮は祐希の恋人だから、何をしていようが別に構わないんだけどね……」
言葉とは裏腹で、本当は何も良くはなく、嫉妬で頭がおかしくなりそうになっていた。
昨夜も祐希とキスをしている時に、祐希が恋人の竹下蓮とキスをしているシーンが頭にちらついた。そのせいで真理と唇を求め合っている時のように祐希を求めることができなかった。皐月は自分から祐希を遠ざけた。
皐月は恋愛をするまで、嫉妬がこんなにも苦しいものだとは知らなかった。嫉妬の概念だけで知ったかぶりをしていた。
真理や明日美にヤキモチでつらい思いをさせたくないなどと、偉そうに上から目線で他人事のように考えていた。だが、自分が嫉妬で苦しんで初めて、自分の犯している罪の重さがわかった
。
「祐希って美紅さんと会うって言ってたけど、本当は蓮と会うんだろ?」
「違う! 蓮君とは会わない。本当に美紅に会いに行くんだから」
祐希が必死になって弁解している。祐希の言うことはたぶん本当なんだろう。だが皐月には祐希の言葉が本当だとしても、嬉しいとは全く思わなかった。
「いや、そんなに否定しなくてもいいよ。蓮は祐希の恋人なんだから、会いたきゃ好きに会えばいいじゃん」
「そんなこと言わないでよ……」
祐希の目から涙が溢れそうになっていた。皐月はティッシュを一枚抜き、涙がこぼれる前に吸わせようと祐希に近づいて、軽く目に当てた。
「せっかくかわいくなったのに、メイクが落ちちゃうよ」
作り笑顔で昂る祐希の感情を鎮めようとすると、祐希から皐月にキスをしてきた。
「リップが落ちちゃう」
「いい。塗り直すから」
そう言うと、祐希が激しくキスをしてきた。めちゃくちゃに舐めるようなキスをするので、皐月の口まわりが祐希のリップと唾液で濡れてしまった。皐月も祐希に応え、顔を押さえて舌を貪るように吸うと、祐希はもう一度メイクをし直さなければならなくなってしまった。
「頼子さんが起きちゃうとヤバいから、やめよう」
「えっ? やめちゃうの?」
祐希の顔がトロンとしていた。皐月も理性を失いそうになっていた。
「俺だってやめたくないけどさ……祐希、デートに遅れちゃうだろ?」
「だから蓮君とは会わないって!」
「俺は今日、千智と会うから」
「えっ!?」
祐希の顔が崩れた。泣きそうな顔に変わった。
「千智は祐希の文化祭に着ていく服を買いたいんだって」
「……」
「大丈夫。俺は千智とこんなことしないから」
今度は皐月から祐希にキスをした。優しく唇を挟むようにキスしていると、濡れた口まわりが乾き、官能的な匂いを放ち出した。その芳香と祐希の甘い吐息が入り混じり、皐月は理性を抑えられなくなり、祐希をベッドに押し倒した。