295 きれいなお姉さん
朝6時の少し前、藤城皐月はスマホのアラームが鳴る前に起床した。すっきり目覚めた勢いで学校の体操服に着替えて、顔を洗いに洗面所に行くと、すでに及川祐希が身だしなみを整えていた。
「おはよう、祐希」
「おはよう、皐月。お母さん、まだ寝てるみたいだから、今日の朝食はパピヨンでモーニングね。私は6時半の開店に合わせて行くけど、皐月も一緒に行く?」
「いいよ。行こう」
芸妓の置屋の小百合寮では時々こういう朝がある。夜遅く、皐月の母の小百合がお座敷から帰ってくると、祐希の母の頼子と二人でお酒を飲んで夜更かしをすることがある。
そうなると次の日は早起きができなくなるので、皐月と祐希の朝食は喫茶店のお世話になる。皐月は小学生なのでお昼は給食だが、祐希のランチは高校の購買でパンを買うことになる。
祐希が登校の準備のため自分の部屋に戻ったので、皐月は1階へ下り、祐希が来るまで居間でモーニングサテライトを見て待つことにした。
番組はすでに始まっているので、皐月は録画を再生速度を上げて追いかけ再生で視聴する。皐月は母の裏芸の相場に興味があるので、小学生にして経済ニュースを見るようになった。
6時半になると、祐希が制服に着替えて下りてきた。皐月がカーディガンを着た祐希を見るのは初めてだ。グレーのカーディガンはややオーバーサイズ気味で、地味なセーラー服を隠していた。これだけでいつもの制服姿よりもかわいく見える。
「お待たせ。行こっか」
皐月は見ていた動画を止め、テレビを消した。祐希が先に外に出たので、皐月が玄関の戸締りをした。皐月が祐希と二人で家を出るのは久しぶりで、今日みたいな日は週に一度あるかないかだ。
「祐希、今日からカーディガンを着て高校に行くんだ。良く似合ってるよ」
「ホント? ありがとう」
こういう風に並んで歩くのが制服デートなのかもしれない。皐月は祐希の恋人の蓮のことが羨ましくなった。
春になったら自分も中学の制服を着るようになる。だが、あの校則の厳しい地元の市立中学では女の子と制服デートなんて絶対に許されないだろう。余計なことを考えたせいで、皐月の浮き立った心が暗い想像で汚されてしまった。
喫茶パピヨンの朝は早い。開店の6時半を過ぎて店に入ると、席の半分以上が常連客で埋まっている。パピヨンは禁煙の店で、喫煙者はすぐ近くにあるユズリハという喫煙可能な喫茶店に流れている。母の小百合は煙を嫌うので、昔からパピヨンの常連客だ。
皐月が祐希に先立ってパピヨンに入ると、マスターの奥さんであり今泉俊介のお母さんでもある素子ママが皐月たちを迎え入れた。
「いらっしゃい。皐月君、今朝は俊介がいるよ」
「ホント? ちょっと顔出してくるね。僕はモーニングはホットコーヒーでお願いします」
皐月は祐希に適当な席に座ってもらい、自分は俊介のところに顔を出すことにした。
「俊介、おはよう」
「あっ、皐月君。おはよう。今日は店に来てくれたんだね」
「ここのモーニングが恋しくなってね」
俊介はモーニングではなく、ご飯と味噌汁と焼き魚の定食を食べていた。もちろんそんな献立はこの店のメニューに載っていない。
「祐希と一緒に来たんだ。俊介さぁ、飯食い終わったら俺たちの席に来ないか?」
「え〜っ、僕なんかが行って、二人の邪魔にならない?」
「なるわけねーじゃん」
「祐希さんって美人だから、緊張しちゃうんだよね」
「大丈夫だよ。そんなのすぐに慣れるから」
俊介は何度か店で祐希のことを見ている。前に一度、祐希のことを紹介したことがあったが、その時の俊介はしどろもどろになっていた。
「祐希は7時15分の電車に乗るから、間に合うように来いよ」
「わかった。よ〜し、今日は気合入れて突撃するぞ〜」
「何だよ、それ」
皐月が祐希のいるボックス席に戻ると、祐希はスマホをいじっていた。
「後で俊介が来るかもしれないから、その時はよろしくね」
「オッケー。前はあまり俊介君とお話ができなかったね」
「あいつってさ、祐希に会うの、緊張しちゃうんだって。そりゃ祐希みたいなきれいなお姉さんを目の前にしたら、誰だって緊張するよな」
「嘘っ! 皐月なんか最初から全然緊張してなかったくせに」
「そんなことないって。俺、初めて祐希に会った時、胸がときめいたんだぜ。それに今だって、こうして祐希を前にするとドキドキしちゃってるし」
「あ〜っ、もう絶対に嘘!」
店内には昭和歌謡が流れていた。皐月はパピヨンでモーニングを食べながら歌謡曲を聴いているうちに昔の曲が好きになった。モーニングの時間帯に昔の歌謡曲を流すのは常連に年配の客が多いのと、マスターの趣味だ。




