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藤城皐月物語 3  作者: 音彌
第7章 大人との恋
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278 クーペの助手席に身を沈めて

 藤城皐月(ふじしろさつき)は初めて見る車の助手席からの前面展望に心を躍らせていた。

 同じ道を走っていても、自転車で歩道を走っている時に見える景色とはまるで違っている。空は広く、障害物もなく、視界が開けていて気持ちが良い。

 スピード感も刺激的だ。今は明日美(あすみ)が車の運転をしているが、いつかは自分も運転してみたいと思った。


 明日美の運転する真紅のレジェンド・クーペは豊川稲荷(とよかわいなり)の横を過ぎ、大きく左に曲がりながら進んだ。中央通三丁目の交差点をそのまま直進して、姫街道(ひめかいどう)を横断した。

 皐月はどの道で豊橋方面に行くのかよくわからない。社会の授業で習った江戸時代の地理感覚で、姫街道を左折するのかと思っていた。

 豊鉄(とよてつ)バスで豊橋に行く路線は姫街道を右折する。一度バスで豊川から豊橋まで行ったことがあるが、大回りで時間がかかり過ぎたのでこの道はないと思っていた。

 自動車で目的地まで行くというのは、今の皐月には想像の及ばない世界だ。事前に地図で調べておけばもっと道中を楽しめたのにと、準備不足を後悔した。


 このまま真っ直ぐ進むと、入屋千智(いりやちさと)に告白をした名鉄(めいてつ)豊川線の稲荷口(いなりぐち)駅だ。千智の家もすぐ近くにある。千智が家にいるのならGPSでは至近距離まで接近していることになる。

 だが、今二人は違う時空にいる。この瞬間、自分の認識できる世界には、いくら千智が自分の近くにいるとしても、現実は自分と明日美の二人しかいない。このことを皐月は自身に強く念押しした。

 皐月が千智に好きだと言った時、幼馴染の栗林真理(くりばやしまり)のことが脳裏に浮かんだ。だが、明日美のことはなぜか全く意識に(のぼ)って来なかった。

 恋心としては明日美も真理も千智も、思いの深さは同じ最上位のはずだ。今思うと不思議な心の綾だった。あの時、明日美は皐月の現実世界にも精神世界にも存在しなかった。


 稲荷口駅そばの諏訪町(すわちょう)12号踏切は遮断機が下りていなかった。踏切の手前で一時停止すると、皐月は千智に明日美と二人でいるところを目撃されやしないかと冷や冷やした。

(ダセえな……俺)

 もし明日美と一緒にいるところを千智に見られたとしたら、自分はどうするのだろう。

 言い訳をするか、それとも開き直るか……自問自答すると、どっちも格好悪い。皐月は何人もの女性を同時に好きになった自分のことを頭のおかしい気狂(きちが)いのように思えてきた。


 踏切を抜けると、右手にスーパーマーケットのサンヨネ豊川店が見えた。

「私、時々サンヨネで買い物するのよ。お魚が新鮮で美味しいの」

「へ〜。明日美でもスーパーで買い物するんだ」

「そりゃするわよ」

「さっきフィールの横を通り過ぎたけど、フィールでは買い物しないの?」

「もちろん、するよ。その時の気分でお店を使い分けてるの。この車って大きいから、フィールの方が止めやすいかな」

 フィールは愛知のご当地スーパーだ。住み込みの及川頼子(おいかわよりこ)がときどき、近所の店にないものをフィールまで自転車で買いに来る。

 皐月は芸妓(げいこ)姿の明日美しか知らなかったので、スーパーで買い物をする明日美を想像したことがなかった。無機質な部屋で暮らす明日美にはまるで生活感を感じなかったが、こういう話を聞くと芸妓の明日美にも人間味を感じる。

 サンヨネの横を通り過ぎると、皐月は少し名残惜しさを感じていた。この辺りで皐月が知っているのはサンヨネまでだ。


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