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藤城皐月物語 3  作者: 音彌
第6章 穏やかな日々の終わり
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271 夢幻

 明日美(あすみ)に包まれるように抱きしめられていても、藤城皐月(ふじしろさつき)は怖くて寒気を感じていた。ロングTシャツ越しに感じる明日美の肌のぬくもりでさえ夢幻(ゆめまぼろし)のように思えた。

「『私が死んだら』なんて言うなよ……」

 心細さで、消え入るような声しか出せなかった。

「ごめんね」

 耳元で囁かれた声が小さすぎて、皐月には聞き取れなかった。何と言ったか聞き返そうと思ったら軽くキスをされ、皐月から離れていった。

「せっかくお菓子を持って来てくれたんだから、一緒に食べましょう。そこに座っていて」

 ずるい笑顔でかわされると、皐月は何も言えなかった。明日美の言葉には軽々しく追及することができない壁を感じた。ここで駄々をこねるような真似をして、子ども扱いをされたくはない。

 明日美に言われた通り、皐月はふわふわのラグマットに腰を下ろした。折れ脚こたつの上には何も置かれていなかった。

 明日美は対面キッチンの奥にある冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出し、食器棚からステンレスの真空断熱タンブラーを取り出して持って来た。

「これしかないの」

 こたつの上に置かれたタンブラーは一つしかなかった。

「格好いいタンブラーだね。他にグラスとかないの?」

「人が家に来ることなんてないから、食器は自分のものしかないのよ」

「明日美……いくらなんでも物、少な過ぎなんじゃない?」

「皐月がこれからも家に来てくれるなら、あなたが使う食器を増やしてもいいよ」


 明日美が持って来たお茶は2Lのペットボトルの伊右衛門特茶だった。これは栗林真理(くりばやしまり)の家で出されたものと同じものだ。真理の母の凛子(りんこ)が好きなお茶で、特定保健用食品だ。明日美のこのお茶の選択が凛子の影響を受けたものなのか、それとも凛子が明日美の影響を受けていたのかはわからない。

 明日美がタンブラーにお茶を注いでいる間に、皐月は検番(けんばん)から持って来た紙袋からお菓子を取り出した。検番には安城(あんじょう)北城屋(きたしろや)の和菓子をいつも差し入れをしてくれる、京子(きょうこ)の馴染みの客がいる。

「好きなのを選んでいいよ」

「えっ? 明日美へのお土産なんでしょ? 明日美から選んでよ」

「そう? じゃあ……まだ食べたことのないこれにしようかな」

 明日美が選んだのは「ほうじ茶ラテぷりん」という秋季限定商品だ。ほうじ茶のプリンの上に渋皮付きの栗が乗っていて、美味しそうだ。

「じゃあ、俺はこれ」

 皐月が選んだのは「ふんわりぶっせ」という自分好みのブッセだ。ふわふわとした生地にクリームが挟んであるのが美味しそうだ。明日美が席を立って、食器棚から小皿と小さなスプーンを持って来た。

「皐月、フォークいる?」

「いい。このまま手で食べる」

 ブッセを乗せた小皿は真っ白の無地のものだった。明日美の部屋のインテリアは白を基調にしている。こたつテーブルも白だし、ラグマットも白だ。カーテンも白。何もかもが白で、皐月には少し病的に見えた。

 明日美のはいている濃いグレーのガウチョパンツと明日美の黒髪が部屋のアクセントになっていた。この部屋の中にいると、明日美のリップの赤が妙に(なま)めかしく浮き上がる。


 皐月はブッセを一口食べてみた。生地はふわっと軽く、バターとチーズのクリームが美味しい。明日美と話をしたかったので、口をさっぱりとさせるためにお茶を飲んだ。

「お母さんが心配していた。明日美、疲れてるって」

 明日美が食べている手を止めて、スプーンを直接テーブルに置いた。

「お母さんは心配性だから……」

「俺は高卒認定試験の勉強で疲れてるんじゃないかって、京子お母さんに言ったんだけど」

「私のフォローしてくれたんだ。ありがとうね、皐月」

 明日美も皐月と同じタンブラーでお茶を飲んだ。

「でもね……病気をしてからは勉強のモチベーションが下がっちゃって……。今は皐月が思っているほど勉強していないよ」

「じゃあ、どうして疲れてるんだよ? 体調が悪いのか? それとも家で稽古をしてるのか?」

「体調は絶好調ってわけではないかな。勉強や稽古は家でやってるけど、頑張り過ぎてはいないよ。最近は横になって休んでいることが多いから、休み過ぎて疲れちゃったのかもね。一度自分のスイッチを切ると、再起動するのにエネルギーがいるから」

「へぇ……」

 皐月は明日美が言ったことと似た話を真理から聞いたことがある。勉強は習慣化してしまえば勉強すること自体は苦にならないらしい。一度でも休むと、なかなか勉強をやる気にならないと言っていた。明日美もそんなものかと納得した。


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