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藤城皐月物語 3  作者: 音彌
第6章 穏やかな日々の終わり
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270 殺風景な部屋

 明日美(あすみ)のマンションの前に立ち、藤城皐月(ふじしろさつき)は足がすくんだ。

 小学生の友だちの家に遊びに行くのとはわけが違う。知らない建物に入るという緊張感もあるが、これから明日美のプライベートな空間に踏み入ることへの期待と恐れがある。

 ここは真理の住むマンションと同じく、オートロックによるセキュリティーが施されている。

 風除室に入り、インターホンで明日美の部屋番号のボタンを押すと明日美の返事が聞こえた。防犯カメラからこちらの顔を見られているが、こちらからは明日美の顔が見えない。真理の家で何度も経験しているが、このシステムにはまだ慣れていない。

「皐月だよ」

「今、開けるね」

 明日美にエントランスの共用玄関ドアの鍵を解除してもらい、皐月は建物の中に入った。

 エレベーターに乗っている間、皐月は緊張していた。明日美の部屋の前まで来て、玄関のチャイムを鳴らすと明日美が出てきた。


 明日美は濃いグレーのガウチョパンツと白のロングTシャツのラフな格好だった。稽古の時とは違い、髪をメッシーバンにまとめていて、薄くメイクをしていた。

 リップで赤みを増した唇につい目がいってしまう。誰とも違う、明日美だけのいい匂いがした。顔がかっと熱くなった。

「いらっしゃい」

「お母さんに頼まれたもの、持って来たよ」

 明日美は検番(けんばん)で稽古をしていた時とは違う、プライベートの姿だった。明日美を見て、皐月は柄にもなく緊張し、つい声が小さくなってしまった。

「ランドセルを背負っているのを見ると、皐月ってやっぱり小学生なんだね」

「言うなよ、気にしてるんだから……。一度家に帰ってから来ればよかった」

「怒らないで。かわいいんだから」

 子どもの皐月に戻ってしまったのかなと思い、悲しくなった。

「俺、1秒でも早く会いたいと思って来たんだぞ」

「ありがとう。そんなにも会いたいって思ってもらえるなんて、嬉しい。まあ、上がってよ。持って来てくれたお菓子、一緒に食べましょう」


 玄関の床にランドセルを下ろした皐月は靴を脱ぎ、脱いだ靴を揃えて家に上がった。玄関を右に曲がり、すぐに左に曲がるとリビング・ダイニングに出た。皐月は部屋を見て驚いた。物があまりにも少なすぎるからだ。

 10畳ほどある部屋にはТVボードに乗った小さめのテレビがあり、小さめの折れ脚こたつがラグマットの上に置かれていた。ソファーはヨギボーのビーズソファが一つだけあり、部屋の片隅に小さなアンティーク調キャビネットがあった。中の物はそれだけだ。

「ねえ、この部屋って物が少な過ぎじゃない?」

「そう? まだ部屋が二つもあるから、この部屋はこれで十分なんだけどな……」

 明日美に案内されて他の部屋も見せてもらった。一つは衣裳部屋で、衣類関係は全てこの部屋にあるが、そんなに多くの衣装があるわけではないので場所が余ってスカスカだった。

 もう一つの部屋は寝室で、部屋の真ん中にベッドがあり、他にはバタフライワゴンが一つ転がっていた。

 窓際に鉢が一つだけぽつんと置かれていた。これは京子から分けてもらったフリージアだ。球根が5つ、土から頭を出している。


 リビングに戻り、部屋全体を眺めまわした。皐月にはどの部屋も殺風景に見えた。

「やっぱり物が少ない。こんな広い家に一人じゃもったいないね」

「分譲マンションは 2LDK からしか売ってなかったのよね。もっと部屋が少なくてもよかったんだけど……」

「俺なんか頼子さんたちが家に住み込むようになったから、二部屋使ってたのを一部屋に減らされちゃったよ」

「その話、頼子さんから聞いたよ。頼子さんは随分と気にしていたな……。皐月に悪いことしたって」

「そんな……。部屋が狭くなったなってのは思ったけど、嫌なんて思ったことはないよ」

 皐月は明日美が小百合寮のことをよく知っていることに驚いた。明日美は及川親子(おいかわよりこ)のことについてもある程度のことは知っているようだ。

 今まで考えたこともなかったが、芸妓仲間になった明日美と頼子が会話を交わしていたとしても何ら不思議なことではない。


「そうだよね……。隣の部屋にかわいい女子高生が引っ越して来たんだから、皐月は嬉しいよね」

「そんなことないよ。気を使うことばかりで、家にいても全然リラックスができなくなったし……」

 頼子と祐希が家に住み込むようになってからは、良いこともあれば悪いこともある。皐月はあえて悪いことだけを言った。祐希を否定するようなことを言って、明日美の意識から祐希の存在を少しでも薄くできたらと思ったからだ。

「そうか……。部屋が狭くなって、他人と同じ家に住むことになったから、皐月は落ち着ける場所がなくなったんだね」

「うん……。まあ、そんなとこ」

 明日美が思っているほど皐月は深刻な状況ではなかった。でも、家で落ち着けなくなったというのは図星だった。今は公私ともに忙しいので気にならないが、ときどき心がざわつくことがある。


「皐月さえよかったらこの家を自由に使ってくれていいよ」

「えっ? どういうこと?」

「一人でこんな広い家に住んでいても寂しいからね。小百合寮で一部屋取り上げられたのなら、明日美寮で一部屋あげる。皐月がこの家に遊びに来てくれると、私は嬉しいな……」

「明日美寮? ここって寮だったの?」

「今日から寮にしようかな。私と皐月、二人の寮」

 皐月には明日美がひどく(はかな)げに見えた。直観的に京子の懸念していた疲れとは違うと思った。

「それに……」

「それに?」

「私が死んだら、この部屋を皐月にあげる」

「えっ!?」

 皐月は明日美が命に関わる病気を持っていることをすっかり忘れていた。明日美の置かれている深刻な状況を思うと、皐月の顔から血の気が引いてきた。

 泣きそうになるのを(こら)えていると、そっと優しく抱きしめられた。皐月も明日美の背中に手をまわしたが、強く抱きしめると壊れてしまいそうな気がして、軽く力を込めることしかできなかった。


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