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藤城皐月物語 3  作者: 音彌
第6章 穏やかな日々の終わり
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269 大義名分

 藤城皐月(ふじしろさつき)は豊川芸妓組合の検番(けんばん)にいる。目の前には組合長の京子(きょうこ)が座っている。皐月は京子に芸妓(げいこ)明日美(あすみ)の健康状態などの現状の話を教えてもらっていた。


 明日美(あすみ)は皐月の幼馴染の栗林真理にタイプが似ているのだろう。明日美も真理も不安を打ち消すために仕事や勉強に打ち込むように見える。

 だから明日美は真理の母の凛子(りんこ)にかわいがられている。凛子は真理と明日美の気性が似ているところに親しみが湧くのかもしれない。

 皐月や母の小百合(さゆり)は不安を覚えると、逃げたりごまかしたりする傾向がある。そんな性格なので、小百合は明日美と相性が悪いのかもしれない。皐月は母の小百合の性格を受け継いでいるので、本来は真理や明日美と相性が悪いはずだ。


「……そうか。勉強って疲れるんだ。あの子が仕事や稽古を減らしているのに疲れが抜けてないように見えるのは、そういうことだったんだね」

「家で勉強を頑張られちゃったら、お母さんも止めようがないね。お母さんって明日美の家に行ったりしないの?」

「そんなことするわけないだろ。あの子にはあの子の暮らしってものがあるんだから。あの子は豊川(とよかわ)に友だちや恋人なんていないから、誰も家に呼んだことがないんじゃないかな。皐月、あんたこの前あの子の家まで送って行ったんだろ? 部屋には上がらせてもらえなかったのかい?」

「『寄ってく?』って言われたけど、門限が迫ってたから、寄らずに帰っちゃった」

「そうだったのかい……バカだねぇ。女に誘われたら、男は乗らなきゃダメだよ。据え膳食わぬは男の恥って言うからね。あんたにはまだ早いか」


 皐月は明日美の部屋に行かなかったことをずっと後悔していた。せめて1分でもいいから寄っておけばよかったと思っている。新しい家族になった及川親子に気を使い過ぎていたのかもしれない。

「お母さん、小学生にそんなこと言ってもいいの?」

「こういうことは大人が教えてあげないとね。百合なんか、あんたのこと溺愛しているからね。女遊びなんか絶対に教えないだろうし」

「女遊び! それって俺にプレイボーイやジゴロになれってこと?」

 皐月は友だちの花岡聡(はなおかさとし)が憧れているジゴロのことを思い出した。言葉の意味は調べたから知っているが、実際にジゴロがどういう男なのか、まだ皐月にはピンときていなかった。

「バカだねぇ、あんたは。そんなんじゃないよ。いい男になれってこと。あんたは百合に似てきれいな顔をしているから、これから女が大勢寄ってくるようになるよ。その時にあんたも女も不幸にならないような遊び方を知らないとねぇ」

「じゃあ、お母さんが俺に女遊びを教えてくれるんだ」

「バカ言ってんじゃないよ。そんなことは自分で考えな。でも、あんたに困ったことあったら、助言くらいはしてやるよ」

「お婆さんに恋愛の相談してもなぁ……」

「酷いことを言うねぇ、あんたは。さっきは私に女遊びを教えろって言ったくせに。私に助言をもらうのが嫌なら玲子(れいこ)を頼ればいいよ。あの子なら私よりもずっと頼りになるよ」


 玲子は京子の一人娘で、芸妓以外にもクラブを経営している。玲子の店にはキャストが豊川芸妓組合よりもたくさんいる。

 その中に(みちる)(かおる)もいて、彼女らはホステスだけでなく芸妓もしている。玲子は物腰が柔らかく優しいが、大勢の女の子たちを従えているからなのか、京子以上に威厳を感じる。

「大丈夫だよ。俺、いい子だから。今からそんな心配しなくてもいいって」

「そうだねぇ……あんたもまだ小学生だからねぇ。でも最近のあんたは色気づいてきたから、ちょっと心配になっちゃってねぇ……」

 さすがに京子は鋭いな、と思った。本当に困った時は京子に頼れば間違いがなさそうな気がしてきた。京子だけでなく玲子もいる。心強いと思う反面、下手なことはできないという恐怖もある。

「グラスを洗ったら帰るね」

 皐月はコーヒーを飲み終えたフリージアのグラスを持って、台所へ行った。帰りが遅くなると、京子の夕食の用意の邪魔をしてしまうことになる。手早くグラスを洗い、タオルで拭きあげて元の棚に戻した。


「皐月、あんた明日美の家に行ったことがあるんだろ? ちょっと悪いけど、帰りにこれを届けてくれないか」

 皐月が京子から手渡されたのは小さな紙袋だった。

「お客様から差し入れでもらったお菓子なんだけどさ、あの子、持って帰るの忘れちゃったんだよね。仕事を減らすようになってから忘れ物が多くなったみたいでさ。暇過ぎてボケちゃったのかね」

「いいよ。明日美ん家は帰り道とそんなに方向違わないから」

「悪いね。別に急ぎのものじゃないんだけどね。あの子、このお菓子食べたそうにしてたから渡してあげたくてさ」

「これって安城(あんじょう)北城屋(きたしろや)の和菓子じゃん。このお店のって何でも美味しいよね。明日美にお願いして一つ分けてもらおうかな」

「私から明日美に電話しておくから、皐月にお願いするね」

「ランドセルを背負っているし、なんか俺って Uber Eats みたいだね。いいよ。任せて」


 皐月は運が向いてきたと喜んだ。これで堂々と明日美に会うことができるからだ。明日美とはいつでも会えるはずだったが、何となく自分からは会いたいと言い出せなかった。

 皐月は明日美と口づけを交わしたにもかかわらず、真理や祐希ともキスをした。そのうえ入屋千智(いりやちさと)には告白まがいのことまでした。皐月はずっと、明日美と会うことに後ろめたさを感じていた。

 しかし今日は大義名分がある。京子の頼みを断れるはずがない。皐月は何の後ろめたさも感じず、晴れやかな気持ちで検番を出た。


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