431 京都観光の終わり
藤城皐月たちは東寺庭園の拝観受付の門を出て、食堂の前を左へ進んで来た道を戻った。つきあたりの築地塀の右手には御影堂(大師堂)という、空海が東寺にいた頃に暮らしていた住居がある。
御影堂は国宝に指定されていて、毎朝六時に空海が生きているかのように朝食を捧げる生身供という供養が執り行われている。二橋絵梨花は御影堂を見なくてもいいと言い、東寺を離れるのを急いだ。
食堂の前を過ぎたところで、皐月がみんなに声をかけた。
「南大門までみんなで横一列に並んで歩かない?」
「なんでそんなことするの?」
皐月の突拍子もない提案に栗林真理が不思議そうな顔をした。
「格好いいじゃん、映画の主人公みたいで。ねえ、やろうよ」
真理たち五人が顔を見合わせた。
「いいね。やろう! 確かに皐月の言う通り、めっちゃ格好いい。僕もやりたい」
神谷秀真が賛成すると、岩原比呂志も賛同した。
「ねえ、どうする?」
「私もやってみたい。藤城さんって変なこと考えるね」
「皐月はバカだから」
絵梨花が乗り気なのに真理は驚いた。皐月は絵梨花とは波長が合うと前々から思っていたが、この旅行の中でそれは確信に変わった。
「境内には人がいないし、別にいいんじゃない? 前から人が来たらやめればいいんだし」
吉口千由紀は班長らしい真面目なことを言っていたが、嬉しそうな顔をしていた。
「じゃあ決まりね。センターは二橋さんと吉口さんでよろしく。俺はこっちの端ね。秀真はあっちの端に行ってくれ」
「いいよ。堂塔に近い方にしてくれるのはありがたい」
並び順は右から秀真、比呂志、絵梨花、千由紀、真理、皐月になった。道幅が広いので、隣同士くっつかずに、一人分くらい開けて横に並んだ。
「じゃあ、行こう」
皐月たち六人は楠の間を横一列になりながら、広い境内を歩き始めた。絵梨花が最初に歩き始めたので、みんなも絵梨花に足並みを揃えた。
境内を歩いている間、誰も話そうとはしなかった。砂利の音だけがザッザッと鳴るのを聞いていると、皐月は意識が現代から平安時代へ飛んでいるような感覚になった。
講堂を過ぎ、金堂を超えると五重塔が見えた。木の葉に見え隠れする五重塔へ向かって進むと南大門の前に着いた。ここまで皐月たち六人は一度も口を開かなかった。皐月はぼんやりとこの日の出来事を振り返ったり、余韻に浸ったりしていた。きっと他の五人も自分と同じだろう。
「楽しかった〜」
最初に言葉を発したのは絵梨花だった。
「終わっちゃったね」
しんみりとした口調で千由紀も話し始めた。
「まだ終わっていないよ。京都まで近鉄に乗るんだから。それに旅館に着くまでが班行動だ。それに当初の予定より15分遅れている。京都駅での買い物時間はあと20分ちょっとしか残っていない」
「そうだね。岩原君の時間管理のお陰でなんとか全部まわれたんだからね。もう東寺を出ようか」
秀真だってもっとここにいたいのに、言い出しにくいことを言ってくれた。比呂志とアイコンタクトを取った秀真は、比呂志と並んで南大門を出た。二人に続いて絵梨花と千由紀、真理と皐月が続いた。
南大門を出たところにはもう青鷺はいなかった。東寺の前の国道1号は交通量が増えていた。築地塀沿いを東寺駅に向かって歩いていると、真理が話しかけてきた。
「ねえ、皐月。仏教って何なの?」
難しい質問に皐月は即答できなかった。夏休みの自由研究や修学旅行の事前学習で仏教に触れる機会が多かったので、皐月も仏教とは何なのか気になり、調べたことがあった。
皐月はいつか自分なりの考えを少しまとめて、真理に話さなければならないと思っていたが、まさか今がその時になるとは思わなかった。前を歩く絵梨花や千由紀も皐月の言葉を待っていた。
「仏教は釈迦の説いた教えを実践して目覚めること。目覚めるっていうのは苦しみから解放されること。そのためにはどうして苦しむかを理解して、苦しみの原因を取り除くこと。そういうことをするのが仏教だと、自分は理解している」
仏教用語を言っても通じないと思い、自分なりの言葉に変換してみた。ただ、これで合っているのかどうかはわからない。
「じゃあ、苦しみの原因を取り除くことが修行ってこと?」
「まあ、そういうことじゃないかな。俺みたいなのが軽々しく言えることじゃないけど」
苦しみの原因を作り散らかしている自分に仏教を語る資格なんてない、と皐月は恥ずかしくなった。だが、資格を自分に問い始めると何もできなくなる。自分に呪縛をかけてどうする、と思い直した。
「他に何か聞きたいこと、ある? 間違っているかもしれないけど、答えるよ」
「じゃあ、仏教にお寺って必要? 修行するのにお寺なんて関係ないよね?」
「お寺はなくてもいいと思う。釈迦の教えは書籍になっているし、解説本もある。でも、昔は今みたいに便利なテキストなんて簡単に手に入らなかったから、お寺で僧侶に教えを請うしかなかったんだと思う。お寺を必要とする人はお寺に頼ればいいんじゃない?」
京都銀行のある交差点に着いた。ちょうど信号が青になるところだったので、そのまま横断歩道を渡った。一度歩いて知った道だからなのか、時間の経つのが早く感じた。
「皐月はさっき、私に『神とか仏とか信じてる?』って聞いたよね。あんたはどうなの?」
難しい質問だ。今までもなんとなくは考えてきたが、はっきりと自分で定義したことがなかった。だが、真理に聞かれた以上、今ここでまとめなければならない。皐月は東寺で考えていたことを答えた。
「神や仏は概念だと思う。過去の人物を神格化したものもある。そういった意味では神仏を信じていない。でも、神仏を信じたくなるような不思議なことはあると思う。さっき真理も言ったけど、『人は誰でも神様に対する認識が違う』っていう考え方、それが問題なんだよな。真理っていいこと言うなって思った」
皐月に褒められ、真理はしまりのない顔になった。皐月も真理のお陰でモヤモヤした気持ちが吹っ切れた。
「真理ちゃんと藤城さんって、五重塔の前でそんなことを話していたんだね。二人はいつもそんなことを話しているの?」
「全然だよ。普段はくだらないことしか話していないし」
「食いもんの話が多いよな?」
「あんたはいつもお腹が空いているからね」
真理の言い方にちょっと反発したくなったが、皐月は愛想笑いをしながら真理と絵梨花を見た。少しくらいバカにしてくれればいいのにと思ったが、二人は眩しそうに自分のことを見ていた。