426 東寺五重塔
東寺庭園の不二桜の前に残された五人は藤城皐月の思いがけない言動に戸惑っていた。
「皐月はちょっと様子がおかしかったね。何か苛立っているっていうか……。まあ、あの子は情緒不安定なところがあるから」
皐月と幼馴染の栗林真理は他の四人に比べて冷静だった。小さな頃からお互い慰め合って生きてきたので、メンタルの変調には慣れている。
「皐月は神仏や神社仏閣の歴史について勉強してきたことと、修学旅行で体験したことのズレを気にしていたよ」
「どういうこと? 神谷さん」
二橋絵梨花は皐月の変わりようを一番気にしていた。
「皐月はね、神社やお寺に来てみても、神や仏を何も感じられないし、歴史を勉強しても信じられないって言ってた。知識と現実のギャップに失望したみたい」
神谷秀真は自分にも思い当たる節があり、同じ体験をしたことがあるので皐月の気持ちが良くわかる。
ただ、秀真は皐月のように疑問を持っても保留して、そういうものだと思うようにしている。秀真はそうして自分の心を守っている。皐月のように疑問に感じながら関心を持ち続ける姿を見ていると、壊れやしないかと心配になることがある。
「僕は藤城氏を見ていて、一緒に鉄道を見に行く時のような無邪気さがないなって感じた。僕の鉄道への愛情と違って、藤城氏の神社仏閣への関心は好きや楽しい以外の感情がいろいろ入り混じっている」
岩原比呂志は自分が好きなこと以外に関心が薄いことに、皐月と付き合うようになって初めて気が付いた。皐月は学校の勉強もできるし、友だちと馬鹿話もできる。女子とも仲が良くて、運動神経も悪くない。比呂志はそんな皐月に憧れているし、時に妬ましく思う時もある。
「私がさっき夜叉神堂で藤城君と話した時、藤城君は祀られていた神様のことを考えていたのか、すごく集中していたよ」
吉口千由紀は夜叉神堂で皐月の手を取り、掌を指でなぞった時の胸の高まりを誰にも知られたくなかった。千由紀はあの時、自分の心が夜叉になりそうで怖くなっていた。
「藤城さんの様子が変わったのって、私が伏見神寶神社で藤城さんを非難するような言い方をした時からだよね。あの後、藤城さんはいつもより優しく接してくれたけど、本当は傷ついていたんだ……」
二橋絵梨花はすっかり悄気返っていた。絵梨花は自分の存在だけで周囲の女子を傷つけたことがあったので、言動だけは注意深くしてきたつもりだ。しかし、こんな風に自分の言葉で人を傷つけるのは、豊川に引っ越してきて初めてのことだった。
「絵梨花ちゃん、それは気にし過ぎだよ。私なんかもっとひどいこと言ってるし、絵梨花ちゃんが言ったことなんて全然大したことないよ」
「そうかな……」
栗林真理は皐月が人に言われた言葉で自分を責めたのを、あの時初めて見た。
絵梨花の言う通り、皐月は絵梨花の言葉に相当こたえていたように見えた。真理は絵梨花を慰めてはいたが、それ以上に絵梨花の言葉が皐月を変えたことを意識させたくなかった。
「私、ちょっと皐月の様子を見てくる。絵梨花ちゃんたちは庭園を見ながら来て。せっかく東寺まで来たんだからさ、皐月の世話は私に任せて楽しんで来てよ。待ち合わせは五重塔の前ね」
そう言って真理は皐月のもとへ駆け出した。皐月の心配はしていないが、そばにいて、少しでも二人になれる時間を作りたかった。
ベンチに座って五重塔を見上げている皐月の隣に真理が座った。皐月は真理に反応を示さなかったので、真理から皐月に話しかけた。
「五重塔ってこんなに大きかったんだね。遠くから見ると美しいのに、こんなに近くで見ると全然美しくないね。凄いとは思うけど」
「こんなでかいもの建てちゃって、昔の人って何考えてたんだろうな。意味わかんね〜」
「別にわかんなくたっていいでしょ。でも、こうして私たちが喜んで見ているんだから、五重塔を作った人たちは喜んでいるだろうね」
「アホか。死んだ人が喜んでいるわけねーじゃん」
皐月は五重塔だけを見て、真理の方を一切見ようとしなかった。
「じゃあ、五重塔を守ってきた東寺の人たちは観光客がお金を払って見に来てるんだから、いっぱい儲かっちゃって喜んでいるよ」
「拝観料なんかで維持費を賄えるわけねーだろ。バカ」
「なによ! さっきから感じ悪いなー」
「あ……ごめん」
この時、初めて皐月は真理の顔を見た。真理はいたずらがバレた時のような顔をしていた。
「まあ、いいけどさ……。それよりみんな心配していたよ。皐月が一人になりたいって言い出したから」
「もう大丈夫だよ。落ち着いた」
「そう? ならいいけど」
真理から見て、確かに皐月は落ち着きを取り戻したようだった。無理に平静を装っているようにも見えなかった。
「真理ってさ、神とか仏とか信じてる?」
皐月は真剣な顔をしていた。真理は皐月が何かに集中している時に真剣な顔になることを知っているが、その顔を自分に向けられるとは思わなかった。
「神社で御守を買ったよ」
「じゃあ、信じてるってこと?」
「さあ……。たぶん信じているんだと思うけど。でも、神様なんて人によって捉え方が違うでしょ。少なくとも私は皐月の信じている神様は信じていない」
「なんだよ、それ……」
「あと、神社で祀られているような、昔の知らない人たちが信じていた神様も信じていない」
皐月は二度も信じていないと言われ、黙り込んでしまった。返す言葉がなかった。
「人は誰でも神様に対する認識が違うんだから、皐月もあまり神経質にならなくてもいいよ」
真理は秀真の方が皐月のことをよくわかっていることに感心していた。皐月は自分には「知識と現実の差に失望した」なんてことは絶対に話さないだろう。幼馴染では友だちには勝てないし、恋人になっても友だちには勝てないかもしれない。
「ありがとう。俺、ちょっと考え方が独りよがりになっていたみたいだ」
皐月が爽やかな顔で微笑んだ。真理も頬笑みを返すと、皐月は少しはにかんだように頬を赤く染めた。後ろに伸びをして身体を支えている皐月の手に、真理はそっと手を重ねた。
「私ね、皐月が神社やお寺の話をしてくれたの、すごく楽しかったよ。皐月のお陰でそういう方面にも興味が出てきた。皐月もオカルトのことを気楽に楽しめたらいいね」
「そうだね」
瓢箪池を右から回ってきた絵梨花たち四人の姿が遠くに見えた。真理は重ねた手を離し、ベンチから立ち上がった。
「皐月、みんなを迎えに行くよ」
「おう」
真理と皐月は手を振って、絵梨花たちに向かって走り出した。絵梨花たちも皐月たちに向かって駆け寄って来た。六人は五重塔の基壇の前で再会した。
「ごめん。みんなに心配かけたみたいだな」
「瓢箪池越しに見る五重塔は良かったよ。皐月も見てくる?」
「いや、俺はいい。また東寺に来るから。それより先を急ごうぜ。仏像を見る時間がなくなっちゃう」
この日、五重塔の初層の内部は拝観できなかったので、内観できる金堂に向けて皐月たち六人は歩き出した。五重塔を背にして金堂に向かっていると、皐月はみんなと一緒に時間旅行をしているような不思議な感覚になっていた。東寺にいることが急に楽しくなってきた。