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藤城皐月物語 3  作者: 音彌
第9章 修学旅行 京都編
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402 糺の森

 (ただす)の森は季節の変化に富んでいる。この修学旅行の時期はまだ葉が色づく秋の手前だが、冬になれば枝だけになる高木(こうぼく)が多いので、寂しい参道になる。

 (えのき)(けやき)(むくのき)の下で紅葉(もみじ)が枝を広げている。紅葉は大きな樹の木漏れ日が好きなようだが、それは自分も同じだ。この参道の柔らかい明るさが心地よい。藤城皐月(ふじしろさつき)はいつか秋の日に、再びここへ紅葉を見に来たいと思った。


 参道は左手の瀬見の小川に沿っているが、右手にある泉川も皐月たちに迫ってきた。挟まれた二つの川の流れに逆らって歩いていると、時の流れが緩やかになっているような感じがした。

「藤城君。糺の森って平安時代の文学作品に出てくるんだよ」

 吉口千由紀(よしぐちちゆき)が皐月に話しかけてきた。鴨川デルタであまり元気がないように見えたので心配していたが、今は楽しそうな顔をしている。

「本当に? じゃあ、ここって聖地じゃん。何て作品?」

「『源氏物語』とか『枕草子』とか。作中で和歌に詠まれている」

「吉口さんって古典も読んでるの?」

「まさか……さすがに難し過ぎて読めないよ。でも、読めるようになりたいって思ってる。修学旅行でここに来るって決まったから、少し下鴨神社と文学の繋がりを調べたの」

 皐月と秀真は訪れる寺社の由来や祭神に偏って調べていた。千由紀のように文学の方面から知識を注入してくれると、旅の思い出がより重層的になる。

「そういえば清水寺でも『枕草子』に出てくるって教えてくれたよね。さわがしきものだったっけ。下鴨神社はどういう風に描かれているの?」

「下鴨神社っていうより、ここで祀られた神のことが『(ただす)の神』っていう言葉で出てくるの。糺の森の神に正邪を正してもらうっていう意味合いで扱われている。その解釈が高じて、糺の森は禁足地で悪人が踏み入ると罰が当たる、と信じられていたみたいだよ」


「うわっ。じゃあ俺、罰が当たっちゃうかも」

「あんた、何か悪いことでもしたの?」

 栗林真理(くりばやしまり)が怪訝な顔をして皐月のことを見た。軽口を叩いたつもりだったが、真理にしてみれば一緒に住んでいる高校生の及川祐希(おいかわゆうき)や、恋人と噂されている年下の入屋千智(いりやちさと)のことが気になるのだろう。

「これから悪いことをするんだよ。俺は真理にお金をせびるつもりでいたから」

「なんだ、そんなの悪いことでも何でもないじゃない」

 皐月は真理を安心させるつもりで適当なことを言って誤魔化したが、真理は勝ち誇った顔をしていた。やはり真理は祐希や千智のことを気にしていたようだ。もしも糺の神がいるのなら、本当に罰が当たってしまうかもしれないと思った。


 少し進むと休憩ができるようにベンチが置かれた場所に出た。ここは古代からの祭場で、切芝(きりしば)という。ここでは下鴨神社の境外摂社(けいがいせっしゃ)御蔭(みかげ)神社の御蔭祭の切芝神事が行われる。

 切芝神事では、神馬に乗った賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)の御祭神の賀茂建角身命かもたけつぬみのみこと玉依姫命(たまよりひめのみこと)荒御魂(あらみたま)東游(あずまあそび)という神事舞が奉納される。

「ねえ、吉口さん。『源氏物語』に出てくる賀茂神社の賀茂祭って下鴨神社の葵祭(あおいまつり)のこと?」

「そうだよ。二橋さん、『源氏物語』読んだことあるんだ」

「あるけど、私が読んだのは『講談社 青い鳥文庫』の『源氏物語』なんだけどね。確か葵の上と六条御息所の車争いの話だったかな」

「そう。……切ない話だよね」

 源氏物語を読んだことのない皐月と真理は、千由紀と二橋絵梨花(にはしえりか)の会話を聞いても内容を全く理解できなかった。真理が皐月からスマホを奪い、葵祭を検索した。

「葵祭の画像を見てるけど、みんな百人一首みたいな格好をしているね。すごいな……。まるで平安絵巻みたい」

 真理に顔を寄せ、皐月もスマホの画面を見た。顔を寄せ過ぎたのに気付き、すぐに少し体を引いた。

「本当だ。美し過ぎて、現実離れしている」

 皐月は事前に下鴨神社のことを調べた時に葵祭の写真を見ているはずだった。その時は関心が神社の起源や祭神に向いていたので、葵祭に意識が向いていなかった。


 改めて糺の森の中で真理や絵梨花、千由紀に囲まれながら葵祭の斎王代(さいおうだい)女人列(にょにんれつ)の写真を見ていると、その尊い姿に心を奪われた。平安時代に意識を飛ばし、その感覚が生々しく迫り始めると、なぜか目が潤んで涙があふれ、頬を濡らした。

「ちょっと……。皐月、泣いてるの?」

「うわっ! ……恥ずかしいな。見るなよ」

 あわてて親指で涙を拭うと、絵梨花にハンカチを渡された。皐月は三人の女子に背を向けて、涙を拭いた。

「藤城さんって光源氏みたいになりそうだね」

 ハンカチを受け取った絵梨花は優しく微笑み、少し首を傾げてコケティッシュに言った。

「源氏物語」を読んだことのない皐月には絵梨花の言った意味がよくわからなかったが、真理を見ると不安げな顔をしていた。千由紀はいつものように感情を表に出していなかった。

 千由紀は皐月のことを太宰治の小説「人間失格」の主人公、大場葉蔵(おおばようぞう)に似ていると言ったことがある。そんな千由紀は絵梨花の発言をどう思っているのだろうか。

「ねえ、吉口さん。俺って光源氏みたいになると思う?」

「知らない」

 味も素っ気もない答えに皐月は鼻白(はなじろ)んだ。絵梨花には聞きにくかったから千由紀に聞いたのに、こんなつれない態度を取られると、少し腹が立ってきた。

「女で身を滅ぼさないようにって警告されたんだよ、皐月は」

 真理はスマホで光源氏のことを調べたようだ。皐月も「源氏物語」が恋愛小説だということは知っていたが、話の内容までは知らなかった。家に帰ったら「源氏物語」のことを調べてみなければならない。


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