396 出町柳駅
藤城皐月たちを乗せた京阪特急が出町柳駅に到着した。出町柳駅は島式ホーム1面2線の地下駅で、地元の豊橋駅やJR奈良線の京都駅のように頭端式ホームになっている。
皐月が地下にある駅の終着駅で降りたのは初めてだった。線路の先がない地下空間は息苦しいのかと思っていたが、意外にも何ともない。明るくて空気が良く循環していれば、どんな闇でも平気でいられることがわかった。
岩原比呂志は駅に着くと、すぐ近くにある階段を上り始めた。皐月ら五人は訪問地の移動を比呂志に任せていたので、彼の後をついて行った。黄色の明かりに照らされた改札を抜けると、叡山電車の乗り場を目指して左へ進んだ。
コンコースを道なりに歩いていると、祇園四条駅のような煌びやかなデジタルサイネージによる広告が目についた。出町柳駅は柱に埋め込まれたディスプレイではなく、円柱を覆うように制御盤が設置されていて、そこに電子看板を後付けして広告を表示していた。
下りエスカレーターはなぜか平面に延長され、動く歩道になっていた。このエスカレーターは珍しい作りで、マニアの間では有名らしい。踊り場でエスカレーターを乗り換える時、左手に葵祭の巡幸図の壁画を見ることができる。
右に曲がってもう一度エスカレーターに乗ると地上に出た。世界遺産がある駅だけあって、地上まで重力に抗わずに行けるのは観光客に優しい設計だ。
出口の左側には叡山電車の出町柳駅があった。飲料の自動販売機に並んで、えいでんグッズの自販機もあった。比呂志がいきなり走りだしたので、皐月も面白がってついて行った。
「ダメだ。ここには僕の欲しい物がない」
「岩原氏はどんな物が欲しかったの?」
「家族のお土産にできる物と、日常使いができる物。あとは自分の趣味を満足させられる物かな。どこかにグッズを売っている場所があるはずなんだけど……」
比呂志が真剣な顔で駅の構内に目を走らせると、えいでんグッズのショーケースを発見した。グッズを買うには改札を通らなければならない。
「マンガとかアニメのコラボ商品が多いな。でも欲しい物も見つかった。ちょっと買ってくる」
比呂志が入場券を買って改札の中に入って行った。
比呂志の買い物が終わるまでに神谷秀真と話していた河合神社のことを女子たちに言おうと思ったら、すでに秀真が班長の吉口千由紀と揉めていた。
「なんでそんなに単独行動したがるの?」
「マニアックな神社だから、みんなに付き合わせたくないって言ってるだけじゃん」
「そう思うなら、神谷君がみんなに付き合えばいいじゃない」
「でも、せっかく目の前に行きたい神社があるんだから、行かせてくれよ。京都なんかめったに来られないんだし」
「そりゃ、私だって神谷君の行きたいところに行かせてあげたいって思うよ。でも、八坂神社の時は夢中になって、時間のことなんか忘れてたでしょ? ああいうのは困るんだけど」
どういう言い方をしたらこんなに拗れるのか、と皐月は秀真と千由紀のやり取りを見て不思議に思った。
「吉口さん、秀真はここまでの遅れを取り戻すために時間短縮しようと思って、自分だけ別行動を取るって言ってるんだ。俺たちにとっては悪い話じゃないと思うんだけど」
皐月は二人がどういった経緯で揉めたのかわからないので、秀真の行動原理だけを先に伝えようと思った。
「秀真は国宝の下鴨神社の本殿を見る時間を削ってでも、周りの小さな神社を見てみたいんだ。普通の観光客は隅々まで全部見たいとは思わないよね。まずは世界遺産として有名なところを見たり、国宝を見たり、優先順位を考えるでしょ? でもマニアは短い時間でもいいから全部見たいんだよ」
これで合ってるかな、と思いながら皐月は秀真の思いを代弁してみた。皐月も少しはマニアの気持ちがわかっているつもりでいたからだ。
「あれっ? 皐月、全部見ていいの?」
「待ち合わせ時間を決めて、間に合えば別にいいんじゃない。それならどう? 吉口さん」
「神谷君が絶対に時間厳守してくれるなら、別にいいけど……」
「どう? 秀真」
「絶対に遅れないようにするよ。約束は守る」
観光客や地元の人が行き交う中、出町柳駅の一角に一瞬の静寂が訪れた。
「まあ、いいんじゃない。千由紀ちゃん。神谷君も約束を守るって言ってるんだし」
「私もいいと思う。神谷さんが見たいところを見せてあげたい」
栗林真理と二橋絵梨花は秀真の好きにさせたいと思っているようだ。
「私だって別に意地悪で言ってたわけじゃないよ。ただ、八坂神社の時みたいなのは嫌だなって思っただけで」
この時、比呂志が買い物から戻って来た。
「ごめんね。遅くなっちゃって」
「大丈夫。そんなに遅くないよ。岩原氏、全然迷いがなかったじゃん。もっとじっくりと見たかったんじゃない?」
「お土産は別にいいんだけど、叡山電車の出町柳駅はじっくり見たかったな。それ以上に電車に乗りたかった」
「また大人になったら一緒に叡山電車に乗りに来ようぜ」
比呂志が見たいところを我慢しているのを、ここにいる全員が知ることとなった。比呂志は修学旅行の行き先を決める時に行きたいところを何も言わなかった。ただ電車に乗れればそれでいいと言った。そんな比呂志が駅訪問を断念するのは心苦しいはずだが、比呂志は清々しい顔をしていた。
「その時は僕も来たい。皐月と岩原君には御蔭神社に付き合ってもらうけど。あと、鞍馬寺とか貴船神社にも」
「僕も鞍馬寺と貴船神社には行ってみたい。叡山電鉄鞍馬線の終着駅だね」
「岩原氏。御蔭神社だって叡山電鉄本線の八瀬比叡山口駅だぞ。こっちも終着駅だ」
「お〜っ! そうなんだ。藤城氏は鉄道と神社、どっちも詳しいね!」
こんな旅、鉄道とオカルトの好きな自分が一番得じゃん、と皐月は楽しくなってきた。
「で、みんなどうしたの? なんか雰囲気がおかしかったけど?」
「秀真が下鴨神社の摂社や末社を見たいんだって。別行動をするなら、八坂神社の時みたいに遅れないでほしいっていう話をしてたんだ」
「だったら僕が神谷氏に付き合うよ。時間の管理は任せて。今度は少しでも遅延を回復できるように気を付けるから」
比呂志も秀真のように八坂神社の遅れを気にしていたことがみんなに伝わった。比呂志が時間を守ると言えば大丈夫だろう。みんなは旅行のスケジュールを組んだ比呂志のことを信頼していた。
「じゃあ、そういうことでいいよ。みんな揃ったから、もう行こう。次は鴨川デルタでお弁当だね」
千由紀の先導で出町柳駅を出た。信号の繋がりも良く、柳通も川端通もスムーズに信号を渡ることができた。