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藤城皐月物語 3  作者: 音彌
第9章 修学旅行 京都編
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389 八坂神社と牛頭天王

 八坂神社の本殿の右側は透塀(すいべい)で囲われている。この素木造り(しらきづくり)の透塀は木の地肌が時を経て極焦茶(ごくこげちゃ)へと変わる。

 透塀の檜皮葺(ひわだぶき)の屋根は苔生(こけむ)していて、軒先には黒い燈籠が吊るされている。内法長押(うちのりなげし)の上には唐草模様の彫刻があしらわれていて、腰長押(こしなげし)との間には青緑色の連子(れんじ)が施されている。彫刻と連子は丹塗りの枠に収められていて、その配色が雅な趣を出している。

 藤城皐月(ふじしろさつき)たちは絵巻物に描かれそうな美しい透塀に沿って進み、広い境内に出た。そこからは国宝の本殿と、華やかな舞殿(ぶでん)が一望できる。

 この美しい本殿と舞殿を前にして、二橋絵梨花(にはしえりか)吉口千由紀(よしぐちちゆき)栗林真理(くりばやしまり)が同時に華やいだのを皐月は肌で感じた。


 皐月たちはまず本殿での参拝を済ませることにした。皐月が本殿に向かって歩くと真理が皐月の横に来て、その後を絵梨花と千由紀がついて来た。

「八坂神社の本殿って、なんだかお寺のお堂みたいだね」

 絵梨花の観察眼は的確で、ここが仏教色の濃い神社だというのを見抜いていた。

 本社本殿には仏堂のように礼堂(らいどう)外陣(げじん))があり、その奥に内陣(ないじん)、内々陣とあるところが、神社としては珍しい。

 本殿は檜皮葺(ひわだぶき)の大屋根の入母屋造(いりもやづくり)で、両側面と背面に(ひさし)をつけた独特の外観をしている。

 別々の建物だった本殿と拝殿を一つの大きな屋根で覆ったこの本殿の構造を祇園造(ぎおんづくり)という。八坂神社本殿は国宝に指定されている。

 八坂神社は明治以前は祇園社、祇園感神院、祇園天神堂などと呼ばれる神仏習合の神社だった。明治元年(1868年)の神仏分離令により八坂神社と改名された。


「本殿の主祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)だけど、明治以前は牛頭天王(ごずてんのう)という神だったんだ。牛頭天王は祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)っていう、古代インドにあった仏教の寺の守護神なんだって」

 皐月はこの場にいない神谷秀真(かみやしゅうま)の代わりに八坂神社の祭神について話さなければならなくなった。付け焼刃の知識なので、うまく伝わるか自信が持てない。皐月自身、よく分かっていないことだらけだ。

「祇園精舎の守護神ってだけで、なんか変だよね。さっき清水寺で神谷君が仏は目覚めた人、菩薩(ぼさつ)は悟りを求める人って言ってた。そういう人たちが王様や護衛の人に守られるならわかるけど、守護神に守られるっておかしくない? やっぱり神は人だよ」

 千由紀は修学旅行前日の事前学習で「神はたぶん人のことだろうね」と言っていた。千由紀の指摘を聞いていると、皐月もだんだん神は人のような気がしてきた。

「明治以前は本地垂迹(ほんじすいじゃく)っていう神仏習合の思想があって、神道の神々は仏が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるって信じられていたんだ。だから八坂神社の主祭神の素盞鳴命は牛頭天王であり、薬師如来でもあるんだって」

 本地垂迹の話は豊川稲荷で同じクラスの筒井美耶(つついみや)に教えてもらった考え方だ。勉強を済ませているので、知識が口からスラスラと出てくる。


「じゃあ、素盞鳴命が祇園精舎の守護神だったってこと?」

「さすがに違うだろ。日本の神様だし」

「だったら本地垂迹なんて嘘じゃん」

「だから神仏習合の思想なんだって。言ってみればオカルトだ」

「なんだ、オカルトか」

 皐月には真理のツッコミが気持ち良かった。心の中でモヤモヤしていたものが晴れたような感じがした。

「薬師如来が素盞鳴命と同じなんて知らなかった」

「だから二橋さん、それオカルトだから」

「でも、どんな由来であれ薬師如来や素盞鳴命、牛頭天王が今日まで信仰されてきたっていう歴史はある。そういう信仰心を嘘やオカルトで片付けたくないな……」

 確かに絵梨花の言う通りだと思った。信仰は厳粛なものだ。皐月は神様事(かみさまごと)を追求していると、こういう信仰の問題に突き当たるから嫌なのだ。


「藤城君、如来の意味って知ってる?」

「ごめん。わかんない。ちょっとスマホで調べてみる」

 千由紀に聞かれたことを即答できなかったので、テクノロジーに頼った。AIによる解答だと、如来は修行を完成した人で、悟りを開いて真理に達した人だ。

「やっぱり如来も人間なんだ」

 千由紀は満足そうな顔をしていたが、絵梨花は不満げな顔をしていた。

「日本の仏教の仏様は神様のような存在として信仰されてきたって、私は思っている。さっき藤城さんが教えてくれた神仏習合の考え方で、神も仏もごっちゃになっちゃったってことなんだね」

 不承不承に考えをまとめようとしている絵梨花を見かねて、真理が自分の考えを話し始めた。

「でもさ……、八坂神社や清水寺に来ている人を見ても、神様や仏様を意識して参拝する人ってあまりいない気がするんだよね。なんていうかな……みんな漠然としたものに手を合わせているって感じ?」


 真理は清水寺にいた時から参詣者の思いに違和感を抱いていたようだ。真理は初詣以外に神社仏閣に行くことがない。初詣は参詣者の思いが同じ方向を向いているので分かりやすいが、観光地では人の思いは様々だ。

「それは俺も感じた。あえて分析みたいなことをしてみると、清水寺で手を合わせている人は清水寺の地にいる神様を、八坂神社で手を合わせている人は八坂神社の地にいる神様に感謝しているような感覚かな。あるいは、どこの土地の神様とか関係なく、抽象化された超自然的な存在、言い換えれば大いなる存在を何となく思って、手を合わせているような……」

 信仰心の薄い皐月にはこの程度の考えしか浮かばなかった。オカルトが好きな皐月に信仰心がないわけではない。ただ、今の皐月は神様を特定して篤く信仰する気にはなれなかった。


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