386 祇園をあきらめる
藤城皐月と吉口千由紀は高台寺公園の桜の樹の下でねねの道を見下ろしていた。皐月が祇園に行くのをやめにしたいと言った時から、ずっと二人の無言が続いていた。
栗林真理と二橋絵梨花、岩原比呂志が御手洗いを済ませて皐月たちのもとに集まって来た。風景写真を撮っていた神谷秀真もやって来た。全員集まったところで、千由紀からみんなに話があると言った。
「藤城君から祇園に行くのをやめようって言われたんだけど、どうする?」
一瞬、場が凍りついた。
「皐月、どういうこと?」
遠く祇園の方角を見ていた皐月の肩に真理が手をかけ、みんなの方へ顔を向けさせた。
「どうって、行く気が失せただけだけど……」
千由紀なら何も言わなくても意図をわかってくれるが、他のメンバーにそこまで求めるわけにはいかない。皐月は気持ちの整理をした。
「藤城氏は遅延を気にしているんじゃないの? 大丈夫だよ。まだ回復運転で何とかなるレベルだから」
時刻表を読むのが好きな比呂志は効率的に行動したり、優先順位を考えたりするような時間管理能力に長けている。比呂志がまだ何とかなると言うのなら何とかなるので、皐月の懸念していることが一つ消えた。
「確かに遅れは気になるけど、そういうわけじゃないんだよな……。なんて言うかな……。さっき歩いた二寧坂とか産寧坂って、ちょっと場違いな感じがしなかった? 俺はそう感じた」
皐月は絵梨花を意識して話を続けた。だが、絵梨花に共感を得られることはないだろう。
「それで、祇園は子どもが行く場所じゃないなって思った。祇園は花街だよ? 不健全じゃん。修学旅行前は俺の考えが足りなくて、祇園に行きたいって言っちゃったけど、間違いだって今頃になって気が付いた」
皐月の言葉に真理たち五人は黙った。祇園は皐月が自分から行きたいと言った唯一の場所だ。祇園に行くのをやめると、皐月の楽しみにしている訪問先がなくなってしまう。
「皐月がそう思ったなら、祇園はやめよう。私は祇園って、あまり気が進まなかったんだよね。だって、舞妓とか芸妓って私の親と同じ職業だからね。祇園には観光気分で行く気にはならないな……」
真理は祇園に行きたがっていたので、皐月はこの言葉の全てを信じられなかった。だが、心境の変化というのはあり得る。真理にも千由紀が石塀小路に行くのを嫌がったのと同じ感覚があったのかもしれない。
「祇園に行くのをやめるって言うけどさ、八坂神社もやめるの?」
八坂神社は神社好きの秀真が訪問を熱望していた所だ。
「もちろん八坂神社には行くよ。俺も八坂神社に行くのを楽しみにしてるから。悪いな、秀真。心配かけちゃって」
「ああ、よかった。でも、僕って行きたいところって多過ぎだよね。なんか悪いな……」
訪問先の神社は全て秀真の希望だ。皐月を除く他のメンバーは伏見稲荷大社以外の神社をよく知らなかった。
「神谷さんは行きたがっていた神社を我慢して、みんなも楽しめる神社を提案してくれたでしょ。だから神谷さんは全然悪くないし、むしろ感謝しているくらいだから」
絵梨花は秀真が行きたがっていた木嶋坐天照御魂神社を諦めたことを覚えていた。真理は秀真の提案にマニアック過ぎると文句を言い、秀真の情熱を否定した。
「じゃあ、祇園は行かないってことで決定するからね。遅くなっちゃうから、先に進もう」
班長の千由紀に促され、皐月たち六人は階段を下りて高台寺公園を後にした。